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 半年という月日が流れるのは一瞬だった。


 ギャビーは、あの日と同じ道を馬車で進んでいる。

 けれど今日はあの日と違い、空はうららかに晴れ、開けた窓からは爽やかな風と小鳥の鳴き声、そしてリズミカルな車輪の音しか入ってこない。

 半年でギャビーは誕生日を迎えた。今までずっと歩みを同じくしていたミアもそのはずだったのに。

 ギャビーは横の座席を見る。


 ミアはいない。

 そんなこと、ここ半年で嫌というほど確認したのに、また今もしてしまった。


 なんだか動悸がおきそうな気がしてギャビーは目を伏せた。

 まただ、また罪悪感が。ずっとあった劣等感と一緒に自分を責めてくる。


 あの日、馬車は崖の途中のあちこちにぶつかりながら海に落ちた。ギャビーは大怪我をした状態で海に浮かんでいるのを見つけられたのだという。たまたま治療にあたってくれたのが、二人が向かっていたメリベル屋敷のお抱え医師だったというのが幸いした。

 翌日の明け方、御者は崖の途中にひっかかっていたところを発見され、怪我が軽かったため、馬車の事故について話すことができ、事故が発覚した。馬の死体は三日後に発見されたという。

 御者の話からミアとギャビーの捜索隊が出て、ギャビーは二日後に医師が治療にあたっているという情報と結びつけることができたのだった。


 そしてミアは。

 ギャビーは窓から見える眼下の海原をずっと見つめている。もしかしたらミアの手掛かりが浮いているかもしれないという希望から目を離すことができない。

 ミアはまだ何一つ、見つかっていないのだ。


 ……わたしが死ねばよかった。

 あまりにも直接的だがギャビーはそれを確信にも近い強固さで抱いている。

 ギャビーがそう思うに至るほどの劣等感、そして本当なら命を落としてもおかしくないほどの大怪我からの生還。


 どちらも同じ理由だ。

 ギャビーはシナバーである。


 大アルビオン連合王国。ここで過去吸血鬼と呼ばれ、迫害と闘争の過去があった存在は、特発性銀朱球増殖飢餓症候群…………通称シナバーと呼ばれる疾患として認知され、ある程度受け入れられている。

 シナバーは、魑魅魍魎のたぐいでもなく種族が違うというわけでもなく、もちろん呪いだなんてこともなく、ただ純粋に疾患である。おそらく数千人に一人の割合で発病している。そこに遺伝的要因は無く、今のところ他人への感染も認められない。残念ながら治ることは無い。


 かつてシナバー患者によって死亡させられた人間達は、別に彼らに血を吸われことで死んだのではなく、その際の限界以上の失血や傷口からの不運な感染によって死亡したと今では結論付けられている。またシナバーが吸血する時の噛み傷は不思議とすぐに塞がるのだ。

彼らに血を吸われてもその人間がシナバーになるわけではない。一方で今まで一度もシナバー患者の出ていない一族の間にもふいにその患者がでることも調査済みである。発病に至る経緯は今なお不明ではあった。


 現状で人々は、別にむやみやたらと恐れるべきものではないという認識には至っていた。

 とはいえ、それは別に自然に人々の間に発生した寛容の精神ではない。


 三百年前、この大陸の三分の一を占めるアルビオン地方の覇権を巡って小国家がいくつも争っていた。長きに渡って続いた血生臭い戦争を終わらせた征服王がシナバー患者であった。

 彼は周囲のシナバー患者を率いて、四つの国を大アルビオン連合王国として平定し、その際にシナバー患者への理解と共存を民に啓蒙したのだった。


 続く戦乱にうんざりしていた庶民にとって、征服王と彼が率いるシナバー患者達は英雄である。むやみやたらと襲われさえしなければ受け入れることはやぶさかではないという素地はでき始めていた。征服王は犯罪者の血を配給することによって一般人への被害を極小とした。それは今も保存血の配給という形で制度を存続している。


 そして征服王の聡明であった点は、別にシナバー患者による立国を目指したわけではないという点だ。等しく人として平和に生きる権利を求め、そして与えただけにすぎない。シナバー患者が一般人を支配する王国であれば十年と持たなかったであろう。王国は現在は王制から議会制へと変容したが、シナバー患者への寛容は今も息づいている。彼らがいなければ大アルビオン連合王国は誕生しなかったという意識があるからであろう。


 大アルビオン連合王国誕生の礎、シナバー。

 シナバー患者は一般人と見た目は変わらない。発病しても以前の容姿を保ち、別に不老不死でもない。昼も平気で出歩ける。昼間のピクニックや海水浴が好きな者もいる。にんにくやら鏡やら神の印に弱いわけでもない。銀の弾丸は致命傷にはならない。吸血した相手を支配なんてできない。少しだけ人より夜目が利くが、霧とか蝙蝠に変身できるわけでもない。顔色は悪いかもしれないが、棺桶で眠らなくても健康で、普通の食事も必要だ。

