第三話:好きと嫌いの裏返し~ほんの些細なすれ違いでも一大事~4
高等部に新入生を迎え入れてから、しばらく生徒会は落ち着いていた。
生徒会長だからと毎日書類の整理があるわけでもなく、他の生徒会メンバーに仕事を割り振っているわけでもない。
そうだというのに、紫乃は生徒会室へと訪れていた。
窓際に背中を向ける形の、代々から受け継がれる生徒会長の席に腰を落ち着かせる。
「どうしたものかしらね」
つい数日前、親友である班目咲玖に痛い所を突かれた。
紫乃が任期を終えた後の生徒会がどのように向かって、変わっていくのか。何かしらの指針を紫乃が示しては、咲玖からの忠告が意味をなさなくなる。
だからといって無責任に放置、一切の関与をしないのは冷たすぎるだろう。
先輩として、元という立場から与えられる助言もある。
ただどこまでを鵜呑みにし、今後に活かしていくかが不安だ。
「結局、何をしてもダメな気がしてきたわね」
これまで咲玖が行ってきた事、継続している活動を書き起こしていく。
一番に始めたのは、普段から利用する学院を綺麗にすること。
そうすることによって通う生徒達はもちろん、近隣に住む人達だって気分がいい。だから主だって学院内の清掃に力を入れてきた美化委員に協力を煽り、生徒会も含めて近隣周辺のゴミ集めを始めた。
それをキッカケに近隣住人との交流が生まれ、自然と防犯体制が整えられるようになった。他にも学院の行事にはこぞって協力を申し出てくれて、ちょっとしたお祭りのような賑わいが絶えない。
そんなこともあって、次に始めたのが生徒一人ずつの身なりを整えること。
逢籃学院の制服に袖を通すだけで、大なり小なりと責任を背負うことになる。どんな些細な噂一つでも評判が左右され、入学を志す生徒が減るかもしれない。
年々入学志願者の減少傾向があったというのもあったが、今は良い方向へと変わってきている。
何よりも、間接的に莉乃と接触することができるのだ。
中等部に入学して数か月は話せていたのに、急に距離をとるような避ける態度。それは少し寂しい気持ちもあったが、成長していく上でたくさんの人と関わっていく。そのどこかに自身の居場所をみつけ、楽しく過ごせていれればと思っていた。
だが気づけば、校則を破って当たり前。一切勉強をしないのか、毎回テストでは赤点で補習を受けている。
何が莉乃を変えたのかわからずじまいで、今日まで過ごして来た。
「……ダメね、何にもいい案が思いつかないわ」
独り愚痴るように、紫乃はノートに書き起こしたこれまでの活動を眺める。
全ては紫乃自身の私利私欲。
莉乃との関係を改善するため、学院の立場を利用した姉妹のコミュニケーション。
当の本人である莉乃は嫌そうな、どこか気まずそうな表情を浮かべてしまう。それでも大人しく言うことは聞いてくれるし、その場限りとはいえ身なりも整えてくれる。
それは紫乃として活動の一環も含め、嬉しいことだ。
ただ、期間は限られている。
生徒会長という立場でなくなったら、莉乃と学院で接触する機会がなくなってしまう。
いくら同級生で同じフロアにいようとも、在籍するクラスが遠い。
わざわざ用もなく会いに行くにも目立ってしまい、莉乃に迷惑をかけてしまう。
「はぁ……」
何度目かの重いため息を吐きつつ、静かな生徒会室で今後について思考を巡らせ続けた。
気づけばあっという間に放課後の終わりを迎え、下校を知らせる予鈴が鳴り響く。
顔をあげた紫乃は時計を見て、軽く肩を回す。
結局のところ生徒会の今後についてのいい案は思いつかず、莉乃との関係についても難航に熟考を重ねた。
それでも手始めにやることは決めている。
「……帰らないと」
この時間だ、莉乃のことだから家事でもしているのだろう。
今日の夕食が楽しみというのもあったが、紫乃としては申し訳なさがあった。
不定期な生徒会活動は、下校時刻がまちまち。他にも特進コースというのもあって、放課後には特別授業や模試が行われる。
だからどうしても、莉乃との帰りは重ならない。
どんな放課後を過ごしているのかと知りたい興味と、姉としての心配がある。
だって莉乃は、可愛いのだ。
それはもちろん、姉という視点を抜きにして断言できる。
見た目は周囲の視線を引き付けるように容姿、特に魅力的なのは胸だ。異性を始めとして同性も、紫乃でさえつい目を見張ってしまう。同性だからと嫌悪という感情は抱かないが、憧れのようなものはある。
それに加えて、明るい髪色に性格。
聞くに堪えなかったが、莉乃の良くない噂を耳にしたことがあった。
誰とでも気軽に交際関係を持ち、夜は繁華街をふらつき遊び歩いているらしい。
