その者、天下無双の武士にて
とりあえず一週間とか言いつつも区切りのいいところまで? 行けたので投稿させていただきます。今回は予告編(?)に近い形の前編となると思いますのでまた読んでいただけたらと思います。
伊能が食器を片づけようとするのを見て、宮本が率先してその役目を代わる。どうやら家事ができるところをアピールしておきたいのであろうか、伊能は半ばむりやり交代する形となった。
食器を片づける音がするなか、徳川のポケットに振動が伝わってくる。
「あ、でんわ」
そう言ってポケットから携帯を取り出す。画面にタッチできるタイプの携帯端末が広まっているこのご時世に、折り畳んでいたものを開くという動作は少し珍しいものである。
「いまだに折り畳み式なんだ、徳川さん」
「えへへ」
伊能の言葉に照れる徳川を見て、沖田はそれが気に入らないのか少し怒気を強めて言葉を放つ。
「そのすぐ照れる癖をやめろ」
沖田の鋭い目つきを見て徳川は少し涙目になり、そして伊能はため息をつく。
「沖田さん厳しいですね」
およそプラスとは思えない言葉を伊能から受け取る。沖田は少し焦った表情を見せた後に、すぐさまフォローにかかる。
「い、伊能殿には言っておりませんよ! それに妻となるものがこの程度で――」
「だからって徳川さんを泣かせるのはダメだよ。僕だってさっきの少し怖かったし……」
「ぐっ……」
沖田は何も言い返せず、部屋の隅っこに体操座りで座り込むと、一人さびしく刀の手入れを始めた。
「ふっふっふ、沖田さんがまた勝手に評価を下げたようで何よりです……」
台所で何やら邪悪な言葉が聞こえた気がするが、伊能はそれを聞こえなかったことにして徳川の方を向く。徳川はというと、いつの間にかケロッとした表情で電話にでていた。
「あれ? 徳川さんもう大丈夫なの?」
徳川は電話を片手に無言でぶいサインを作る。そしてそれを恨めしそうにみる沖田が一人呟く。
「狸め……」
「ん? 沖田さんなんか言った?」
沖田はこれ以上無意味に評価が下がるのを恐れ、そのまま何でもないと首を振る。伊能は少し不思議がりながら再び徳川の方を向く。
「……うん、わかった……今から帰るね」
電話を切ったあと、伊能の方を振り向いてこう告げる。
「もう帰るね。ばいばい」
「え? どうしたの?」
「迎えに来るって。本多くんが」
本多、そして徳川という二つのキーワードからして、伊能はある人物に辿り着く。
「もしかして、本多忠勝の――」
「うん。末裔だよ?」
「やっぱり!」
自分の思った通りの答えが返ってきて、伊能は少し心が躍った。もし表の歴史が本当のことであるならば本多忠勝ほど強い者はそうそういない。伊能はぜひ護衛をお願いできないかと徳川に聞くが、宮本はおろか、徳川ですらそれは無理だろうと言いたげな表情である。
「え? だってあの本多忠勝の末裔なら、相当強いはずだよね?」
「……伊能さん、いくら徳川の命とは言え、本多の……特にあの人が徳川以外に仕えるなどないと思いますよ?」
伊能は宮本の方から飛んできたその言葉に不満げに口をとがらせる。宮本は洗い物を終え、伊能の問いに答えつつ伊能の近くにさりげなく座り込んでその理由を述べる。
「普通は裏歴史にうつった時点でそれまでの主従関係は一旦解消されます。本多家はその表に轟かせた実力からして裏では引く手あまたであり、その上その実力の持ちようからあえて独立することも可能でした。そんななか本多家は再び主に徳川を選び、以後一度も裏切ることなく今まで仕えてきているのですよ」
伊能は本多のその深い忠誠心に感銘を受け、そして素直に感嘆の声を上げた。
「すごい! すごいよ!! 戦国時代ですら多くの裏切りがあるなか、裏の歴史でも忠誠を尽くすなんて、確かにそんなすごい一族なら僕の護衛より徳川に殉ずるはずだよ!」
