裏との遭遇
初投稿で右も左も手さぐりで書いている作品です。手軽に読んでもらえるとうれしいです
「――ふぅ、暑い中この先生の授業とは、全くもって最悪だ」
ある高校の授業光景。日本史の授業が行われている教室で額の汗をぬぐいつつ、机に突っ伏している少年がつぶやく。もはや黒板を熱心に見る気力もなく、眼鏡を外し楽な体勢を求めていた。
クーラーや扇風機など文明の利器も置いていない室内では、窓を開ける、下敷きで仰ぐなどの方法で凌ぐほかなかった。他の生徒もそれぞれ暑さから逃れる方法を探しつつ、授業を受けていた。
机に突っ伏していた少年もその机に日の光が当たっているせいで余計に暑さを体感するだけであり、おまけに髪の色が黒いおかげで頭が焼けるようだった。
うなだれる少年の見た目は、あえて特徴を上げるとするならば眼鏡をかけていることぐらいの、ごく普通の高校一年生であった。髪も鮮やかな色などに染めておらず、成績の話さえしなければ優秀な生徒と思われるような見た目をしている。そしてこの少年も、暑さの前にダウンしていた。
「夏という季節は学生をいじめるために存在しているんじゃないのかなぁ?」
少年がメガネをはずしてだらけつつ悪態をついていると、前方からチョークが音を立てて飛んできた。
高速で飛んできたそれは少年の額で砕け散り、白い煙をまき散らす。少年の顔は強制的に真上を向かされ、煙が晴れると少年の額の中心には白い点が現れていた。
「い、いったあぁぁぁ!」
「こぉら! 集中せんか!」
前に立っている教師から怒号が飛んでくる。その風貌は明らかに体育の方が向いているのではないかと思わせるような見事な肉体である。そしてその利き手から放たれるチョークは殺傷能力があるのではないかと噂されるほどの威力であり、実際くらった少年を見ればその威力は一目瞭然だった。
少年は涙目になり白点を手で消しながら文句を言う。
「っかぁー、先生ったら、チョークはないでしょ!?」
「寝ているお前が悪い」
周りからくすくすと小さな笑い声が聞こえる。
君たちも一発うけてみなよ、目が覚めるから――と少年は喉元まで出かかっていたが我慢した。無駄なおしゃべりをすることで追撃をくらうなどもってのほかである。
「はぁ、しかしこの学校、暇つぶしになる物もないし、辺り一面緑色で、何の変化もない」
少年の言うとおり、この学校はどちらかというと都市郊外にある学校で、ちょうど学校を挟んだ南側は田んぼが広がり、そして北へ行けば住宅街が、更に行けば都会へと繋がっている。
教室の南側の窓から田んぼが見えるのどかな風景が広がっている。という事は遮蔽物がないために太陽光も直に教室に入り込む。
この季節、それは教室が灼熱地獄と化す事を示していた。それに加えて近くの森では蝉の大合唱が行われている。これを聞かされているおかげで少年の耳がおかしくなりそうだった。
「――であるからして、この時代背景にはこのような――」
そしてこの暑さを加速させる原因として教壇で熱弁をふるっている教師である。黒板にはびっしりと何やら書き込まれており、その字の窮屈さと言ったらぎちぎちの満員電車をほうふつとさせる。
そして極めつけがこの先生自身が暑苦しい。肉体的な特徴もあるがこの教師に歴史の事――特に戦国から江戸にかけて話をさせれば、実際にその年月がかかるのではないかと思えるほどに話の内容が濃く、そして長いのである。
だがその暑さともこの時間でおさらばである。この授業がおわりさえすれば、文明の利器が彼の自宅で待っている。少年は時計をちらちら見つつ早く終わることを願っていた。
しかしそんな彼に、最後の試練が待ち受けていた。
「――じゃあ授業の最期に小テストを行う。終わったものから授業終了。帰っていいぞー」
「――え?」
まさかの小テスト。少年の希望はあと一分というところでむなしく打ち砕かれた。しかもこの教師、マニアックな問題を出し生徒を苦しめるので有名だ。少年はがっくりとうなだれつつ、プリントの名前欄に名前を書き始めた。
――伊能之敬。
その少年は名前欄に自分の名前を書くとテストを解き始めた。予想通りへんぴな問題が多く、帰宅する時間を大幅に遅らせるには十分だった。
「えぇーと、歴史において宮本武蔵が最初に戦った相手とは? ……うぅーむ……」
「……有馬喜兵衛」
