|新人戦《ルーキー・ウォーズ》、開幕
もし俺が、この数億円する新品の耐熱スーツの中に吐いたら、ヴィクラムはクリーニング代を請求してくるだろうか?
「モゾモゾしないで」リアが、自分の戦術スーツの襟を直しながら言った。「フェレットでも密輸してるみたいに見えるわよ」
「しょうがないだろ」俺は囁き返した。「この音を聞いてみろよ」
俺たちは国立狩人スタジアムの入場トンネルに立っていた。 鉄筋コンクリートと魔法強化ガラスで作られた、巨大なドーム型建造物だ。A級魔法の暴発さえも封じ込めるよう設計されている。 収容人数は8万人。
そして今、その全員が絶叫していた。 観衆の轟音が床タイルを振動させ、俺の背骨まで伝わってくる。 スタンドの上空には巨大なホログラム・スクリーンが浮かび、過去のトーナメントのハイライト映像を流していた。
「8万人だぞ」俺は呟いた。「もしここで転んだら、永遠にYouTubeに残る」
「転ばないさ」 ヴィクラムが列の先頭に立ちながら言った。 彼は黒とオレンジの「チーム・アストラ」のユニフォームを完璧に着こなしていた。緊張している様子はない。まるでこの建物自体のオーナーであるかのような顔をしている。
「お前は金で買える最高の装備を身につけている。国内最高のエースに鍛えられたんだ。計画通りにやればいい」
「ああ。計画な。『死なないこと』。了解だ」
ヘッドセットをつけた制作アシスタントが、ストレスで胃に穴が開きそうな顔をして走ってきた。 「チーム・アストラ! 出番まであと30秒! いいですか、中央の演台まで真っ直ぐ歩いて、カメラに手を振ってください。観客には反応しないこと!」
ヴィクラムは短く頷いた。「手順は心得ている」
トンネルの突き当たりにある巨大な防爆扉が、ゆっくりと軋みながら開き始めた。 白い光が雪崩れ込んでくる。そして、音の壁も。
アナウンサーの声が、神のごとき音量に増幅されてスタジアムのスピーカーから轟いた。
『レディース・アンド・ジェントルメン! 第25回新人戦へようこそ!』
群衆が爆発した。
『最初のチームを紹介しましょう! 10年の沈黙を破り、彼らが復讐のために帰ってきた! エーテル技術社の提供でお送りする……ギブ・イット・アップ・フォー……チーム・ザビエル!!』
「合図だ」ヴィクラムが言った。「キメていくぞ」
彼は光の中へと大股で歩き出した。リアが続く。氷のようにクールだ。 俺は深呼吸をして、二人の後ろから足を踏み出した。
眩しい。何千ものカメラのフラッシュが一斉に焚かれる。群衆の熱気が凄まじい。 ジャンボトロン(巨大スクリーン)に俺たちの顔が映し出される――ストイックなヴィクラム、退屈そうなリア、そしてヘッドライトに照らされた鹿のような俺。
俺たちは中央の芝生フィールドへと歩いた。他のチームもすでに整列していた。 伝統的な道着を着たチーム、流線型の未来的なアーマーを着たチーム、そしてヘヴィメタルのコンサートに行くような格好をしたチームもいた。
ヴィクラムは指定された場所で止まった。彼はカメラを無視し、隣に立っているチームに向き直った。
彼らは純白のユニフォームに金の縁取りをあしらっていた。エンブレムは咆哮するライオンの頭部。 セント・ライオンハート学園。5年連続の絶対王者だ。
そのキャプテンが最前列に立っていた。 背丈はヴィクラムと同じくらい。背筋を痛々しいほど真っ直ぐに伸ばしている。鋭いボブカットの淡いブロンド髪。凍った湖のような瞳。
イシャ。氷の女王。
彼女は俺たちを見もしなかった。まるで視界に入れる価値もないとでも言うように、ただ前を見つめている。
ヴィクラムは無視されるのが嫌いだった。
「いいユニフォームだな、イシャ」 ヴィクラムは滑らかに、しかし群衆の騒音に負けない大きさで言った。 「おばあちゃんの手編みか?」
イシャはゆっくりと首を回した。表情は変わらない。絶対的な無関心の仮面だ。
「ヴィクラム・マルホトラ」 彼女は言った。静かな声だったが、なぜかスタジアムの騒音を切り裂いて届いた。冷たい声だ。 「父親にチームを買ってもらって、ようやく『ヒーローごっこ』ができるようになったみたいね」
俺の隣でリアがピクリと反応した。ヴィクラムの笑みが引きつる。 「俺たちは実力で予選を勝ち抜いた」
「そうかしら?」 イシャの視線がヴィクラムを通り越し、俺に突き刺さった。
俺は凍りついた。バケツ一杯の氷水を頭から浴びせられたような気分だ。 周囲の気温が実際に5度下がった気がした。吐く息が白くなる。
「そして、これがあなたが拾った『野良犬』ね」 彼女は、幻影魔法で隠された俺の左手首を見ながら言った。
「予選の映像を見たわ。雑ね。規律ゼロの、ただの力任せ。周囲の被害に頼って勝ってるだけじゃない」
「おい」俺は、自分が感じているよりも勇敢に見せようとして言った。「勝ったんだから、いいだろ?」
彼女はわずかに目を細めた。 「現実世界ではね、坊や。『雑』な戦いは人を殺すのよ。このアリーナでは、恥をかくだけで済むけどね」
彼女は前を向き直し、完全に俺たちを切り捨てた。 「開会式を楽しんで、チーム・アストラ。予選で転ばないように気をつけることね」
ヴィクラムは、今にも芝生の上で武器を召喚しそうな顔をしていた。 「抑えて」リアが彼の腕を掴んで囁いた。「カメラよ」
ヴィクラムは深呼吸をし、ユニフォームを整えた。 「あいつ、絶対後悔させてやる」彼は囁いた。その目は燃えていた。
俺はイシャの背中を見つめた。彼女から発せられる冷気がまだ肌に感じられる。 ヴィクラムの言う通りだ。炎神は彼女には通用しない。彼女はあまりに冷たく、あまりに制御されている。
俺は左の拳を握りしめた。ブレスレットの中で眠る、重く、ゆっくりとした大地神の鼓動を感じる。
(そろそろ起きる時間だぞ、相棒)俺は思った。 (彼女を止めるには、山が必要になりそうだからな)
『そして今!』アナウンサーが絶叫した。『ゲームを開始する!!』
スタジアムの上空で花火が炸裂し、暴力の幕開けを告げた。




