やられ役を見て、熱くなってしまったぼくは、何かおかしいです
見た目世紀末、中身研究学園都市のハート伯爵領から、遙か国境付近の辺境の地、ゴンゾ男爵領地へとぼくはやって来ていた。見渡す限り、ほとんど森。特産品と呼べるものも特になし。そして――ここを治めるゴンゾ男爵は、プロレスでいうところのジョバー、つまり、やられ役を専門にしている貴族である。
「本当に、こんなところにいるの?」
汗を拭きつつ、思わず口からそんな言葉が出てしまった。
今のぼくは、王家のシナリオに反抗した形になっているので、王族としての権力は使えない。要は、お供もなにもなく、一人で行動をする必要がある状況である。そんな中で、テンションの乱高下が不安になるハート伯爵から、なんとか、このゴンゾ男爵こそが、悪役令嬢とヒロインのタッグに立ち向かえる唯一の人材であるという情報を得たのだが。
「のどかすぎるというか、ほとんど自然」
十数件の家しかない、集落と言った方がしっくりくる場所だ。普通は、貴族の家というのは、周りと比べて圧倒的に大きく立派で迷うことはないものだが、ここにはそんな目立つ家屋はない。
「あのー、すみません! 第二王子のレオンというものなんですけれどもー!」
しょうがないので、畑で作業しているおじさんに声を掛けることにした。もはや、王族としての威厳とか、まったく関係ない状態である。
*
ゴンゾ男爵の姿は、何回か見たことはある。身長二メートルを超す筋肉隆々の大男、であるが、動きは鈍重で、農夫のおじさんと言った方がしっくりくるような感じで、覇気のある見た目でもなく、その巨体を活かして豪快に投げられたりするのが主な役割だった。ただひたすらに引き立て役に徹する地味な貴族、というイメージしかない。見た目はあれだが、聡明な(はず)のハート伯爵が推薦するくらいだから、間違いはないと信じたいのだが……目の前にいるおじさんを見ていると、そうも言えなくなってくる。
「わざわざレオン殿下にお越しいただくなんて、なんかすみません」
「あ……いや、こちらこそ突然の訪問で失礼した」
ちっさな家の、ちっさな椅子で、丸くなっている大男。今目の前にいるのが、ゴンゾ男爵である。なんというか、おとなしい大型動物を目の前にしているような感じで、全く威圧感はない。
「で、なにかありましたでしょうか? ここは温泉とか名物とかも特にないですし。興業の依頼でしたら、わざわざ王族の方に直接来ていただかなくてもですし」
全く心当たりがない、という様子でゴンゾ男爵は首を傾げる。この分だと、卒業パーティーであった騒動も知らないかもしれない。いや、多分知らないんだと思う。
「あ、えと、それは」
悪役令嬢とヒロインとのタッグマッチ、そのタッグパートナーになってくれ、ととてもでないが、言い出せない。この気弱そうなおじさんが、本当に国民全員大注目の大一番でリングに立てるのか? そう思ってしまう。
「なんというか……偶然近くに来たので」
「はぁ」
ぽりぽりと、ゴンゾ男爵は頬を掻いた。全く要領を得ていない感じである。
「それで、せっかくなので、この辺りの貴族に挨拶をしようかと」
「それはご丁寧にありがとうございます」
ゴンゾ男爵はぺこりと頭を下げる。我ながらろくでもない言い訳だが、これでそのままお暇しよう。そうしよう。
「元気そうな姿も見られたので。それでは」
隠しきれない、何しに来たんだお前は感を、全身から出しつつ、ぼくは席を立つ。失礼だが、この人ではとてもじゃないが、あの舞台には立てないだろう。多分、紹介してくれたハート伯爵も疲れていたんだ、いろいろと。
「大したお構いもできませんで」
そう言って、ぼくを見送ろうとゴンゾ男爵が立ち上がったときだった。ノックもなしにドアが開け放たれ、先ほどぼくが道を聞いた農夫が慌てた様子で入ってくる。
「熊だ! 熊が出たー!」
え?
