そう思っていた時期が僕にもあったんです
一時限目から適当に過ごしつつ、お昼休みとなったので伊能は昼ご飯を購買部へ買いに足を運んだ。もちろん徳川は本多が作った弁当があるのだが、伊能の様子が気になってか購買部までついて来るようである。
「徳川さん弁当あるから購買部に来る必要ないんじゃ――」
「伊能くんが気になって」
「僕は大丈夫だから、徳川さん先に教室行っててよ」
「むぅ……わかった」
徳川を説得してなんとか一人で購買部に来ることができた。なぜ徳川を先に返したのかは、購買部の前の様子を見ればよく分かるからである。
「――おばちゃんこのパン下さい!」
「馬鹿お前オレが先に取ったパンだぞ!」
「今のうちにこっちのおにぎり頂戴さ!」
「み、水をくれ……!」
一言で表すなら戦場といえば良いのであろうか。誰しもが食料を欲し、奪い合う醜い争いなど見てはいられない。まして徳川の様な平和的少女をこの場に呼ぶなど、ライオンの群れにウサギを放り込むようなものである。しかしこのライオンの争いのなかで、伊能は体を鍛えられた部分もあるのだ。
「さぁて、この瀕死の身体でどこまで足掻けるか……」
伊能は準備運動を入念に始める。無駄な動作と知りながらも、これをしなくては体にスイッチが入らない。
しっかりと体をほぐし、突入する構えをする。
「ふぅ……よーい、ド――」
「キャッチ!」
伊能がスタートダッシュを切ろうとした瞬間、右肩に手を置かれる。伊能はその手が触れた方を向くと、見慣れぬ少女が立っていた。ショートボブの少女は伊能が今まで会ってきた人たちとは違う、どこも掴みどころが無いような雰囲気を醸し出している。
その少女と伊能は一切の面識がないものの、少女の方は明らかに個人を特定したかのような自信ありげな表情である。
「なははー。お前伊能之敬だろ?」
向こうは明らかに自分とわかって質問をなげかけている。伊能はその答えにイエスと答えるしかない。
「そうですけど……」
「よし」
そのまま伊能の袖を引っ張っては購買部とは別方向へと進もうとする。もちろん伊能の手にはまだパンの一つも握られておらず、目的を達成できていない。
「ちょっと!? いきなり何ですか!?」
少女は伊能が右腕を振り払う事で抜け出したのを見ると、不満げに睨みつける。
「もぉー、なんで振り払うん?」
「いや、だってまだ購買部のパンかってないし、そもそも誰ですか!?」
また裏歴史についての面倒事なのか。
「あ、自分のこと? 自分の名前は木下吉。以後よろしくなー」
その名前を聞いて、伊能は特に裏には関係ないものと分かるとさっさと話を済ませて本来の目的に取り掛かろうとする。
「……そうですか。では僕は今から昼食のパンを買わなければならないので――」
「そういう訳にはいかないぞー」
木下は伊能の腕を掴み、引っ張り出す。伊能はそれに対抗し足を購買部の方へと進めようとするが、一歩も進む気配がない。結局最後は力負けをして、購買部とは離れていく結果になる。
「あぁー、僕の昼食が遠のいていく……」
「よく分からんこと言ってるが、お前は今から生徒会室に来てもらうぞー」
その言葉を聞いて伊能は自分を振り返ってみるが、何も悪さをした記憶が無い。強いて言うならば、この前の二股三股疑惑ぐらいであろうか。
「な、何でですか?」
「よく分からないけど織田っちに言われちゃしょうがないじゃーん」
この訳が分からない状況に、織田という単語が追い打ちをかけるように伊能の耳に届く。また裏歴史の面倒事が伊能に降りかかるとでもいうのか。
「とほほ……勘弁してよ」
周りの視線が伊能に突き刺さる。今度はまた別の少女に引きずられている様を見られては噂が増えていく。
「――今度は三年の木下さんに手を出したようだな」
「あのさえない眼鏡のどこがいいんだよ……」
周りの意見ももっともだが、彼がブックマンという裏歴史では大変重要な役割をはたしているというのは裏の者しか知りえない。そして今、おそらく裏歴史の者に引きずりまわされているという事は誰も知らないだろう。
流石に階段を引きずられては伊能の身体に響いてしまうので、大人しく立ち上がると、木下の手に引かれるまま二階三階と階段を上がっていく。
「ついたぞー」
扉の上には『生徒会室』といかつい文字で書かれたプレートがあり、生徒会室の厳粛さを現しているようにも見えた。豊臣はそのドアを躊躇なく開け、中にいる三人の生徒に伊能を連れてきたことを告げる。
「ふっふっふー。ブックマンを連れてきたぞー」
ブックマンという単語が生徒会室内に響く中、三人の人影が伊能を待っていた。
「遅いではないか木下」
「おう、待ってたぜ」
「……」
そこには見るからにすべてが豪快そうな男と、凛とした姿で中央に座る少女。そして右目に眼帯をつけ、無言で日本刀を手入れする少女の姿が見えた。
「……なんかここでも刀手入れしている人がいるんですけど」
