第一話:仲の良い姉妹です?
五百瀬家の妹、莉乃の朝は早い。
時期によっては太陽が昇り始めるか否かの六時には起床、それから隣室で眠る姉を起こさないように足音を忍ばせて洗面所に向かう。冬の寒さには堪える冷たい水で顔を洗い、ドレッサー脇の右側を軽く押し開く。そこには普段から使う化粧品が収められており、莉乃は手慣れた動作で上段の化粧水から乳液、日焼け止めの順番に塗り広げて化粧下地を整える。その上にコンシーラーにファンデーションを施し、瞳には曜日をイメージしたカラコンをつけてひと段落。
そんなこんなで三十分弱と時間を費やし、洗面所を後に。
次に向かうのはキッチンで、朝食作りが待っている。
ある程度は前日の夜に用意して置き、朝は温めるという必要最低限にだけにしておく。
そして、姉が起きてくる前に自室へ引き返すのだ。
それが莉乃の、学校のある平日朝の過ごし方。
だが今日は、前日が春休みだったのもあって起きる気配がない。
布団から頭だけを覗かせて、規則的な寝息が聞こえてくる。
「……んっ?」
ゴロリと寝返りを打ったタイミングで、莉乃は枕元に転がっていたスマホにぶつかった。
薄っすらと開いた瞼は起き抜けで、額にスマホの存在を確認して掴み取る。
決して視力が悪くない莉乃だが、スマホの画面との距離が近い。
「へぇ?」
現在、時刻は朝の七時を過ぎようとしている。
寝起きでぼんやりと意識が一瞬で覚醒し、莉乃は勢いよくベッドから飛び起きた。
「ね、寝坊した!?」
寝落ちするまで繋いでいた友人達とのトーク画面。いつの間にか切れていたが、短い一文が添えられていた。
《明日の学校、寝坊するなよ》
どうやら画面の向こう側にいる友人達は、しっかりと明日――日付の変わった今日から学校があるとい
うことを忘れていなかった。
そのことで話題にもなり、莉乃も頭の片隅には遭ったのだ。
ただ一つ、問題が起きていた。
それはアラームをかけ忘れたこと。
せっかくの休日くらいゆっくり寝たいのと、姉も学校がない限り起床が遅い。決して姉は料理下手というわけでもないが、気づけばキッチンは莉乃の場所。
今となっては五百瀬家の食を預かるようになっていた。
なによりも、莉乃自身が姉のために出来ることは料理だけ。ならばとバランスの良い食事を考え、毎日を健康に過ごしてほしいという願いがあった。
そのお陰もあってか、姉が体調を崩した姿を目にしたことがない。
「と、とりあえず寝ぐせは……オッケー。メイクは……この際マスクで……」
机の脇に置いた手鏡を覗き込むと、金に近い明るい茶色のショートヘアー。微かに目じりが垂れながらも、二重がパッチリとしていて全体的に整った顔立ち。
莉乃は机の引き出しからマスクを装着し、顔の覆い半分を隠してしまう。
軽く息を乱しながら部屋の外へ、まだ姉が起きていないことを祈りつつ階段を下りる。
「今日は遅いのね」
「……ご、ごめん」
だが、そんな莉乃の願いはあっという間に砕けてしまう。
玄関先に立つ、莉乃の姉――五百瀬紫乃。
艶のある黒い髪を腰辺りまで伸ばし、若干吊り上がった目じりには怜悧な印象を感じられる。顔立ちも莉乃とは姉妹だけあって整っていて、素顔のままでも自信に満ちていた。
階段からの足音に気づいて、紫乃は細めた横目で莉乃を捉える。
「朝食、できてるから」
「えっ」
それだけを言い残し、紫乃は玄関の扉を押し開いて出ていってしまう。
恰好からして莉乃達が通う中高一貫校、である制服姿。その高等部生に指定された、白を基調としたブレザー。そして学年色を示す赤、緑、青の一本線が入ったネクタイ、もしくはリボン。
姉である紫乃は二年生なので緑のネクタイをしっかりと結び、校則をしっかりと守った格好。
対して莉乃は、同じ二年生で緑のリボンを緩く結ぶだけで、校則は注意されたらその場だけ正すスタンス。
姉妹ながらも正反対な見た目に恰好、お互いが一種の有名人という立場にあった。