隣からぽつりと答えが聞こえた。答えの聞こえた方へ伊能が振り向くと、こちらを見ることもなくただ無表情の少女が問題と向き合っていた。
日本人らしい黒く長い髪。手櫛をいれればさらさらと清流を流れるかのように滑らかに見える。そして眠気を誘うような目は常にどこを見ているかわからず、実際伊能がある時彼女を見ていると、何もあるはずのない所でこけていたりといったこともあった。
そんな少女は特に伊能の方に向かっていう訳でも、問題に真剣なあまり答えを呟いたわけでもなく、どこか上の空のようであった。
伊能は彼女のことはあまり知らない上、普段はあまりしゃべらない。しかし時々こうやって伊能の事を手助けしてくれる不思議な存在だった。少女は伊能の視線を気にもかけることもなく、問題に手を付け始めた。
伊能は自分が不用意に顔を向けたせいで先生にカンニングと怪しまれていないか不安に思い教壇の方をちらりと見たが、先生は特に気づいている様子はなく、いつものように分厚い歴史の本を熱心に読んでいた。
「……ありがとう、徳川さん」
「うん」
徳川に向かって小声でお礼を言いつつも、伊能はペンを手に持つ。徳川はそれに対しそっけない返事を返すだけで、手を動かすスピードは落ちることがなかった。
伊能は残りの問題もさっさと解き終えると、教壇に提出し帰宅準備を始めた。
「お、早いな」
伊能がいつもより早く課題を提出したことに目を丸くしながらも、先生は出された答えがあっているか確かめ始める。
「まあ、だいぶ先生の出題傾向が予想できましたし」
とはいっても普通に有馬喜兵衛でるとは予想できなかったわけであるが。
「ふむ……全問正解! 帰ってよし!」
「っし」
小さくガッツポーズをし、後ろを振り向く。周りを見るとまだ苦戦している者が多く、自分に答えを教えてほしいと合図を送る者もいた。
いつもの事ゆえ伊能はそれに構うことなく帰ろうとするが、自分の知らない間に徳川の席が空になっていたことに気付く。
先に帰ることができたのは徳川のおかげでもあったので、きちんと礼を言おうとしていたのだったが、伊能の目の前に彼女の姿は無い。伊能は先に退出したであろう徳川に急いで追いつこうと足早に教室を出た。
教室を後にして靴箱に急いでも、そこに徳川の姿はなかった。
先に終わったとしても、これほど早く学校を出られるとは考えられない。
そう思いながらも伊能はお礼が言えなかったことに肩を落とし、いそいそと靴を外靴に変え夕飯の献立を考えつつ帰宅することにした。
――伊能の帰り道は裏路地が多く、人の通りも少ない。今日は小テストのせいもあっていつもより帰宅する時間が遅く日も落ちかけていた。
そのせいかただでさえ不気味な裏路地が、さらに日が落ちかけいるという上乗せサービスで不気味さ百二十パーセントというような感じである。
伊能はいつもより少し早歩きで帰宅しようと足を進めた。そして最後に最大の難関である場所にたどり着く。
「……はあ、夜だとここを通るのも嫌になっちゃうよ」
伊能の目の前にあるのは寂れた商店街。伊能の家はこの商店街の近くにあり、この場所を通学路として通らざるを得ない状況である。しかしこの商店街、近所に大型のデパートができたせいで閉店したところが多く、更にこの時間帯ではシャッターも降りていて人通りが無い。
誰もいない商店街。道を照らす明かりでさえ伊能を頼りなさげに照らしているその様子は、まるでホラースポットを一人で歩かされている哀れな少年であった。商店街の中心を一人歩く伊能の足はさらに早歩きになっていた。
「相変わらず夜は怖いなあここ。誰かここ通りかからないかなあ」
誰かに言う訳でもなく一人呟くと、商店街にそのむなしい一つの声が響く。反響だろうとなんだろうと、こうして声でも出さないと無音の商店街の恐怖感が薄まらないのである。
しばらく歩き、およそ日が落ちているのであろう真っ暗闇の出口付近で、伊能の言葉は別の形でかなうことになる。
パキリ、と無音の空間に一つの大きな音が響く。商店街を照らす照明のひとつが伊能の目の前で割れたのだ。伊能は体をびくつかせる。手に持っていたバッグを抱え込む。
「ひゃぁ! ビ、ビックリさせないでよもう!」
伊能は誰ともわからない照明を割った原因に向かって大声を上げた。しかし帰ってきた返事はより恐ろしいものであった。
