転校生
【1】
編制当初から賑やかなクラスではあったが、何故だろう、今日は朝っぱらから一段と活気付いているように見受けられる。翌日さっそく話題に立ち昇るような凄まじい番組が、昨晩テレビで放映されでもしたのだろうか。俗に云うテレビ離れに染まる私には、知り得ぬことではあるが。
教室の最後部へと移動した。私の席は、校庭に面した窓際から数えて二列目、そこの最後尾に位置する。学生鞄を肩から降ろし床に置くと、椅子にゆっくりと腰掛け、改めてクラスの様子を観察してみる。
馬が合う友人同士で固まって話す男の集まりがあれば、ゴミ箱の付近で、菓子パンを片手に立って話す女子の集団もいる。肌寒い時期なので、誰しも一様に冬服。そして決まって異口同音の文句を口にしているようで、耳を澄まさなくても、すんなりとそれは聞き取れた。――三組に、転校生がやってくる。
「おっはよぉ」
折しもそこへ、私が坐する席にぱたぱたと走り寄る女生徒がひとり。彼女はセーラー服を身に着けていた。濃紺の襟から、淡いピンク色のネクタイを覗かせている。丈が膝に届かないスカートは、襟元と同色。無論、私の制服と同系の配色、型式の。
右手をひょいと上げ、私は当酬を済ませる。どんぐり眼をくりくりと動かし、そうして適当な空席へ勝手に腰を下ろした彼女――梶槇仁江は、椅子を私のところにまで引き摺った。私は、机から半身を背け前屈みになり、閉じた膝の上で指を組む。仁江の目元に視線を投げた。
「この賑わい、なんでも転校生が来るとか来ないとか」
二つに結んだ髪を縦に揺らし、仁江は肯首する。
「そうなんです、来ちゃうんです、来ちゃうんですよ。いやあ、わくわくすんな、こういうのって」
「そうかなあ」
私は、目を机に落として渋った。嬉々とした仁江には悪いが正直、そこまで関心を抱くようなイベントでもない気がする。
「おや。マキルったら冷たい」
唇を尖らせ、仁江は不満の色を露わにして云った。
「著名プロダクションに所属してるイケメンかもよ? ほら、真伐って面食いじゃん。もっと希望もてよ」
「私がいつ異性のタイプを語ったよ。思い付きで発言すな」
「んじゃあ当てっこしようぜ。転校生が、どんな見た目してるか」
発案するやすぐに、難問を解読するように鹿爪らしい表情をつくると目蓋を下ろして、
「狩*英孝とノン*タ井上足して、2で割ったみてえな……」
仁江は、寝言のように小声で呟く。思わず私は耳を疑った。
「……仮にその、足して割ったような男が登場したとして、あんたは納得するの」
「無理だな」
即答するくらいなら云うなよ、とは指摘しなかった。仁江はこういう、思い付きで軽口を叩くのが大好きな人間だったから。昔からそうだ、彼女の性分なのだろう。冗談を禁止する、それ即ち仁江の人間性を全否定する大事となりかねない。
梶槇仁江との交遊歴は長い。それはなにより、互いの家が近隣に建ち、且つ両親の近所づきあいからむくむくと発展した延長線のもたらした結果であるに他ならない。物心が芽生えた頃には、私は仁江と共に、公園の広場を駆けずりまわっていたように思う。
幼馴染、とカテゴライズするべき相手だ。小学校も一緒だった。クラスは違えど、交際が途切れることはなかった。
そしてこのように、親の薦めで入学した私立中学まで同籍ときた。つくづく奇妙な縁を感じる。視認できない糸が私の小指から伸びていて、そこを辿れば、たとえ地球の裏側に仁江が隠れていたとしても簡単に会してしまえそうな、そんな縁である。腐れ縁、とも云えるだろうか。
「ていうかまず、男か女か、そこからじゃない?」
