タッグマッチですが、そのフィニッシュホールドは、何かおかしいです
王国建国祭――春に開催される、この国最大のお祭り行事だ。各地から、貴族達が自分達の領地の名産品をひっさげて集い、商業的にも大きな価値のある一日である。よって、毎年大きなイベントが催されるのだが。
「まさか、お逃げにならずに、この日を迎えることになるとは、想定しておりませんでしたわ」
目の前で、腰に手を当て、堂々たる姿勢で立つのは悪役令嬢ロージア。
「あの……本当に、私たちと戦うのでよいのでしょうか? シュートであると宣言した以上、私たちは貴族の名誉にかけて、手加減することはできません」
心底心配そうな表情でぼくを見るのは、ヒロインであるマリア。
本来のシナリオであれば、あの日、婚約破棄を突きつけられた悪役令嬢ロージアは、ヒロインのマリアに一騎打ちを挑んでいた。そして、今ぼくが立っているこのリングは、彼女たちの決戦の場となっているはずだった。
そのリングで、今、ぼくは彼女たちと対峙している。周辺を埋め尽くす貴族達、国民達――王族と貴族がガチンコで対戦する。この異例の事態に、そのテンションはまさに最高潮だ。
「ご心配ありがとう。しかし、君たちは大きな勘違いをしている」
「勘違いですって?」
ぼくの言葉に、ロージアは不快そうに片眉をつり上げた。ぼくは、可能な限り、尊大で傲慢な態度をとろうとする。
ここからが、ぼくの、ノブリスオブリージュだ。
「私は逃げたわけではない。ただ、この全国民が注目する、この瞬間、この場所が欲しかったんだ」
「どういう意味ですの?」
ロージア嬢は不審そうにぼくを睨みつける。いい感じだ。さすがは悪役の中の悪役令嬢。
「いい加減、うんざりしていたんだ。貴様ら愚民どものシナリオに踊らされることにな。そして、これはちょうどいい機会だ。貴様らが、所詮、私に支配され搾取されるだけの存在であるということを、存分に思い知らせてやろう」
くっくっく、と悪役っぽい笑い方を心がけた。同じ悪役でも、ヒャッハー! のテンションはぼくには無理だ。
「ずいぶんなご高説ですわね……。私と、まだ婚約者であった頃は、まるで別人のようですわ」
「ふっ。君と婚約者でいた間は、ただただ苦痛でしかなかったよ。しかし、それもこのときを思えばこそ、耐えられた。そう、この衆目の前で、貴様らを叩き潰すこの瞬間をな!」
「……思い上がりを。私たちを倒す? お言葉ですが、私たちに敵う貴族が、いると思いまして?」
「あぁ、いるさ。いや。これから創り出す」
そして、ぼくは右手の平を開き、来い、という合図をする。そうすると、のそりのそりと、気弱な様子の大男がリングへと入ってくる。
「紹介しよう。ゴンゾ男爵。彼が私のパートナーだ」
その瞬間、周囲の観客が一気にざわついた。無理もない。最強の悪役令嬢とヒロインのタッグ、それに挑むパートナーとして、ただやられ役を務めてきた冴えない体の大きさだけが取り柄の男が登場したのだから。
「……確かに、体躯は立派ではありますが、それだけで、まさか、私たちに勝てるとでも」
いらついたような様子で、ロージアはゴンゾ男爵とぼくを交互に睨みつけた。勝ち目がないとみて、代わりのやられ役を用意してきた、とでも思ったのだろう。
「あ、あの、私なんかでほんとに」
ゴンゾ男爵は、リングに立ったはいいが、おろおろとした様子で落ち着きなく周囲を見回すだけだった。うむ。いい感じだ。
「何を貴様らが勘違いしているのか、わからないな。言ったはずだ。これから創り出す、とな!」
言って、ぼくは懐から注射器を取り出す。中には、緑色の液体が入っている。それを、ゴンゾ男爵の腰に差し、一気に注射器を押す。
「な、何を!」
突然のぼくの行動に、ロージアは戸惑った様子で叫んだ。
「この薬は、私の切り札さ。この薬を注入された人間は、私に忠実な、怪物へと変貌する!」
「な」
「なんということを、殿下!」
ロージアとマリアが同時に叫んだ。しかし、その声は続くうなり声にかき消される。
「う……うぐおぁあー!」
頭を抱え、ゴンゾ男爵が大声で叫んだ。体を大きく揺らし、激しく苦しんでいる。そして――
「ぐぉおおー!」
断末魔のようにゴンゾ男爵は叫ぶと同時に、自らの衣服を破り捨てた。そして、その下に現れた彼の肌は――緑に染まっていた。まるで、怪物のように。