その実、同じ屋根の下で過ごしながらもすれ違う関係性。
気づけば、行ってきますや行ってらっしゃいの言葉もないままだ。
「はぁ」
朝から重いため息を吐き、莉乃はマスクを外して項垂れてしまう。
「ああ、絶対に怒らせちゃったなぁ~」
紫乃の立場上、中等部の頃から生徒会長を務めている。だから校則にも人一倍厳しく、上級生を相手にも臆さず面と向かって注意しに行く。
たとえそれが身内、妹の莉乃であろうと関係ない。
学年が同じとはいえ、クラスは特進と普通科で違う。フロアが同じというのもあって、偶然のタイミングで鉢合わせでもすれば容赦なく注意してくる。
しかも、正そうとするまで一歩も動かない徹底ぶり。
むしろ身内だからこそ、紫乃は莉乃に対して余計に厳しく接している節もある。
そして今朝、莉乃は寝坊をしてしまった。
今から出れば学校には間に合うが、生活リズムの乱れは気が緩んでいるから。いくら春休みだったとはいえ、規則正しい生活で過ごしていれば寝坊なんてしない。
そう問い詰めるような、細められた紫乃の目じり。
一切の言い訳すら通じそうにない様子に、莉乃は反省するしかなかった。
「それにしてもしー姉さんの朝ご飯か……ちょっと楽しみかも」
普段からあまりキッチンに立たない紫乃が、いったい何を作ったのか興味がある。
むしろ、またとない絶好の機会。
寝坊したことを内心で反省しつつも、莉乃の足取りは弾むように軽かった。
朝食を作る時間が必要なくなったとはいえ、莉乃は学校の支度には手を抜かない。洗面台の前で鼻歌交じりにご機嫌で、しっかりとスキンケアからメイクまで力を入れていく。
特に目もとの決まり方は、その日の気分すら左右する。
「よしッ、今日も最高!」
鏡に映る自信を前に、ドヤっとした表情で全体を眺める。
「さってとぉ~髪型はどうしよっかなぁ~」
いつもだった自室で髪形をセットするが、ついさっき紫乃が先に家を出たから莉乃だけ。部屋から引っ張ってきたヘアアイロンのコードを弄りつつ、今日の気分に合わせて手を加えていく。
毛先を外ハネにさせて、トップに少しだけボリュームを持たせてヘアスプレーで固める。
「これくらいでいいかな。……って、もうこんな時間!?」
気づけば時間はあっという間に過ぎていき、かなり余裕を持ち過ぎていた。
いくら紫乃から寝坊を見かねて朝食を作ってもらったとて、一切手を付けずには出られない。
一度部屋に戻ってから制服の袖を通し、リビングのテーブルに置かれた朝食を前にした。
「おお、キレイなまん丸だ」
用意されていたのはカリカリに焼かれたベーコンに、しっかりと中央に黄身があり白身との比率に偏りのない目玉焼き。昨日余った夕飯のポテトサラダとヘタを取ったミニトマトが、お皿の片隅に添えられていた。
「となると、パンかな?」
ただこれには、主食に当たる物がない。
莉乃はキッチンの方へと移動すると、封の切られた食パンが目に留まった。しかもコンロには、何故か小鍋がセットされている。
「……これも、しー姉さんが作ったのかな」
五百瀬家の台所を預かる身として、大まかにだが食材や調味料の在庫は把握している。
だから余計、不思議でしょうがなかった。
蓋を開けた小鍋には、黄色がかった液体にコーンが浮いている。
いかにもコーンスープなのだろうが、ここ最近で買った記憶が無い。なにより粉末状のものであれば、ケトルでお湯を沸かして注ぐだけ。
わざわざ洗い物を増やす必要性もない。
そう、莉乃なら済ませてしまう。
けど今日は、紫乃が作ったのだ。
「もぉ、しー姉さんってば可愛んだから」
慣れていないというのもあるが、そこまでも紫乃の性格を如実に物語っていた。
勉強はできるが、料理のこととなると書かれていた手順通りにこなす。なんとも真面目な性格の姉らしさに、莉乃の頬は自然と緩んでしまう。
こうした一面を、同じ学校に通う生徒は誰一人として知ることのない。家族で姉妹である莉乃だけの知り得る特権。
