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ブックマン  作者: ふくあき
跡継ぎ編
6/101

悪夢

 ――おとうさん、きょうはいつまでおうちにいるの?


 はっはっは、今日からずっとこっちにいることになったんだ。


 じゃあ、これからずぅーっといっしょにいるの? おかあさんも、いっしょ?


 ああ、三人一緒に暮らすんだ。


 やったぁ! ……おとうさん?


 なんだい?


 そのハンカチきれいだったのによごれているよ? どうしたの?


 ああ、これは困ったことだな――




 ――血が止まらないんだ、ハンカチで抑えても――




 ――え?




「ああぁああぁぁあああぁあああぁぁぁ!?」


 絶叫が響いたのは、真田家から借りた寝室のなかだった。伊能があたりを見回してそう認識したからだ。


 動悸が止まらない。


 頭の中まで心臓の鼓動が鳴り響いているようだ。


 おそるおそる自らの額に手を当てる。粘ついているのは自分の汗だろうか? そのまま手のひらを確認すると、どうやら自分の頭からは血が出ていないようだ。


「はぁ……あぁ…………夢か……」


 鼓動がゆっくりとおさまるまで動かない。動けば死ぬような気がするからだ。頭の中が直に叩かれているかのごとくガンガンと響いている。


 動悸が収まるまでの時間が永遠に思えたが、廊下を走る音によってその鼓動はかき消される。


「之敬さん!? どうしましたか!?」


 知っている顔を見て、伊能はようやく落ち着きを取り戻す。


 伊能は真田の心配そうな顔を見ると、ゆっくりと深呼吸をして平静を装う。


「大丈夫……ただ悪い夢を見ただけだよ」


「そうですか……」


 心配そうに手を握る真田を見て、やっと心の底から落ち着き始める。


 そんな気がした。


 あれは現実でありながらも、夢である。


「本当に……ただの悪夢だよ――」




「――とはいえ、学校は行かなければいけませんからね」


「はは、一緒に登校するのは久しぶりですね」


 昨日は祝日。伊能にとってはとてもとても長かった祝日である。しかし平日ともなればいつもの様に学校に通うのが学生の本分である。


 伊能は学校に通う途中ずっとそわそわとしており、周りを常にきょろきょろと見ていた。


「……やっぱり、周りから見られているよ……」


「別にいいではありませんか。見せつけてあげましょうよ」


 昔とは考えが変わる人と、変わらない人がいる。この二人を見ればそれは一目瞭然だろう。


 周りの男子からの憎しみの混じった視線が容赦なく突き刺さる。すでに伊能は帰りたい気持ちが渦巻いていた。


 やっとのことで学校につくが、既に気力のほとんどは削られているような気分で、靴箱の靴を変えて上履きのまま帰宅しそうな勢いである。


「ふふ、では放課後もここでお待ちしておりますよ」


「皆がいる前でそれを言うのは僕的にはまずいと思うのですけど――」


 すでに本人は靴箱から消えており、残っているのは伊能への視線だけである。


「……はぁ、教室に行くかぁ」


 教室でも伊能に対しあらゆる噂が飛び交っている。また付き合い始めたのか? 今度は長続きするのか? 周りの男子はどうするつもりなのかといった会話の節々が伊能の耳にはいる。


