90話 人々の暮らしなのじゃ
東京は神に支配されて神都となった。人々は機械仕掛けの神様が座する東京にて、他の地域とは違い、悪魔に襲われることもなく、平穏に暮らしていた。
1日の朝に皆は各地に設置してあるウルゴス神の像の前で膝をおり、敬虔なる気持ちを捧げて祈る。神聖力を宿したマナを奉じると、それぞれ朝食に戻る。それが人々の慣習となっていた。
老若男女、全員が等しく祈りを捧げるのだ。汚れ一つない白き石床が敷き詰められた広間に設置してある金の鎧を着たウルゴス神へと。機械の体を持ち、人々を守る守護神へと。
「ウルゴス神よ。我らに今日の恵みを与え給え」
「ささやかなる祈りではありますが、御身のお力を与え給え」
「一日一膳、今日もご飯が美味しいのです」
何やら一人だけ教義を勘違いしている幼女が空の小さな茶碗を掲げて、チンと箸で鳴らしながら祈っているが。お腹が空いたのだろう。
白い巫女服を着込み、本来はお祓い棒を持つはずなのに、茶碗と箸を持っている。おにぎりでも良いですと幼女はそわそわした表情で、完全に一日一膳の漢字を間違えていた。可愛らしい幼女がお腹が空いたと言っているので、あらあら何かないかしらと、その様子を見た人々が哀れに思ってポケットを探す。
「ハクさん。貴女の祈りの場所はこちらです」
しかし、人々が助ける前に、神官服を着込んだおっさんが、どことなく胡散臭い笑みを浮かべてヒョイと幼女を抱き上げてしまう。そのまま横にいる自称ハクの姉にパス。その際に額に怒りて青筋が見えたようにも思えたが気のせいだろう。
「炊きたてのご飯が食べたいのです」
大神官の怒りの表情にも全く怯むことなく、ハクはお米が食べたいのですと望みを言う。
「安心してください。5合炊いておきました」
しょうがないなぁと、大神官たるおっさんはハクの姉へとパスをしながら答えてあげる。青髪の美少女はナイスキャッチと受け止めて優しい微笑みでハクの頭をゴシゴシと撫でる。相変わらずのシスコンだ。
「主菜は卵焼きなのです? 甘いのを希望するのですよ」
「シーチキンに醤油を垂らしたやつ。少し年月の経過している缶詰だから、味がこなれているね」
極めておっさんらしい副菜であった。
「あたちはかつおが好きなのです」
「むふーっ。姉と共に食べる。スエルタはマヨネーズをつけるのが好み」
雑なおっさんの料理に思えるが、やったぁと幼女はちっこいおててを天にかざして大喜びだ。幼女もシーチキンは大好きなのだ。ちなみにハクは何もつけずに食べるタイプだ。
意外とシーチキンにこだわりを見せる3人はてってこと去っていった。
人々はそんな大神官と巫女のコントを見ぬふりをして、家へとぞろぞろと戻るのであった。なにせいつものことだからして。
あんまり神秘的な大神官ではないが、その分庶民的だよねと、アホなコントをする大神官を見て、最近は警戒心が薄くなり、とりあえず神棚があるから拝んどけレベルになった人々である。それでも真摯に祈らないと途端に光熱関係が使えなくなるので真面目にお祈りを人々はしていた。
もはや完全に日常生活の一部に祈りを捧げる行動は組み入れられているのであった。
夏は終わり、秋を通り過ぎ、冬に入った季節である。人々は寒さの増した厄災後の初の冬到来に、厚着となり吐く息が白くなったと寒さを感じ手を擦る。粉雪がはらりと舞い散ってきて、道路に落ちるとすっと溶けていくのであった。
多くの人々が行き交うイーストワン。恐らくは新たなる首都の中心になると思われる地を蓮華天華はのんびりと歩いていた。お昼を過ぎて夕方に近い。昼間は粉雪が舞ったが、今は晴れており、寒風が強くなっている。
商店街の中を散歩のような足取りで気楽に歩きつつ、目的地へと向かう。商店街はそろそろ冬の準備をしなくてはと、多くの人々が忙しなく歩いており、商機とばかりに、店の主人たちが声を張り上げている。
「奥さん、採れたての大根はいかが? 安いよ、それに大根を煮しめてホクホク熱々で食べると冬を乗り越えられるよ」
「寒ブリだよ。ブリを大根と一緒に煮て食べてよ」
八百屋と隣接している魚屋が連携のとれた売り込みをしている。この冬の中でも元気そうに、身体から熱気で湯気を昇らせて忙しそうにしている。
「どうしようかしら?」
「今日は秋刀魚にしようと思っているの」
子供を連れたおばちゃんがブリを見ながら少し高いわねぇと、頬に手を添えて迷い、他の買い物客が秋刀魚が良いわねと買おうとしている。子供は暇そうに指をしゃぶり、その様子を見ていた。八百屋はキャベツとバナナをくださいなと注文されており、へいおまけと買い物客へとおまけのバナナを一本子供に渡す。ありがとう〜と笑顔で子供はバナナを頬ばっている。
活気のある世界がそこにはあった。厄災前にはなかなかこのような光景は見られなかった。スーパーで何でも揃い、道を歩く人へと呼び込みをする八百屋などは古き時代だけだった。あまり天華は知らない。いつもきれいなパックや棚に並ぶ野菜をスーパーで買っていたからだ。泥に汚れた大根や、切り身ではない魚などほとんど見たことはなかった。
だが、この光景は平和の果てに生まれたものではないことを知っている。知り合いと連絡はとれず、隣人は行方不明、親戚の住む場所を確認することもできず、家族の幾人かは戻らぬ人へとなっている。
