奴隷なんて……
この世界には斬滅者がいる。これはあくまで大陸言語から日本語に訳した場合、一番近い言葉が斬滅者になってしまった訳で決して僕の厨二的妄想力から生み出された造語ではないことを先に述べておこう。要は斬滅者とはモンスターと闘うことを生業としている信徒たちのことだ。
ここまでだと何かやばい匂いのするカルト集団だがモンスターが跋扈するこの世界において彼らほど頼もしい者はいないだろう。倒しても倒しても湧いてくるモンスターはその存在自体が罪であり、神はそのモンスターを倒させる為に祝福というシステムを生み出したとされている
ちなみに斬滅者の活動拠点となっている斬滅教会は各地に点在しており、そこでモンスターの討伐依頼や護衛の依頼を受けるらしい。僕みたいな一般人かつ奴隷には縁のない所だと……今日まで思っていた
きっかけはいつものように朝食をとっている際、ノノールファさんが言い出した一言
「そういえば触媒が切れかけていたな。ちょっと教会へ行って依頼をして来てくれ。
アメモリの根から花までを十束と、ユメミの花の蜜をボトル一杯ほどで充分だろう」
アメモリ? ユメミ? 何それ美味しいの?
さすがに自らの説明不足を僕の表情から見取った彼は、そこらの紙の裏にその花の特徴、生えている場所、採集の仕方を走り書きして受付に見せるよう言う。最も一字一字大陸文字の一覧表と見比べてその内容に気づいたのは遠くに斬滅教会が見えてきた時だった
教会まで歩いてしばらくかかるので今日の午前の文字の勉強は中止になった。その遅れを取り戻すためにこうして歩きながら勉強しているのだが一向に読むスピードは上がらず、むしろ逆に遅くなっているんじゃないかと思ってしまう
僕の頭はそこまでよく出来てないらしい
そんなことを考えている内についに斬滅教会の前にたどり着いてしまった。
名前と違って漆喰で白く染められた教会には採光のために一枚の丸ガラスが嵌められているだけで飾りっ気は殆どない。
まさに無骨、いぶし銀
闘う人たちの為にある建物だ
僕は情けなくも心臓をバクバク言わしながらその建物に入る。
礼拝堂から席と椅子を取り除いて開けた広場のようになったその場所には武装した人たちがゾロゾロと動き回り、端に設置された掲示板を眺めている人や、正面の受付で何やら話しこんでいる人もいた。僕は勿論受付に並ぶ
少々長く待つけど修道服を着た若いお姉さんがいる受付へ僕の体はかってに動く。ノノールファさんが僕にそう命令したのだろう。右手の奴隷の証は青く光ってないけどきっとそうだ
「何の御用でしょうか?」
「え~と依頼を申し込みたいんですけど」
「依頼の内容は?」
「これを見てくれると早いと思います」
ノノールファさんから渡された紙を受付嬢が確認すると、納得したように頷いた
「この依頼だと依頼料は銀貨二枚ですね」
僕が毎朝買う二人分のパンが銅貨一枚。およそ300円だ
銅貨が十枚で銀貨一枚と同じだから、銀貨二枚は6千円ということになる。ちなみに青貨、銅貨、銀貨、金貨、赤貨、白貨という順番に大きくなるが今は関係ない
銀貨二枚を渡すと依頼は受領されたらしく、もうやることもなくなった僕は雇い主の家に戻る事にした。
手持ち無沙汰になった僕は帰り際にホメオ・パサラスと唱えて『祝福の書』を取り出してみる。やはり何度見てもptは英知の神ベイリーブの1ptだけしかない
悔しいな。やっぱり僕にも何か一つ誇れるものが……そういえば『スピード++』のスキルがあったな。まさか僕の足の速さがそこから来ていたとは
ネイティブスキル様々だね
もう一度ホメオ・パサラスと唱えると手に収まっていた『祝福の書』が消える。寝る前に一人でなんども唱えて2828したけどまだマイブームは終わりそうにない
神様に見せてやろう。僕のスピードを! そしてあわよくばptを下さい
猛スピードで家に帰った僕だが案の定ptは得ることが出来なかった。やはり神に対する態度が悪かったのかもしれない
ノノールファさんも日々魔導書を見て学習することにより英知の神ベイリーブと魔の神アネモネからptを賜っているらしいから神は努力する者を認めるのだろう
僕も楽しようと考えずに地道に大陸文字を覚える努力をするべきなのかもしれない
「そこっ、また字を間違えているぞ! 朝はもっと最後の跳ねを滑らかに書かなくては!!」
「はい!!」
でもまだまだ僕は時間がかかりそうだ
「次間違えたら夕食は抜きだな」
僕の頭よ覚醒しろっ!! 新たな力を今ここに!
