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転生貴族は異世界を豊かにします。  作者: Nami


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第10話 白金貨の重みと、蘇る大地

第10話 白金貨の重みと、蘇る大地

水路整備工事は二日目を迎えた。

現場の熱気は昨日以上に高まっており、作業スピードは驚異的だった。

午前中の段階で、すでに予定されていた工程の九割が完了しようとしている。

「信じられないスピードだ……」

僕は馬車の窓から、遠くで土煙を上げる作業現場を見つめて呟いた。

前世の地球であれば、重機を何台投入しても、これだけの規模の土木工事には数ヶ月、あるいは数年を要しただろう。測量、設計、掘削、コンクリート打設、養生……数えきれない工程が必要になる。

しかし、この世界には魔法がある。

人の意志がマナとなり、物理法則に干渉する。五万人の想いがこもった魔法は、最新鋭の建設機械すら凌駕していた。改めて、この世界のポテンシャルの高さに戦慄する。

だが、感心してばかりもいられない。

工事は順調だが、肝心の被害状況をこの目で確認する必要があった。

僕はまだ魔法が使えない(正確には、今日まで使う機会がなかった)ため、工事の仕上げは民衆とモカ叔母様の部下に任せ、父サノス、執事セシルと共に被害の甚大な農地へ視察に向かうことにした。

「これは……酷いな」

カマの街から少し離れた、葉野菜を中心に栽培している地区。

馬車を降りた僕たちの目に飛び込んできたのは、無惨な光景だった。

瑞々しい緑色が広がっているはずの畑は、茶色く枯れ果てていた。乾燥しきった土はひび割れ、少しの風で砂埃となって舞い上がる。

作物たちは水分を失い、見る影もなく縮こまっていた。文字通りの全滅だ。

「報告を受けていた通りですね。葉野菜は全滅……穀物エリアもギリギリの状態です」

僕は足元の土を手に取り、指ですり潰した。サラサラと乾いた砂が落ちる。

これでは、農家の人々の落胆はいかばかりか。

「被害額も相当なものになるだろう。セシル、現時点での損失概算はどうなっている?」

父の問いに、セシルが懐から帳簿を取り出した。

「はい、旦那様。モカ様らが徹夜で集計された現時点での被害額ですが……およそ白金貨二百枚ほどかと」

「ふむ。やはり、そのくらいにはなるか」

父は覚悟していたように頷いたが、横で聞いていた僕は耳を疑った。

「は、白金貨二百枚……!?」

思わず声が裏返る。

この世界の通貨制度は、全世界共通の貨幣が使われている。

価値の高い順に、白金貨、大金貨、金貨、大銀貨、銀貨、大銅貨、そして銅貨だ。

前世の日本円の感覚に翻訳すると、その価値は以下のようになる。

* 白金貨 = 一〇〇万円

* 大金貨 = 一〇万円

* 金貨 = 一万円

* 大銀貨 = 一〇〇〇円

* 銀貨 = 一〇〇円

* 銅貨 = 一〇円

つまり、白金貨二百枚ということは……日本円にして「二億円」。

カマの年間農業生産額が白金貨五千枚(五十億円)程度だと聞いている。全体から見れば数パーセントだが、この地区の農家にとっては年収の全てが吹き飛んだに等しい。

破産者が続出し、生活保護が必要になるレベルだ。

「父様! これほどの被害となれば、住民たちへの早急な支援策が必要です。彼らが来年の種を買う金もなくなってしまいます!」

僕が焦って進言すると、父は落ち着いた様子で僕の肩に手を置いた。

「安心しろ、アルス。そのための視察であり、そのための領主だ。すでにモカには、被害農家への補填として支援金を出すよう指示してある。サーナス家の備蓄は、こういう時のためにあるのだからな」

