影の暗躍
「――あれは一体何なのですか!」
宮本の怒号が響いたのは広い座敷であった。立ち上がっている両の拳を震わせている宮本以外の三人は、それぞれくつろぐように座っている。
ここは徳川の実家である大きな屋敷の一室であり、このように客に応対する際によくつかわれている場所であった。真ん中に円卓が置かれており、飲んでくださいと言わんばかりに急須と四つの湯呑みが置かれている。
「ウルセェなぁ。マァ落ち着けよぉ」
本多がそのうちの二つに急須を傾け、一つを徳川に手渡しもう一つは自らのもとへと近づける。
「ズズッ……マァ、アイツ等と戦ってみて気づいたこたぁオレの知ってる流派じゃねぇこったなぁ」
のんきな回答を返す本多に対し、沖田は別の可能性について話し始める。
「……最近新規が入って強化されたという雑賀衆の可能性は?」
「アイツ等があんな上等な忍を手駒にできるわけねぇだろぉ?」
相変わらず刀の手入れにいそしむ沖田の意見をすぐさま否定する。
「……といっても探りを入れる必要があるけどなぁ――」
「今はそんなことはどうでもいいのです!」
横から口をはさむのは先ほどから立ちっぱなしの少女である。
「伊能さんを! 完璧に見失ったんですよ! どう責任をとる気ですかこの変態! もし死んでもしたら切腹では済みませんよ!!」
宮本の怒りをぶつけられ、黙っていられるほど本多は大人しくない。
「ダァレがあんな優男のために切腹なんざするかボケェ! テメェで逃げだしたヤツのことなんざ知ったこっちゃねぇっつーのぉ!!」
相変わらずの犬猿の仲っぷりに少々あきれつつも沖田は状況を整理し、情報を集める準備にかかる。
「……先刻我々を襲ってきたのは、昨晩伊能殿を襲撃した者と同じ忍集団とみていいだろう。そして目的は時間稼ぎ。多少の犠牲はいとわないスタンスから、その間に対象の確保など重要な行動を行っていたとみていいだろう。その後完全に伊能殿を見失い、手がかりも全て消え去ってしまった、と」
言い合いをしていた二人も一時休戦し、沖田の言葉に耳を傾ける。
「次にこの町に住む裏歴史の住民の住所だ。徳川殿、地図を貸してはくれないだろうか?」
「うん、いいよ」
徳川は学校のカバンをごそごそと探り、地図帳を取り出して円卓に広げる。
「……我々が襲撃を受けたのがここ、街の北西部だな。伊能殿の家がちょうど西の方にあり、そこから北へと向かっていることから北部の者が怪しいと見れるな」
「北は確か、三つの家がありましたよね?」
「そうだ。沖田家、真田家、そして――」
「織田んトコがあるなぁ」
それぞれの位置を指さし互いに確認する。そしてそれぞれの家について仮説を立てはじめる。
「……襲撃を受けた場所から近いのは織田家。まぁ、織田は代々野蛮人が多いですし、ブックマンを殺すのもいとわなさそうですね」
「バカかテメェは」
本多が宮本の考えを一蹴する。宮本は少々不満げになりながらもその理由を問う。
「むぅ、なんでですかぁ?」
「織田んトコの今の忍は風魔党だろぉ? 風魔ならオレが戦い方で判るはずだぁ」
宮本はその小さな頬を膨らませながらも納得する。そして次の候補を指さす。
「……じゃあ二番目に近い真田でしょうか?」
「真田十勇士は裏にはいるときに解散しているぜぇ。今回の忍の件とは関係ないはずだぁ」
「んー、では残ったのは――」
「ち、ちょっと待て!」
残った一族から状況を察した沖田がその場を制する。
「私の家はそんな事しないぞ!」
「わかりませんよぉ? こう味方の振りをして実は敵でしたー、みたいな」
「そうだなぁ、確かに沖田家はあまり探りを入れられたことはねぇしなぁ」
本多が右手を鳴らしつつゆっくりとその場に立ちあがる。その怪しげな空気に沖田は少々恐怖心を煽られる。
「ちょ、ちょっと待て! 話を聞け!」
「テメェの体に聞いてもいいんだけどぉ?」
「そ、そんなこと――」
「違うと思うよ?」
今まであまり口を開かなかった徳川がその口を開く。本多はその言葉を聞いて大人しく座りなおし耳を傾ける。
「沖田さんじゃないと思うよ?」
「と……徳川殿ぉ! 味方してくれるのですか!」
この危機的状況において、沖田はこの状況で唯一味方してくれる存在にすがりつく。
「さすがは徳川殿、人とは違う目をもってくださる!!」
「……うぐぅ……く、苦しい……」
「こぉのクソアマぁ! 徳川様が締め落とされておられるのがわからんのかぁ!!」
強く抱き締めるあまり徳川が締め上げられていると、本多は素早く沖田を引きはがし体をゆすって安否を確認する。
「徳川様!? 御無事で!?」
「うぅ……揺らさ……ない……で」
「徳川様!? どうなされたのですか!? 大丈夫ですか!?」
「……だ……から……揺らさな…………きゅぅ……」
「……徳川様!? 徳川様ああぁぁぁぁぁぁ!!」
「…………後半自分でとどめ刺していましたよね?」
――真田家の屋敷の一室、真田幸乃の部屋にて伊能は一人苦悩していた。
「……久々に上がらせてもらってはいるものの、相変わらずこの部屋は変わらないなぁ」
真田家の、それも幼馴染の部屋で伊能は一人顔を手で伏せていた。
しばらくぶりとはいえ幼馴染の部屋というのは何とも言えない懐かしさというものがあった。
そしてそれこそが同時に今の伊能に対して恥ずかしさをもたらしていた。