 シナバー患者が一般人と違うのは、定期的に他人の血液がなければ生きていけないことと、尋常では無い運動能力と回復力だけだ。


 それでも現代には当然差別意識は残っている。メリベル公の治めるルヴァリス地方は、最後まで征服王に抵抗したため軋轢も激しく、結果としてシナバーへの嫌悪感が今も強い。

 七歳の時に発症したギャビーについては、親も扱いあぐねた部分がある。配給血を支給されれば家族内からシナバーを出したことがばれ、稼業に差し障るかもしれない。


 おそらく親は内々にギャビーをどこか遠くにやりたかったのだろうが、それを止めたのはミアだった。親の気配を察し、己の血を提供するからギャビーをどこかにやるなと泣きわめいた。ギャビーがどこかに行くのなら自分も行くと言って食事を食べなくなったくらいだ。


 仕方なく親はギャビーを手元に残した。別の地方から秘密裏に配給血を入手し、ギャビーに与えた。それでもそれはとてもわずかで、人血が無ければ生きられないギャビーにとっては体調不良に陥ることもあるが、そんな時にはミアがそっと自分の手首を差し出したのだった。


 愛しているわ。

 ミアの血を吸うときに伝わってくる彼女の拍動は、肉親という領域を超越した愛情だった。ルヴァリス地方の教会はシナバーに対して非寛容で、公的にこそ国家に従って排除していないが、実情としては教会にシナバーは入れない。神を失ったギャビーにとってミアが神だった。


 どれほど内密であろうとも、人の口に戸は立てられず、ギャビーがシナバーであるという噂は水面下で広がっている。だからこそ、結婚に際し、ミアも義父ローレンスに対して正直に姉のことを話さざるを得なかったのだ。

 ただ、『シナバーは恥じ入るものだとヴェスパー家もわかっている、運のないことだ』と判断され、稼業に大きな影響はなかった。


 親との関係はぎこちない。

 特にミアを失ってしまった今、親がギャビーを見る目は暗かった。その目が何を語っているのかわからないほどギャビーも愚鈍ではない。

『死んだのがギャビーであれば、厄介払いができ、ミアは公爵家の花嫁になれた』

 親に言われなくても、ギャビー自身が誰より強くそう思っている。


 シナバーであってもギャビーの怪我は重く、彼女が立ち上がれるには四日を要した。それから必死であの崖の下でミアを探したが、一週間たてばギャビー以外の捜索隊はもはや生存について諦めの気配だった。

 一か月後には親も遺体のないままミアの葬儀を出した。

 それでもギャビーは諦められず、今も浜辺でミアのなにかを探している。家にいるのが辛いのもあるかもしれない。


 母はあからさまにギャビーを無視するようになった。悪意を見せつけるための無視ではなく、ただ本当に辛いからギャビーだけが残っているという事実を見たくないのだろう。


 それでもわたしだってあなたの娘です。


 そう言いたくなる瞬間もあるが、もともとシナバーに罹患してから自己主張をすることが苦手になっている。そんなものになってしまった自分が悪いのだとどこかで後ろめたいからだ。そうなる前はギャビーとミアをわけへだてなく慈しんでくれた親の変容は辛かったが、世界がシナバーを認めていないのだから当たり前だと受け入れるしかなかった。

 ミアの死によって罪悪感は楔となってギャビーに打ち込まれてしまった。


 父親は突然縁談話を持ってくるようになった。

『よく考えたらお前ももう行き遅れと言っていい。どこかに嫁ぐべきだ』と言う。ミアが射止めたのはメリベル家というとんでもない名家の息子だったため、親も異論はなかったが、ギャビーにはミアのような快活さがなく、親が納得するような誰かを選んだり選んでもらえる気がしなかった。

 だから縁談話自体は仕方ないと思う。


 しかし父親が選んでくるのは首を傾げてしまうような話ばかりだった。みな裕福ではあり、ヴェスパー家の財力を強固にするには役立ちそうだが、五十代だったり、何度も離婚を繰り返していたり、五人の子供がいて寡夫となったものだったり、どう考えても普通の父親なら忌避しそうな条件の相手が多かった。


 たぶん、父親はギャビーを罰したいのだなとうっすら気が付くのに時間はかからなかった。

 もう父親にとって自分は娘ではないのだ。大事な娘を守れなかった相手(シナバーの癖に!)……いや、殺した相手なのだろう。

 それでも仕方ないのだと考える。

 どうせ司祭曰く『穢れた血のシナバー』だ。

 そんなある日、ランディ・メリベルから連絡があったのだった。


「大事な相手を亡くした者同士、語りたい」と。


 夏の間、海岸沿いにあるメリベル屋敷に来ないかとの誘いだった。

 そしてギャビーは屋敷に向かうことにしたのだった。

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