なんていう優越感もありつつ、改めて再認識させられる。
「ダメだ、しー姉さんのことが好きすぎる」
いつからか莉乃は、家族であり姉の紫乃に好意を抱くようになっていた。
物心つく前どころか、同じ母親のお腹から産まれてきた。深夜の出産もあって莉乃が産まれたのは紫乃の数時間後、日付が変わってしまっていたのだ。だから同い年だけど、誤差ではありつつ誕生日が違う。
その辺は莉乃と紫乃はこだわっていないのだが、母親が事あるごとに想いで話にするから無視できない。
気づけばいつも紫乃といて、これからも変わらないものだと感じていた。
それもいつしかただの姉に対する感情なのかと疑問を抱き、周りで似た境遇の生徒を探しては訪ねてきた。
だがそこには、莉乃が求める回答を持つ生徒はいなかったのだ。
年の差や性別の違いはあれ、家族に対する気持ちはそれぞれ。それが恋愛的な意味合いとなると、皆が口をそろえて違うという。むしろ鼻で笑うかのようにあり得ないといった態度をとるので、莉乃からすれば共感できないこと。
逆にどうしてなのかと訊ねるのすら億劫とさせ、今までひた隠しにしてきている。
たとえそれが、普段から仲の良い相手に対しても。ましては母親や姉になんかは明かせない。
もし知られでもしたら、どんな態度をとられるか。
考えただけでも身が竦み、一緒にいることすら辛くなる。
だから莉乃は、あえて紫乃を避けるような行動をしてきた。溢れ出る姉への想いを抑えるため、極力一緒の空間で過ごさない。
辛うじて中学に上がる頃には部屋が別々になったことが功を奏し、今に至る。
「ねぇねぇしー姉さん。どんな気持ちであたしにご飯作ってくれたの。あたしはね、いつもしー姉さんのことを想って頑張ってるんだよ」
どこか陶酔しきった莉乃の独り言と、嬉しさのあまり抑えきれない笑い声がキッチンを埋め尽くしていく。
「って、学校に遅れる!」
壁にかけられた時計を見やると、身支度を整えることに時間を要しすぎた。
普段の莉乃であればそれすらも加味して早起きなのだが、寝坊した生活サイクルに感覚が狂ってしまったようだ。
それでもキッチンは莉乃の場。
封の切られた食パンをトースターに放り込み、小鍋のコーンスープを弱火で温める。
特にこれといった用意もないから、この待ち時間が惜しかった。
トーストの時間は短く、表面にしっかりとしたきつね色をつけない焼き具合。コーンスープだって熱々に沸かさず、一気に飲み干しても火傷しない程度にとどめておく。
「いただきます」
辛うじてコーンスープをお椀に注ぎ、行儀悪くキッチンで両手を合わせる。
せっかく紫乃が作った朝食をゆっくりと味わう暇もなく、莉乃の慌ただしい一日が始まった。
家を出た頃には八時を過ぎるかで、莉乃は小走り気味に学校へと向かう。
親友二人からのトークアプリ通知での催促は止むことはなく、半ば悪びれた行為にしか受け取れない。
それすらもちょっとした莉乃達にとってコミュニケーションの一部分。
「ごめん杏莉、未華。寝坊した!」
五百瀬家から最寄り駅までは徒歩十数分。そこから学校まで数駅揺られ、抜けた改札口に立つ女生徒が二人いた。
「どした、莉乃にしては珍しいじゃん」
莉乃とは同い年ながらも、女性として背の高い部類に当たる城果杏莉。セミロングに伸ばした茶色い髪色に、スラっとした両脚は程よく引き締まっている。春先という寒さを感じないのかブレザーの前ボタンは閉じず、首もとに結んだネクタイは緩く、ワイシャツも第二ボタンまで開放的。パッチリとした二重の瞼奥、そこから覗く新緑色の双眸は春先の植物が宿す生命力に溢れていた。
人混みの中でもハキハキとした声音はよく通り、快活としたスポーツ女子。
付き合いとしては通う、中高一貫校である逢籃学院の中等部から。
高い部分で掲げられた杏莉の右手に、莉乃は軽く飛び跳ねるように左手をタッチさせた。
「もぉ~杏莉は心配しすぎだってば」