破裂音は重なり、次々と照明が割れていく。目の前どころか頭上の照明さえ割れ落ちる。伊能は落ちてくるガラスの破片を振り払い、気が付くと暗闇の中一人立っていた。
「ちょちょ、ちょいと待って、どどど、どういうことなの!?」
――静かな闇に、音が鳴り響く。
人の足音が聞こえる。一人、二人、三人。後ろから迫ってくる。
「え、ちょっと待って、こういった形で通りがからなくてもいいんだよ!?」
恐怖でなかなか後ろを振り向けなかったが、なけなしの勇気を振り絞って伊能は音が聞こえた後ろの方へ振り向く。
しかしそこに人の気配は無く、ただ暗闇が続いているだけで他には何も見えない。
伊能は幻聴か何かと思い込んで平静を取り戻し、前に振り返ろうとしたがその瞬間――
「動くな」
夏場に嬉しいはずのヒンヤリとした金属を首筋にあてられる。そして後ろから冷たく鋭い声で命令される。伊能は自分の置かれている状況を呑み込めなかった。だがどうやら自分が望む冷たいものとは違うものが首筋に当てられているのは理解できた。
体が体温とは関係無く震え始める。誰がこんなことをしているのか、見ようにも振り向こうにもその時には自分の胴体とはおさらばしなければならないようだ。そして自分にはこの状況を引き起こした原因が分からない。
伊能のすぐ後ろからさらに言葉が投げかけられる。
「伊能之敬だな」
機械的な問いに対し、伊能はおそるおそる答えを返す。
「そうですけど、これはいった――」
「黙れ。貴様が伊能之敬か。……ならばその命、頂戴いたす」
命を頂戴いたす? え? 死ぬってこと?
「ちょっと待っ――」
躊躇なく肉を掻き切る音がする。伊能は死を悟った。なんの辞世の句もよむことなく、伊能の人生は終わったと思われた。
――しかしなぜか痛みはなく、後ろからの明確な殺意もなくなっていた。あわてて後ろを振り返ると、伊能を拘束していたと思われる黒ずくめの服の、着ている体格からして男と思われる者の胴体が真っ二つにされていた。辺りは鮮やかな赤で染められ、伊能の服にも少しついていた。
ある種独特の臭いが伊能をさらなる恐怖へと引きずり込む。
「え? ど、どどどういうこと!?」
状況がつかめず、伊能は混乱する。これはなんだというのだ。時代劇の撮影か何か? 伊能の頭は現状起きていることに追いつかず、ただその場をおろおろとするだけであった。
「おい、どういうことだ! 我ら以外に――」
暗闇の中伊能以外の男の声が響いたと思えば、またもや切断音と悲鳴が聞こえる。暗闇の商店街から断末魔は鳴りやまず響き渡る。伊能はこの自らの五感が感じる異常事態に耐え切れぬあまり、その場にうずくまり嘔吐した。
助けてください、助けてください、助けてください――ただ祈るばかりの伊能の思いが通じたのか、悲鳴と液体が飛び散る音がやんだ。
「と、止まった……?」
おそるおそる開いた伊能の眼の前に広がっているのは赤と黒の醜いコントラストであった。
血糊が床や壁にべったりとついており、死体はばらばらに散らかっている。その惨状にまたもや吐き気を覚えつつ、前に足を進めた。みたところ、五、六人くらいだろうか。一人残らず絶命していた。
伊能は口元を押さえながらも、この異様な事態について考えていた。自分がこんなことに巻き込まれた原因はなんなのか、ここ数日をゆっくりと振り返ってみた。
いつも通りこの通学路を通り、いつも通り学校の授業を受け、いつも通りに家に帰り、いつも通りに寝る。その繰り返し、至って平凡である。しかしその平穏を打ち砕く惨状が目の前に広がっている。
伊能が頭を抱えていたその時、近くで何かをまさぐるような音が聞こえた。
「え? だだ、誰?」
この異常事態にさらに追い打ちをかけようというのか。伊能はおそるおそるその物音がする方へ向かった。暗闇を懐中電灯と思われる明かりがちらちらと動いている。伊能はさらに近づくと、一人の少女が死体の持ち物を探っているように見えた。
この状況において少女に近づくことは危険だと、伊能の頭は警鐘を鳴らしていた。しかしここで逃げても、先ほどの様な事がまた起きるかもしれない。更にこの少女が救ってくれたというのなら、もしかしたらこの状況を説明してくれるかもしれない。
伊能はそのわずかな希望にすがりつつおそるおそる少女の顔を見ようと近づくと、目の前を鋭い風切り音が過ぎていった。