多くの人々が死に、定年まで勤めようと考えていた仕事がなくなり、財産すらも手元にない。厄災で多くのものを無くした人々の集まりだ。
忙しさの中で、不意に襲い来る寂寥感を吹き飛ばして、悲しき思いに囚われないように、昔よりも活発に動き、快活に元気よく話す。そういった者たちが多くなった。
それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。もはや戻らぬ世界だ。怠惰の中で移ろう様に暮らしいていた世界はもう戻らない。なればこそ、この世界で良いのだろう。
そう天華は思いたい。神の支配する世界であってもだ。
「聞いたか? 天使たちは各村を作ったらしいぞ」
「元悪魔だが、今は守護者だからなぁ」
「外は悪魔が多いからな。天使の住む村がやはり良いよな」
「俺はイーストワンから転居する気はないけど」
「………聞いた話だが、ウルゴス様の支配する関東地域以外は地獄らしいぞ」
「あぁ、逃げてきた連中に、悪魔の支配する街の内容を聞いた友人は夜な夜な悪夢に魘されてしまうらしい」
「俺たちは神様に保護されて良かったな」
「本当だよ。良かった良かった」
人々の会話が耳に入ってくる。その中身は以前ならば驚愕してしまう内容だ。この関東地域を支配するウルゴス神はなんと悪魔たちを天使へと変えてしまった。妖怪、悪魔、魔道具たちを天使へと転化させて、自らの部下としたのだ。
各地域の天使となった元悪魔たちはその地域に残る人間たちを保護して村民としている。徘徊するゾンビやグールたちを天使へと変わった元悪魔たちは駆逐して、急速に関東地域は平和な地域へと変わっていた。
どうやら、関東地域以外の地域は、人々が噂するように悲惨な暮らしらしい。悪魔たちは人々を地獄よりも遥かに酷い暮らしをさせているとか。魔力が目的なのだろうが、悲惨な話だ。
シュウさんたちは、ウルゴスの大神官冬衣へと各地域への侵攻を訴えているらしいが却下されているとのこと。まだまだ進軍するには祈りが足りないと言っているらしく、それならばとシュウさんたちは、関東地域から離れて、ゲリラ戦を用い、人々を救助している。
それはこれまで個として活動していた祓い師や、人々を守るために活動する自衛隊員に相応しいが助けることのできる人々はほんの一握り。今は雌伏して侵攻のための訓練をするべきであると天華は考えている。
やりかたの問題だ。シュウさんたちの行動を否定するつもりはないが、独立部隊が活躍するには本隊がいないといけない。ゲリラ戦で人々を救った後には、本隊が侵攻するのである。シュウさんたちもそのことは理解しており、ウルゴスより貰った神具を手にして、天華たちは本隊で活躍してくださいと言って、向かっていった。
「エース乗りが各地で独立部隊として活躍するのも良かったのですが、そう都合良くはいきませんしね」
空飛ぶ戦艦などがあれば良かったのだが、そんなものは存在しない。なので、機動兵器乗りの天華はこの地に残るしかなかったのだ。侍? 機動兵器で戦闘した方が遥かに活躍できるのだから仕方ない。決して、機動兵器に乗りたいわけではない。私は新人類として機動兵器に乗る運命なのだから仕方ないのです。
活気溢れる商店街を歩きながら、つらつらとこれまでのことを考えながら目的地へと向かう。時間はちょうどだろうと、あるお店へと辿り着く。
おしゃれな細いベルトに高価そうな腕時計をちらりと見ると、待ち合わせまで5分。空は夕闇が降りてきて暗くなり始めている。オレンジ色の世界となった風景の中で、カラカラと引き戸を開ける。初めて来る店だが、高級そうな店構えだ。上品な木造の店舗、見る限り一見さんお断りのような感じを与えてくる。
「いらっしゃい」
中に入るとカウンター越しに厨房が併設されている店舗で、綺麗な木目のテーブルやソファのような座り心地の良さそうな椅子。壁際には花が活けられており、渋い感じの板前さんが料理を作っていた。
入ってきた天華を板前さんがちらりと見てきて、一人だけいる和服を着こなしている美人の女店員さんがお淑やかに微笑み歓迎してくる。
「あ、ここですよ、天華さん。僕の恋人の美人な天華さん」
カウンターに座る青年が笑顔で手を振ってくる。ふふーんと周りのお客に聞こえるように得意げに胸をそらしての歓迎だ。ここは恥ずかしがるところか、それともドン引きするところか迷うところだ。
だが、この半年の付き合いで天華はこの恋人の性格をわかり始めていた。小心者で自信がない。なので、誰にも恋人がとられないようにとアピールしているのだ。これ、普通の女性なら完全に別れを告げられていますねと苦笑しながら隣に座る。
「その挨拶を止めないと別れます」
「すいませんでした」
ニコリと優しげに微笑む天華へと、土下座しそうな勢いで謝るトニーである。天使の中でもウルゴスに近い立場であるのに、小心者だと、天華はクスリと笑ってしまう。
「おぉ〜、ラブラブなのです」
「スエルタも驚き。トニーとよく付き合えると感心する」
トニーの反対側に座っていたハクとスエルタが感心して、ぱちぱちと拍手をする。半年間でかなりトニーに絆されているようだと天華は顔を赤らめるのであった。
 




