第7話 美しき叔母と構造的欠陥
第7話 美しき叔母と構造的欠陥
馬車は乾いた音を響かせながら、人影の消えた大通りを疾走する。
目指す街の役所は、農業都市カマの中心部に位置していた。
周囲の建物よりも一際大きく、堅牢な石造りのその建物は、普段なら市民の活気で溢れているはずだ。だが今は、まるで墓標のように静まり返り、焦燥感だけが漂っていた。
門をくぐり、馬車寄せに到着するまで約十分。
停止した馬車の扉を、セシルが手早く開け放つ。
「到着いたしました、旦那様」
降り立った僕たちの前に現れたのは、数名の職員と、その先頭に立つ一人の女性だった。
彼女を見た瞬間、僕は一瞬呼吸を忘れた。
母、ルナにも引けを取らないほどの美女だったからだ。
燃えるような赤い髪を後ろで無造作に束ね、白衣のような外套を羽織っている。年齢は母と同じくらいだろうか。知的な眼鏡の奥にある瞳は、疲労の色を隠せないものの、強い意志の光を宿していた。
「お兄様! お久しぶりです。お待ちしておりました!」
女性は父の姿を見るなり、駆け寄るように声を上げた。
「あぁ、久しぶりだね。モカ」
父サノスは、いつもの厳格な表情を崩し、柔らかな兄としての顔を見せた。
そのやり取りを見て、僕は目を丸くした。
(お兄様……? 父様に妹がいたなんて、初耳だぞ)
僕の動揺を察したのか、父が苦笑しながら紹介してくれた。
「アルスは初めて会うな。紹介しよう、私の妹のモカ・フォン・サーナスだ。お前の叔母にあたる」
「叔母様……ですか」
「うむ。こう見えて、マリアナ王国でも指折りの農業研究者でな。主に作物の品種改良を専門にしている。その功績が認められて一代限りの騎士爵に叙され、このカマの代官も任せているのだ」
農業研究者にして、女性代官。
この世界において、女性が実力で爵位と役職を得るのは並大抵のことではない。彼女もまた、サーナス家の血を引く傑物ということか。
「あなたがアルスね」
モカ叔母様が僕の前に屈み込み、視線を合わせた。近くで見ると、その肌には連日の激務による隈がわずかに見えたが、美貌は損なわれていない。
「初めまして、叔母様。サノスの長男、アルス・フォン・サーナスです。お会いできて光栄です」
「あら……十歳と聞いていたけれど、ずいぶんと利口でしっかりした子なのね。お兄様からの手紙で『神童』だとは聞いていたけれど、ここまでとは思わなかったわ」
彼女は僕の立ち居振る舞いをまじまじと観察し、感心したように頷いた。
「本当はゆっくり歓迎したいところなんだけど……ごめんなさい。今は一分一秒が惜しいの。立ち話はこれくらいにして、早く中に入って! 資料や現状報告など、見せたいものが山ほどあるのよ!」
「ああ、分かった。すぐに行こう」
モカ叔母様の切迫した様子に、僕たちの表情も引き締まる。
急かされるようにして、僕たちは役所の重厚な扉をくぐった。
†
案内された代官室の扉が開かれた瞬間、そこにあったのは「戦場」だった。
いや、書類という名の雪崩が起きた被災現場と言うべきか。
広い執務室の机、棚、そして床に至るまで、羊皮紙の束や地図、分厚い文献が散乱している。インクの匂いと、濃いコーヒーのような香りが充満していた。
「まぁ、適当に座って! ちょっと汚いけど……ごめんなさいね、片付ける暇もなくて」
モカ叔母様はバサバサと長椅子の上にある書類の山を脇にどけ、僕たちの座るスペースを強引に確保した。
父と僕は顔を見合わせ、苦笑いを浮かべながら腰を下ろす。この惨状を見るだけで、彼女がどれほど必死にこの危機と向き合ってきたかが痛いほど伝わってきた。
「では、早速だけど状況を説明するわね」
モカ叔母様は自身のデスクに広げられた巨大な地図を指し示した。その表情は、研究者の鋭い顔つきに変わっている。
「まず、手紙で報告した通り、雨が全く降らないことによる水不足が深刻化しているわ。特に乾燥に弱い葉野菜――ホウレンソウやレタス類へのダメージは壊滅的よ。すでに市場に出せる品質のものは枯渇しているわ」
「……やはり、そうか」