「小さなことは気にするな。貴様が伊能之敬だな?」
「そ、そうですけど」
長い髪をポニーテールで結んだ少女は、その凛とした瞳を伊能に向け、目の前まで迫ってくる。伊能はその視線を向けられたとたん、強制的に背筋をピンとのばされるような感覚に陥った。高圧的とでもいうべきか、征服的というべきか、とにかくそうしなければならない感覚に陥った。
「ふーむ……見た感じ、ただのへたれにしか見えんが……この前の真田の件では中々度胸のあることをしたそうじゃないか」
やはり裏の者であったか。先日の真田の事件について、既に裏では広まっていたらしい。端的に言えば伊能がそこで体を張って、真田百々(どうどう)の野望を打ち砕いたのだ。
「……どうかしましたか……?」
「ん? いやいや、ブックマンの跡継ぎがどんな者なのか見ておきたくてな」
そう言って少女は伊能をあらゆる角度からじろじろと見てくる。正直に言って品定めか何かをされているような気分で、あまりいい気分ではなかった。
少女は伊能を一通り観察し終えると、何度聞いても聞きなれない発言をする。
「……気に入った! 貴様、私の婿になれ!」
「……はい?」
伊能は半分分かっていながらも、聞き間違いではないのかと問い直す。
「ん? 聞こえなかったか? この私、織田長恵の婿になれと命じているのだ!!」
「……はいぃ!?」
「――会ったその日に即結婚とかどこのフィクションですか!?」
伊能は錯乱するあまり訳の分からないことを口走ってしまうが、織田は首を傾げるだけで伊能の事情などどうでも良いと言わんばかりに結婚を進めてくる。
「何だそれは? 貴様のたとえはよく分からんが、織田家に嫁げるというのだ。光栄に思え」
「そんなぁ、僕にも選ぶ権利ってのが――」
「黙れ」
織田はすぐさま顔色を変え、伊能の首元に刀を突きつける。まるで修羅でも敵に回したかのようなプレッシャーが、伊能に押し寄せ始める。
「私の言う事は『絶対』だ。『はい』か『イエス』しか答えは無い」
織田は今にも伊能の首を刎ねんと息を巻いている。伊能に与えられていた答えは初めから肯定しか与えられていなかったのだ。
「……私と結婚するのであれば、私は貴様の言うこと全てに従ってやろう。子を成したいというのであれば、この場ですぐに実行してもらって構わん」
さらに突然の告白に伊能の頭は状況処理に追いついていない。ここまで呼びだした木下は子作りという単語を知らない様で、ぽけーっと突っ立っては伊能の助け舟を出すこともない。
「――おいおい、厳粛な生徒会室でみだらな行為は止めてくれよ」
それまで傍観の立場でいた男が、間に割って入ることで織田の暴走を止めにはいる。男は服の上ではわからないもののがっちりとした筋肉をしており、迫っていた織田を伊能から難なく引きはがすことに成功する。
しかし織田の方は不満があるようであり、今度は男の方に喰ってかかるようになる。
「近藤貴様! 私の邪魔をするつもりか!」
「邪魔するんじゃなくて、ブックマンが困ってるだろ? なあ?」
「はぁ……」
伊能はこの近藤と呼ばれた男が、手慣れた様子で織田をあしらう様を見て、この場で唯一心を許せる存在ではないのかと思い始めた。
「俺は近藤勇気。ここで副会長をしている。織田の尻拭いとでも言うべきかな」
「私がいつ尻拭いを頼んだと言うのだ!」
「いつもじゃないの。この前なんか校舎裏で悪さしてる奴ら全員ぶっ飛ばしたまま帰って行っちゃったじゃないの。あの後病院の手配とか大変だったんだから」
ずいぶんと暴力的な生徒会長のようである。が、実際その強引さも含めたリーダーシップで生徒から選ばれた部分もあるのだから一概に危険とは言い難いものだ。
「……結局僕がこの場に呼ばれた理由は何なのですか?」
「うむ。結婚をするというのもそうだが、貴様には記録してもらいたい会合があるのだ」
織田にとって結婚はついでの事であり、本題は今から話す方であった。
「織田・豊臣・徳川の集会の内容記録についてだ」
「へ? どういうことですか?」
織田はそこでまだ理解ができんのかと呆れつつも、集会の説明から始めだす。
「我々戦国大名である織田、徳川、豊臣は裏においても中々の有力者でな。お互いの牽制も凄まじいもので、細かい衝突もたびたび起こっている。しかしそれが大事とならない様に定期的に会合をしている。そしてそこできちんと記録をしてもらう事で後々の証言ともなるのだ」
裏での衝突と聞いては、伊能も見過ごすわけにはいかなかった。伊能は父との約束を果たす使命があるからだ。
「……じゃあ、僕が参加すれば衝突も未然に防げるかも、という事ですか……?」
「そうだな」
織田は特に重苦しくなることもなく、さらりと言う。伊能はそれが少し気になっていたが、織田の依頼にこう答えた。
「……分かりました。僕もその会合に参加します」




