9話 自宅って歩きだと遠いのじゃ
街灯がぼんやりと道路を照らす中で、夜中に2人の男女が走っていた。その速度は短距離走で楽々に金メダルを取れるレベルである。
出雲とリムは、ステータス値をマックスに使える。人間のように30%しか出せないわけではないのだ。そして、100%の力を引き出しても、その反動で身体がダメージを負うこともない人間にはあり得ぬ耐久力も持っていた。
そのために、他者が見たら目を疑う程の光景を2人は見せていた。
「この速さでも自宅は遠いなぁ」
はぁ、と出雲はため息を吐き、スマフォに映る地図に従い走る。徒歩で帰宅するルートなど覚えているわけがないのだ。健康志向の者でも自宅からは徒歩で出勤はしないだろうから当たり前だが。
「時速にして何キロぐらいかの? 30キロぐらい?」
「電車のように直進していたりしないからなぁ。遅いし遠回りしないといけないから、何時間かかることやら。タクシー見つからないか?」
「未だにタクシーが走っていると出雲は信じているのじゃな」
「ゾンビもそんなに見ないし、現実感ないんだよ」
ビジネス街だからなぁと、出雲は周りを見渡す。暗闇の中に街灯が道を照らし、走行している車も見えない。夜中なので人もいない。いるかもしれないが、視界には入ってこなかった。感知には時折ビル内に魔力を感じるけど、基本的に誰もいないんだよ。なので、酷く現実感がない。
「もう少し行けば上野かの? 浅草辺りだと住居もあるじゃろ。現実感が感じられるぞ」
シシシと小悪魔的に嗤うリム。そうかなぁと、いまいち信じられんと思いながら駆けてゆく。
お互いに息一つ切らすことなく走っている超人的な2人だった。
「キャー! 助けて〜!」
道路を原付バイク並みの速さで駆けていくと、ネオンが鈍く光る薄汚れた看板が置かれているバーから、女性が飛び出してきた。距離にして100メートル程だ。慌てて逃げようとするが、後ろから男たちがのしかかり、押し倒してしまう。
「これは間に合わないな」
女性へと男たちは食いついて、女性は手をあげて悲鳴をあげるが段々とその声は小さくなり、やがてパタリと力を失い手を地面に落とした。
出雲はその場で足踏みをしながら、冷静にその光景を観察する。検証だな。
「間に合わなくても、大丈夫かと駆け寄るのが普通ではないかの?」
「甘いなリム。それは映画の見過ぎだ。現実ならば、逃げる。善人もしくは野次馬根性のある人間なら、警察に連絡だ。あの光景を見て、叫び声をあげる選択肢もないな」
覗き見るように俺へと顔を向けるリムに、肩をすくめて、食べられている女性を冷淡に観察しながら答える。たしかに映画ならば大丈夫ですかと、どう見ても大丈夫じゃないのに駆け寄って、殺された女性がゾンビになって復活。噛まれて死ぬまでがテンプレだ。
でも現実はそうならない。人の人情は紙風船。危険だとわかっているのに駆け寄ったりしない。精々警察を呼ぶだけで、悲鳴をあげることもないだろう。この現代社会、悲鳴をあげて目立つことを嫌うと思うんだよな。
「う〜む。反論できんの。交通事故で倒れた者がいても、駆け寄り助ける人間は稀じゃ。救急車を呼ぶ者も少ない。大体は関わり合いになりたくないと、遠巻きにして野次馬になるだけだからの」
「さすがは悪魔。俺の考えに同意してもらって嬉しいよ」
「そなたは聖人のはずなのじゃが、悪魔の同意を得るってどうなん?」
ジト目になる褐色娘だが、聖人君子になったわけじゃないから仕方ないだろ。
「死ぬなら死ぬでどうなるか検証だ」
可哀相だと思うが、今後のためにも必要なのだ。悪いね見知らぬ女性よ。
「検証せずとも教えられるぞ。あのようにして死ぬ者は、死への恐怖で負の感情を高めておる。以前ならそれでも変わらず死体のままであっただろうが、あやつは魔物に殺された。魔物に殺された人間は化学反応を起こすかのようにその負の感情が汚染されて魔力となり、魔力は死体を悪魔へと変えて、あやつはゾンビになる!」
説明係なリムさんである。ドヤ顔で胸を揺らしながら説明してくるのでいまいち頭に入ってこなかった。とりあえずゾンビになるのか? その胸、ブラつけてる?
邪念を振り払い見ていると、喰われていた女性の身体に黒い靄が覆っていく。ふむ?
