第14話 魔の森を越え、摩天楼の都へ
第14話 魔の森を越え、摩天楼の都へ
洗礼の儀から六日が過ぎた。
僕たちを乗せた馬車は今、石畳の街道を滑るように駆け抜けている。
目指すはマリアナ王国の心臓部、王都サルサ。
サーナス侯爵領の領都スパムを出発してから六日間に及ぶ長い旅路も、ようやく終わりを迎えようとしていた。
「ふぅ……さすがに六日間の馬車移動は、身体が強くなった今でも堪えるな」
クッションの良い座席とはいえ、長時間の振動は腰にくる。
僕は凝り固まった肩を回しながら、窓の外に広がる景色を眺めた。
今回の旅は、いつもの視察とは規模が違う。大所帯だ。
僕と両親、セシル、身の回りの世話をするメイドが五名。
そして、馬車の前後左右をガッチリとガードするのは、サーナス家が誇る精鋭騎士団、総勢百名である。
あたかも軍事行軍のような物々しさだが、これには明確な理由があった。
「コノマス領とセムス領の森……噂には聞いていたけど、魔物の気配が濃かったですね」
僕が呟くと、向かいに座る父サノスが書類から目を離し、重々しく頷いた。
「あぁ。あの二つの領を跨ぐ森林地帯は、魔物の巣窟だからな。今回もゴブリンやコボルトの群れが何度か仕掛けてきたが、騎士たちが優秀で助かった」
道中、何度か小さな戦闘があった。
幸い、襲ってきたのは下級魔物ばかりで、百名の騎士の前では鎧袖一触だったが、この街道ではオーガやキメラといった強力な魔物も目撃されており、毎年多くの商人が命を落としているという。
加えて、父は現職の法務大臣だ。政治的な敵対勢力や、身代金目的の山賊に狙われる可能性もゼロではない。
この過剰とも思える警護は、マリアナ王国の要人を守るための絶対的なセキュリティシステムなのだ。
「危険地帯は抜けた。もうすぐ王都が見えてくるぞ、アルス」
父の言葉に、僕は身を乗り出して前方を凝視した。
地平線の彼方に、巨大な影が浮かび上がってくる。
「あれが……」
徐々にその全貌が明らかになるにつれ、僕は言葉を失った。
「すげぇ……」
そこにあったのは、巨大な城塞都市だった。
高さ十五メートルはあろうかという堅牢な城壁が、果てしなく左右に伸びている。街の規模は二十キロメートル四方。
そして何より僕の度肝を抜いたのは、城壁の向こう側に林立する建物群だった。
石造りでありながら、天を突くように高くそびえ立つ塔やビル。
五階建て、六階建ては当たり前。中には十階を超えそうな高層建築も見える。
魔法技術によって補強されたそれらの摩天楼は、遠目に見れば、前世の記憶にある「東京」のビル群と重なって見えた。
(まるで、東京じゃないか……)
領都スパムも人口三十万人を誇る大都市だが、ここは桁が違う。
人口一〇五万人。マリアナ王国最大にして最強の都市。
その威容に、僕はただ圧倒されていた。
†
南側の巨大な関所を、顔パス(大臣特権)で通過した僕たちは、ついに王都サルサの内部へと足を踏み入れた。
「なんだここ、凄すぎ!」
車窓から見える景色に、僕は子供のようにはしゃいだ声を上げてしまった。
メインストリートは馬車が五台並走できるほど広く、両脇には煉瓦造りの商店が隙間なく並んでいる。
行き交う人々の数も凄まじい。色とりどりの服を着た人々が、洪水のように流れていく。
そして、その人混みの中に「それ」を見つけた瞬間、僕のテンションは最高潮に達した。
「父様! あそこ! 耳の長い人が!」
「ん? ああ、エルフだね」
「本物のエルフだ……!」
透き通るような金髪に、尖った長い耳。スラリとした長身の女性が、涼しげな顔で歩いていた。