「……やっぱり駄目じゃないか」


 そんななか教室を一通り見回すと、あることに気づく。


「……あれ? 徳川さんがいない」


 いつも早い時間から学校に来てぼーっとしている少女の姿が見当たらない。伊能は首をかしげながらも自らの席に着く。


「そう言えば今日は一時間目から日本史かぁ……あの先生の授業は話がマニアックになっていくからなあ……」


 結局、朝のホームルームの時間になっても例の少女の席は空になったままだった。


「それにしても、徳川さんどうしたんだろう? ……昨日飛び出したのが原因かなあ?」


 本多の一言を受けてその場を逃げ出し、そして今は真田の家にお世話になっていることはおそらく誰も知らないであろう。もしかしたら外でいまだに探しているのかもしれない。


「……流石にそれは無いか」


 そう言って窓の外を見る。相変わらず緑が広がる景色をぼーっと見てまた一日が静かに終わりそうだ。裏歴史のことも、この瞬間は忘れることができたのかもしれない。


「……本当に、全部夢だったらなぁ……」


 そんな伊能の淡い希望は、廊下の騒動によっていとも簡単にかき消されることになった。


「……廊下が騒がしいな……」


 ゆっくりとした動作で、廊下の方へと出歩く。廊下では人だかりができており、生徒のなかでなぜか伊能の方をちらちらと見る者もいた。


 伊能は騒ぎの原因が気になったので、人ごみを少しずつ進みながらその中心へと向かった。


 そこにはう伊能も知る二人の少女がある人物を探していた。


「えーと、伊能さんはどこでしょうか……?」


「もうすぐで教室だから、そこにいるかも……?」


「本当にいるのでしょうか……昨日の時点で見失ったのが一番の失敗ですが――」


 伊能は二人の姿を見てすぐさま教室に戻る。そして自分の席に座る途中足をひっかけながらも席につき、頭を抱えてうずくまる。


「え? は!? どうして学校にいるの!?」


 朝とはまた違った意味で動悸が止まらない。伊能にとって唯一リラックスできるであろう時間に、冷や水をぶっかけに来ている人物がいる。


「何で!? どうして――」


「――それはですね、伊能さんを探すためですよ」


 すでに少女はすぐ近くにいた。伊能がおそるおそる顔を上げると、少々ひきつった笑顔を浮かべる宮本の姿が目に入った。


「何で学校に来てるの!?」


「だから言ってるじゃないですか! 探したんですよ、昨日あの後そこらじゅう練り歩きまわりましたから……まったく、伊能さんは人を振りまわすタイプですか? まあ私的にはそれもありですけどね」


 そう言いつつも伊能の手を更に強く引っ張る。周りでは伊能に対する新たな噂が立ち上っている。


「あいつ真田さんの他にも手をつけてたのかよ……」


「もしかして、徳川さんにまで!? ……後でじっくり話を聞く必要がありそうだな……」


 もちろん伊能の耳にもそれは届いており、無駄に焦りを生み出すきっかけともなる。


「ちょっと待ってよ! いろいろ誤解が生まれているじゃない!」


「誤解も何も、事実なのだからしょうがないじゃないですか」


 この言葉を皮切りにあらゆるうわさが一気に広まる。


「やっぱり二股なのか!?」


「二股どころじゃねぇ、もっとあるかもしれねぇ!」


 最悪の状況だ。目の前のありとあらゆるものが伊能を苦しめるかのごとく見える。


「どうするつもり!?」


「どうもこうもないですよ! 危険な身にさらされている状態で学校に来ているのが問題なのですから! 伊能さん殺されちゃいますよ!?」


 元カノに殺されるとかいう根も葉もないうわさまでたつ始末に辟易して、伊能はしぶしぶ立ち上がり帰宅の準備を始める。


「……もう、わかったよ……どうすればいいの?」


「とりあえず、私についてきてください」


 はいはいと脱力感溢れる返事をして鞄を背負うが、そこで伊能はあることに気づき手をとめる。


「……あ! 幸乃さんに一言言っておかないと!」


「……誰ですか?」


 せっかく収まりかけていた宮本から、どす黒い殺気のようなものが浴びせられる。伊能の顔から朝のときとはまた違う汗が噴き出る。


「……伊能さん……それは一体、どこの誰ですか?」


「き、昨日は幼馴染の幸乃さんの所に泊まったんだよ」


 苦し紛れにだしたその言葉が地雷だということに気づいたのは、ある一人の生徒が発した言葉を聞いてからだった。


「――おい聞いたか!? 伊能は昨日真田さんの家に泊まったらしいぞ!」


「あ、やばい」


「お前やってくれたな!? とうとう真田さんと一線超えてしまったのか!?」


 周りからの殺気も加えられて伊能の神経がすさまじい勢いで削り取られていく。


「伊能さん!? それは一体どういう事ですか!?」


「だからその――」


「こいつはいつかやらかすと思っていたんだよ!」


「えぇー、そ、そんなぁ」


「ちょっとお仕置きが――」


「――必要なようですね」


 生命の危機を直に感じ取った伊能は荷物を捨てて廊下から飛び出すように逃げていく。


「僕が何をしたっていうのさ!?」


「ナニをしたに決まってんだろうがぁ!!」


 伊能は学校を後にして、またもや行く当てのない逃走を始めるのであった。




「……撒いたかな」


 裏路地の壁にもたれかかって呼吸を整えながらも、伊能は通りの様子をうかがう。体力には少し自信を持っている彼の予測通り生徒はもちろんのこと、宮本たちも撒くことができたようである。


