第6話 沈黙する穀倉地帯
第6話 沈黙する穀倉地帯
馬車は乾いた大地を蹴り、砂煙を上げながら進んでいく。
車輪の回転音が一定のリズムを刻む中、僕は揺れる車内で、今回の視察同行の「真意」について父とセシルに問いかけていた。
「セシル。なぜ、僕を父様に推薦したの?」
僕の問いに、御者台と客室を繋ぐ小窓から顔を覗かせたセシルは、いつになく真剣な眼差しをこちらに向けた。普段の穏やかな老執事の表情ではない。そこには、一人の教育者としての確固たる自信が宿っていた。
「それは、アルス様が真に『聡明』であられるからです」
セシルの言葉には熱がこもっていた。
「旦那様もご存知の通り、アルス様は貴族の子息が十年、いや成人までに学ぶべき教養の全てを、わずか十歳にして完全に習得なさいました。ただ暗記しただけではありません。その知識を体系的に理解し、自らの言葉で語ることができる……。このような奇才、他家を探しても存在しません。このセシル、勉強指導をさせていただいた立場として保証いたします。アルス様こそ、サーナス侯爵家の未来を拓く至宝であると!」
「お、おいセシル、褒めすぎだよ……」
あまりの熱弁に、僕は頬が熱くなるのを感じた。
確かに「中身」は高校生だが、ここまで手放しで絶賛されると面映ゆい。
父サノスは、そんな僕たちのやり取りを見て、重苦しい表情をわずかに緩めた。
「ふふ、セシルの言う通りだ。私も耳にタコができるほど聞かされているよ。『アルス様は天才です』とな」
父は組んだ手の上に顎を乗せ、僕を真っ直ぐに見つめた。
「正直になろう。今回の水不足問題は、法務大臣である私が顔を出しただけで解決するような単純な話ではない。雨を降らせる魔法など、宮廷魔導師でも使えないのだからな。手詰まりに近い状況だ。そこでセシルが提案したのだ。『アルス様の柔軟な発想と知識をお借りしてはどうか』と」
「父様……」
「藁にもすがる思い、と言えば情けなく聞こえるかもしれん。だが、私はお前に賭けているのだよ、アルス」
父の瞳に宿る信頼の色。
それは、単なる子供への期待を超えた、一人のパートナーとして認めるものだった。
僕の胸の奥で、熱いものが込み上げてくる。
僕は、この異世界を「豊か」にするために転生した。神様との約束がそこにある。
まだ、あの『検索スキル』を本格的に行使したことはない。地球の知識がこの世界でどこまで通用するのか、未知数な部分も多い。
だが、父とセシルがこれほどまでに信じてくれているのだ。全力を尽くさないわけにはいかない。
「父様、セシル! 僕、絶対に力になれるように頑張るよ。何か解決策を見つけてみせる」
僕が拳を握りしめて宣言すると、二人は満足げに頷いた。
「期待しているぞ、アルス」
「ええ、アルス様なら大丈夫ですとも」
車内に満ちた信頼の空気は、僕にとって何よりの活力となった。
今回の視察、必ず成功させてみせる。これが、僕がこの世界で刻む最初の「功績」になるはずだ。
†
決意を新たにしてから約一時間。
窓の外の景色に変化が現れ始めた。
地平線の彼方から、陽炎に揺らめく巨大な建造物が姿を現したのだ。
「あれが……農業都市カマ」
灰色の石材で築かれた、高さ約五メートルに及ぶ堅牢な城壁。それがどこまでも続いているように見える。
この世界には魔物が存在する。そのため、都市は基本的に城壁で囲まれているのが常識だ。
カマの街は八キロ四方。領都スパムの十五キロ四方には及ばないものの、地方都市としては破格の規模を誇る。
本来なら、その城壁の向こう側から活気溢れる喧騒が聞こえてくるはずだった。
「静かすぎる……」
街に近づくにつれ、違和感は確信へと変わった。
マリアナ王国の食料生産の三割を担う大都市だ。普段なら、収穫物を運ぶ荷馬車や商人の列で街道はごった返していると聞く。
だが今、視界に入るのは風に舞う砂埃だけ。
蝉の声さえも、乾ききった空気の中では悲鳴のように聞こえた。
やがて馬車は、街の正門にあたる検問所へと差し掛かった。
槍を持った兵士たちが数名、疲れ切った表情で立っている。彼らの鎧も砂にまみれていた。
「止まれ! 何者だ!」
兵士の誰何の声に、馬車が停止する。
御者台のセシルが手慣れた様子で身を乗り出した。
「ご苦労様です。こちらはサーナス侯爵家当主、サノス様とご子息アルス様が乗っておられる馬車である。道を開けられよ」
セシルが懐から紋章の刻まれたプレート――貴族の身分証を提示する。
兵士たちの顔色が、瞬時に変わった。
「こ、これは失礼いたしました! ご領主様一行とは露知らず!」
「通達は受けております! どうぞ、そのままお通りください!」
兵士たちは慌てて直立不動の姿勢を取り、敬礼と共に道を譲った。
その表情には、畏怖よりも「ようやく領主様が来てくれた」という安堵の色が濃く滲んでいた。
王族や貴族はフリーパス。これは特権階級の証だが、今はそのスピード感がありがたい。
重厚な鉄門が軋んだ音を立てて開かれる。
僕たちは農業都市カマの内部へと足を踏み入れた。
「……っ」
街に入った瞬間、僕は息を呑んだ。
広い。石畳の大通りは、大型馬車が三台並走できるほどの幅がある。
通り沿いには、平屋造りで間口の広い建物がずらりと並んでいた。あれは農作物を扱う市場や倉庫なのだろう。高層建築が少ないのは、ここが物流と実利を優先した都市だからだ。
しかし、その広さが今は仇となっていた。
誰もいないのだ。
通りには人っ子一人歩いておらず、すべての建物の扉や窓は固く閉ざされている。
時折、乾いた風が吹き抜け、ゴミや枯れ草を転がしていくだけ。
まるでゴーストタウンだ。
「アルス、見るがいい」
父の声が低く響いた。
「本来、このメインストリートには無数の露店が並び、通り抜けるのにも苦労するほどの賑わいがあるのだ。それが、この有様だ。事態の深刻さが分かるだろう」
「はい……これでは、廃墟同然です」
僕は窓枠を握りしめた。
水がないということは、作物が育たないだけではない。経済活動そのものが死ぬということだ。
商売をする水もなければ、客も来ない。農家は畑に張り付いて絶望し、商人は商品を仕入れられずに店を閉める。
このままでは、この街は干からびて死んでしまう。
「急ぎ、対策を打たねばなりません。一刻の猶予もない状況です」
「ああ、その通りだ」
父は頷くと、小窓を叩いてセシルに指示を飛ばした。
「セシル、まずは街の役所へ向かってくれ。そこに代官がいるはずだ。まずは正確な被害状況を把握する」
「畏まりました。馬を急がせます!」
セシルの鞭が空を切る音が響き、馬車は速度を上げた。
ガタガタと揺れる視界の端で、僕は路地裏にうずくまる人影を見たような気がした。
この街を救うための「鍵」はどこにあるのか。
僕は胸の奥で、まだ見ぬ『検索スキル』のアイコンを強くイメージしていた。