伊能がただ拍手で讃えるなか、宮本は少し苦笑いでその言葉に付け加えをする。
「あはは……本多に関する解釈はそれであっているんですけど、護衛が一番無理な理由は今の当主の息子、今から徳川さんを迎えにくる人物が主な原因です」
「へ?」
伊能は間の抜けた声で返事をすると、宮本がその場を濁すような言葉で話を続ける。どうやら話はそう単純ではなく、話がよりこじれるようであった。
「その人物――本多勝希という男は本多家でも異質の存在であり、異端児でもあるのですが…………この男のことを話す前に一つ問題、本多忠勝といえばなんですか?」
話の転換代わりの問いを前に、伊能は頭を掻きつつその答えをなんとか絞り出す。
「ええと、蜻蛉切り」
「それも正解ですが、もっとすごい事ですよ」
伊能は無い知恵を出すかのごとくうーうーうなりながら次の答えを絞り出す。
「ええと、戦いで傷ついたことがないとこ?」
「近いですけど、ぶー!」
伊能は悩みに悩んだ末、最後の答えにたどり着く。
「うーむ……あっ、わかった! 天下無双と呼ばれたことでしょ!?」
宮本は拍手をして伊能を褒める。
「その通り! 東に本多忠勝、西に立花宗茂というように本多忠勝は天下無双と褒めたたえられ、裏歴史に入ってからもその無双の名に恥じぬように、代々その身に最強を宿す特殊な修練を受けてきました」
「特殊な修練?」
特殊という言葉に引っかかりを感じた伊能は言葉を繰り返す。宮本もそこに気がついてほしかったらしく少し声を高めにして言葉を返す。
「そうです! 本多家でも代々当主しか受けないその特殊な修練を受けた本多家の者は、はっきり言って裏歴史においても最強です。噂では白兵戦であれば一対千ですら傷一つつけられることなく勝利できるとかいう話です」
「……うわー、まさしく天下無双だね」
伊能はその噂の前に驚きとともに畏怖した。たとえ相手が千人であろうとも勝てるなど、所詮おとぎ話の世界でしか通用しないと思っていたからである。
しかしそこからというものの、先ほどの質問の時と打って変わって宮本の口調がまた重くなっていく。
「そして本多勝希という男は……その中でも最高傑作と呼ばれるほどの実力の持ち主であるのですが……これは昔本当にあったことで、徳川とある一族との小競り合いの起きる中、本多勝希は齢十二にしてそれを収束させました……」
「うわぁ……相手の軍勢は?」
伊能の無神経な質問に対し、宮本は少し気分が悪そうな表情を浮かべる。鈍感な伊能もさすがにそれを察して、むりに答えなくてもいいと告げるが、宮本は重い口を開け真実を話す。
「……本多一人に対し敵方八百九十二……その全てが絶命……いずれも一太刀で切り捨てられています……敵の当主に至ってはバラバラに切り刻まれ、その残虐性が裏で非難されていた時期もありました……本多の方はというと傷一つついておらず、本人いわく、『ゴミを処分して何が悪い』とのことでした」
伊能はそのような男に護衛を頼むという行為がいかに愚かしいかを知った。下手すれば敵よりまず味方から殺されかねない事である。伊能はその男に注意するべく、その男についてさらに情報を集めようと試みる。
「あのさ、その本多勝希って男の特徴を知ってる? 僕ちょっと注意しておこうかなーなんて――」
「あんなの、伊能さんと正反対のクズですよ!!」
今度は先ほどの重い口調とは打って変わって、急に怒気を交えながら言葉を放つ。伊能はその様子に少々たじろぎつつその続きを聞く。
「下品な口調で相手をおちょくりまわすような屑人間と、私の伊能さんを一緒にするべきではないです!」
「……あれ? おかしいなー、いつの間にか僕の所有権が宮本さんにうつっているんだけど――」