*
先ほどまでの熱狂が嘘のように、会場内はしんと静まりかえっていた。リングの中央に立つ男。全身の肌が緑に染まったその姿は、まさしく怪物であった。
理解できない、という表情で立ち尽くすロージアとマリア。
「な、なんということを」
「そんな……ゴンゾ男爵」
怯えたような表情は、演技ではないだろう。それもそうだ。まさか人間の肌が一瞬で緑色になるとは、誰も思うまい。
「ヒャッハー! うまくいったぜえ」
「科学の力で、生み出してやったぜえ」
「人間には見えねえ、化け物をなぁ!」
ぼくの後ろに現れる三つのトゲ付き肩パッドを着たモヒカン。そう、今回の一件のぼくの心強い協力者だ。
「お、おい、あの三人」
「まさか、あれは、ハート伯爵領の」
観客達がざわつく。そう、この国において、トゲ付き肩パッドにモヒカンは、インテリの証。
「……間違いない。あの三人は、まさしく、三大巨頭と呼ばれる、ハート伯爵領最高の科学者たちだー!」
「なんだってー!」
物理的にも巨頭です。そんな三人の存在が、クスリで人間を化け物に変えたという、ぼくの話の信憑性を増してくれている。狙い通りだ。
「ふっふっふ。わかってもらえたかな? 私は、彼らに便宜を図る代わりに、この素晴らしいクスリを作ってもらったのだよ」
「あぁ。これで最新の測定機器が買えるぜぇ」
「ヒャッハー! 俺は広い実験室だぁ!」
「高い試薬も使い放題だぜぇ!」
ぼくの言葉に同調してくれるモヒカン三大巨頭。しゃべり方はあれだが、内容はインテリである。ぼくはもういい加減、この違和感にも慣れた。
「ふっふっふ。まぁ、そういうことだ。ゴンゾ男爵。貴様からも、こいつら愚民に何かを言ってやれ」
ここでぼくはゴンゾ男爵に話を振る。ここで、彼がものすごく頭の悪そうな発言をすることで、本当に化け物になってしまったことをアピールする算段だ。よろしく!
「ぐ、ぐぐ……今のままではいけないと思います。だからこそ、この国は今のままではいけないと思っている」
その瞬間、先ほどまでうるさかったモヒカン三巨頭も、時が止まったかのように静かになった。確かに、ものすごく頭悪そうだけど、思っていたのと違う。
「お、おい。今の発言、意味がわかったか?」
「意味がわかったわからん以前に、ものすごく頭が悪いような気がするぞ……」
「こんな頭の悪い発言をするなんて……本当に化け物になったってことか」
「心の底から、この国の未来が不安になるぜ……」
なんだかよくわからないけど、結果オーライ! 周辺の観客達へのアピールは成功だ。
「なんだかよくわかりませんが、先手必勝!」
マリアをロープの外へと退避させ、ロージアが真っ直ぐに突っ込んでくる。迷いなく、ゴンゾ男爵の腹に向かって拳をたたき込もうとした瞬間だった。
コンゾ伯爵は右腕を折りたたみ、殴り込まれた拳を真っ直ぐに受け止める。
拳を受け止められたロージアの表情に、明らかにうろたえる様子が見られた。それもそうだろう。最強の矛の異名をとる悪役令嬢。その一撃の破壊力は絶大だ。それこそ百科事典を両手で真ん中から破り捨てるくらいのパワーはある。そんな彼女の一撃を真正面から受け止めた者は、おそらく今までいなかっただろう。
「ふん!」
ゴンゾ男爵は左腕を思い切り振り下ろし、上からたたきつけるようにロージアに一撃を加えた。それをロージアも同じように右腕を折りたたんで防いだが。
「ロージア様!」
マリアが叫んだ。防いだ体勢のまま、ロージアはリングを数十センチメートル横滑りする。ゴンゾ男爵の圧倒的なパワーに、ロージアの表情に明らかに焦りが浮かぶ。
「よし、いけ、ゴンゾ男爵!」
ここぞとばかりにぼくは声を張り上げる。正直、女子を痛めつけるような形に気が進まないわけではないが、ここで中途半端に引いてしまうことは、相手に対する侮辱でしかない。
ぼくの叫びに応えるように、ゴンゾ男爵が真っ直ぐに体当たりで追撃を仕掛ける。しかし、それを狙っていたかのように、闘牛士のような身のこなしでゴンゾ男爵をいなすと、ロージアは彼の脇腹に肘を入れる。
ゴンゾ男爵の体が大きく傾いた。熊と真正面から殴り合ってもびくともしなかった肉体が、大きく体勢を崩す。