案の定、そんなことは起こらず僕は夕食を食べることが出来なかった。ある意味ストリート生活時代の時と全く変わってない
しかし、前と違うのは勉強すれば飯が食べられることだ。もう二度と同じ轍は踏まないよう星の光を唯一の明かりとして大陸文字の勉強を夜通し続ける僕は正に蛍雪の功を体現する現代の車胤、孫康に他ならない
小鳥が囀り始める頃、一日千秋の思いで待ち構えていたあの電子音が脳内で響いた
『ピコーン、アランは英知の神ベイリーブから1000ptの祝福を受けた』
キターーーーーーッ!! しかも1000pt!
大陸文字を空で書けるようになったのが祝福を受けた理由だろう
喜び勇んで朝起きたノノールファさんにそのことを伝えたら
「よかったな。だが大陸文字は魔導書を読み解くために必要なものだ。これから先私の助手をしてもらうには魔導に不可欠な古代言語と古代文字がさらに必要となる」
「それも、もしかして……」
「ああ、覚えてもらう」
大陸文字だけでも大変だったというのに古代言語? 古代文字?
僕はこれ以上の努力を想像して少しクラッと来た。神は人間に何を求めているのだろうか?
その日はほとんど何をしたかというのは覚えてない。ノノールファさんが何やらテーブルの上に書置きを残して二階へと消えて行ったことだけは覚えているが、それもまるで起きながら夢を見ているようで記憶も曖昧だ
日が暮れてお腹が空腹を主張しだして僕はやっと覚醒した。
ヤバイ、もう夕食の時間をとっくに過ぎている! ノノールファさんはきっと怒って僕の食事を抜きにするだろう
二階のノノールファさんを呼ぶ前にテーブルの上に置かれた紙に気づいた。もしかして僕にまだ他の命令をしていたのかも
気づくのに遅れたから今日中には間に合わないかもしれないけど目を通しておく必要があるだろう
『私は一週間程部屋に籠もる。食事に関しては用意があるので心配いらない
パンは一週間の支払いは済ましているのでいつもの所に受け取りに行くといい
適当な古代言語と魔導の基礎についての本を数冊用意しているのでそれに目を通しておくように。一週間後古代言語と魔導についての質問に答えられなければお仕置きだ』
とりあえず直ぐに怒られるということはなさそうだ。一週間後の僕の頑張り次第で
とにかく今日はもう勉強する気にならない。夏休みの宿題なんかも早め早めにやるのが後で楽というのが優等生の考え方なんだろうけど、僕は生前も今も劣等生で嫌なことを遠回しにしたい典型的な駄目人間タイプだ。
簡単に夕飯を済ますと、スプリングが伸びてすっかり寝にくくなってしまったソファーで眠りについた
翌朝、パン屋のおばさんからパンを受け取ると懐かしのストリート生活時代の友の下へ向かった。ノノールファさんのお世話と大陸文字の勉強に時間を費やしてきたので友の顔を見る為にはこういう自由時間を利用するしかない。ノノールファさんをお世話する身が逆にお世話になっていることについて思わないでもないが、一人分のパンを皆で一緒に食べることぐらい別に構わないだろう
複雑に入り組んだ路地に進み、やっかいな新参者たちの巣窟を抜けて、雨漏れが酷い懐かしの住処にたどり着く。
二階の半分崩れた床に向かって小石を投げると懐かしい顔がそこから覗いた
「アランじゃねぇか! ここ数日見なかったんで軍学校へ連れて行かれちまったかと思ったぜ」
赤髪で口が悪いが数年間寝食を共にしてきた女リーダー、ザシがそう出迎えると住処の中から数人が出てくる。皆僕が帰ってきたことが信じられないようだ
とりあえず話は中でと、ほとんどぎゅう詰めの住処でささやかな歓迎会が開かれた
「皆も元気そうでよかった」
誰一人太っている奴はいないけど皆目に生気が溢れている。おそらく僕という存在がいないせいで分け前が増えたのだろうと腹黒いことを考えるのは早々に止めにした。考えても空しくなるだけだろう?