「えぇー? そんなに酷くないよ?」
今まで黙りこくっていた徳川が少し不服そうに口を開く。どうやら宮本の言っている本多勝希像は違うと言いたいようである。
「本多くんは優しいよ? いつもわたしのお世話をしてくれるよ?」
「それは貴方が徳川だからですよ! あの畜生は私に会うたびに『おい、つるぺた女。やい絶壁』といってからかってきやがります! ……確かに徳川さんほど大きくはありませんが、私もまだ成長する余地があります!」
どうやら私怨も交じっているらしく、伊能は、あはは――と苦笑いをしてお茶を濁すほかなかった。
それまで部屋の隅にいた沖田もいつの間にか近寄っては来ていたが、その表情は元の厳しいものになっていた。
「宮本のことは置いておくが、本多勝希という男は確かに危険だ。その圧倒的な実力に比例した徳川への絶対的な忠誠心が、奴には備わっている。正直なところ、伊能の一族であろうがなんであろうが、奴の癇に障ることをするのであれば即座に切り捨てられると考えてもらって構わない」
「げぇ、そんな人だったの……」
伊能がその話に辟易するのを見て、沖田はその表情を緩めて伊能を安心させようとする。
「……いずれにせよ、用心するに越したことは無いということだ……伊能殿、いざとなったら私が貴方を守ってみせるから安心して――」
「それは無いです!」
どうやら宮本が恨みの世界から戻ってきたらしく、すぐさま沖田の言葉をさえぎる。
「そんな抜け駆けはさせませんよ!! 私だって二天一流を使えば――」
言葉をさえぎるように、玄関でドアから打撃音が聞こえる。二人の意地の張り合いもそれによって強制的に中断され、すぐさま戦闘態勢にはいる。そんななか伊能は、ある人物の襲来ということに気づく。
「もしかして――」
打撃音はだんだん大きくなり、とうとうドアを突き破り破砕する音が部屋に響く。
「……オイオィ、ナァニ騒いでいるんですかねぇ? ……もし徳川様に何かあった騒ぎならよぉ、皆殺しにしてやっからよぉ!!」
突然の破壊音と怒号ともに玄関のドアから一人の人間がずかずかと入り込み、四人の前にその姿を現す。その風貌は先ほど噂で聞いた通りの荒々しさを体現しているかのようであった。
殺意を持った鋭い目つき、悪意に満ちた顔つき。そしてボロボロになったパーカーとジーンズを着こなしている姿は一見するだけだと唯の不良にも見えるが、それらとは明らかに次元が違う別の何かだと、人間としての本能が感じとらせている。
歪んだ口元からその者は笑みを浮かべていると思えるが、どちらかといえば獲物を前に舌なめずりをする肉食動物を髣髴とさせる。その表情は伊能を震え上がらせるのに十分だった。
本多と思われる人物の視線は伊能を捉え、そして一つの質問をなげかける。
「……ヨォ、ナァニ騒いでたんだぁ? オレも混ぜてくれよぉ?」
上から降りかかる言葉一つ一つの威圧感が、伊能の身体をミシミシと押しつぶしにかかる。下手な回答をすればこの場で死を覚悟せねばならないであろうことは簡単に予想できる。
どうすればいい? どういえばいい? 伊能は頭のなかでいろいろと言葉を選ぶあまり混乱して、ただ目を泳がせているだけである。
目の前の人物のいら立ちが募るのが手に取るようにわかる。それ故に重なる混乱が伊能を襲う。
男の苛立ちが口から飛び出し、再び伊能に降りかかる。
「……ナァオイ、黙っていてもわかんねぇんだよぉ、ナァ? サッサと答えねぇとオレも堪忍袋ってモンがあんのよぉ、分かるぅ? ……テメェが答えねぇんなら、オレが当ててやろうかぁ?」
そう言って周りを見渡す。宮本は伊能をかばうように抱き寄せており、沖田は腰の刀に手をかけている。徳川は特にこれといった表情を見せず、先ほどと同じようにきょとんとした表情のままである。