*
ぼくは慣れない森の中を走っている。そして、必死に辺りを見回す。
この辺りに出没する熊は、体も大きく凶暴なことで有名だ。その熊が、集落の周辺で見つかったらしい。そして、森へ遊びに行った子どもが一人いるのだという。
「早く連れ戻さないと」
ぼくは子どもの姿を探す。国民を助けるのは、王族として当然の務め。民のために体を張るからこそ、貴族は尊いのだ。そんな教育を幼少時から受けてきた。この国から逃げようとしている今でも、それは体の芯まで染みついているし、そんな貴族の在り方を否定するつもりは一切ない。なので、迷わずに、自分も捜索に協力することを申し出た。
いざとなったら鳴らすように、と貸してもらった懐の熊よけの鈴を確かめる。ここの熊は、この音が苦手らしい。いざ熊と遭遇した場合、これを鳴らせば相手が逃げることも多いという話だが――
「いた!」
森の中でしゃがんで、薬草なものを摘んでいる子ども姿が見えた。ぼくはそこへ駆け寄り、子どもに声を掛ける。
「おーい! 君、この辺りで熊が出たそうだ。早く村へと戻ろう」
「え? おじさん、誰?」
あぁ、そうか。いきなりこんなことを言い出したら怪しいよな。というか、おじさんて。
「偶然、男爵のところへ来ていた、通りすがりの王族だ」
間違っていないけれど、自分で言っててそれはなんだ、と思う。でも、他になんて言えばいいんだ。
不審者を見るような目。それはそうですよね。他にもこの近くで子どもを探している人たちはいるだろうから、大きな声を出してその人を呼ぼうか。いや、それで熊がこちらへ来たら……
「あー!」
その瞬間、子どもが叫んだ。
「あ、いや、決して私は怪しい者では」
「違う、熊!」
「え?」
振り返ると、そこには――小さな山が動いているのかと思うような巨体。熊がいた。
まずい――
ぼくは懐から熊よけの鈴を取り出すと、これを思い切り振り回し鳴らす。そうすると、熊が明らかに不快そうに上半身を大きくのけぞらせた。効果はあるようだ。ここで、相手がひるんだ隙に逃げ切れれば。
「行くよ!」
子ども手を取り、ぼくは走り出す。しかし、この行動がまずかったようだ。熊は地面を一度大きく殴ると、こちらに向けて走り出す構えを見せた。
くそ。
一か八かだ。ぼくは手に持った鈴を大きく鳴らし、そして、それを全力で熊の顔に向かって投げつける。
鈴が顔面に当たった熊は、熱湯でも浴びたかのように、顔を両手で覆った。とにかくなんでもいい。この子を逃がさなくては。
誰かのために体を張る。それが尊いからこそ、貴族なのだ――
今になって、子どもの頃からたたき込まれてきた、この一言を思い出す。王族として、貴族達をプロモートする者として、体に染みこませるようにたたき込まれてきた。王族の務めからは逃げようとしているぼくだが、この教えを忘れたわけではない。この子を守るために体を張る。ぼくには、その選択肢しかない。
「来い!」
子どもの背中を押して走らせる。そして、ぼくは仁王立ちで熊に向かい合う。
「グルアァ」
熊のうなり声。まるで地獄の底から響くようだ。立ち上がった姿は三メートルくらいはあるだろうな。そんなことをぼんやりと思う。どうしようもないことだけがわかる。
婚約破棄したら、タッグマッチを挑まれて、熊に襲われて死にました、か。なんだそりゃ。出来の悪い小説か。
そうぼくが、自虐しながら諦めたときだった。
「ぶるぁあ!」
視界の端から、岩のようなものが突進してきた。そして、目の前の熊を容赦なく殴り飛ばす。
格闘というより、交通事故とでも表現した方がいい光景を目の前にして、ぼくは別の熊が乱入してきたのか、と思った。しかし、それは違った。
「うぉおー!」
「グルァアー!」
熊と向かい合い吠える大男――ゴンゾ男爵だった。彼は熊と真っ正面から向かい合い、威嚇しあい、そして、殴り合う。
うなり声に加えて、地面まで響く爆弾でも爆発したような音が響く。まさかの熊との真っ正面からの殴り合い。おそらく、ぼくの首程度なら軽くはね飛ばせるほどのパンチを受けながら、ゴンゾ男爵は殴り返し続ける。
ハート伯爵が、彼を推薦した理由が、いやというほど理解できた。
やられ役を専門にする貴族には、いろいろな種類がある。コミカルな動きやリアクション、いわゆるやられ芸を得意とする者、試合をコントロールする高い知性と技量を持ち、対戦相手を引き立てる技量に長けた者、そして――強すぎるがゆえに、まともに戦えずやむなくやられ役を務める者。
