駄目人間とは僕のことさ!
淡い意識の中寝返りをうつ。それが数度続くと徐々に覚えて無くてもいい痛みがぶり返してきた。恋心のように一度気づくともう気にせずにはいられない
「眠い。だるい。痛い」
そんな風に虚空へ愚痴をこぼしてはみたものの現状が回復するはずもないので諦めてパン屋へ向かうことにする。奴隷の証である焼印が浮かんでいる右手の甲は血がついたシャツの裾を引っ張ってなんとか覆い隠してみたものの、歩く度にシャツが微妙に引っ張られ焼印の一部が露出してしまうので包帯を巻いて隠した。今まではそんなに気にならなかった焼印が僕の人生を呪っているようにも思える
パン屋のおばさんは毎回無愛想なのがデフォルトだと思っていたけど、僕以外の人には愛想よく接客しているのに気づいたことが更にテンションをダウンさせた
もうこうなればどこぞの黒龍波使いのように包帯を着けたまま過ごすしかないのかもしれない。そして外すようにノノールファさんに言われた時はこう言うのだ
「もう後戻りは出来んぞ。巻き方を忘れちまったからな」
そんなふざけたことを言って空元気になる僕
仲間の皆のことを考えるとまた欝になるので、僕はパンを片手にノノールファさんが用意してくれた魔導の本を読んでみた。ベイリーブに認めて貰ったけどまだ字を読むのに時間がかかる僕にとってやたら婉曲的な表現や専門語が多いその本の内容は難しすぎた
途中でやはり素人治療が不味かったのか、縫い痕から再び血が流れ出すなどのハプニングもあり本の内容は全く頭に入ってこない。いや、唯一頭に『魔導入門』という本のタイトルだけは残っているけど
まぁ、あと五日もあるんだ。なんとかなるだろう
翌朝僕はドアを叩く音で目覚めた。初めての来客に戸惑いノノールファさんを呼びそうになったけど、書き置きで研究の邪魔をするなと匂わせていたし結局僕一人で出る事にした
とりあえず用心の為にドアの隙間から相手の姿を見てやろうと少しドアを開くと、そこから訪問者の指がいきなりガッと差し込まれる!?
こいつ、もしかして強盗か!? クッ、予想以上に力が強い
結局、あっさりとドアを開けてしまったその人物に適当な徒手空拳の構えをとる。最もこれだけの力の差がある相手にこんなことしても無駄かもしれないが、一応自分は体を懸けて守ったというポーズが後でノノールファさんに出来る。
そんな打算的なことを考えている内にも侵入者は手に持った植物とビンを隅に置き始めた。最近の強盗は物を置いて行くという話も聞かないし、どうやら僕の勘違いだったらしい
見れば、革のズボン(ジーンズみたいなやつだ)と紺のシャツを着た吊り目の美女で、腰に刀のようなものをつけていることを除けば怪しいとこも見当たらない
「依頼の品はここでよかったか?」
声は少し普通の女性より低かったが彼女には合っている
それにしても依頼の品って……?
「あの、依頼の品って何ですか?」
いきなりなんで押し入ってくるんだ? と最初に聞くべきなんだろうけど、この人が美女ということだけでそんな空気を読まない発言は脳内で、削除! 削除! 削除! 削除! 削除!と言いながらノートに名前を書き殴る、僕の記憶削除係さんMが削除してくれる
彼女は少々せっかちさんなのだろう
「斬滅教会でアメモリの根から花までを十束と、ユメミの花の蜜をボトル一杯依頼しなかったか?」
そこでハッと気づく。この間ノノールファさんに頼まれて依頼しに行ったやつだ。となると彼女は斬滅者? 確かに先ほどの力といい、なんだか強そうなイメージだ
「ああ、あれですか! すみませんわざわざ届けてもらって」
「気にすることはない。それより君の体は大丈夫か? 見たところ酷い怪我をしているようだが……」
「大丈夫ですよ」
慌てて奴隷の証が焼き付けられている右腕の包帯を確認する。大丈夫だ、しっかり締まっている
しかし、目の前の女性は何か大きな怪我を隠しているように考えたのか
「少しそっちの腕を見せてみろ」
なんてことを言ってくる
別にいいと断ってもしつこく確認しようとする彼女にさすがに我慢が出来なくなって思わず、
「あなたには関係ない!」
と怒鳴ってしまった。さすがに普通じゃない僕の様子から彼女も動揺しながら謝ってくる
ああ、僕は何をやっているんだろう。奴隷であることの苛立ちを見ず知らずの彼女にぶつけてどうしようというんだ? つくづく自分の矮小さに嫌になる
「あの……すみませんでした」
「いや、こちらこそ余計なお世話だったようだ。だがもう片方の腕と脚の縫合はやり直させてくれ。さすがにそれは酷い」
そんなに酷かったのだろうか? 素人にしてはよくやったものだと思うけど
数十分後僕の縫合の間違いは正され、よく分からないうちに彼女にお茶を出している僕がいた
彼女の名前はセントエレス。セレスと呼んで欲しいと想像よりもフランクな彼女の歳はなんと十五歳だった。どう見ても二十代にしか見えない彼女が僕の五つ上だと言うのだから驚きだ。最もこの世界の僕も日本の同世代と比べると大分大人に見える
僕のくすんで少し癖のある金髪も幼さより、大人のおしゃれっぽく感じるのは顔立ちが少し欧米人に近いせいだろう
「お茶ですセレスさん」
「これはすまない」
まぁ僕が言いたいのはこんな時間も悪くない……どころか、かなりいい!
