破裂寸前
本多は今日も縁側に一人座っていた。一人座っていたという事は、彼の隣に徳川の存在が無いという意味でもある。
「チッ……」
本多は舌打ちをした。自分の中に未だに潜んでいる“心の迷い”に。徳川に対し自立をしてほしくないというわがままな心がどこかにあるということに。
「アー、クソッ、まだそんなこと考えていやがんのかよぉ」
あの時からずっと、捨てたと思っていたはずだった。ただ定期的に、発作的に“心の迷い”が起こる事は否定できない。だが今までそれでも抑え込められたはずだった。そしてこんなに頻繁に再発する訳でも無かった。
「――アァ、テメェかぁ」
「どうかしました?」
「何でもねぇよぉ」
「もしかして、昼間の千夜さんの件で何かご不満でも?」
「……チッ、アタリだクソガキィ」
敵に愚痴るつもりは無い。だが今となってはそう考えることを本多はしなかった。
上から見下ろしてくる服部が、どこか憎たらしい。
「普段は本多さんが送り迎えをしていたのが、急に無くなるというのは確かにさびしいものですね」
「バァカ、オレにとっちゃそんな事より徳川様が一人前になろうとしている事への喜びのほうが大きいんだよぉ」
「でも寂しいのは否定しないんですね」
「ケッ」
本多は寝転がって天井を見る。板の木目がどこか泣かしそうな顔にも見えるような、そんな気がした。
「……いずれ徳川様もどこかのクソ野郎とご結婚なさる時が来る。今でそんなに辛かったら結婚すると気にオレ耐えらんねぇぞぉ?」
自分で言ってて吐き気がした。自分が使え慕うものを、どこぞの馬の骨にいずれかは取られる。そんな時に自分はたえられるだろうか。本多はそんなことを考えつついつもより余計に眉間にしわを寄せた。
「そんな顔してばっかだと幸運が逃げ出しますよ?」
「ウッセェクソガキ」
本多は体を起こすと服部に対しあることを聞いた。
「つーかテメェが帰ってきたってぇこたぁ徳川様も家にいるんだよなぁ?」
「……その件ですけど」
「アァ? テメェオイコラ――」
本多の右手が無意識に服部の細い首をへし折ろうとした直前、服部はある件についての話題を提供する。
「その結婚の件なんですけど……案外早い時に来るかもしれませんよ?」
本多はしばらく絶句し手を止めた後、屋敷中に響き渡るような大声で叫んだ。
「――ッアァ!?」
「しーっ、しーですよっ!」
服部が急いで本多の口を塞ぎ、事を内密にするよう本多に言い聞かせる。
「今、徳川家は当主が房和様ですよね? その房和様としては徳川将軍家としての当主がやはりふさわしいとお考えの様子で」
「だからってぇどうして徳川様が――」
「要するに早くお世継ぎを作らなければならないという事です」
本多はまたもや言葉を失うと同時に、大きな絶望感――“心の迷い”に包まれた。
「……てこたぁアレかぁ? 徳川様が今言っている自立の意味って――」
「故徳川家当主の娘としての自覚を持ってご結婚なさることで、いち早く徳川家を安泰させることをお考えになられているのです。そして自立の最終的な目標はご結婚してお世継ぎを残す、この事を指しているのです」
「……ヒャ、ヒャヒャ……」
本多は変な、歪な笑い声しかで出てこなかった。
「アヒャヒャ、オレの依存を無くして自立するってぇのが目標とはなぁ、ヒャヒャ――」
本多は急に立ち上がると、怒る訳でも無く足をもつれさせながらもフラフラと外へと出て行ってしまう。
「あーりゃりゃ、そりゃショックは大きいよねぇ」
服部は小さくなってゆく本多の背中に問いかける。
「ちょっとー、どこへ行くんですか?」
「……外の空気吸ってくるぅ」
フラフラとなった心と身体で、本多は夕方の街へと消えて行った。
「――クソッ、クソッ、クソがぁ!!」
――路地裏でチンピラどもを血祭りに上げる。それでもまだ足りない。
「――オアァァァァ!!」
どこの輩か知らないが、裏の者でも憂さ晴らし。
「――ゴミ共がぁ!!」
どこかで徳川と結婚する一族に悪評が届くことも祈っていた。
「――死ね、死ね死ね死ね死ねぇ!!」
自分にとって最も大切な人が離れる瞬間が来ている。それが苦しくて苦しくて苦しくて――
「――アァァァァァァァァァァァァアアアアアァァァァァァァァァァァァァァアアアア!!」
――全部ブチ壊したくなってしまった。
翌日の朝になっても、徳川家の屋敷に本多家が返ってくることは無かった。
徳川が下に降りてくると、テーブルの上に並んでいるものがいつもとは違っている。
「あれ? これいつもと違う?」
ところどころ歪な卵焼き。水分が多すぎたのかぐずぐずになったご飯。極めつけに塩っからい味噌汁。
「今日だれがつくったの?」
「わ、私です……」
恐るおそる松尾が右手を挙げると、徳川は首を大きく傾げた。
「本多くんは?」
「じ、実は――」
「勝希氏なら昨日からいないのである」
「えっ?」
徳川はその言葉に思わずご飯茶碗を落としてしまった。
「どういうこと?」
「千夜氏の自立を見て自ら振り返ることもあるのだそうで、しばし修行するとの事だそうだ」
房和の言葉に、徳川は納得するしかなかった。
「むぅ……見守ってくれるって言ったのに」
「まあまあ、仕方のないことである」
落ち着きのない徳川と、房和の冷静な姿は対照的であった。
「それにしても、なかなか難しいことしてたんですね本多さん」
その場の空気を読めていない松尾は、べちょべちょのご飯を一人頬張っているだけであった。