伊能はその瞬間その場に腰を抜かした。そして少女は伊能の方を見るとその表情を一変させ驚き焦った。
「だ、大丈夫ですか!?」
伊能は少女が手に持っていたものを冷静に見て、できるだけ冷静に対応するように尽力した。
「う、うん、……ま、まあもう少しでダメみたいだったけどね……」
伊能は余裕があるかのごとく最後に小声で愚痴をはくが、先ほど目の前を高速で過ぎていった何かに腰を抜かしてしまい立ち上がれなかった。少女は右手に持っていた何かを放り捨て、伊能に近づき顔や体をぺたぺたとさわる。
伊能は少々恥ずかしさを感じ、大丈夫だと少女の手を振り払う。少女は伊能に怪我がないのを見るとホッと息をつき座り込んだ。
伊能は落ち着いたところで改めて明かりに照らされた少女を見る。
少女の顔には鮮血がついているが、その紅とは対照的に肌は陶磁器のように美しかった。髪は綺麗に結ばれており、その澄んだ瞳は浮世離れしているかのようにも感じ取ることができる。
そしてじっとしていれば少女は人形のように見えるほど美しかった。伊能がその少女に見とれていると、少女はその視線に気づいたのか、急に顔が赤くなる。
「ええと、そのそんなに見つめられると恥ずかしいです……」
「あ! ごめん。そのー、綺麗な人だなーって」
「あ、ありがとうございます……」
少女が照れくさそうにしているのを見て伊能は一瞬この現状を忘れかけていたが、それは死体だったはずの男の一言で引きとめられた。
「き、貴様ら……ここで……死……ね」
「あっ!」
男の体にはたくさんの爆薬と思われる物が巻き付けられ、その起爆スイッチに男の手は伸びていた。伊能は恐怖で足が立たない。
「ククク、覚悟!!」
「ちょ、ちょっと待って! それは――」
男の体が光る瞬間が、伊能のその日の最後の記憶だった。
――伊能が次に目覚めたのは、いつもの朝の目覚ましの音であった。伊能は飛び起きると、自分の体を確認した。どこにも傷はなく、いつものパジャマを着ていた。
ただいつもとひとつ違う点を挙げるならば、一人暮らしであるはずの伊能の朝はパン一切れで済ますことから、普段はしないはずの空腹を刺激する匂いが下の階からすることぐらいであろう。
しかしそんなことは今の伊能にとってどうでもよかった。夜の出来事は、もしかしたら夢だったのかもしれない。そして目覚めた今、そう、今からが現実である。そう伊能は考えた。
気分を一新し、枕元にある眼鏡をかけ寝室のドアを開け階段を降りようとしたその時――普通はこの家にいるはずのない人と鉢合わせる。
「やぁ」
「……徳川さん、何でここに?」
「そろそろ起こそうと」
「はぁ……?」
伊能は朝っぱらからのこの既知との遭遇に頭をかいた。この家に、彼女どころか友人でさえ入れたことがなかったのに、なぜ徳川さんが? そう思う伊能の頭は整理がつかないままだったが、徳川に袖を引っ張られるままに階段を降りる。
階段を降りる途中引っ張られるせいで何度かつまずきかけるが、徳川にそのままぶつかってしまうのは危ないとなんとかバランスを保とうと努力した。
しかし最後の段でそれもむなしく、徳川を押し倒すこととなってしまう。
「うわぁっとと!?」
「わ!」
徳川に覆いかぶさる形で倒れ込んだ伊能は、すぐさま起き上がる。
しかし徳川はすぐさまには起き上がることはできなかった。ちょうど腰の部分に伊能が乗っていたためである。さらに体を起こすために置いた右腕が、ちょうど徳川の胸に触れている。
その感触が柔らかいと思うと同時に伊能はしまったと思い素早く手をどけた。
手を退かす時に、徳川の頬が赤くなっているのがかすかに見えた。
「……あ! ご、ごめん!」
「……うん」
「徳川さん、伊能さんをおこしに、って何をしているんですか!?」
伊能があわてて体をどかし声のする方を向くと、少女が驚いた眼でこちらを見ていた。エプロンを着ていて、プルプルと震える手に乗せている皿からは先ほどからの匂いの正体と予想される朝食のパンと目玉焼きが並べられている。そして伊能はその顔を知っていた。
「あぁー!! 昨日の!」
「あ、あのときは本当にごめんなさい! とっさの出来事で爆風から逃げるしかできなかったんです!」
少女は伊能から指を差され、ハッとして開口一番に謝った。しかしその一言は昨日の出来事が夢ではないことを意味している。