その隣、黒髪のベリーショートに垂れた目じりの黒い双眸。藤宮未華は、莉乃と杏莉の挨拶をただ眺めていた。
それはどこか、可愛い自分をそっちのけた事への不満を無言で訴えているよう。
杏莉とは対照的で、莉乃と同じ背丈の女生徒。首もとに大きなリボンを結ぶが、学院の規定とは異なる。ブレザー制服の袖や裾から覗く薄ピンク色のカーディガンに指先だけを覗かせ、ジトとした視線で莉乃を睨む。
「それはごめんって、未華。怒んないで」
「怒ってないよ」
近づいて未華の両手を握ると、強く拒む様子はない。
「二人ともその辺にしてさ、ガッコーいかないと」
音頭をとる杏莉に、莉乃は学院駅前の時計塔に視線を向けた。
登校日初日とはいえ、高等部の二年生。一年生のように入学式があるわけもなく、今日から変わらず新学期が始めるだけ。
「ああ、そうだった!」
「え~未華走りたくないよぉ~」
気づけば八時は過ぎていて、ゆっくり歩いていると間に合わない。
先を行こうとする杏莉の腰に未華はしがみつくも、無理にでも引き摺る形で莉乃達は学校へと向かう。
「そんで、あの莉乃が寝坊なんて何があったの」
「あのって何よ……」
「……自覚ない?」
含みのある杏莉に問うも、未華も少し驚いたように眉根を寄せた。
そんな二人に、莉乃は戸惑いの色を隠せない。
(えっ、え? 何々、私って普段からどう思われてるの)
付き合いとしては中等部からの杏莉は長いが、まさかの高等部一年唐戸と短い未華にまで思われている状況。
寝落ちするまで通話していた仲の親友関係に、少しだけ亀裂が入った気がした。
「その反応、そっか……」
「結構重症的な?」
「何なのさ、二人とも!?」
声を荒げてしまう莉乃だったが、どちらかが答えようとしない。
ただ急いでいた歩みが遅くなっていき、杏莉の視線は校門前を注視する。倣うように未華も視線を向け、短く呻くように表情を歪めた。
「あっちゃ~やっぱかぁ~」
「はぁ~ホント真面目だよねぇ~」
そんな杏莉と未華の反応に、莉乃も同意見だった。
(確かに普段から早いと思っていたけど、今日だったか)
学期の変わり目という固有的なものではなく、逢籃学院にとって不定期に行われる制服点検。
在籍する生徒の内、生徒会と風紀委員に所属する十数名で行われている。
とはいえ、生徒自身も服装を着崩すことはなく規則正しい。
一部、莉乃達のような生徒を省いては……。
だからほとんどは挨拶をするだけでの無関係なイベントだが、該当する生徒からすれば一難関。形だけでも正したところで、目をつけられた生徒は学院内でも指導の対象として目をつけられてしまう。
もちろん莉乃は、常日頃から規則正しく制服を着ていない。
ブレザーの前ボタンは閉めず、スカート丈も膝上で激しい動きをするには不向き。第一に髪色が校則違反。休みに入ったから明るくしたが、前日までに美容院で染め直しておくのを忘れていた。
そして、莉乃にとって見慣れた生徒が一人いる。
「五百瀬会長、おはようございます!」
「ええ、おはよう」
「五百瀬先輩、おはようございます!」
「そこの生徒、ネクタイが曲がってるわよ」
「五百瀬さん、おはよう」
「おはようございます、先輩」
耳馴染んだ、産まれてから授けられた莉乃の苗字。
凛とした佇まいで、目の前を通り過ぎていく生徒達をつぶさに眺めている。中にはわざわざ挨拶に行く同級生を始めとした下級生、軽い調子で手を振る上級生も見受けられた。
それだけ紫乃の存在、生徒会長として以外の知名度がある。
他にも成績が優秀で、二学年の特進と普通科コースを合わせた内の首席。運動神経も現役で所属する部員にも引けをとらないほどだ。
生憎と生徒会業務が忙しくて部活には所属していないが、事あるごとに部への勧誘をされている。
その妹として、莉乃がいるのだ。
成績は常に赤点ギリギリで、激しい運動どころか汗をかきたくない。
校門前はほぼ目と鼻の先だったが、気づけば物陰に隠れてしまっていた三人組。どうにかこうにか制服点検を免れられないかと様子を窺っているも、不審気な視線を向ける生徒はおらず、急ぎ足で校舎の方へと駆けていく。