チャンスとばかりにロージアが追撃を狙ったが、ゴンゾ男爵は踏みとどまると、全身を大きく回転させ、全体重の乗ったパンチを放った。とっさに腕を十字にして、ロージアはブロックするが、その華奢そうに見せる体は宙に浮いた。
「……すげえ」
観客の声が漏れる。もちろん、ぼくもそう思う。間近で見るこの戦いの迫力は、今まで王族として立ち会ってきた試合のどれよりもすごい。
「ロージア様! タッチです!」
ロージアが吹き飛ばされた先は、幸運なことに彼女たちのコーナーポストだった。マリアは手を伸ばし、ロージアの手に触れる。そして、リングへと降り立つ。
正直、ぼくはマリアという人物に、あまり印象はなかった。そもそも彼女がぼくに関わり始めた、つまり本来あったシナリオの仕込みを始めたときには、ぼくはもう既にそこから外れる決心をしていたからである。形だけ、のらりくらりと、媚びてくるような彼女を適当にあしらっていたのだが。
「やはり、ヒロインというだけはあるな」
思わず呟いてしまった。リングに立つ彼女は、美しいと思う。今まで自分が見ていたものは、なんだったのだろう、と考えるくらいに。
「貴様に代わろうと、同じことだ! やれ、ゴンゾ男爵!」
見とれている場合ではない。ぼくはぼくの仕事をしよう。ゴンゾ男爵に声を掛けると、彼は大きく上半身をのけぞらせ、吠えてみせた。まさしく怪物である。
ゴンゾ男爵はマリアに向かって突進し、全体重をパンチを放つ。あれ? ひょっとして、熊と戦ったときより力が入っていないか?
ぼくが喰らえば、間違いなく上半身が吹っ飛んでいるであろうパンチに対して、マリアは臆することなく向かい合い、その腕を取り、投げた。
「なんと!」
「まじか!」
観客達が叫ぶが、ぼくも同じ気持ちだ。あれを真っ正面から受け止めてさばくなんて。パーフェクトディフェンスなどと謳われていたが、それはあくまで本来のシナリオを盛り上げるための演出だと思っていた。けど、それは間違いで、パーフェクトディフェンスと呼ばれるに相応しいだけの力を彼女は持っていたのだ。
「ナイスですわ!」
そして、投げられたゴンゾ男爵の体をロージアが受け止める。そして、受け止めたゴンゾ男爵の体を、ロージアはパイルドライバーの要領でマットにたたきつける。
「おおー! これまさに唐揚げに対するすだちのような、完璧なコンビネーション!」
観客席にいる、緑の丸いかぶり物をしたオルドネス公爵……じゃなかった、すだち仮面が叫んだ。
すだち仮面ではないが、惚れ惚れするように見事なツープラトンだ。もしも、ぼくがリングに立っていたとしたら、あれをくらっていたのかと思うと、泣きたくなってくる。
「愚民どもめ! その程度の技で、この怪物が倒せたと思うのか!」
しかし、ぼくはぼくの仕事をする。ぼくの叫びに呼応するかのようにゴンゾ男爵は立ち上がると、両腕を広げて回転をしてみせた。その両腕に弾き飛ばされたロージアとマリアがロープにたたきつけられる。
「ぐぉおー!」
戦いはまだまだこれからだ、とばかりにゴンゾ男爵が吠えた。先ほどの技のダメージなどないとばかりに。端から見たら、本当にゴンゾ男爵が怪物になってしまったかのようにしか見えないだろう。
「ヒャッハー! さすがは違法の力だぜえ!」
モヒカンの一人が拳を振り上げて叫ぶ。
違法薬物という言葉に、周囲がざわめく。まぁ、間違ってはない。間違ってはいないんだけど――実際は、ただ、肌の色を緑にしているだけである。
ぼくがモヒカン三大巨頭に頼んだのは、ゴンゾ男爵を怪物のように見せるギミックだった。そこで提案されたのが、人の目には見えない波長の短い光、つまり紫外線と反応して緑に発光する物質を体に塗ることだった。紫外線を当てなければ、人の肌のように見える、つまりファンデーションのようになっているような粉を、ゴンゾ男爵の全身に塗りたくり、そこにモヒカンの一人が紫外線ランプ当てることによって、緑色の怪物のように見せているのである。ちなみにぼくが指した注射器は、ウソで、実際にはゴンゾ男爵の力を入れた筋肉を前に針が折れて、中身の液体だけを水鉄砲のように放出しただけである。こっちは逆に空気に触れれば無色透明になる液体が入っていたので、まるで薬を注射したかのように見えた、という手品である。