この世界にエルフが存在することは知識として知っていた。だが、マリアナ王国の種族構成は人間が六割、獣人が三割。エルフは北方の自治領に住んでいるため、全体のたった一割ほどしかいない希少種族だ。
田舎の領地では一度もお目にかかれなかった「ファンタジーの住人」を、入国早々に目撃できるなんて。
「あらあら、アルスったら。鼻息が荒いわよ? 興奮しちゃって、可愛いわねぇ」
窓に張り付く僕を見て、母ルナがクスクスと笑う。
少し恥ずかしいが、男のロマンなのだから仕方がない。
「アルス、本当に楽しそうだね」
「はい! 見たことのないものばかりで本当に楽しいです。もう、王都に住みたいくらいです!」
「はっはっは。そうかそうか。だが、楽しいからといって羽目を外しすぎるなよ? ここには様々な誘惑も多いからな」
父は苦笑しながらも、僕に王都の構造について教えてくれた。
王都サルサは、中央の王城を囲むように四つのエリアに分かれている。
* 南エリア(現在地): 庶民や商人が暮らす、最も人口の多い商業区。
* 東エリア: 貴族や豪商が屋敷を構える、富裕層向けの高級住宅街。
* 西エリア: 行政機関や各国の大使館が立ち並ぶ、政治の中枢。
* 北エリア: 王立学園や研究機関、騎士団の訓練場がある文教・軍事地区。
僕たちの馬車は、賑やかな南エリアを北上し、やがて東へと進路を変えた。
すると、街の雰囲気が一変した。
喧騒が遠のき、道幅はさらに広くなる。石畳は塵一つないほど磨かれ、道の両側には街路樹が整然と植えられていた。
立ち並ぶのは、商店ではなく、城のような大豪邸ばかり。
「ここが、東エリア……貴族街か」
マリアナ王国に存在する八十の貴族家、そのすべてがこのエリアに屋敷を構えているという。
下級貴族の屋敷でも十分に立派だが、王城に近づくにつれて屋敷の規模は大きくなり、門構えも豪華になっていく。
やがて馬車は、その中でも一際大きな屋敷の前で停車した。
「到着だ」
重厚な鉄門が開き、馬車が中へと滑り込む。
そこには、息を呑むほど美しい庭園が広がっていた。
色とりどりの花々が幾何学模様を描くように植えられ、中央には噴水が水を噴き上げている。芝生はミリ単位で管理されているかのように均一だ。
領地の屋敷の庭も広かったが、こちらの庭は「美しさ」と「洗練」において別次元だった。
「綺麗だろ」
「はい……とても丁寧に管理されていますね。まるで絵画のようです」
僕が素直な感想を漏らすと、父はふと真面目な顔つきになり、庭を見つめた。
「アルス。貴族街には、この国の全貴族が集まっている。それはつまり、常に誰かに見られているということだ」
「見られている、ですか」
「そうだ。貴族にとって『外から見える庭』というのは、単なる趣味の場ではない。その家の財力、美意識、そして余裕を示すための『鎧』なのだよ」
父の言葉に、背筋が伸びる思いがした。
「庭の手入れ一つ怠れば、すぐに『サーナス家は財政難らしい』『当主の気が緩んでいる』といった噂が流れる。それが派閥争いの火種になり、時には王家の不信を買うことすらある。……見栄と虚飾の世界と言えばそれまでだが、ここではそれが命取りになることもある。注意するんだよ」
「……はい、父様。肝に銘じます」
美しい花々の陰に潜む、ドロドロとした政治の世界。
父は法務大臣として、この煌びやかで危険な戦場で戦ってきたのだ。
馬車を降り、整列した使用人たちの出迎えを受けながら、僕は屋敷の玄関へと足を踏み入れた。
ここからが本番だ。
僕の貴族としての、そして転生者としての新たな戦いが始まる。
しかし、この時の僕はまだ知らなかった。
この王都で待ち受ける「貴族社会の洗礼」が、僕の想像を遥かに超える面倒さと、厄介な騒動をもたらすことになるということを。