美人なお姉さまとゆっくりお茶を楽しむなんてリア充は死ねばいいと思っていたけど、その理論から言うと真っ先に僕は死ぬ
「セレスさんは斬滅者なんですね」
「ああ。厳しいがやりがいのある仕事だ」
セレスさんは一口お茶を啜ると微笑みを浮かべた。どうやら気に入ってくれたらしい
「主にどんな仕事をしているんですか?」
「基本的にはモンスターの討伐だな。たまにこういう採集の依頼や護衛の依頼を頼まれるのも、採集地や護衛中にモンスターが出る可能性があるためだ」
「へぇ、お強いんですね。失礼じゃなければ少しその武器を見せて貰えませんか?」
何せ柄や鍔は違うが反りの入った刀身といい、見た目はまるっきり刀だ。子供の頃チャンバラごっこをした男の例に漏れず刀に興味を持っているし、銃弾を切り裂くことの出来る刃物なんて日本刀をおいて他にないとまで云われている
最もその分扱いも難しいから、素人が振り回しても怪我するか刀を折るのがオチだけど…
とにかくそんな素晴らしい伝統の武器が目の前にあるかもしれないなら見たいのが男だ
「さすがに武器を預けることは出来ないが、見るだけならいいだろう」
カチッと軽い音を立て刀身が抜かれた。怪しげな光を放つ赤い刀身にはギザギザとした刃紋が並び、切先に向かうにつれてその赤色が濃くなり、黒に近い色になっている
色こそ違うが刀だ。
セレスさんも刀に対して憧憬にも似た感情を抱く僕を見て満更でもない様子だ
「もういいか? 腕が疲れてしまった」
「ありがとうございました!」
「フフッ、君は変わった奴だな。……随分とお暇してしまったようだし私はそろそろ失礼するとしよう」
「よろしかったらまたいらしてください」
「君と話すと年下なのか年上なのか分からなくなるな」
それはそうだ。前世の歳を合わせると僕はもう三十近いオッサンだからセレスさんより一回り多く生きている計算になる。たまに見せる子供らしさは体の年齢に引きずられている訳ではなく、精神的に僕がまだまだガキなだけだ
「褒め言葉と受け取っておきます」
「では、またな」
そうしてセレスさんが去ってしまうと急に家の中が静かになったような気がする
もともと魔導や古代語の勉強をやる気がなかったけど、更にやる気のなくなった僕はまた明日と虚空にいい訳をした後早めに寝た
何やら酷い夢を見たような気がする。ノノールファさんが怠ける僕に何か呪いをかけたのだろう。そんな妄想をするってことはやはり少し後ろめたさがあるということだから、今日こそは勉強するとしよう。
今日を合わせると期限まであと四日しかない
始まって数時間後、肝心なことを羊皮紙にメモしながら自分だけのノートを作る。他人の解釈をそのまま移してもよく分からないことが多いので、一度自分の中で噛み砕いたものを書く作業が重要だということは大学受験の時に嫌というほど実感した
そこで少し魔導について分かったことを書くことにしよう
『魔導は魔からなり、魔を式に置き換え、魔で導くことにより魔導となる』
そんな記述から始まった魔導基礎。これを説明するにはまず魔の説明からしなければいけないだろう
魔。魔導の発動や魔導機関に欠かせないエネルギーのようなものだが、自然界で単体としては存在しない。自然界に存在して生きとし生けるもの全てを祝福する力、神力から魔を抽出して始めて魔の行使が可能になるのだ。
例えるとするなら神力は石油(原油)で、魔はガソリンと考えるといい
石油(原油)を加熱炉で精製して重油や軽油、灯油、ガソリンをとりだすように、魔導師は神力から不純物を取り除くことによって魔を抽出するのだ。
そして術式や陣によって回路をつくり、そこに魔を導くことによって魔導は発動する
この三つの作業が魔導の基礎にして奥義であるということをこの本の作者は述べているのだ
この三つの作業をする器官がモンスターの中に存在してそれを魔殊と呼んだりもする
そしてその魔殊が魔導機関のエネルギー源にもなっているらしい
ここまででようやく魔導基礎の本の三分の一程度。残りは専門的な表現が多くて良く分からなかった。
古代語の分厚そうな本は、生前活字離れが進んでいることを嘆いていた僕をまったく逆の道へと導く悪魔の書に思えてならない
結果、これ以上頑張っても集中力が持たないと三度目のいい訳で理論武装した僕はソファに寝転がる
やっぱりあと三日は短すぎでしょ