異伝:カインとアベル
「兄さん、そんなに土を覗き込まなくてもいいんですよ」
アベルの声がした。
俺はその声に、瞬間イラッとする。
「うるさいな、こうしなければ作業はできないだろう」
「だから、土なんて耕さなくていいんですってば」
不思議そうな顔をするアベル。
奴はいい。
羊を飼い、草をもとめて移動するだけだ。
草をもとめて気ままに移動する。
お前には分かりはしない。
土を耕し、作物を芽吹かせ、育て、収穫するまでの労苦を。
その労苦をわかりもしない人間が、わかりきった顔で俺に忠告する。
そんな弟に、いつもイラッとする。
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兄さんは、今日も土を耕し作物を育てている。
なぜそんなことをするのだろう?
なぜ足元をじっとみて、地面にはいつくばり、大変な作業をわざわざ選んでしているのだろう。
ここには羊もいる。
羊たちの食べる草もはえている。
空気をよみ、天候をよんで、良い草が生えているところにいけばいいだけなのに。
なぜ、あんな労苦を背負うのだろう?
なぜ、わざわざしなくてもいいことをするのだろう?
神は、世界は、すべてを用意してくださる。
その恵みを、ただただ受け取って、この世界に感謝することだ。
人間の知恵や頭だけでできることは限られている。
顔を下げ、目線をしたにむけて、天を仰がず、ずっと土を見つめている。
そうすると、視野が狭くなる。
自分の努力が、労苦が、なぜ実らないのか。
その気持ちの沈み、怒りがにじみ、自分の世界から感謝も喜びも消えてなくなる。
兄さんは、なぜいつもあんなにイライラしているのだろう?
いや、わかっている。
本当はわかっている。
僕が兄さんを怒らせているということを。
でも、兄さんには気づいてほしいのだ。
もっともっと、この世界は、実は気楽に生きられるということを。
「楽園から追い出された」
ということで、失意に沈まなくてもいい。
別に、あそこだけが楽園ではない。
ここも、今生きているこの世界も、楽園なのだ。