「――ってことは、やっぱり昨日の出来事は夢じゃなかったのかぁー!?」
少女は申し訳なさそうにうなずくと、下を向きうつむく。それを見て伊能はあわててフォローにはいり、そして昨日の出来事がなんだったのかを聞く。
「い、いや君に助けてもらってとても感謝しているよ。それと昨日のあれ、なんだったの?」
「本当にごめんなさい。もっと早く駆けつけられたら伊能さんをあんな目に合わせずに済んだのですが――」
「昨日の連中はなんだったの? そしてなんで君らが家にいるのさ!?」
「いろいろ言いたいことは分かります。……ですが、そのことは朝食後にお話しします」
いろいろ言いたいことがあったが伊能は我慢してリビングに着く。リビングではすでに朝食が並べられており、普段の伊能の食事とは違って色鮮やかだった。そしてまたもやそこで伊能は驚く羽目に会う。
「………………ねえ、この人は誰?」
「えーと、その……私達の知り合いです」
「沖田春香と申します。以後良しなに」
伊能が指差す先に、一人の女性が壁に腰かけていた。セミロングの髪を短く束ね、ビジネススーツを着こなす女性は、その鋭い目つきを伊能に向ける。伊能は女性の謎の威圧感に圧倒されつつも席に座る。
これで、伊能家のテーブルを囲んでいるのは四人となった。そしてそんななか朝食は静かに行われた。かちゃかちゃと食器の音だけが響く。爽やかな朝の食事だというのに空気が重い。
ただ食器の音だけが響く空間に耐えられなくなったのか、伊能が口を開く。
「……えーと、そういえば、名前を聞いていなかったね?」
「私ですか? 私の名前は宮本祈と申します。以後よろしくお願いします」
そう言って少女は伊能の方を見て微笑む。やはり昨日ははっきりと見ることができなかったが、その顔は年相応の少女らしく可愛らしかった。その横で食事をとっていた徳川は頬張っていたパンを呑み込むと伊能の方を向いた。
「……徳川千夜」
「いや、あなたはクラスメイトだから知ってますよ」
「……てへ」
かわいさアピールなのか、徳川がパンの食べかすを口の端につけたまま自分の頭をコチンとたたく。それを見て宮本は気に喰わなかったのか、徳川を睨みつける。
「チッ、何抜け駆けしているんですかぁ?」
「いや、それほどでも……」
「褒めてないです!」
「ふん、騒ぐ女は嫌われるぞ」
先ほどまで黙って行儀よく即時をとっていた沖田の一言でその場は静まり返る。徳川は両手で慌てて口を押え、おそるおそる伊能の方を向く。
いや僕はそのくらいでは人を決めつけないから――と伊能は思ったがその間にもう一人伊能の方を見る視線を感じる。
宮本が涙目でこっちを見ていた。
「……伊能さん、こんな人は嫌いですか?」
「いや、まだ会ったばかりだし、そんな深刻に捉えなくても――」
「甘い考えをお持ちのようだな、伊能殿は」
沖田は伊能を睨みつけるように見た後、不敵に笑う。そして衝撃の一言を発した。
「すでに争いは始まっているというのに」
「なっ……!?」
食卓に緊張感が走る。昨日の連中がすでにいるとでもいうのか。伊能はあたりを警戒しているが残りの三人は特に気にする様子はなかった。むしろお互いを警戒していた。
「ちょ、ちょっと何やっているんですか!? また敵が来ているのかも――」
「そういう意味の戦いじゃないんです。これは、伊能さんを巡った戦いなんです!」
「え? 僕ですか?」
伊能は状況が呑み込めなかった。自分が関係ある戦いとはどういったものか? 伊能は宮本に説明を求めた。
「ちょっとタイム、最初から説明を求む」
「このことを最初から説明するには長くなりますがよろしいですか?」
「えーと、……今日は祝日か、時間はたくさんあるし、お願いします」
食事を終え、伊能はカレンダーを見て今日は学校がないことを確認する。そういえば徳川さんの私服を見るのは初めてだな、と思いつつ伊能は視線をそちらへと向ける。すると徳川と目が合い、徳川は伊能の方をじぃーっと見る。さすがに長時間視線を合わせるのはつらいので宮本の方を見ることにした。
宮本はその様子を横目で見ると、またもや小さく舌打ちを打ち少々不機嫌そうに説明を始めた。
「伊能さんは、歴史を学んでいますよね?」
「はあ、まあ高校で習うレベルくらいには」