莉乃に限ってそんなことは断じてなく、同じ屋根の下に住んでいる紫乃が断言できる。
朝は早く朝食なんかを作ってくれて、放課後は真っすぐと帰宅している様子。こまめな買い出しもあってか不足した物、何かがないといったことがない。夜は遅くまで起きているようだが、家の中に存在を感じられる。
長々と通話しているようだが、誰なのかと訊くのが怖い。
もしそうだとしたら、姉として祝福できるのだろうか。
複雑な気持ちを抱いてしまう。
学院を出て駅まで、すれ違う生徒達からの挨拶に返事をしつつ、真っすぐと帰路に就く。
「……莉乃?」
駅のホームに立った紫乃は、あまりにも不可思議な光景に目を疑った。
少し離れた下車口の列に並ぶ、莉乃の姿。新学期が始まってから髪色は黒に変わったが、日を重ねるごとに落ちていくもの。
だから今は、黒と茶色が混合している。
何より紫乃が、莉乃を見間違えるわけがない。
けど、それを確認する間もなく電車がホームに入ってくる。けたたましく鳴る発車アナウンス音に周囲の人達が慌ただしく行き来し、紫乃も急いで電車へと乗り込んだ。
(今日も混んでるわね)
夕方という時間もあって帰宅する同じ学生も含め、スーツ姿の社会人も多い。
どうにか車内を移動できないこともないが、別車両となると一苦労。
ただ、同じ下車駅。
わざわざ確認しに行かなくても、本当に莉乃であれば気づく。
少しだけ身動きが取りづらい車内、ガタゴトとただ揺られ続けた。
(やっぱり莉乃だわ)
電車に揺られること十数分、紫乃は家からの最寄り駅に降り立った。
改札へと流れていく人の流れに紛れる、莉乃の後ろ姿。何やら急いでいるのか、周りよりも歩く速度が違う。
その様子があまりにも不審に感じ、紫乃は眉間に皺を寄せる。
「まさか、ね……」
一抹の不安に駆られ、紫乃の歩幅は早まっていく。
階段を降りてすぐ、改札口を抜けるとすぐに莉乃の姿が目に留まった。
(あの子ッ!?)
一瞬、紫乃は現実を疑った。
改札を抜けると、隣接するように商業施設がある。
一階はスーパーがあり、二階には雑貨屋など。三階は休日にもなれば親子を始めとした友達同士で遊べる施設、飲食コーナーが広がっている。
普段からそこで買い物をしていると思しき莉乃が、まさか紫乃の目が届かないところで校則を破っているとは……。
何やら周囲を仕切りに確認し、あまりにも挙動不審。
「帰宅途中での商業施設への寄り道はダメよ、莉乃」
気づけば、莉乃の手を掴んでいた。
「……げっ」
紫乃の姿に目を丸くさせる莉乃は、バツが悪そうに表情筋を引きつらせる。
「聞こえてるの、莉乃」
「う、うん。よ、寄り道なんて、す、するわけないじゃん」
「……そう」
露骨に動揺を露わにする莉乃を、紫乃は疑いをかけるような眼差しを向けてしまう。
(やっぱり私、あまり莉乃のことを知らないのね……)
あくまで家、学院という枠組みでしか莉乃のことを知らない。
……いや、知っている素振りをしていただけ。
その事実を痛感させられる。
だから改めさせられる、莉乃との関係。
再び考えることが増えた。
「ならいいわ。ほら、帰るわよ」
「えっ!?」
「……何よ。やっぱり寄り道するつもりだったのね」
昔は紫乃の後ろをついてくる莉乃だったが、今では様変わりしてしまった。
それが少しだけ寂しくもあり、目もとをスッと細める。
「しない! しません! 真っすぐ帰るから、離れて!!」
拒むように紫乃は肩を押され、少しだけ後ろによろめいてしまう。
(えっ?)
どうにか転ばせるようなことはなかったが、紫乃は唇を浅く噛む。
「……そう。……ならいいわ」
紫乃は短く息を吐くようにして、莉乃に背中を向けて歩き去っていく。
(これ以上口煩いと、嫌われるわよね……)
それほど強く押されたわけでもない肩に残る、莉乃に拒まれた感触。
それだけがショックで、トボトボと帰路に就く。
後ろに莉乃がついて来ているのか確認する余裕もなく、真っすぐに自宅へと向かった。
◇ ◇ ◇
つい昨日の出来事を聞かされた咲玖は、微妙そうな表情を浮かべていた。
「……あ~うん。……大変だったね」
「ええ、そうね」
未だ晴れることのない紫乃の表情を見て、咲玖は遠くに見える逢籃学院の校舎を眺める。
(あの妹ちゃんのことだから、そんなことはないと思うだけどなぁ~)
特進コースであまり面識はないが、制服点検の時によく姿をみかける。本当に姉妹なのかと疑いたくなるほど相対的で、声を大にしない周囲の生徒達が憧れる服装の自由っぷり。
その点で、咲玖は目にかけていた。
だから気づく、莉乃が紫乃に向ける視線。
「まぁ、話くらいならいくらでも聞くよ」
どう声をかけるべきか悩む咲玖だったが、変わらずヘラっとした口調で告げた。