第8話 一八キロメートルの大運河計画
第8話 一八キロメートルの大運河計画
代官室に張り詰めた空気が流れる。
壁に貼られた地図の前で、僕は二人の大人――父サノスと叔母モカに向き直り、解決策を提示した。
「父様、叔母様。この干ばつを根本的に解決するためには、雨乞いのような不確実な方法ではなく、物理的に水を確保するシステムが必要です」
僕は地図の東側、領地の境界線を流れる太い青いラインを指差した。
「ここを見てください。サーナス領の東境を流れる『バーノア川』です」
それは海へと注ぐ大河であり、前世の日本で言えば一級河川に相当する規模を持つ。どんな日照りでも枯れることのない豊富な水量がそこにはある。
「このバーノア川から水を直接引き込み、カマの耕作地全体を潤す巨大な水路を作るのです」
僕の提案に、まず反応したのはモカ叔母様だった。
彼女は眉をひそめ、即座に否定的な見解を示した。
「待って、アルス。発想は分かるけれど、それはあまりに危険よ。バーノア川は水量が桁違いに多いし、流れも速い激流なの。もし下手に堤防を削って水を引けば、水圧で水路が崩壊して、カマの街ごと洪水に飲み込まれるわ」
農業のプロらしい、的確な指摘だ。
この世界にも水路は存在するが、多くは小川を利用したものや、都市部の上水道に限られる。大河の制御は、この世界の人々にとって「災害」と同義なのだ。
「ええ、おっしゃる通りです。バーノア川の水を『直接』引き込むのは自殺行為です」
僕は机の上にあった白紙の羊皮紙と羽ペンを借りると、サラサラと図を描き始めた。
「だから、クッションを作るんです」
「クッション……?」
「はい。まず、バーノア川から少し低い位置に、広大な『貯水池』を掘ります。川とこの池を水門で繋ぎ、必要な分だけ水を流し込む。ここで一度水の勢いを殺すんです」
僕は図解しながら説明を続ける。
激流を一度プールに溜め、そこから穏やかな水流として送り出す。現代の治水ダムや遊水地の理論だ。
「この第一貯水池を起点に、メインの水路を通します。そこから血管のように支流を分け、畑に水を配る。そして水路の末端にはもう一つ貯水池を作り、余った水は最終的に海へ流す……。これなら、氾濫のリスクを抑えつつ、安定して水を供給できます」
僕が描いたのは、全長約一八キロメートルにも及ぶ壮大な運河計画図だった。
農業都市カマは領地の北寄りに位置し、耕作地はその南側に広がっている。地形の高低差を利用すれば、重力に従って水を海まで運べるはずだ。
父と叔母様は、食い入るように僕の図面を見つめていた。
沈黙が流れる。やがて、父が重々しく口を開いた。
「……なるほど。水を『貯めて』から『流す』か。単純だが、誰も思いつかなかった発想だ」
「確かに……それなら、あの激流も制御できるかもしれない」
モカ叔母様の瞳に、希望の光が宿り始めた。
理論上は可能だ。だが、問題は実行手段にある。
一八キロメートルもの水路と、巨大な貯水池二つ。通常の工事なら数年、いや十年はかかる大事業だ。それを数日で成し遂げなければ、作物は全滅する。
「しかしアルス、時間はどうする? 人力で掘っていては間に合わんぞ」
「そこで『魔法』を使うんです」
僕は自信たっぷりに断言した。
「父様、叔母様。この街には五万人の住民がいますよね? その多くは農作業に従事し、土を扱うことに慣れているはずです」
この世界では、すべての人種が魔力を持ち、魔法を行使できる。
魔法には【火・水・土・木・風・光・闇・無】の八系統が存在するが、今回鍵となるのは【土魔法】だ。
「農民の方々に協力してもらい、人海戦術で一気に魔法工事を行うんです」
魔法を発動させるための条件は二つ。
『詠唱』と、頭の中での『イメージ』だ。
特にイメージは重要で、結果を鮮明に思い描けなければ魔法は発動しないし、威力も落ちる。
だが、農民たちは日頃から鍬を振るい、畝を作り、排水路を整備している。彼らにとって「土を掘る」「土を固める」という行為は、生活の一部であり、最もイメージしやすい事象なのだ。
「使う魔法は二つだけ。『掘削』で水路を掘り、『硬質化』で壁面を石のように固める。どちらも初歩的な魔法で、魔力消費も少ない。五万人の力が集まれば、一八キロメートルの水路など、数日で完成させられます!」
僕の熱弁を聞き終えた父サノスは、バンッと机を叩いて立ち上がった。
「よし! いけるぞ!」
その顔には、もはや迷いはなかった。領主としての決断の顔だ。
「モカ、至急動ける者をすべて集めるんだ! 農民はもちろん、商人や冒険者、手の空いている者は全員だ! 協力者には十分な給金を出す。資金は全てサーナス家が持つ!」
「ええ、分かったわお兄様! すぐに触れ回ってきます!」
モカ叔母様は弾かれたように立ち上がると、部下の職員たちに指示を飛ばしながら、風のように部屋を飛び出していった。
役所全体が、一気に慌ただしい熱気に包まれていく。
僕は拳を握りしめ、自身の掌を見つめた。
いよいよだ。
僕の知識と、この世界の魔法。そして人々の力が合わさる時が来た。
これはただの土木工事じゃない。この世界を変える、最初の一歩だ。
「よし、僕も行くぞ!」
気合と共に、僕は父の後を追って現場へと向かう準備を始めた。