服は破け、ところどころ血を流しながらも、致命的なダメージは負っていない。鍛え抜かれた筋肉という名の鎧と、高い防御技術。そして、相手に全力の攻撃を許さない、圧倒的な攻撃力。
拮抗していたかのように見えた殴り合いは、徐々にゴンゾ男爵有利の様相を呈してきた。明らかに熊の方が押されている。そして、鼻の頭を思い切り殴られて、熊は逃げ出す。
「ふぅー」
荒い息を吐きながら、ゴンゾ男爵は、去って行く熊の背中を見送る。そして、ぼくの方を振り返ると、サムズアップをしてみせた。
*
「殿下が鈴を鳴らしてくださったおかげで、なんとか間に合いました」
ゴンゾ男爵の屋敷というか、家に戻り、再びテーブル越しに向かい合っていた。頭を下げて礼を言うゴンゾ男爵に、慌ててぼくは頭を上げるように言う。
「いや、助けてもらったのはこちらのほうだ。それに、民を助けるのは王族の務め。当然のことをしたまでで」
そう言うと、ゴンゾ男爵はうれしそうに笑った。なるほど、この男は根っからの貴族なのだな、と思う。正直、こんな何もない領地と思っていたが――この男がいるのなら、ここに住み続けようと思う領民達ばかりなのだろう。
あのとき、熊にとどめを刺さないままでいていいのか、とゴンゾ男爵に尋ねたとき、彼は『殺すよりも、痛めつけて、人間に関わってもろくなことがないと思い知らせた方がよい』と笑って言った。下手に駆除すると、森のパワーバランスが崩れて面倒らしい。
「あなたは、そんなに強かったのだな」
ぼくがそう言うと、ゴンゾ男爵は顔の前で否定するように手を振った。
「いえ。強いだなんてそんな。私は、技術も何もなく、殴ることしかできないので、どうしても他の貴族の皆様のような魅せる戦いは」
「謙遜……ではないか」
確かにゴンゾ男爵は強い。しかし、国民が求めているのはエンタテイメントなのだ。一方的に、誰かが痛めつけられているところを見て喜ぶような奴なんかはごく少数派だし、我々貴族も、そんな奴らを喜ばせるために戦いたくはない。誰かのために体を張ってこそ、の貴族なのだ。だからこそ、ただ殴る、そしてそれでいてめっぽう強い、というゴンゾ男爵のスタイルを活かすのは難しいのだ。ゴンゾ男爵と真正面から殴り合える猛者が他にも入れば、話は別だが――
「ん?」
いけるんじゃない? 最強矛と最強の盾、悪役令嬢とヒロインタッグ。ぼくはまったく役に立たないが、ゴンゾ男爵なら一人で二人を相手することも可能では? 彼が、本気を出して、戦うことも可能なのでは?
「ゴンゾ男爵」
「あ。はい」
改まった声を出したぼくを、ゴンゾ男爵は不思議そうに見つめる。
「ぼくのパートナーになってもらいたい」
「え?」
ゴンゾ男爵は、目を丸くした。王との噂も届かない辺境の地。ぼくはゴンゾ男爵にこれまでの経緯を説明する。
「つまりは、その、貴族のご令嬢タッグとガチンコでと?」
「あぁ」
ゴンゾ男爵の質問をぼくは肯定する。
「あの、いかんせん、私は田舎貴族でして。そのご令嬢達のことは存じ上げないのですが……それに私はやられ役は得意ですが、まともに戦ったことは」
「いや、まともに戦って欲しい。貴殿だからこそ、と思った。現に、これから私たちが戦おうとしているタッグは、トップ貴族中のトップ貴族。貴殿にも遠慮なく全力を振るっていただきたい」
しかし、ゴンゾ男爵は渋るような様子を見せる。無理もないだろう。自分よりも弱い相手を痛めつけられないからこそ、彼はやられ役なのだから。
「……殿下がおっしゃられるのなら、彼女たちは私が全力を出して戦うことができる貴族なのでしょう。しかし、下手に私が全力を出してしまえば、今まで私がジョバーとして戦ってきた貴族達のメンツが……」
その通りだろう。ゴンゾ男爵が、あのトップ貴族中のトップ貴族相手に善戦するということは、彼がこれまでやられ役を務めてきたとおおっぴらにするようなものだ。無論、そういった役割の貴族がいるというのは、暗黙の了解ではあるが、それをおおっぴらにしてしまうのは、これまで我々が守ってきたギミックを否定することに他ならない。
だがしかし、ぼくもここへ来て覚悟を決めた。
最初は、ただ、こんな馬鹿げた台本から逃げ出したいだけだった。けれども、だ。どんな形にせよ、貴族達の生き様を見せられた今、ただ逃げるだけというわけにはいかない。ぼく自身も覚悟を決める必要がある。この国の王族として、覚悟を見せる義務がある。
「大丈夫だ。貴殿は、ただ私の描くシナリオに乗っかってくれればいい。全ての火の粉は、私が浴びる」
ぼくは拳を握りしめる。
戦ってみせよう。ぼくは、ぼくの、ノブレスオブリージュで。