「父様……」

さすがは法務大臣も務める傑物だ。手回しが早い。

僕は父の頼もしい横顔を見上げ、安堵の息を吐いた。

その時だった。

遠くから、役所の職員とおぼしき男性が、馬を飛ばしてこちらへ向かってくるのが見えた。

彼は僕たちの前で馬を止めると、息を切らしながらも満面の笑みで叫んだ。

「ご報告します!! 水路が……無事、完成しました!!」

その言葉は、乾いた大地に響く福音のように聞こえた。

僕と父、そしてセシルは顔を見合わせ、同時に笑顔を浮かべた。

「よし、行くぞ! 通水式だ!」

夕刻。西の空が茜色に染まり始めた頃。

僕たちは再び、バーノア川の河川敷――水路の起点となる場所へと戻ってきた。

そこには、昨日とは全く違う光景があった。

川岸から少し離れた場所に、巨大な石造りの水門がそびえ立ち、そこから美しく整えられた石畳の水路が、地平線の彼方まで一直線に伸びている。

そして何より、現場を埋め尽くす二万人の民衆たちの表情が違っていた。

疲労はあるはずなのに、誰もが達成感に満ちた輝く瞳をしている。

馬車から降りた僕たちを見つけると、誰からともなく声が上がった。

「おお! 領主様だ! いや、アルス様だ!!」

「アルス様ー!! やりましたぞー!!」

「俺たちの水路ができたぞー!!」

地鳴りのような歓声が巻き起こる。

もみくちゃにされそうな勢いで手を振られ、僕は驚きのあまり目を白黒させた。

「す、すごい人気……」

「はっはっは、アルス。すっかり人気者になったな」

前を歩く父が、愉快そうに笑う。

「少し嫉妬してしまうくらいだ。だが……息子が領民に愛される姿を見るのは、悪くない気分だ」

父の声には、親としての誇りが滲んでいた。

人混みをかき分けて水門の操作盤へ向かうと、そこにはモカ叔母様一家が待機していた。

「おーい! こっちよー!! アルスー!!」

モカ叔母様が大きく手を振っている。興奮しているのか、普段の知的さはどこへやら、声がとてつもなく大きい。ロム叔父様も豪快に笑っている。

いよいよ、その時が来た。

水門の横にある高台。ここにある巨大なレバーを引けば、バーノア川の水が第一貯水池に引き込まれ、そこからカマの街へと流れていく仕組みだ。

「さぁ、アルス。この台に上がれ」

父に促され、僕は高台への階段を登ろうとした。が、父が動こうとしないことに気づく。

「え? 父様は?」

「何をしている。お前の合図で水門を開くんだ。号令はお前がかけろ」

「ええっ!? いや、それは領主である父様の役目じゃ……」

通水式のような重要な儀式は、最高責任者が行うのが通例だ。

しかし父は、いたずらっ子のような笑みを浮かべて首を振った。

「いいや、これはお前の手柄だ。お前が発案し、お前が民を動かした。最後も締めるべきだ。……それに、あれほどの人気者の後で私が挨拶しても、盛り下がるだけだからな」

「ちょ、父様!?」

「ほら、行った行った! 皆が待っているぞ!」

背中をバンと叩かれ、僕は半ば強制的に高台の上へと押し出された。

父様、絶対に挨拶が面倒だっただけだろ……!

そんなツッコミを飲み込み、僕は眼下に広がる民衆に向き直った。

二万人の視線が、夕日を背負った僕に集中する。

もう、震えはなかった。

僕は大きく息を吸い込み、腹の底から声を張り上げた。

「みなさん!! 連日の過酷な作業、本当にお疲れ様でした!!」

静寂が、僕の言葉を待っている。

「皆さんの協力のおかげで、わずか二日という信じられない速さで、この大事業を成し遂げることができました! この水路は、僕のものでも父様のものでもない。ここにいる皆さん全員の手で作り上げた、皆さんのための水路です!!」

オオオオオ……と、どよめきが広がる。

「本当に、ありがとうございました! これからもみんなで協力して、このサーナス領を、世界一豊かな場所にしていきましょう!!」

僕の叫びに、割れんばかりの歓声が応えた。

その熱狂が最高潮に達した瞬間、僕は水門のレバーに手をかけ、一気に引き下ろした。

「――開門ッ!!」

ゴゴゴゴゴゴ……!!

重低音と共に、巨大な水門がゆっくりと上昇していく。

堰き止められていたバーノア川の激流が、白い飛沫を上げながら第一貯水池へと雪崩れ込んだ。

轟音と共に、空のプールだった貯水池があっという間に満たされていく。

そして、溢れ出した水がメイン水路へと流れ込み、カマの街の方角へ向かって銀色の道筋を描いていった。

「水だ! 水が来たぞぉぉぉ!!」

「流れた! 本当に流れたんだ!!」

「万歳! アルス様万歳!!」

「サーナス侯爵家万歳!!」

抱き合って喜ぶ者、涙を流して水路に祈りを捧げる者。

夕日に照らされた水面は、まるで溶けた黄金のように輝いていた。

それは、死にかけていた大地に血液が通った瞬間だった。

僕の胸に、熱いものが込み上げてくる。

これが、「異世界を豊かにする」ということ。

僕がやりたかったことは、これなんだ。

歓声の渦の中で、僕はいつまでも流れる水を見つめていた。

この日、カマの水不足は解消された。

そしてそれと同時に、「神童アルス」の名声は、領地を超えてマリアナ王国中に轟くことになるのである。


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