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 翌朝は早く目が覚めてしまった。ギャビーが目覚めた気配を察したかのように、若い女中が顔を洗うための水を持ってきた。

 雨は一時のものだったようで、空には数えることでできるくらいの雲しかない。

 ゆっくり時間をかけて身支度を整えて部屋を出ようとすると、逆に外から扉を叩かれたのだった。扉を開ければそこにいたのはランディだった。


「おはよう、ギャビー」

 彼の横にモルがいないことを素早く確認して、ギャビーは少しだけ笑顔に似たものを作った。

「おはよう、ランディ」

「昨日は挨拶もそこそこで申し訳なかった。父はオスカーとイライザと一緒に朝食を取っているよ。君は僕といっしょはどうだろう」

「歓迎だわ。でもモルはよろしいの?」

「彼女も自分の御父上と一緒だ」


 ランディはギャビーの部屋に入って来るとそのまま通り抜け、ベランダに出た。ベランダには滑らかな明るく茶色のラタンでできたテーブルと椅子が置いている。ランディが眺めの良いそこに座ると、今度は食事を運んできた女中たちが入ってきた。


「ギャビー」

 扉の前で入って来る女中たちを見ていたが、ギャビーは呼ばれて慌ててベランダに向かった。

 食事のセッティングが済むまで二人は無言で海を眺めていた。高台からの海は遠くまで見通せる。空からの柔らかい光を受け止めた海はやがて水平線と空の境界すら曖昧なまま波の音を繰り返している。


 女中たちが去るとランディは茶の入った薄地のティーカップを手にした。蒼で繊細な花模様が描かれたそれは金で装飾もされており華やかだ。それを普段、頓着せずに使えるということで公爵家の資産をふと思い知る。


 ミアは何度も来ていたがギャビーは今まで一度も招かれたことがなかったのだ。

 父と母は、シナバーだからと言って切り捨て婚約者の妹をないがしろにする公爵家のありかたに、陰で二言三言文句は言ったが別にそのやり方を公爵に向かって非難したわけではない。娘が良いところに嫁げるのならばもう一人の娘の扱いには目をつぶるつもりだったのだろう。

 それは今に始まったことではなかったかもしれないとギャビーは思い返す。


 ギャビーがシナバーになってからずっと、そういった余所余所しさは家の中に満ちていた。両親を責めるのも違うかもしれないと思う。そもそもルヴァリスはシナバーへの偏見が強い、その中で生きてきた両親は逃れることのない思いに捕らわれている。

 本当に。

 もし大アルビオン連合王国のすべてでシナバーが差別されていれば納得できたのかもしれない。でも首都などではここほど厳しくないと聞く。

 そういう場所ならきっと親は。


「砂糖は?」

 ランディに問われギャビーは我に返った。

「一匙」

 ランディはギャビーのティーカップに砂糖を一匙入れてくれた。

「……僕を責めるかい」

 突然の告白だった。

 その言葉にランディがギャビーに対して後ろめたさを感じていることが分かる。


「わたしには責める権利はないから」

 ギャビーは慎重に言葉を選んだ。

「わたしはミアと違ってあなたの婚約者ではない」

「でも婚約者の姉だ。ミアとはとても仲が良かった」

「そうね。でもミアが元気で見つかると信じていつまでも待っていて、なんてことはどれほど非現実的な事かも知っているつもり」

 非現実的なのは、ミアの生存だろうか。あるいはランディが待つための誠意だろうか。


「君はまだミアを探して?」

 その言葉でランディがもうミアを探すことをやめてしまったと察することができた。

「ええ。でも見つからないわ。もうこのまま絶対……遺体すら見つからないのではないかって思うことがある」

 言いかけた言葉を止めた。

「今の言葉は忘れて。自分でも信じたくないことを口にするのは縁起が悪かったわ」

「忘れるよ」

 ランディは微笑んだ。綺麗に整えられた栗色の髪が一房額に落ちていた。兄のオスカーはどこか人を遠ざけるような静けさがあるが、ランディは笑顔一つで人の警戒心を解くことができる。


 ギャビーは息が詰まるような話を変えることにした。

「モルとはどんなきっかけで?」

「ミアがいなくなって、僕もうまくその事実を受け止められなかった。ここにいるとミアのことばかり思い出してしまうんだ。だから首都で少し気分を変えようと思って」


 ランディを責めることはできない。

 それをもう何度もギャビーの中で繰り返されている言葉だ。でも心のどこかではもう少しミアの失踪と向き合ってくれてもいいのではと思う。もちろん彼は私財を使ってミアを探す努力をしてくれたのだが、彼はすぐにここからいなくなってしまった。

 両親が行なったミアの葬儀にも少し顔を出しただけだった。


「それで、ちょっとしたパーティで出会ったんだ。本当に驚いた。今まで世界で一番ミアを美しいと思っていて、もうそれは比類なきものだったんだ。だからモルの美しさは衝撃だった」

 それはわからなくもない。

 ミアとは全く別の方向でモルは途方もなく美しい。ミアは内面の明るさと優しさが表面にあふれてしまっての美しさだ。モルは内面などまったくわからなくてもその神秘的な美しさは揺らがない。

 ミアと同じ顔をしているギャビーだが、どちらも彼女自身には得難いものであった。


「モルの父親は新大陸で、金の採掘事業を行っているんだ。もしかして資金援助を依頼されるかなと思ったけど、どうやら順調らしくて父親のフィリップからも金の話をされたことは一度もない。ずっと二人は新大陸にいたけど今回里帰りをしたそうだ」