ちなみに彼らの言う違法というのは、『本来ならば、化粧品として基準に適合していることを検査で証明して、法的に認証される必要があった』という意味である。繰り返すが、モヒカンとトゲ付き肩パッドは、インテリの証なのである。ついでに、モヒカンは、でかければでかいほど偉い。
「だが、しかしよぉ、あのおそろしい薬にいつまで体が保つかなぁ」
「ヒャッハー! 三十分以上は、もうどうなっても知らねえぜえ!」
モヒカン達が不穏当のことを言った。会場のざわめきも大きくなる。
確かに、その説明は、ぼくもゴンゾ男爵も受けていた。この薬を肌に塗って、三十分以上したら、何か問題が起こるかもしれない、と。具体的には――お肌がすこしかぶれるかもしれない。
「突貫で作ったせいで、テストは不十分だったからなぁー!」
「入っている成分の化学的性質的に大きな問題はねえと思うが、人によってはアレルギーとか、何があるかはわからねえからなぁー!」
モヒカン達が丁寧に解説してくれる。親切である。見た目以外は、まさしくこの国の良心である。
モヒカン達が解説している間も、激しい攻防は繰り広げられていた。まさしく一進一退。ロージアとマリアは、悪役令嬢とヒロインとは思えない完璧なコンビネーションで攻め立てるが、それをゴンゾ男爵は圧倒的なパワーで跳ね返す。まさしく、この国の一大イベントにふさわしい名バウトが繰り広げられている。
たが、徐々にその均衡も崩れていく。やはり――一人で二人を相手にするのは、厳しい。ゴンゾ男爵にダメージが蓄積され始めているのが、端から見てもわかり初めて来た。しかし、ロージアとマリアも油断はできない。一撃で戦況を変えるだけの破壊力を、ゴンゾ男爵は持っているからである。また、ダメージを負っているのはゴンゾ男爵の方だが、ロージアとマリアのスタミナの方も明らかに切れかかっている。
二人が攻め勝つのが先か、それとも体力が尽きるのが先か――緊迫した状況を、観客達は息を呑んで見守る。
そして、事態は動いた。
「マリアさん。このままじり貧では、私たちは負けますわ」
「わかりました。ロージア様。……今こそ、あれを使うときなのですね」
ロージアとマリアの二人は会話をし、頷き合う。え? 何か、切り札的展開?
「この一撃に全てをかけますわ!」
ロージアは跳躍すると、ゴンゾ男爵の首を掴んだ。そして、なんと、その体を頭を下にして持ち上げてしまう。そればかりか、その体勢で回転までし始める。
「な。なんだ、あの技は?」
「何をやるのかわからんが、体力を消耗した状態では、フィニッシュまで持って行けないぞ!」
「まるですだちが薬味であることを忘れたかのような、体力の配分を考えない攻めだ!」
ありがたい(?)ことに観客達が解説をしてくれる。ぼくも彼らと同意見だ。いくらロージアのパワーがあるとはいえ、消耗している状態で、あんな無茶な攻めをして、体力が最後まで保つとは到底思えない。
「フィニッシュホールドを決めるのは、私では、ありません、わ!」
ロージアが、そのままゴンゾ男爵の体を宙へと投げた。そこへ飛びつく一つの影。マリアである。彼女が空中でゴンゾ男爵の体を捉える。
「そして、これはタッグマッチ。二人をノックアウトしなければ勝利とはなりません。私の最後の最後の力で、あなたを倒します!」
え? 真っ直ぐにロージアがぼくのほうへ突っ込んできて――そう思った直後、ぼくの体は宙に浮いていた。足の向こうに空が、頭の向こうに地面が見える。ゴンゾ男爵と同じく、体を逆さまにホールドされている。そして、五メートルくらいの高さまで浮いていないか? 何が起こっている!
「フィニッシュホールドは、これしかありませんわ。私にできる、最高の技。五所蹂躙絡み!」
あれ? ひょっとしてこの体勢って……なんちゃらバスターという奴では。そして、ゴンゾ男爵が捉えられているあの体勢。あれはなんとかドライバーという奴では。ということは、これはまさか。
「な、なんとう! すだちとすべての食べ物の組み合わせを超えるような、完璧なドッキング!」
すだち仮面が何か叫んでいるけど、ちょっと待ってくれ。ぼくは王族ではあっても、貴族ではないわけで、こんな強烈な技を食らって生きて帰る自信はないんだけど、というか、仮にも貴族令嬢がなんでバスター――
そんなことを頭の中で叫びながら、幸か不幸か、技が決まる前にぼくは意識を失っていた。