第5話 渇いた大地と父の背中
第5話 渇いた大地と父の背中
じりじりと肌を焼くような日差しが、馬車の窓から容赦なく差し込んでくる。
耳にまとわりつくのは、けたたましい蝉の鳴き声と、石畳を噛む車輪の重い音だけ。
季節は夏。
領都スパムを出発してから、すでに六時間が経過していた。
「……ふぅ」
僕は何度目かもわからないため息をつき、痛む腰をさすりながら座り直した。
現代日本の快適なサスペンション付き自動車とは違う。この世界の馬車は、石畳の凹凸をダイレクトに搭乗者の尻へと伝えてくる。
クッションが良いのがせめてもの救いだが、振動と暑さの二重苦は、十歳の子供の体力を確実に削り取っていた。
「父様……さすがに、疲れましたね」
向かいの席に座る父、サノス・フォン・サーナスに弱音を吐いてみる。
しかし、父は涼しい顔で書類に目を通していた。揺れる車内だというのに、ペンを持つ手は微動だにしない。
「アルス。この程度で音を上げているようでは、貴族としての務めは果たせんぞ」
父は視線を書類から外さずに答えた。その声には厳しさがあるが、息子を試すような響きも混じっている。
「王都サルサまでは、ここからさらに六日の道程だ。私は毎月のように往復しているが、これくらいどうということはない」
「むぅ……さすが、法務大臣ですね」
父の強靭な体力と精神力に、僕はぐうの音も出なかった。
窓の外を見る。
前後を固めるのは、武装した五十名の精鋭騎士たち。サーナス侯爵家の威信を示す堂々たる行軍だ。
この物々しさが、今回の視察がただの「お忍び」ではないことを物語っている。
僕は流れる景色を見つめながら、今朝の慌ただしい出来事を思い返していた。
†
記憶は数時間前、空がまだ薄暗い早朝へと遡る。
「アルス様、起きてください! サノス様がお呼びです!」
夢の中にまで響いてきたセシルの切迫した声で、僕は叩き起こされた。
窓の外はまだ白み始めたばかり。普段の起床時間よりも一時間は早い。
「ん……セシル? どうしたの、こんな朝早くに」
「急ぎ、出かける支度を! 出発いたしますぞ!」
「え? 出発って、どこへ?」
「説明は馬車の中で! さぁ、着替えて!」
セシルに急かされるまま、僕は寝間着を脱ぎ捨て、外出用の衣服へと着替えさせられた。顔を洗う時間さえ惜しいと言わんばかりの勢いで屋敷の玄関へ連れて行かれると、そこにはすでに準備万端の馬車と、完全武装の護衛団が待機していたのだ。
わけもわからぬまま馬車に押し込まれ、父と向かい合わせに座らされて三十分。
ようやく落ち着きを取り戻した僕は、揺れる車内で父に問いかけたのだった。
「父様。今回の視察の目的は一体何なのですか? 僕も突然連れてこられて、困惑しているのですが……」
僕の問いに、父はそれまで閉じていた目を開き、重苦しい表情で口を開いた。
「……水不足だ」
「水不足? 雨が降っていないということですか?」
「そうだ。ここ一ヶ月、一滴もな」
父の言葉に、僕は驚きを隠せなかった。
これから向かう目的地は、領都スパムから北東へ馬車で七時間ほどの距離にある「農業都市カマ」。
人口五万人を擁するその都市は、広大な平野を利用した穀物生産と酪農が盛んな地域だ。マリアナ王国の食料生産の約三割を担う、まさに国の胃袋とも呼べる最重要拠点である。
本来、この地域は温暖な気候と適度な降雨に恵まれ、作物を育てるにはこれ以上ない環境のはずだった。
「確かに……言われてみれば、スパムでも最近は雨を見ていませんね」
「うむ。ここ一ヶ月、本来なら雨の少ない西側の山岳地帯ばかりで雨が降り、逆に平野部が干上がっている。気象が完全に逆転してしまっているのだ」
父は眉間に深い皺を刻んだ。
「国もこの事態をかなり危惧している。もしカマでの収穫が途絶えれば、冬には国民が飢えることになる。これは災害だ。だからこそ、私が直接現地へ向かう」
なるほど、事態の深刻さは理解できた。
食糧危機は国家の存亡に関わる。法務大臣であり領主である父が動くのは当然だ。
だが、一つだけ解せない点がある。
「状況は分かりました。ですが父様、なぜ今回、その重要な視察に僕が同行することになったのでしょうか?」
僕はまだ十歳の子供だ。
本来なら、屋敷で留守番をしているべき立場だろう。足手まといになる可能性だってある。
僕の疑問に対し、父はふっと表情を緩め、御者台の方へ視線を向けた。
「セシルの推薦だよ」
「えっ、セシルが?」
「ああ。『アルス様の聡明さは、必ずやこの難局の助けになりましょう』とな。私もお前の成長には目を見張るものがあると感じていた。だから連れてきたのだ」
そう言って父が小窓を開けると、手綱を握るセシルが振り返り、ニコリとあざといほどの笑顔を見せた。
(やってくれたな、セシル……)
僕は苦笑いするしかなかった。まさか、あの勉強漬けの日々が、こんな形で実を結ぶとは。
†
意識を現在へと戻す。
馬車は街道を進み、いよいよ農業都市カマの領域へと差し掛かっていた。
整備された石畳の道は立派だが、その周囲に広がる光景に、僕は言葉を失った。
「これは……」
窓に張り付いて外を見る。
視界に広がるのは、本来なら黄金色や鮮やかな緑色に輝いているはずの平野だった。
しかし今、そこにあるのは、枯れ草色に変色した悲惨な大地だ。
背の低い麦たちは力なく項垂れ、地面はひび割れ、土埃が舞っている。
牛や羊などの家畜たちも、木陰に集まってぐったりと横たわっていた。
「酷いな……ここまでとは」
想像以上だった。
これは単なる「雨が少ない」というレベルではない。大地の生命力そのものが枯渇しているようだ。
道ゆく農民たちの顔にも生気がない。通り過ぎる豪華な侯爵家の馬車を見上げる目には、救いを求めるような、あるいは諦めのような色が混じっていた。
「見るがいい、アルス。これが自然の猛威であり、領主が背負うべき現実だ」
父の声は低く、重かった。
書類を置き、父もまた窓の外の惨状を見つめている。その横顔には、領民を想う苦悩が滲んでいた。
「なんとかしなければ……」
僕の口から、自然とそんな言葉が漏れた。
このままでは、多くの人が飢え、苦しむことになる。
僕には、神様から授かった知識がある。
『検索スキル』。
地球のあらゆる知識を引き出せるこの力なら、この絶望的な状況を打開する手立てが見つかるかもしれない。
いや、見つけなければならない。
「あと一時間ほどでカマの街に着く。アルス、お前も心してかかれよ」
「はい、父様!」
僕は痛む腰のことなど忘れ、強く頷いた。
前方には、陽炎に揺らめく農業都市の城壁が見え始めていた。