「里帰り」

「モルの亡くなった母親は、エーメリー子爵家の出だったそうだ」

 さすがに貴族のことはよくわからずギャビーが分からない顔をしているとランディは重ねて説明した。


「エーメリー家は時流を見誤った気の毒な家だよ。五十年前くらいに新大陸の事業に投資したけどそれが詐欺でね、随分な負債を負ったんだ。次期当主予定だった息子が負債をなんとかするために新大陸に向かったんだけどそのまま行方知れずになってしまった。ご両親はそれがショックだったのかすぐに亡くなってしまって、資産もないから後継者もなく、事実上なくなってしまった家だ」


「もしかして、その新大陸にむかった息子さんが生きていらしたの?」

「向こうで妻を娶って子供も設けたらしい。それが娘で、モルの母親となった」

「モルのお母さまは?」


「五年前に亡くなられたそうだ。いつかは自分の一族の故郷を見たいと言っていたそうだが。それを果たすことができずにフィリップは悔やんでいた。仕事が忙しくて妻の願いを聞いてやれなかったとね。それで今回娘を連れてきたそうだ。エーメリーの元々の領地はユリゼラ地方に近い。もう屋敷も廃墟になってしまっていたが、先祖の墓参は済ませたと言っていた」


「モルの美しい言葉はお爺様とお母様譲りなのね」

 ギャビーは自分達にはとても使いこなすことのできない上流階級独特のイントネーションを思う。ランディは庶民を侮蔑せず奢ることもないが、自らのものとしてそれをつかいこないしてる。その響きはミアも持っていなかった。ランディはモルの言葉の響きに恋をしたのだろうか?


「二世代にわたる間に良く失われなかったと感心するよ」

「教育が良かったのね」

 モルの控え目な微笑みを思い出す。

「それで、新大陸に帰る前に首都によって、あなたに出会ったの?」


「最初は恋心なんてなかったんだ。僕はミアを失ったばかりだし、彼女はまだ十九歳だ。右も左もわからない。でももうこれで新大陸に戻ったら、もう二度とこの国に来ることはないだろうとフィリップが言ってね。少し可哀そうになったんだ。自分の一族の故郷に来ることができないなんて。だからもう少し長居したらどうかなと思ってここに誘った」


 それが本当かどうかはわからない。

 モルはどういうつもりか知らないが、ランディは最初から彼女に好意を抱いていたのではないかと。あの美しさだ。一瞬で誰かの心を打ち落とすなど容易いだろう。


「モルとキンケイド氏は楽しんでいる?」

「ああ」

 ランディは手元のパンをちぎってバターを塗った。

「季節もいいから」

 季節、という言葉にギャビーは少し表情を曇らせた。

 半年前が嘘のような快晴続きだ。

 もし今、この城に招かれたのならあんな事故は起きなかっただろう。いや、季節の問題ではない。

 ただ、あの日向かうことをやめればよかっただけなのだ。

 考えても取り返しのつかないことを思う。


「……すまない。あの日のことを思い出したね」

 ランディはティーカップをもったまま止まってしまったギャビーに声をかけた。

「いいえ、大丈夫」

「そういえば、君はミアの婚約指輪を見たかい?」

 ランディの言葉にあの日の……まだ生きているミアの快活な笑顔を思い出す。幸せそうに笑う彼女の指にはまっていた大きなサファイアの指輪を。


「見たわ。とても嬉しそうだった」

 ランディは頷く。

「……それも失われてしまった」

 その言葉に何か引っかかりを感じる。妙に探るような響きがあったと。


「でも」

 ランディは話をそらすように小さくため息をついた。

「どうしてミアはあんな日に、ここに向かったんだろう」

「……え?」

「僕は前日に町でミアに会っていた。明日は楽しみにしているけど、もし天気が悪ければこなくてもいいよと言ってあったんだ」

 それはギャビーには初耳だった。


「前日から嵐の予感はしていたからね。さすがに父だって、あんな嵐の日に来ないことで怒ったりはしないさ。次にあったら嫌味の一つを言うくらいはあってもさ。頭がガチガチの爺さんだけど、道理はわかる。」

 ……行かなくてよい選択肢があった。


 ギャビーは息苦しさを感じながら紅茶を飲んだ。

 ミアだって馬鹿ではない。あんな日にあんな場所を馬車で向かう危険はわかっていたはずだ。それはどうしても行かなければいけない都合があったのだと思っていた。それは察するに義父になるローレンスへの遠慮かランディへの気遣いかと思っていた。

 でもランディはそれを否定している。


 何かがおかしい。

 事故から半年を経て、ギャビーはその疑問に突き当たっていた。


 ランディは、気にしなくていいと言ったけど、ミアにとってプレッシャーは大きく、どうしても行かない選択肢はなかったのかもしれない。それはありそうだと思う。

 でも。

 ランディが、今、嘘を言っていないという証拠はないのだ。

 心の隅に不安感にも似た疑念が沸き上がってきた。


 ランディだけではない、ローレンスだって、オスカーだって、……もしかしたらギャビーはまだ会えていないローレンスの妻イライザにだってなにかしらも思惑があったかもしれないのだ。

まさかとは思うが、当時はランディも存在すら知らなかったモルとフィリップのキンケイド父娘……彼らだって本当にそうだったかなどギャビーには今のところ知る由もない。


 何か、知らない理由がミアを事故に追いやったのならば。


 ギャビーは落ち着いた手でカップをテーブルに戻した。沸き上がった疑念が強くなってくる。

 どこかにわたしからミアを奪った理不尽な理由があるのなら、それは突き止めずにはいられない。


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