「実はその歴史は不完全だってこと、知っていました?」
「え? どういうこと?」
宮本はその返答を聞くと少し得意げに話し始めた。
「ですから、表には公表されていない歴史があるってことですよ!」
宮本の口から伊能の予想とは違うとんちんかんな言葉が飛び出る。あたりがしばらく静まりかえるなか、伊能はおそるおそる手を挙げる。
「……ハイせんせー質問があります」
「なにかな? 伊能くん?」
宮本はどこか嬉しそうに伊能を指さす。
「それって、今現在見つかっていない歴史書物とかの話だよね?」
「いいえ違います。書物が見つかっていないから不明ではなく、見つかっては困るから隠しているんです」
「それって、どういうこと?」
「簡単に言えば公にされては不都合が起きる、存在そのものが危険視される物を封印する、という意味に近いな」
「沖田さんは黙ってください! 私が説明します!」
沖田はフッとため息一つつくと、手元にある鞘から刀を出して手入れを始めた。伊能はその異様な光景を見て一気に青ざめる。
「ちょちょ、ちょっと! なんですかあの人!? 普通に刀持って物騒なんだけど!?」
「あらあら、伊能さんの言うとおり、怖いですねー」
「フン……」
ニヤつく宮本を無視してはいるが、伊能の方だけはちらりと見ていた。そして刀を素早く鞘におさめなおす。ポーカーフェイスを気取っている様だが手つきは明らかに焦り気味だった。
「ふふ、沖田さんが勝手にポイントを落としたところで、話を続けますよ? 沖田さんの言うた事で大体あっていますが、それと伊能さんがなんで関係があるの? ってことですよね」
「うん、そうだけど――」
「ここではその公表されている歴史を表歴史、公表されていないものを裏歴史、と呼ぶようにしますね。その裏歴史は今も続いていて、そしてなんと! 私たちはその裏歴史に出てくる一族の末裔なんです!」
「な、なんだってー! って、何それ? 具体的にどういうこと?」
あえて大げさにリアクションをとったが、伊能は疑問が晴れない。しかし驚いた様子に宮本は上機嫌になった。
「たとえば、私はかの宮本武蔵の末裔です!」
「徳川家康」
「そして私は沖田総司の末裔、というわけだ」
「そして伊能さんは、伊能忠敬の末裔というわけです!」
「へぇー、それはすごいなー。けど、それって普通に表? の歴史でも出てるじゃん?」
伊能はとりあえず自分の先祖を知ると、拍手をして素直に驚いた。自分の名字がまさか伊能忠敬から来るものとは思っていなかったからだ。
しかしそれは今の伊能にとっては些細なことであり、疑問は消えることは無かった。
「伊能さんの言うとおり、私たちの先祖は元来表の歴史の人物です。しかしいずれもあるきっかけで表の舞台から消えることになったのです。伊能さんの一族を例に挙げますと、日本地図の発表前に、裏歴史の舞台に上がることになりました」
「待ってよ? 伊能忠敬は日本地図発表の三年前に死んだはずでしょ?」
「表の歴史では彼は死んだこととなっています。確かに伊能忠敬は日本地図発表の三年前に亡くなったとされています。ですがその表の歴史での死こそが、伊能忠敬が裏の歴史と初めて対面するという意味であるのです」
宮本の顔が急に真剣になる。その声もやさしく穏やかなものから一変して重たいものとなった。
「当時、日本地図というのはあそこまで正確ではありませんでした。伊能忠敬はその見事な測量術で、正確な地図を作り上げました。しかしその測量術は裏の技術の一部を知らずのうちに使ったもので、当時の技術には不釣合いでした。裏の一族は最初、危険因子として伊能忠敬を始末しようとしていましたが、これほどの技術を独自にものにした者を殺すのはもったいないと異論を唱える者もいました。当時ちょうど裏歴史の記録をしていた一族が滅ぼされたので、その跡継ぎになる代わりに生かしておく、といったことがあったのです」
「え、じゃあつまり僕の一族って歴史の記録係ってことなの?」
真剣に話を聞いていたが、伊能は途中から拍子抜けた表情になる。もっと陰謀や、文字通り裏があるのかと思っていたからだ。しかし急に楽観的になった伊能とは対照的に宮本の表情は和らぐことはなく、むしろより厳格なものとなった。
「そうです。しかしそんなに甘いものではありません。先ほど負った通り、前の裏歴史の一族は、末代まで文字通り滅ぼされたのですから、伊能の一族も例外ではありません」