一通り観察を終え、そしてある答えへとたどり着いた男は、口元を歪めてゲラゲラと笑う。
「アヒャヒャ、男一人に女が多数、この組み合わせってことはぁ……もしかして今から楽しく4Pでもするつもりでしたってかぁ!? アヒャ、アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ! 傑作だぜコレはぁ! アヒャヒャヒャヒャ……………………テメェ、フザケンじゃねぇぞゴラァ!! 誰が徳川様に手ぇ付けてイイって言ってんだよぉ!!」
目の前の男の笑みが消え、その顔にはもはや憎しみと殺意しか残っていない。一人で勝手に推測し、勝手に逆上し、そしてその怒りの矛先はもちろん伊能へと向かっている。宮本はすぐさま伊能の前に出て戦闘の構えをとる。
男はそれを見て更に逆上し、そして矛先は宮本へと向かう。右手をパキパキと鳴らし、血管を表面に浮かばせ、右腕をより活動的に変化させていく。
「武器もねぇくせにジャマすんなつるぺた女ぁ! サッサとどけよオラァ! 今からソイツの頭とナニをブッ潰してやっから黙っとけやぁ!!」
「伊能さんはそんな人ではありません! 貴方の様な下品な人間と一緒にしないでください!」
「んだとオラァ!! ……前々から気に入らなかったんだぁ、テメェから先に殺して――」
「やめてよ」
それまで黙っていた徳川が少し不機嫌そうな表情で男に話しかける。男はそれを見て慌てた表情で弁解をし始める。
「……や……ぅ…………で、ですが徳川様! 今私が対峙しているのは徳川様にとって危険因子でございまして――」
「やめてよ本多くん、ちゃんと話を聞いてあげてよ」
「……は、はぁ、徳川様が言うのであれば…………」
本多と呼ばれた男はしぶしぶ右手をおさめ、徳川のもとへと下がる。宮本はそれを見て舌を出し挑発をする。それを見た本多はまたいら立ち殴りかかろうとするが、頬を膨らませている徳川の手前それ以上のことはできずに悔しさを表に出すだけであった。
「……ぐぅ…………でぇ、テメェ等は何をしていたんだぁ? まさか本当に――」
「そんなわけないですよ、相変わらず下品なお考えしかないんですかぁ?」
「んだとコラ――」
「本多くん」
ぐぐぐ、と本多はその右手を震わす。宮本はそれを見てざまあ見ろと言わんばかりにニヤニヤしているが、そのままだと永遠に話が進まなそうなのを見て伊能が口を開ける。
「……じ、実は僕が裏歴史の記録係となったみたいで、裏のことについていろいろと聞かせてもらっていたんです……」
本多はそれを聞いてその右手の力を解く。そして目を見開きおどろいた後、何故かもう一度だけ伊能に気づかれない様一瞬の敵意を向ける。
「ッ……ってこたぁよぉ、テメェが次期ブックマンってことかぁ?」
「ブックマン……ですか?」
「裏の記録をする者、歴史の観測者の俗称としてそう呼ぶのですよ」
宮本の補足を聞いて伊能は納得し、さらに話を続ける。
「それで……えーと、騒いでいたのはですね……そのブックマンの……お嫁さん候補というかなんというか――」
「ヤッパリ4Pじゃねぇかよぉ!? テメェ覚悟はできて――」
「本多くん、最後まで聞こうね?」
「……ハイ」
何故か徳川の方から伊能は恐怖を感じ取る。それはさておき伊能にとってそれ以上はわかっていることは無いので、そこで口を閉じてしまう。宮本はそれを見て補足するかのように続きを話す。
「……それで今から本格的に説明しようとしていたところなのですよ、分かりましたかぁ?」
「ケッ、分かったよぉ」
納得したのかしていないのかはさておき、本多は大人しく徳川の近くに座り込む。宮本も構えを解き、沖田は刀をおさめて伊能の近くに正座する。徳川は本多が大人しくなったのを見て満足したのか、本多の肩に寄りかかる。