ふと浮かんだ疑問を口に出してみると仁江は、それは予想外だと云わんばかりにはっとした顔つきになる。どうやら私の幼馴染、女子が増えるという可能性を考慮していなかったようで。男にしか目がないと丸分かりだ。これで、どっちが真の面食いかはっきりしただろう、この面食いめ、と勝ち誇った心地はおくびにも出さず、私は取り澄ます。
「いやはや、そんなに男が好きかね。転校生、かっこいい男子だったら良いねえ。私も祈っておくよ」
両の人差し指を合わせ、ぺこりと控えめに頭を下げる私。
「カレシ、前々から欲しがってたもんねえ」
「ばか! そんなんじゃねえし」
仁江は即座に否定するが、乱れた語調が包み隠さない彼女の心根を代弁しているよう。堪えきれず、私は噴き出した。それが火に油だったか、感情が表に出てしまう性質である仁江の顔は赤みを増す。
「だから、そんなんじゃねえっての。やめろよ」
「こないだ、楽しそうに語らいでくれたね。やれ男の魅力は鼻梁だとか、筋肉質じゃなきゃ厭だとか」
「それは、確かに云ったけど……。あ、いや、むしろあたし、カレシ持ってますから」
「――ほう」
またぞろ私は指を組み直し、猫背になる。
「初耳だ」
「だろうねえ、誰にも話したことないもん」
「嘘でしょう」
「……嘘じゃねえし」
「はいはい」
私の「嘘でしょう」に対する返事は、消え入るように貧弱なそれだった。仁江は背板にゆったりと寄りかかり、天上を見上げた姿勢で遠い目をする。
ちょこっとだけ遊びが過ぎたか……。転校生の方面に気をとられ、私の幼馴染は、色恋沙汰の話題に関してめっぽう打たれ弱いことを失念していた。きちんと謝罪しておかなければ。
「ああ、ごめん、云いすぎだよ。気ぃ悪くしないで」
「………」
「ごめんってば」
沈痛する仁江は、ぴくりともしない。化石したように天を仰いでいる。流石に私は焦った。本気で怒らせてしまったのなら此方としても、それ相応の対処をしなければならないからだ。気が済むまで平謝りしないと。――などと迷ううち、
「そんなだから……」
仁江は吐き捨てるような調子で、それこそ耳を澄まさなければ聞き取れない調子で云った。
「そんなだから……友達すくねえんだよ」
アスリートが投擲した槍ばりに、静かに怒る仁江が放った文句は私の胸を貫いた。これはへこむ……。「ごめん」のひとことが霧散してしまうほどに……。
傍から見れば、さぞや陰惨たる相打ちの画が完成していたことだろう。と、ここで。
予鈴が鳴った。こぉぉおおん、と残響が間延びする。――時刻は八時二十五分。
「うお。もうかよ」
魂はぶじ帰着したようで、仁江は煩わしそうに席を発つと、けろっとした態で「じゃあね」と私からさかる。――まるで怒っているふうに見えなかった。
この、機械的ともとれる感傷の切り替えは彼女の長所であり、特技でもある。まずは一安心、仁江はいつも通りだった。
仁江の指定席は最前列である。近視だったり、授業に身が入らなかったり、背が低かったり、ある規定に該当した生徒にあてがわれる救済処置みたいな配列だ。小学生に匹敵する小躯の持ち主である彼女が、この定められた条件に引っかかるのも仕方がない。
いっぽう、長年“稽古場”通いを持続させていた賜物だろうか、私は三組の男、その半数を背丈で競り勝っている。女子に限れば、三本指には含まれること間違いなし。それもあって、私の席は最後列。現に、右隣を見渡せば異性の横顔しか目につかない。と、ついでに付け加えれば――。
私の左隣――窓際後ろ。進級してからずっと、そこに生徒が坐席した試しがない。不可解な空席……。担任教諭から、その明確な意味づけが説明されたこともない。
しかし断定できよう、まず紛れもなく転校生に与えられる席はここ、窓際後ろ。それだけが、転校生に関連した云々なぞどうでも良いと考える私の、ゆいいつ懸念する点だった。