それを聞いて伊能は少々寒気を覚えるが、多少の強がりとでも言わんばかりに現代の情勢を伝える。
「こ、この現代社会でそんなことをしたら一発でばれるでしょ?」
「……そうでしょうか? ……それはそうとあなたのお父様は、今どちらに?」
宮本が急に話題を変える。伊能は今までの話の内容とのギャップにきょとんとしながらも思い出すように頭を掻きながら答える。
「……そうだなー、たしか、僕が子供のころ一回あったぐらいだもんなぁ。父さんとは全然会わないし、母さんとも半年前こっちに僕が一人暮らしに引っ越したきり会ってないよ」
伊能は言われてみれば母親とは半年、父親に至ってはかなり長い期間あっていないことに気付く。伊能は言われてみれば少しおかしいと思ったが、宮本は特に不思議がらずにそれに回答を返す。
「でしょうね。現に貴方の一族は、貴方を除いて既に始末されているのですから」
「はは…………え? どういうこと?」
伊能は宮本の言葉を聞き取れず、もう一度問う。宮本は同情でも含めるような表情を浮かべつつ、伊能が絶対見たことのあるはずのものを、その手に渡した。
「一族を滅ぼそうと、その最後の一人である貴方を誰かが狙ってきているということです」
宮本が手に持っていたのは伊能の父が愛用していたボロボロになった青い花柄のハンカチであった。伊能が子供のころからすでに持っていたもので、伊能の記憶の中にも確かにある。
そのところどころには、鮮やかな赤の染みがついていた。
先ほどまでのコミカルなものから一変して、伊能は自身の顔から血の気がサーッと引くのを感じ取ることができた。伊能は宮本の手にあるハンカチを両手で握りしめた。
震えが止まらない。夏なのに体中が寒い、凍りつくようだ。呼吸が浅くなり、吐き気とめまいがする。体中がその警鐘を鳴らしているかのように思えるほど耳鳴りがひどい。
え? どういうこと? 殺された? コロサレタ? 父さんも、母さんも、じいちゃんも、ばあちゃんも、みんな?
――涙が止まらない。前が見えない。
家族が殺され、急に一人になった孤独感と、自分が狙われている恐怖にまともに座り込むこともできず、伊能は倒れるような形で床に腰を落とす。
「……僕の父さんってさぁ……汗っかきだから……っ……昔プレゼントしたハンカチを……ずっと使ってくれているって……母さんが言ってたんだ…………でも……何で……?」
震える声で伊能は両親との記憶を語る。遠くにいても、伊能にとっては確かに父親だったのだ。大切な家族だったのだ。
しかし今は誰もいない。自分一人だ。孤独なのだ。
宮本はその場にうずくまる伊能を抱き寄せ、赤子をあやすかのごとくゆっくりと頭を撫でる。
「……あなたのお父様が仕事と偽り家にいなかったのは、わざと歴史の記録に生活のほとんどを割いていたからなのです。そうすれば特定を避け、実家の襲撃を避けることができるはずでした。しかしお父様のもくろみは外れ、特定した誰かが貴方の命狙っている。私は敵から貴方を守るためにここに来ました。もう大丈夫です。貴方は私が守ります」
「私も、だ」
沖田が微笑し伊能の頭を撫でる。続けて徳川も、無言ながらも伊能の手を強く握る。伊能はそれに少し励まされ、さっきまで乱れていた心が落ち着くが、それでも一言ポツリと呟く。
「どうして、どうして滅ぼさないといけないの……?」
「歴史に書かれては困る事を企てているのです。記録者がいなければ、無かった事になる。それを見込んで記録者を抹消するのです。この事は裏の歴史上でも歴史を脅かすもの、れっきとした敵として扱われます。しかしそれを冒してでもリターンがでかい事なのでしょうが、相手が何をたくらんでいるのか現時点では私達には想像もつきません。ですがそれをくい止めるためにも私達がいるのですから、安心してください」
宮本は伊能に向かって微笑む。伊能はそれを見てだいぶ落ち着き、宮本を見つめ返した。それを見た沖田は何か気に入らないのか、少し怒気を交えて言葉を放つ。
「……で、いつまで抱き合っているんだ?」
「え? いつまでも構いませんよ?」
「……いい加減にしろ! 貴様はそうやってポイントを稼ぐ卑怯者か!」
「卑怯者なら徳川さんに言ってくださいよ! 同級生でいつも一緒とかずるいですよ!」