「……今日は一人で来たの?」
「その通りでございます。組手の帰りに徳川様のお迎えに参上した次第であります」
「大丈夫? きつくない?」
「いえいえ! 徳川様のためなら百人組手どころか千人組手の後であろうとお迎えにあがりますよ」
「汗臭そう……」
「ちゃんとシャワー浴びた後に来るわボケェ!」
宮本へのツッコミはさておき、先ほどとはうって変わって徳川に対する物腰の柔らかさに、伊能は戸惑を隠せなかった。先ほどまでむけられていた敵意は一切無くなり、代わりに徳川に対する圧倒的な敬意が見受けられる。
伊能がそれを目の前に呆けている事に宮本が気づくと、話が脱線していると咳払いをして伊能の注意を引き、ブックマンの仕事についての話を始める。
「簡単な説明をしますと、裏歴史の観測者、ブックマンの仕事というのは歴史の観測と記録です。その記録というのは伊能さん、あなたの感じたままに記せばよいのです」
「……僕の、思うままに?」
「はい、遭遇した出来事に対し思ったこと、感じたことを素直に記録するだけでいいのですよ」
「ふーん、僕はもっと客観的に記すのかと思ってたよ」
「そこは個人の自由ですね」
伊能が宮本の説明に対し納得すると本多が横から口をはさむ。
「ケッ、要するに日記でも書いとけってぇこったぁ」
「まぁ、そんな感じですね」
「……うん、大体は分かったよ」
そんなこんなで時計を見ていると、十一時をまわっていることに気づく。伊能は昼食をどうしようか、宮本達もお昼を食べてから帰るのか、人数分のお米はあったかなどと考えていると、本多が急に立ち上がり台所の方へと向かう。
伊能は本多が何をしようとしているのかいまいちわからず、おそるおそるその背中に問う。
「あ、あのー本多くん? な、何をしようとしているんだい?」
「アァ? 料理に決まってんだろぉ? 包丁はドコだぁ?」
「……料理って、本多くん料理とか上手なの?」
本多はそこで頭を掻きつつ、自らの日常を振り返る。
「そうだなぁ、徳川様の身の回りの家事全般はオレがやらせていただいてるからぁ、料理くらいならいつもやってるぅ」
「えぇ!? 意外です!」
宮本の驚いた表情に対し、本多は不服そうな表情を返す。
「アァ? オレがやっちゃオカシイのかよぉ?」
「だってだって、あの貴方が! 下品な貴方が! 変人思考の貴方が!」
「……テメェ、よほどブチ殺されてぇかなぁ?」
「徳川さんだって、こんなのにやらせているのですか!?」
相変わらずきょとんとした顔のまま、徳川は口元に手を当てつつ本多の普段の行いを思い出す。
「えーと……お料理、お掃除、お洗濯と一通りやってくれるから、いつもありがとうって思っているよ?」
「え!? 洗濯って、徳川さん自分の服とかも――」
「うん、全部本多くんに任せているよ?」
宮本は本多に対しドン引きといった表情で後ずさりをする。
「……ありえません、ありえませんよ! 女物の下着とかも扱っているとは、やはり影で下着とか頭にかぶったりしている本物のへんた――」
「そんな邪な気持ちは一切ネェから!! バカをこじらせたんじゃねぇのかテメェ!?」
しかし宮本の一言に気づかされた徳川は言葉に出さないものの、本多を怪しむように疑いの目を向ける。
「じぃー……」
「徳川様までぇ!? ワタシはそんな事一度も思ったことはございません! 信じてくださいよぉ!」
慌てふためく本多の姿は先ほどとは打って変わって情けないものとなり、そうなっては流石に可哀そうに思えてきたのか伊能は助け舟を出す。
「ぼ、僕は本多くんがそんなことはしていないと思うよ!」
徳川はしばらく本多を見つめた後、少々疑心を残しながらも伊能の説得に応じる。