位置取りの都合、慣れない環境に投じられた彼(――彼女?)を慰撫するが当然の義務となるだろう。口下手な私には、過ぎたる重荷だというに。
なんて、私の不安を知る由もないクラスメイトは着席したまま、ざわざわと波打つのをやめない。
私は鞄を拾い、教科書や筆記道具を取り出した。それらを机の中に片付ける。
しょっぱなから数学か、さっそくだるいぞ。
本鈴が鳴った。――八時三十分。
前方の扉がスライドして、出席簿を脇に挟んだ宍乃教諭が入室してきた。
宍乃春一。
第二学年全体を相手取った体育と我らが三組の担任をかけ持ちする、齢三十にも達していない若先生で、稀に高級そうなカジュアルスーツに袖を通していることを除けば、年がら年中、鬱金のジャージを平然と着回すさばさばとした男である。
所管科目が体育だけに、恰幅は良い。短く刈った髪は反るように整髪料で寝かせ、彼のお気に入りなのだろう顎髭も、毎日きちんと手入れが施されている。これで寡黙だったなら、あるいは強面の壮健先生として、生徒からいちもく置かれる対象になり得たかもしれない。
「起立っ」
壇上に登り、宍乃教諭が教卓の後ろに落ち着くのを待ってから、日直が号令をかけた。
「礼。おはようございます。――着席」
「はい、おはようございます」
お決まりの習わしを済ませ、宍乃教諭は卓上で出席簿を開くと、教室のそこここに目を馳せる。
「欠席なし、と」
……噂の転入生は見当たらない。先生の指示で、廊下に待機しているのだろうか。それとも何か不都合があって、日程を見送ることにしたのか。
「ええっと、突然だが、みんな。――近頃、ぽかぽかとした揚期になりつつあるからな、時には耐え難い睡魔に悩まされることもあるだろう。そこで居眠り防止のため、校内では、コックリさんの儀式を原則禁止にすることが確定した。ので、あしからず」
ひとしきり「駄」のつく「洒落」を披露し、もうじき三十代の男ははにかむ。無骨な顔ではにかむ……。
恥ずかしいなら云わなきゃ良いのに。と、クラスの誰しもが懐いている感想に、彼はいつになったら気付くのだろう。これはちょっと痛々しい。教え子の需要があるならまだしも、
(――え。どういうこと)
(なんでコックリさんなの。お前、分かった?)
(ま、まったく分らねえ。いったい、なにがどうして、どう融合してコックリさんに……)
(あっ。わたし分かったかも)
(わたしも! あのさ、授業中に眠くなるとさ、こう、うとうとして首が動いちゃうじゃない? それで……)
(ああ、なるほど! そういうことか。寝ないように我慢すると、こっくりこっくりして……。だから、コックリさんを禁止するって、居眠りするなって意味で)
(うわあぁ……親父ギャグ。鳥肌が……)
(今回もそう、難易度高いなあ)
(先生と同じ目線になって考えなきゃ分らないんだよねえ)
(それが難しいのよねぇ)
(ねーっ)
(小学校低学年レベルまで目線を下げなきゃ、だもんねえ)
(ねえーっ)
(見てて恥ずかしいよね)
(莫迦なんだよ)
(阿呆乃……)
(……坂田)
(いと哀れなり……)
ほぼ全員が不憫に、ないし慈悲心を沸かせるくらいなのだから、先生はもう少し自粛するべきだ。周辺の学徒がざわつく空気を肌で感じ、私はそう思った。
ざわめきを意に介さない、というより異変に気付いていない宍乃教諭は「よし」と前置きすると――なにが「よし」なんだろう――開け放しの扉へ上体を捻って、
「それでは、今日はまず、転入生を紹介する。――入ってきなさい」
ちょいと手招きする。
廊下で宍乃教諭の合図を見計らっていた“彼女”は、そうして私達の前に姿を現した。