それに一番に答えたのはやはりリーダーのザシだ。彼女は生来リーダーになるために生まれてきたようなカリスマ性を持っているので彼女が決めた意見には誰も逆らわないのが暗黙の了解だ
「で、今まで何処行ってたんだよ? その手に抱えられた美味そうなもんを盗りに行ってたとは言わせねぇぜ」
「ザシちゃん。そ、そんなに強く言ったら、言えるものも言えないよ」
少しオドオドとしたところがまた癒し系なルミちゃん。残念ながら巨乳ではないが十年後どう化けるか楽しみな逸材だ。
「いいんだよルミちゃん。僕が勝手にいなくなっちゃったからいけないんだよ」
「いいからさっさと言えよ」
人の話を最後まで聞いた覚えがないせっかちなザシに急かされ事情を話した。ノノールファさんという人に奴隷にされてその人の家で暮らしている云々を少々虚飾して、ムチで叩かれているやら、もう少しで二人で一夜を明かしそうになった等を話すと『ムチで叩かれると痛いの?』、『初体験はどうだった?』と真に受けた答えが返ってきて笑わざるを得なかった。
業界じゃあ話を盛るのはマナーなんだぜとそれらしいことを言って皆でバカ騒ぎするのはやはり楽しかった。
「そういえばパンを持ってきたんだ。皆で分け合おう」
「いやぁ……いいや。今腹減ってないし」
「じゃあルミちゃんはどう?」
ルミちゃんはザシに何度か目配せすると
「あの……私もいいですぅ」
明らかに遠慮して断っている様子だったので無理してパンを置いて帰ろうとしたけどザシが抜け目なく気づいて僕の手元に返した。皆決して楽な生活をしているという訳ではないのでその行動に理解出来なかったが、珍しくキッパリ断るザシに押されて僕は家へと戻る
その途中でパンが入っていた袋を忘れるという有り得ない失態に気づいて、パンを抱えながら住処へ帰るとザシやルミちゃん、力自慢のゴンズ、作戦係のアリが何やら円陣を組んで話し合っている姿を目撃した。
滅多にないその光景に好奇心が唆され、近くの瓦礫に身を隠して話の内容を盗み聞きする
「……だから、もうアランはここの仲間じゃねぇ」
ザシの言葉に耳を疑った。あの仲間思いのザシがそんな言葉を口にするだなんて有り得ないことだったからだ
「でも、さすがにそれは酷いよ!」
「ルミっぺ。今日アランが俺達にパンを渡そうとしていただろう。あれは俺達に対する侮辱だ」
「アリの言うとおりだ」
力自慢のゴンズは毎回、アリの言うセリフに訳もなく賛同するのでここでは無視していいだろう。
「私達は浮浪児だ。地位なんてほとんど無いに等しいけど、それでも奴隷よりかは高い。その奴隷からパンを貰うだなんて私達の立場はどうなる? 生きるのに精一杯な私達だからこそそれは超えてはいけない一線なんだ。でもアランは大事な友であることに変わりないし、かといって奴隷として扱わなければ私達の立場はなくなってしまう。
私たちにとっても、何だかんだ言って楽しそうな生活を歩んでいるあいつにとっても仲間じゃない方が良いんだ」
「でも、でも、それじゃあアラン君が……」
「ルミっぺ。諦めな。じゃあ次あいつが来た時は追い払う形でいいんだなザシっぺ?」
「ああ」
駄目だ。僕はそんなに強い人間じゃない
仲間がいなければ、信頼できる人がいなければ、この世界で味方のいない僕はどうやって生きていけば良いんだ?