「…………わかった……信じる」
「……チッ、礼は言わねぇぞぉ」
本多の伊能に対する信頼がほんの少し芽生えたところで、皆に背をむけ再び台所をあさり始める。
「包丁ーっと、あったあったぁ」
比較的小ぶりな包丁を持ち出し、切れ味を確認するかのごとく刃を見つめる。普段良く研がれているのであろうか、後ろで伊能たちが別のことで騒いでいるのが反射して見えるほど美しいものであった。
本多はホゥ、と感心しつつ刃の角度を変えてじっくりと観察する。そしてそれをよく観終えた後、本多はある事に気がついたのか誰にもわからぬよう少しだけ口角を上げ笑みを浮かべる。
ゆっくりと、誰にも気づかれぬよう刃を持ち帰る。得物を持った右手に力がはいる。
そして振り向きざまに――
「シッ!」
突如伊能の方へと得物を投げつける。その突然の出来事に対応できず、宮本はおろか、沖田さえ刀を抜けずにその通過を許してしまう。
あわや伊能の命はここにて終了――かと思われたが、当の本人には傷一つなかった。
何もできずにいた伊能のすぐ後ろ、何もない空間の更に後ろの壁に向かって包丁を投げつけていたのである。包丁はそのまま後ろの壁に突き刺さっているかと思われたが、その手前の所で何故か空中に停止している。
本多はそれを見越していたのかゲラゲラと笑って指をさす。宮本はそれを見て何か異変に気づいたのかハッとした表情で伊能をかばい、沖田も再び伊能の前に立ちふさがり刀に手をかける。
包丁から勢いよく赤い液体が噴き出し始める。否、正しく表現するなら包丁が刺さっている何かからだ。そしてそれは空間を自ら発した赤色で染めていき、喉元を押さえ苦しむ人の形となっていく。
伊能はその姿を見て恐怖の記憶を思い出してしまった。その者は昨日の夜、伊能を襲った者と同じ服装の形をしたものであったからだ。
包丁は黒い服に身を包んだ者の喉に突き刺さり、声すら出せずにもがき苦しませている。本多は大股で近寄るとその者を蹴り倒し、そして突き刺さった包丁の上に片足を乗せて尋問を開始する。
「ナァオイ、ドコからの刺客だぁ? 伊賀かぁ? 甲賀かぁ? 風魔のクズどもかぁ? まさか黒脛巾組がこんなしょうもねぇ失態犯せねぇよなぁ?」
声が出せないとわかっていても、追い詰めるかのごとく問い詰める。伊能は出てきた単語からしてこの者が忍者だと知り戦慄する。歴史で学んだものの、実在する物を見たことがない彼にとってこの遭遇は予想出来なかった。
もし本多がこの場に居なければそのまま謎の死を遂げていたと思うと、伊能は本多に対し感謝の気持ちでいっぱいだった。
本多の方はというと伊能を守るためでは無く、あくまで徳川のために行動していた。もし狙いが彼女だとして眼前で殺されていたならば、彼は一生悔やんでも悔やみきれないであろう。
それゆえに危険にいち早く気づき、そして迅速に処分を行ったのである。
「テメェらコソコソとしやがって気に喰わねぇ、ステルス迷彩してりゃばれねぇとでも思ってんのかぁ? ボケがぁ」
さんざん言いたい放題言った後改めてどこの者か聞くが、忍者が口を割ろうにも声がでず、かといってこのまま黙りこくっていてはおそらく本多に殺されてしまうだろうというどうしようもない板挟みにあっている。何とか身振り手振りで声がでない事を伝えようとするが本多はニヤニヤしたままである。
「エ? ナニ? 分かんねぇなぁ、ちゃんと喋れよぉ」
喋ろうにも本多のせいで喉が裂けてコヒュゥコヒュゥと空気が漏れる音しか聞こえない。本多は忍者のあがきに飽きたのか、最後に包丁にかけていた足を上げ、こう告げる。
「……もう飽きたわぁ、そのまま死ねよぉ」
そしてなんの躊躇なく、包丁ごと喉を踏み抜いた。
ブチリ、と何かが事切れる音が鳴る。