「飛び火こわい」
「え? 急にどうしたの?」
先ほどのシリアスなオーラとはうって変わって守ってくれるはずの仲間同士で喧嘩を始めようとしている。伊能は不思議そうに二人を見る。
「え、どうして喧嘩しているの?」
「そ、それは――」
「お嫁さん選び」
今まであまりしゃべらなかった徳川の口からとんでもない発言が飛び出た――ような気がしたが伊能は聞き間違いではないのかと思い徳川に聞きなおす。
「い、今なんて――」
「お嫁さん選び」
やはり伊能の耳がおかしくはなっていなかったようだ。伊能はぽかんと口を開け、しばらくすると顔を真っ赤にして三人から離れた。
「は、はぁ!? え? 僕の? 違うよね!? 場を和まそうとジョークを言っただけだよね!?」
「伊能さん、それが本当なのです」
宮本が恥ずかしそうにしながらも口を開く。沖田ですら顔を少し赤らめていた。
「えーと、下手するとさっきより状況が読めないんですが……」
困惑する伊能を前に、宮本は照れながらも経緯を話し始める。
「そのですね……記録する一族は代々どこかの一族から嫁を貰うことで一族の断絶を防ぐと同時に、裏との関係を深めるという事をしてきたのですよ……できれば私を貰っていただけるとうれしいかなーなんて」
もじもじする宮本を見て沖田は鼻で笑う。
「フン、こういうのは自分より年上と結婚する方がいろいろと上手くいくというものなのだよ」
宮本はそれを聞いてハァ? とでも言いたげな表情で沖田を挑発する。
「行き遅れキャリアウーマンが何を言うんですかぁ? 私は伊能さんより一つ下の可愛い女子中学生ですからご安心を」
「いやそれはそれで不味いでしょ」
「今は許嫁で構いませんので」
宮本のさりげない年上は地雷発言に、沖田の顔に怒りがあらわになる。
「私はまだ十九だ! それとスーツは普段着だ!」
「あーあ、スーツが普段着とは堅そうな人。きっと相手を縛るタイプですね。私は伊能さんが望むのなら何でもしますよ?」
「黙れ、不埒者が! この場で切ってくれる!」
沖田が刀を抜く。二人が今にもこの場で一騎打ちをしかねない状況だ。下手すると昨日の様な血にまみれた事になりかねない。伊能は二人の間に割って入る。
「ちょっとやめてください!」
「安心しろ。一瞬で片を付ける」
「何言っているんですかぁ? 今のうちに降参しておいた方が身の為ですよぉ?」
「徳川さんも止めるの手伝っ……徳川さん?」
自分から話題を振った徳川は二人を放置しまた上の空になっている。まるで二人のことは興味がないようだ。
「……」
「えぇ……」
伊能は深いため息をつきつつ、頭を掻く。そしてふと二人を止める魔法の言葉を伊能は思いついた。
「……喧嘩するなら二人とも相手にしませんよ?」
「「う」」
二人の動きが一瞬で止まる。どうやら効果てき面のようだ。宮本に至ってはまるでこの世に絶望したような顔つきでこちらを見る。伊能はまた大きくため息をつく。
「はぁ……さっきからこの事で騒いでいたんですね。僕の一族が狙われているのを守るついでに妻として上手いことなそうとしている訳ですか」
伊能は頭を抱えていた。自分がこれからどう動くべきなのかと考えているのに対し、目の前の少女たちはこんなことを考えていたのかと。
「いや、私は全く下心がありませんよ!」
「私もだ。むしろ純粋な気持ちを持って交際したいと思っている」
「沖田さんは後がないですからね」
「宮本さん、一言多いです」
宮本が反省の色を見せる中、伊能はふと思ったことがあった。今ここに三人いるが、他にも裏の一族がいるのではないのかと。伊能は純粋な疑問から三人に問う。
「……てことは、君たち以外にも裏歴史の人がこの近くにいると思っていいのかな?」
宮本はその言葉を聞いて少し冷や汗をかきつつも、その質問に答える。
「それであっていますけど……」
「じゃあその人にも会ってみたいな」
宮本はあわてて手を振り伊能の言葉を否定する。
「あ、ああ! 今はまだ会う必要がないですから!」
「えぇー、味方は増やしておいたほうがいいんじゃないの?」
「いずれ! いずれ会えますから今はまだいいですよ!」
「……しかたないなあ」
宮本のその焦り様を見て、どうせライバルがーっと思っているんだろうと伊能は考えつつ、しぶしぶその会える時を待つことにしたのであった。