「ええ。そして主食である麦などの穀物類だけど……今は各所の『ため池』の水を回してギリギリ命を繋いでいる状態。でも、それももう限界よ。あと数日雨が降らなければ、実をつける前に全て枯れてしまうわ」
穀物が全滅すれば、冬を越せない民が出る。それはマリアナ王国全体の食糧危機を意味していた。
「今までこんな長期的な日照りは起きたことがなかったの。農民たちもパニック状態で、井戸を掘ろうにも地下水位が下がっていて水が出ない……。私なりに手を尽くしたけれど、もう打つ手がないのよ……!」
悔しさに唇を噛むモカ叔母様。
その沈痛な空気の中、僕は部屋の壁に貼られた「カマ周辺の広域地図」に目を奪われていた。
ある違和感が、僕の中で警鐘を鳴らしていたのだ。
「叔母様。あの壁の地図、近くで見てもいいですか?」
「え? ええ、別に構わないけれど……」
許可を得て、僕は地図の前へと歩み寄った。
詳細に描かれた地形図。等高線や水源の位置が記されている。
僕は前世の知識――地理や歴史の授業で習った「文明と治水」の記憶を総動員して、地図を読み解いていく。
(やっぱりだ……)
違和感の正体。それは「水」の供給源の偏りだった。
この地域は平野が広く、確かに農業に適している。だが、決定的に欠けているものがあった。
「父様、叔母様。地図を見て、いくつか分かったことがあります」
僕が振り返ると、二人は怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「分かったこと?」
「はい。この地域の農業システムにおける、構造的な欠陥です」
僕は地図上の平野部を指でなぞった。
「このカマ周辺は、農業大国として急速に耕作地を拡大してきましたよね? でも、ここを見てください。平野部には大きな河川が流れていません。あるのは小さな支流のみ。つまり、農業用水のほとんどを『雨水』と、それを貯める『ため池』だけに依存しているんです」
僕の指摘に、モカ叔母様がハッとしたように目を見開いた。
「一方、西側の山岳部には水源がありますが、そこからここまで水を引くための大規模な水路――用水路や運河といったインフラが整備されていません。作付面積(需要)だけが増えて、水の供給ルート(供給)が自然任せのままだった。これが今回の危機を招いた最大の原因です」
「……っ!」
モカ叔母様の顔から血の気が引いた。
図星だったのだ。彼女は品種改良という「生産性」には目を向けていたが、都市計画レベルの「治水インフラ」への視点が抜け落ちていた。
「……私の、責任だわ」
モカ叔母様が力なく呟いた。
「耕作地の拡大を推進したのは私よ。より多くの食糧を作ることばかり考えて……肝心の水が足りなくなるなんて、そんな当たり前のことに気づけなかったなんて……!」
研究者としてのプライドが高かった分、そのショックは大きいだろう。十歳の子供に、自分の政策の穴を指摘されたのだから。
部屋に重苦しい沈黙が流れた。
だが、それを破ったのは父だった。
「モカ、そう自分を責めるな。水路の整備や予算の配分は、領主である私の責任でもある。お前一人が背負うことではない」
「お兄様……」
「今は悔やむ時ではない。今後のことを考える時だ」
父は力強く言い切ると、改めて僕に向き直った。
「アルス。先ほどの分析、見事だった。まさか構造的な問題にまで言及するとはな。……そこで、お前に聞きたい」
父の瞳が、僕を射抜く。
「原因は分かった。だが、今から水路を建設していては作物は枯れ果ててしまう。今回のこの緊急事態を解決するために、何か策はあるか?」
通常の土木工事では間に合わない。
だからこそ、常識外れの方法が必要だ。
僕には、そのための「力」がある。まだ試したことはないが、理屈の上では可能なはずだ。
僕は深く息を吸い込み、ニヤリと笑って答えた。
「はい! 父様、解決策はありますよ!」
「なっ……あるのか!? それは一体どうやって!」
身を乗り出す父と叔母様に、僕は高らかに告げた。
「方法は一つ。――“魔法”ですよ!!」