「はぁ……それにしてもこの状況……どうしよう」
別れてからはお互いに身も心も成長しているものである。昔は意識していなかったものも今となっては目のやりどころに困るものの一つや二つはあるものである。
そしてその代表的なものが伊能の目の前に散らかっている。
「……下着……散らかってるし…………」
学校では八方美人、文武両道を体現した人といわれるほどの完璧な存在でいられても、プライベートの場で人の本性というものが出るのである。彼女の場合、家でのその片づけられない女っぷりがいえることであろう。
伊能は昔の様に何のためらいもなく片付けるべきなのか、それとも異性を意識した高校生として手を付けずにおくべきか悩んだ。
いずれにせよ、本人に少し説教が必要な気がするのも感じていた。
「之敬さん、お茶の用意ができましたよー」
そんな伊能のことなどつゆ知らず、悩みの原因が粗茶を持って入ってくる。
「テーブルに置いておきますね」
お茶の準備より知人が家を訪ねてくる準備をしておくべきだ。
「ありがとう……それより、相変わらず部屋の掃除ができていないようだね……」
そこでようやく真田は部屋で散らかっているものの詳細に気づく。
「……あっ! す、すみません! 急いで片付けますから!!」
今更気づいたところですでに伊能の目には何度かちらちらとうつっている。前に見た時よりも明らかに成長している部分のことも記憶に残ってしまっている。
「もう! 昔っから片づけられない人ですね幸乃さんは! 普段学校でできるなら家でもしてくださいよ!」
「あは、あははは……これだけは何故かできないんですよねー……」
恥ずかしさを紛らわすためかいつもより大声で説教するが、真田は苦笑いで場を濁すことしかできなかった。
「……それよりも、僕をここに呼んで今から何をするんですか?」
伊能はその表情を引き締め直し、本題にはいろうと試みる。
「之敬さんの状況は、はっきり言って追い詰められていると言っても過言ではありません。今ブックマンの一族として、伊能家の一族として生存しているのは之敬さんだけですから」
「それについてはもう知ってるよ。宮本さんに聞きましたから」
「宮本……?」
その単語を聞いて真田は一瞬表情が険しくなるが、伊能の前であるからなのかその表情をすぐさま隠す。
「? 幸乃さん何か気がかりなことでも?」
「い、いえいえ! 宮本家が動くのは少々珍しい事だったので!」
真田は伊能の疑問に対しはぐらかすように答えると、話を元に戻そうとする。
「家には、之敬さん一人でいらっしゃいますよね?」
「うん、それがどうかしたの?」
「一人だと危険ですから、真田家で保護させていただきたいと思っているのですよ!」
その言葉を、幸乃は少し嬉しそうにしながらも話していた。また二人で一緒にいられることを楽しみにしているのであろうか。
「……またしばらく登校も一緒になるんですか?」
伊能は過去の事を振り返り少し不安げな表情をうかべるが、真田はそんな過去のことなど気にしないといった表情で伊能に近寄っていく。
「大丈夫ですよ。之敬さんのことは、何があろうと私が守りますから」
ニコニコしながら言われては無下に断ることもできず、伊能はその提案を受け入れる。
「……わかりましたよ。これからしばらくお世話になります」
「これからではなく、ずっとでもよろしいのですよ?」
「え……?」
ずっと、という単語に伊能は瞬時に反応し質問を返す。
「……もしかして、真田さんも――」
「ええ、私と夫婦になってもらって構いませんよ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
伊能はその場を急いで離れようとするが、その腕に体を押し付けられては身動きができない。
「私、あれからもっと之敬さんに好きになってもらえるように努力したのですよ?」
「幸乃さん、そのあたっていますが――」
「これもアピールですよ!」
伊能が自分を意識してたじたじになっているのがわかると気分が良くなったのか、より押し付けてくるのが感じ取れる。それを前に伊能は別のことを考えて紛らわすのに必死になっていた。
しかし時間が来たのか、真田は名残惜しそうに離れていく。
「……これから、真田家に之敬さんを受け入れるための準備をしてきますね。之敬さんも、我が家と思ってくつろいでもらって結構ですよ!」
「は……はは、ありがとう……幸乃さん」
「……では、また後程に…………」
真田がその戸をゆっくりと閉めると、外には既に待機していたのか、黒い影が静かに語りかける。
「……大丈夫ですかね?」
「之敬さんは、家にいてくれるそうです。後は――」
「彼と婚姻を結ぶだけですよ」
真田は先ほどとのにこやかな表情から一変して、自信のなさと後ろめたさが入り混じった表情を浮かべる。
黒い影はそれを察し、真田の肩にポンと手を置く。
「心配することはありません、すべてはうまくいきますよ」
「……期限まで、あとどれほどですか?」
「あと二日、といったとこですよ。それまでにこちらに取り込めなかった場合、分かっていますよね? できないなら自分が――」
「その必要はないです」
唇をぐっとかみしめ、両手をぎゅうっと握る。そして彼女が本来すべきではない言葉を口にした。
「覚悟はできています――」
「――私の手で、全て終わらせます」