 視線の先にある時計屋の時計は九時半を指しており、それはすなわち今から戻ったとしても遅刻は免れないことを示している。


 とはいえ、今戻れば確実に学校の男子から体育館裏に引きずり込まれることは目に見えているであろうが。


「ふう、これからどうしようかな」


 今家に戻ったところで誰かが待ち伏せをしている可能性もある。誰もいなかったとしてもおそらく家に放置されっぱなしの死体はどうすればよいのだろうか。


「本格的に行く当てがないなあ……」


「だから私についてきてくださいと言ったのに」


 声が聞こえる方へおそるおそる振り向くと、その先には振り切ったはずの宮本が涼しげな表情で伊能を見つめている。その体には対照的な大きさのリュックも背負っている。


「その荷物であれだけ走ったのに息一つ乱れないってどういうことなの……」


「あれくらいのことは朝飯前ですよ」

 にこやかに答える少女に少々恐怖を感じながらも、伊能は通りの表へと出歩く。


「……とりあえず、どこか座って話をしようか」


「そうですね。私も昨日あの後どうなったのか気になりますし」


 伊能は苦笑いを浮かべながらも近くの喫茶店へと向かった。




「……それで、昨日はどこにいたのですか?」


 向かい合うような形で座るなか、紅茶が入ったカップを片手に宮本は昨日の出来事を問いただす。


 その尋問の前では何の言い訳も立たないと思い、伊能は素直に機能の出来事を話す。


「実はあの後、昔の幼馴染に会って、その家に泊めてもらうことにしたんだ」


「へぇ、ちなみにその方の名字は――」


「真田。真田幸村の末裔だったよ」


 宮本が問いただそうとした部分を、伊能は何の躊躇もなく教える。宮本の方はというと少々拍子抜けしたような表情となった。


「……結構すんなりと教えてくれましたね」


「うん、昔から付き合いがあって一時期一緒に登校していた時期もあったんだけど――」


 そこで伊能は少し表情を曇らせる。それを読み取った宮本は無理に話す必要はありませんというが、伊能は首を振って話を続ける。


「幸乃さん美人だし周りから人気があるから、僕が一緒にいるのが不釣り合いに思えてきて自然と離れていったんだけどね……」


 そう言って手元にあるコーヒーを見つめる。口に少し含むと、あの時の青春のような苦い味がした。


「……ということは真田さんって方は伊能さんの昔馴染みで、その家に保護されていたことになるのですか?」


「そうだよ」


 伊能はまたコーヒーを傾け、そのカップの底を見つめる。


「結局、昔と同じように皆に恨まれるようになっちゃったけどね」


「……でしたら尚のこと」


 宮本は少々照れながらも、伊能に一つの提案をする。


「私の家に来てもらえればよろしいではありませんか?」


 もしかしてリュックの中身はそのための荷物だろうか。


「そ、それは……」


「だめですか?」


 自分より歳下の少女に上目づかいで言われては、断るものも断れなくなるのは男の悲しき性である。


「そんな目で言われたら断りづらいよ……」


 宮本の作戦は功を示したのか、伊能は提案を受け入れてしまうことになった。


「では早速家に向かいましょう!」


 宮本は生き生きとした表情で会計をすませて喫茶店を出ようとその一歩を踏み出すが、その表情はすぐに険しいものへと変わっていく。


「……」


「宮本さんどうしたの?」


「しーっ……伊能さん、裏口から出ましょう」


 表通りを見て宮本は何かに気づいたのか、店の裏から出るように宮本は提案をする。伊能は突然の提案に疑問を抱きつつも、言われた通りに裏から出ようとする。


「……」


「どうしたの? さっきから静かだけど」


「伊能さん……」


 宮本はあたりを見回し少しずつ前に進みながら、伊能にだけ聞こえるような小声で話しかける。


「表通りの人だかりに、忍と思われるものを発見したので裏から出るようにしたのです」


「もしかして昨日の……」


「ですから、裏口から出て――」


 すでに遅かった。


 眼前に立ちはだかるのは黒い髪を束ねた忍。宮本たちの前に立ちはだかっている。


 その目は二人を捉え、逃さないという意思を伝えている。


「……」


「……また貴方ですか……」


「え? 誰この人?」


 伊能の問いに一言も答える事無く、腰元の忍者刀を構える。


「えぇ!? そういう事なの!?」