一瞬の静寂の後に辺り一面に血が飛び散る。その血の飛びようは何か爆ぜたかのように飛散し、あたりに朱色をぶちまける。
本多は足の裏についた肉片をこすり落とす。そして自らの行いに対しなにかを感じたのか、両肩を震わせる。
――それは自ら犯した殺人に対する後悔では無かった。
「…………アヒャ……ヒャヒャ、ギャーハハハハハハハハハハハハハハハハァ!! バッッッッカじゃねぇのぉ!? ケンカを売る相手が間違ってんだよぉ!!」
狂ったかのように笑い、その残虐性を表にさらけ出す。普段は対等に茶化していた宮本ですら、その姿を前にいつものおちゃらけた様子ではいられなかった。
沖田は嫌悪感を丸出しにし、伊能は先ほどの襲撃以上に怯えている。
そんななか唯一徳川だけがその姿を見ていつも通りの調子でありながらも不満そうな表情で彼を見つめている。
「……もぅ……怖いよぉ」
「……申し訳ありません、徳川様。なにぶん忍というものは気づかれたと思ったら一目散にその姿を隠しにかかりますゆえ、一撃で、かつバレないよう仕留めなくては――」
「みんながいるのに血が飛び散っているよ?」
「あの時点で徳川様に危害が及ぶことが無い様、最大限努力したまでです。徳川様にさえ汚れなければ、他の者などどうでもよいのです」
「むぅ……」
伊能は二人に違和感をもった。目の前で人を殺した、それを見たというのにどうしてそう平然としていられるのか。本多はケラケラとした表情で、徳川はそれに対し不満げに頬を膨らませている。
ただそれだけ。
死んだ忍者に対する何の情もなく、次の話題へと移っている。伊能はそれに不気味さを感じた。普通なら何かしら思うところがあるだろう。
もしかしたらその人にも理由があった故にこのようなことをせざるを得なかったのでは? 話し合いで解決できたのではないのか? そんな伊能の考えを見透かしたのか、本多は伊能に対して笑いながら話しかける。
「――テメェまさか殺すのはかわいそうだぁ、なぁーんて思っちゃいねぇだろぉなぁ?」
「……! だって、そこまでする必要はないじゃないですか! あの人だって――」
「自分を殺そうとした相手に、同情するなんざバカもいいとこだぞ? アタマ大丈夫かぁ?」
おちょくったように言う本多に対し、伊能は少々声を荒げて再び本多に向かって反論を振りかざす。
「殺そうってしても、別の解決策とかあるんじゃないんですか! 話し合いとかで――」
「話し合いでぇ!? 相手はドスもってる時にテメェはステゴロで来れんのかよぉ!!」
本多は伊能の襟首を掴み上げ、伊能以上に声を荒げてさえぎる。
「テメェ、自分の主を、肉親が殺されかかっても同じこと言えんのかぁ? アァ!? 裏じゃ表の常識なんざ通用しねぇ、自分の身は自分で守れぇ!! ダレも助けやしねぇし、テメェに対して殺しにかかってくる奴にぃ、同情するなんざぁ愚か野郎の極みなんだよぉ!! ……テメェみたいなヤツがぁ、この裏歴史ではカモに等しいんだよぉ、ボケがぁ。テメェみたいなやつのせいで周りのヤツ等が無駄におっ死んじまうんだよぉ、分かるかぁ?」
「!!」
最後に自分にとって今一番触れてほしくないところに触れられた。自分の愚かさで両親を、家族を殺したのかもしれないということを。
伊能は唇を強くかみしめ、本多の手をはらうと玄関から外へと出て行ってしまった。
「オイ! ドコ行くんだぁ!?」
どこかはわからない。ただ今の、自分の気持ちが落ち着くまでこうしているのだと思う。
その様子を、外から見る姿があった。彼、もしくは彼女は伊能がでたのを確認すると、連絡をとる。
「……伊能之敬が実家から飛び出していきましたよ、どうしましょうか? ……あぁはい、わかりましたよ。引き続き尾行して様子を伺うとしますよ」