中には莉乃達と似た服装の生徒もいるが、全く動じるどころか嫌そうな顔を一つせずに脚を止めて制服を正す。
むしろ、それが目的かのような素振りもあった。
ただただ時間が過ぎていく中、校舎の方から一人の女性教師が紫乃に声をかけていく。
「お、これはチャンスか?」
「どぉ~だろぉ~」
声音を弾ませる杏莉に対して、未華はどこか悲観気。
(しー姉さんのことだから無理だよなぁ~)
そんな莉乃も、未華に同意見だった。
遠くからでは紫乃と女性教師の会話は聞き取れなかったが、一礼して見送る姿が物語っていた。周りの生徒達も一切動く様子もなく、制服点検は継続されるようだ。
「ん、諦めよ」
「さんせぇ~」
「諦め早っ!」
あまりにも潔い親友二人に、莉乃は声を荒げるしかできなかった。
朝という時間にもかかわらず、その後ろ姿はどこか哀愁が滲み出ている。
ここで莉乃も諦められれば良かったのだが、なにぶん校門前には紫乃がいるのだ。
(絶対に声かけてくる。それは嬉しいんだけど、直視なんてできないよぉ~)
中等部からの過去を振り返っても、莉乃が制服点検で引っかからなかった事がない。その相手が全て姉である紫乃という、偶然が重なるどころか必然、もしくは作為すら感じられるほどに注意をされている。
免れられない運命を目の前に、時間だけがただただと過ぎていく。
すると鞄の中から校門を潜り抜けた杏莉か、未華からの通知が何度も届き、まるで急かすように五月蠅く鳴り続ける。
「ふぅ、仕方ない」
莉乃は大きく息を吸い、覚悟を決めたように校門前を見据える。
これ以上は遅刻してしまう。
例え莉乃の成績が悪かろうと、制服の着こなしで指導を受けたとて、見た目の印象だって校則を破っている。
だけど、莉乃なりに譲れないことがあった。
「ちょっといいかしら」
「……うっ」
朝のHRを知らせる予鈴五分前、周りは駆け込むように急ぐ生徒が増えていく。時間がギリギリというのもあって服装が乱れがちな生徒が見受けられる中、莉乃を狙い定めたように紫乃が声をかけてきた。
つい今しがた声をかけた生徒を他の委員に任せ、紫乃が近づいてくる。
(ああ、ダメだ……。今日もカッコいいね、しー姉さん!!)
スッと細められた紫乃の目もとが、莉乃の頭からつま先までを往復する。それを手もとのクリップボードに挟んでいると思しきチェックリストに記載し、嘆息気に肩を落とす。
「美容院予約してあるから、今日の放課後にでも行きなさい」
「へ?」
「あとリボン、少しはちゃんと結びなさい」
「ええ!?」
無言で手渡してくるクリップボードを受け取り、紫乃の行動に目を白黒させた。
覗かせていた莉乃の鎖骨を隠すように、紫乃はワイシャツのボタン二つを留め、慣れた手つきでリボンを結んでくれる。それからブレザーの前もしっかりとボタンで留められ、スカートの丈も直されていく。
「これでいいわ。……教室に遅れないようにね」
最後に綺麗な折り目が着いた襟もとを正し、紫乃は踵を返すように莉乃の元を離れていった。
(……え、今のは……夢?)
真っ白になる頭の中、莉乃は呆然とその場に立ち尽くす。
「おい、莉乃。大丈夫か?」
「……今日の莉乃って変だよねぇ~」
いつもであればすぐにでも制服を着崩すところだが、今日の莉乃は違った。
正確には紫乃の行動で、今までになかったのだ。
自身の正された制服を見下ろし、結ばれたリボンに触れる。
「……私今日、この恰好ですごそっかな」
改めてしっかりと制服に袖を通してみて、莉乃は不思議な感覚に身を包まれる。
「良かったな、今日が新学期で体育の授業がなくて」
「むしろぉ~これを狙ってたんじゃないのぉ~」
結局莉乃達は、朝のHRを知らせる予鈴が鳴るまで校門前に留まってしまった。ギリギリのところで教室へと駆け込み、どうにか紫乃の言いつけを守ることができた。