「ですが今回はこちらも準備ができていますよ!」


 リュックのなかから取り出したのは、二振りの日本刀。そのうち片方を右手で抜き、もう片方は腰にげる。


「これは……」


 鞘から抜かれた一振り目の刀はその銀色を露わにし、見た目による表の美しさとその裏に潜む殺しの美を兼ね備えていた。

 誰しもがその緻密な造形美に感嘆の声を挙げるであろう。伊能もこの状況でさえなければ、素直にその美しさに魅入っただろう。


 しかし今は違う。


 両者ともに刀を構え、その間合いをはかる。


 互いの戦いのために、刀を振るう構えをしている。


 もはやそこに、部外者が割ってはいる余地はなかった。


「……」


「……」


 言葉もなく、あるのは互いの戦う意思のみ。


「…………!」




 一瞬――




 剣先が揺らぎ、宮本の喉元に突きつけようと忍者刀が向かう。


「しっ!」


 しかしそれをすでに読んでいたのか、宮本は刀の切っ先を払い反撃に転ずる。


「遅いです!」


「ちっ!」


 一瞬の攻防。


 伊能の目が理解するより速く、刀と刀が交わりあう。


「今度はこちらから参ります!」


「! 速い!」


 激しい金属音と風切り音が聞こえるなか二人の戦いはさらに激化し、辺りに傷跡を残してく。


「ふふ、やりますねぇ!」


「くっ…………押されているか……!」


 超高速で繰り広げられる斬撃の応酬の最中さなか、じょじょに忍の方が押されているのは伊能の目にも明らかであった。


「……それにしても、こんなことが目の前で起きるなんて…………」


 伊能の目の前で、非日常が繰り広げられている。刀同士のチャンバラなど、時代劇か新聞紙を丸めた子供の遊びぐらいしかないものと思っていたからだ。


 それが今目の前で、真剣を使っての命のやり取りとして繰り広げられている。


「ほらほらぁ、まだまだいきますよぉ!」


 宮本は忍をじょじょに隅の方へと追い詰め、逃げ場をなくしていく。


「やはり強い……!」


 忍は壁を背にしたところまで追いつめられると、閃光と煙幕を張り再び場所を仕切りなおそうとはかる。


「ごほっごほっ、卑怯ですよ!」


 白煙のなか、宮本の死角から黒い影が忍び寄る。宮本は煙に気をとられ、それに気づかずにいる。


 そして現時点でそれに気づいていたのは、伊能だけである。


「宮本さん!」


 先ほどの閃光弾のためか、宮本の耳に伊能の声は届いていない。


 影の腕は長く伸び、それが刀となっていくのがわかる。


「……くっ!?」


 伊能の脳裏にあの悪夢が浮かび上がる。しかしそこで血を流しているのは一人の少女の姿だ。


「っ、宮本さん!!」


 気がつけば伊能の体は宮本のもとへと向かっており、向かう影からかばうように抱きしめていた。


「覚悟!! ……!?」


 伊能の体に刀が突き刺さる。


 鋭い感覚が全身を駆け巡り、苦痛を抱いて口から朱く吐き出る。


 忍者刀は伊能の体を貫くかと思いきや、傷が浅い所で引き抜かれる。忍はその突然の出来事に動揺する。


「何故……そこにいる……!?」


「わかんない……よ……気が……ついたら……ここ……に……」


 最後まで言葉を続けることができず、伊能の体はその場に伏した。


「……! 伊能さん! しっかりしてください! 伊能さん!!」


 宮本は目の前で起きた出来事を前にして、脳の処理が追いつかないでいた。


 守るべき相手が血を流して倒れている。


 そしてその犯人の刀からは血がしたたり落ちている。


「…………どうやら私に二振り目を抜かせたいようですね……」


 剣より鋭い、殺意が湧く。


 腰元に据えていた刀の柄に、静かに左手を添える。左手を動かすと、そこには漆で塗りたくったような黒が覗き出る。


「……!」


 その殺気を前にして、自らの任務が遂行不可と肌で感じると、忍は建物の隙間を縫って素早く撤退していった。


「待て! どこへ行くつもりですか!!」


 返事などなく、辺りは切った後の残骸と床をつたう血の跡だけ。


「……この借りは必ず返します……その前に、杉田さんの所へ行かないと……!」


 リベンジを誓った少女は瀕死の伊能を担ぎ上げると、一目散に名医のもとへと向かった。



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