視界が霞み、嗚咽が止まらなくなった
「うん? ア、アラン君!?」
もう僕はいてもたってもいれず逃げ出した。後ろからルミちゃんの寂しげな声がしなくなるまで走って走り続ける。今の僕は『スピード++』のスキルだ! ってはしゃぐ気にすらならない
そうやって鼻水と涙でほとんど視界ゼロの中走ったせいか、前方の障害物に気づかず頭に強い衝撃を受けて僕はよろけた。
どうやら誰かにぶつかってしまったらしい。急いでその相手に謝ろうと目的の人物の姿を捉えた時僕の人生はここでお終いだと思った。
そのぶつかった相手がここらのガキ大将で、持ち前の巨体とパワーを生かして今まで少しでも舐めた真似をした奴を徹底的に痛めつける最悪な奴だったからだ。
こういう相手に謝っても意味がない。どちらにしろボコボコにされるのなら生存確率の高い『逃げる』の選択肢を選んだ方が賢いことは当たり前田のクラッカー!
錯乱してこれを読んだ若年層がジェネレーション・ギャップを受けること間違いなしのボケをしてしまう程今の僕の精神状態はおかしいことがハッキリした
一人メダパニ状態の僕をあっさりとガキ大将の連れ二人が取り囲み、ABCD包囲網ならぬABC包囲網が完成。因みにABCDとはアメリカ、イギリス、中国、オランダの頭文字をとったものだということを受験生諸君は覚えておいたほうがいいかもしれない
今の僕の精神状態はおかしい! 今の僕の精神状態はおかしい!! 大事なことなので二度言いました
「おい、お前俺にぶつかってごめんなさいの一言もないのかよ?」
「へへっ、やっちゃいましょう」
「やっちゃうです!」
いきなり後ろの男に背中を押され、前方へと倒れこむ僕の顔をガキ大将がアッパーで迎えうった。軽く宙に浮かぶほどの威力のそれに悶絶して鼻血を流しながら地面でばたつく僕を無理やり起こしてリンチは始まる。
脇腹を蹴られ、鳩尾を殴られ、髪を引っ張られ、頭突きされ、脹脛を踏まれ、体全体に痛みしか感じられなくなる。
数時間、いや三十分もしなかったのか? とりあえず僕を痛みつけることに飽きたガキ大将たちがいなくなり、体を引きずりながらとぼとぼと家に帰る。
さすがに相手もまだ十五かそこらで骨は折れてないが打撲が酷いし、血も結構流れているので針で縫わなければならないのかもしれない
そして仲間たちのあの言葉……
とにかく今の僕の気分を一言で表すなら『最悪』だ
ようやく家にたどり着いた時は体をソファーに預けて眠りたい衝動に駆られたけど、傷の手当が先だ。本当は医者にやってもらうのが一番良いのだけれど、奴隷である僕を見てくれるとは思えないし、さすがにノノールファさんも奴隷の医療代金を払ってくれる訳がないだろう。僕は何処かで奴隷という地位を甘く見ていたのだろう。今日それを充分実感した
そんなノノールファさんには悪いけどキッチンの棚に置いてある安そうな酒の蓋を開けて傷口にぶっ掛ける。後で怒られるかもしれないけど今はこっちのほうが大事だ
「うぉおお~~~~!! 効っく~~!!」
続けて、魔導に使うのか、やたらサラサラした絹糸のような繊維の糸玉と針を鍋で熱湯消毒した後、傷口を慎重に縫い合わせる。生前も何度か縫ったことはあるけど生来麻酔の効きにくい僕にとってその痛みと、自分の体が縫われている不思議な感覚は大嫌いである
今回は麻酔無しということもあり、タオルを口に咥えて想像を絶する痛みによって冷や汗は出るわ、そのせいで視界が塞がるわで生きた心地がしなかった。
とにかくそれらを済ますと、魔冷庫(ようは魔導式の冷蔵庫)から氷を出して腫れ上がった部位に当てて冷やす。
ヒンヤリした気持ちよさとジンジンする体の痛み、そして気持ち良い倦怠感に包まれながら僕はゆっくり目を閉じた