第15話 硝子の靴なき舞踏会と、運命の碧
第15話 硝子の靴なき舞踏会と、運命の碧
王都サルサに到着した翌日。
まだ旅の疲れも抜けきらない中、サーナス侯爵家の別邸は朝から戦場のような慌ただしさに包まれていた。
今夜、僕の十五歳の誕生会が催される。
だが、これは前世のような「ハッピーバースデー」を祝うアットホームな会ではない。
そもそもこの世界には、毎年の誕生日を祝う文化が存在しない。唯一の例外が、成人とみなされる十五歳の洗礼後に行われる、この「お披露目会」だ。
その目的はただ一つ。
自身の子供を社交界に紹介し、貴族社会における存在感を示すこと。つまり、「顔を売る」ための政治的ショーである。
「……胃が痛くなりそうだ」
夕暮れ時。僕は自室の窓から、眼下の庭園を見下ろして呟いた。
次々と屋敷の門をくぐり抜けてくる豪華絢爛な馬車の列。その側面には、マリアナ王国を支える名門貴族たちの紋章が刻まれている。
今回のお披露目会には、主催であるサーナス家を除く、国内七十九の貴族家すべてに招待状が送られている。
当主本人が来る家もあれば、代理を送る家もあるが、これだけの馬車の数を見る限り、出席率は異常に高いようだ。
「アルス様、髪のセットが乱れますので、あまり動かないでください」
「あ、ごめん……」
背後では、王都の一流理髪師が僕の髪を入念に整えている。
父サノスは言った。「貴族は見栄が全てだ」と。
今夜の主役である僕の身だしなみに、一点の曇りも許されない。
窓の外を見れば、馬車から降り立つ着飾った令嬢たちの姿も見える。
今回のパーティーには、別の意味も含まれているからだ。
それは「婚姻」である。
十五歳になり、ステータス(将来性)が確定した僕は、格好の「優良物件」だ。サーナス侯爵家との縁を繋ぎたい家、僕を取り込んで安定した地位を得たい家……様々な欲望と計算が渦巻いている。
まさに、煌びやかなドレスとタキシードで武装した戦場だ。
「よし、完璧です」
鏡の中の自分を見る。
仕立ての良い純白の礼服に身を包み、髪を完璧にセットした青年。
中身が元高校生だとは誰も思うまい。
「……行くか」
僕は覚悟を決め、部屋を出た。
†
会場となるのは、別邸の大ホール(ダイニング)だ。
領地の屋敷よりも広く、天井も高いこのホールは、数百人を収容しても余裕がある。
ちなみに、貴族がこうした大規模なパーティーを開く際は、領地ではなく王都の屋敷で行うのが慣例となっている。これは「王家の目が届く場所で行わせることで、謀反の密談などを防止する」という歴史的背景があるらしい。
重厚な両開きの扉の前に立つ。
中からは、弦楽四重奏の優雅な調べと、人々のさざめきが漏れ聞こえてくる。
「アルス様、ご入場です」
従僕の声と共に、扉がゆっくりと開かれた。
その瞬間、会場内の空気が変わった。
数百人の視線――値踏みするような、好奇心に満ちた、あるいは嫉妬の混じった視線が一斉に僕に突き刺さる。
(うっ……物理的な圧を感じる……)
だが、僕は表情筋を総動員して「涼やかな貴族の微笑み」を貼り付けた。
背筋を伸ばし、大理石の床を歩く。
会場の奥にあるステージには、すでに父サノスと母ルナが、王者の風格で待機していた。
僕が二人の隣に並ぶと、父が一歩前に進み出た。
会場が静まり返る。
「本日はご多忙の中、我がサーナス侯爵家にお集まりいただき、誠にありがとうございます」
法務大臣としての威厳に満ちたバリトンボイスが響く。
「我が家の長男アルスが、この度無事に十五歳を迎え、洗礼の儀を終えました。こうして皆様にご紹介できることを、当主として大変嬉しく思います。……ではアルス、挨拶を」
父に促され、僕は一歩前へ出た。
五年前、五千人の農民の前で演説した時とは違う種類の緊張感だ。
ここにいるのは、国の行く末を左右する権力者たち。一言の失言も許されない。
僕は一度深く深呼吸をし、会場を見渡してから口を開いた。
「皆様、初めまして。サーナス侯爵家当主サノスの長男、アルス・フォン・サーナスと申します」
声を張り上げすぎず、しかし会場の隅々まで届くように魔力を微調整する。
「本日は私の為にお集まりくださり、心より感謝申し上げます。未熟者ではございますが、偉大なる父、そして皆様のご指導を仰ぎつつ、このマリアナ王国の繁栄のために全身全霊を注いでまいる所存です。どうぞ、これよりお見知り置きを」
挨拶を終えると同時に、僕は流れるような所作で最敬礼を行った。
腰の角度、頭を下げる速度。セシルに叩き込まれた完璧な礼儀作法だ。
一瞬の静寂。
そして、ワァァァッ……と、会場が揺れるほどの盛大な拍手が巻き起こった。
「素晴らしい挨拶だ!」
「見た目も麗しい……噂以上の麒麟児だぞ」
どうやら、第一関門である「品定め」はクリアしたようだ。安堵の息を漏らしながら顔を上げ、僕は笑顔で会場全体を見渡した。
その時だった。
雑多な色彩が溢れる会場の中で、一際鮮烈な「碧」が僕の視界を捉えた。
(――え?)
時間が止まったような錯覚を覚えた。
会場の中央付近。
そこに、一人の少女が立っていた。
年齢は僕と同じくらいだろうか。
夜空を溶かしたような深い青色の髪は、艶やかに肩まで流れ、シャンデリアの光を受けて輝いている。
透き通るような白い肌に、意思の強さを感じさせるサファイアの瞳。
華美な装飾はいらない。ただそこに立っているだけで、周囲の空気を支配してしまうような、圧倒的な存在感と美貌を持った少女だった。
(かっ、かわいい……いや、美しい……)
心臓が早鐘を打つ。
前世を含めても、これほど美しい女性を見たことがなかった。
「一目惚れ」なんて言葉は小説の中だけのものだと思っていたが、今の僕は完全に目を奪われていた。
彼女の隣には、父親らしき男性が立っている。
父サノスよりも年上に見えるが、ロマンスグレーの髪を撫でつけた、彫りの深い美丈夫だ。纏っているオーラは重厚で、最上級の貴族服を着こなしている。ただ者ではない。
少女のサファイアの瞳が、ふと僕の視線とぶつかった気がした。
彼女は表情を変えなかったが、その瞳の奥に微かな光が宿ったように見えた。
「アルス、どうした? 次は個別の挨拶回りだぞ」
父の声で、僕はハッと現実に引き戻された。
「あ、はい。すみません」
僕は慌てて視線を外したが、瞼の裏にはあの青色の髪が焼き付いて離れなかった。
これから始まる挨拶回りで、彼女と話す機会はあるのだろうか。
期待と不安を胸に、僕は父の隣でパーティーの喧騒へと足を踏み出した。