「魔物に殺された人間は全て魔物になる?」
「う〜む。こんな状況になったのは初じゃから予想しづらいが、全てではないかのぅ。多分一定量の負の感情がないと駄目じゃ。不意打ちや、あっさりと殺される者、勇気を持って立ち向かう者は魔物化せんじゃろうて」
「どれぐらいの確率かは、それだとわかりづらいなぁ。でも増えるという時点でヤバいな」
鼠算式に増えるわけではなさそうで、そこは安心するが、どうなんだろうな。増えることが人類にとってはまずい事態だ。
「まぁ所詮はゾンビ。それよりも魔道具が魔物化した方が厄介じゃぞ。その概念は悪魔のものじゃ。リビングアーマーのように様々な悪魔が現れることじゃろうて」
「ふ〜ん」
豊満な胸を反らせて、ますますドヤ顔になる悪魔王。物凄い偉そうな態度である。教え魔なんだなこいつ。誰かに教えることに優越感を持つタイプと見た。
死体は見ているさなかに、黒い靄が消え去っていく。そうして、カチャリと立ち上がった。
シミターとバックラーを持つスケルトンとなって。
肉一つない骨の魔物だ。白い骨の身体である。頭蓋骨がカタカタと動き、筋肉もないのに、フラフラと動き始める。ゾンビは食べ物がなくなったよと、その場を徘徊し始めた。
「おい……スケルトンになったぞ? しかもウォーリアっぽいんだけど」
「……じゃな」
ジト目でリムを見ると、ドヤ顔だった悪魔王は明後日の方向に顔を背ける。その額にたらりと汗をかいて、恥ずかしそうに褐色の頬を赤く染めてもいたりする。
「あ〜。恐らくは魔道具の力じゃ。魔物となった魔道具がここらへんにおるのじゃろう。その影響を受けるとその周辺の魔物たちは眷属となって生まれるのじゃ。墓場から這い出してきた死体はそんな感じに魔物化していた。うん、リッチとかそんな感じじゃった。確かそう記憶にあるの」
「地形により魔物の種類が変わるのかよ……スケルトンウォーリアは強そうだぞ?」
「そこまで影響範囲は広くないと思うから、普通はゾンビだとは思うのじゃが……」
離れているにもかかわらず、スケルトンウォーリアは俺達へとその顔を向けてくる。目玉もないのに、見られたとはっきり確信できてしまう。ゾンビは気づいていないのに、なんでだ?
「生命感知じゃな。ゾンビは音感知。その違いじゃろ」
「生命感知かよ。ゲームでもそうだったな。あいつらインスニ効かないから厄介だったんだよなぁ」
人の生命力を感知するなら隠れることはできないだろう。スケルトンの方がゾンビよりも厄介だな。
カチャカチャと、軽快な足取りでスケルトンウォーリアは俺達へと歩いてくる。骨のなのであまり恐怖を感じないがシミターは怖い。刃物だしな。しかもダイエットに成功しているので、体重が軽いのだろう。小走りゾンビよりも速い。一歩の歩幅が1メートルはあり、まるで跳ねるように近づいてきた。
「強いのかなぁ。やだなぁ」
カチカチと歯を鳴らして接近してくるスケルトンウォーリアさん。ちょっとシミターは怖いんです。一般人は刃物を持っての戦いって経験ないんで。
100メートルを10秒かからずに詰めてきたので、とりあえず俺は後ろへとバックステップ。接近してきたスケルトンウォーリアは、俺に肉薄する最後の一歩で加速して、シミターを素早く振り下ろす。
チッと髪の毛にシミターが触れて、出雲は予想通り隙を狙っていたなと冷静にタンタンとバックステップをして、さらなるシミターの連撃を躱していく。脳みそがないのに、この骨戦士、一定の速度で近づいて来たと思ったら不意をついて加速して攻撃をしてきやがった。頭の良い骨である。油断していたら、ズンバラリンだったろう。
こんなふうに。
「ぎゃわー!」
妾は関係ないよねと、傍観者のフリをしていたリムの後ろを俺が通り過ぎると、スケルトンウォーリアは悪魔王にシミターを振り下ろした。
袈裟斬りにリムは身体を斬られて、赤い血が流れて悲鳴を上げた。返す刀でシミターをリムの首へと振ってくるので、出雲はリムの両肩に手をかけて身体を引いてやる。
目の前を白刃が通り過ぎていき、リムは青褪めて振り返ると俺へと非難の目を向けてくる。
「MPKは禁止じゃぞ! 掲示板で晒されるぞ契約者殿!」
「すまん。だってお前にも悪魔が襲いかかるか見たかったんだ。ゾンビは俺が片付けていたし、ターゲットになるのかなぁと。悪魔王は襲われるか、検証だよ、検証」
「妾はもうお主と同じ肉体じゃ! 襲われるに決まっておる! 今まではお主に全てのタゲが向くように位置取りしてただけじゃ」
罪悪感なくリムは俺に魔物を押しつけていたことを告白するので、ニコリと優しい笑みを向けてやる。ここは優しくしてやろう。うん、優しく。
「リムは死ぬのか? それと血は効果あり?」
リムの傷に指をつけて、その血をスケルトンウォーリアへと跳ね飛ばす。僅かな飛沫にしかすぎないが効果はわかるはず。
だが、硫酸に触れたように溶けるかなと観察するが何事もなくシミターを振るってくる。おっとっとと、リムを横抱きにして、俺は大きく後へと飛びのいた。うん、リムの身体は柔らかいな。
「無駄じゃ。ゾンビは捕食スキルがあるから、我らの神聖なる血肉を融合しようとして食あたりする。スケルトンウォーリアはドレイン関係なんぞ持っていないから、その身体に取り込まれることもない。効果は無しじゃ」
「吸収するとなると進化もするのか?」
「多分ヴァンパイアになら、人間1000万人程食べれば進化するじゃろ。グール程度なら100人間程度で進化するかもの」
「俺、魔物には絶対に転生しないと決めたよ。で、何ダメージ受けた? ほれ、ポーション」
厳しすぎるだろ、その経験値テーブル。ネトゲーでも、そんな経験値テーブルはないぞ。
奇跡を使用して生み出したポーションを渡して、リムのステータスを確認しておく。
体力:13
「刃物のダメージはでかいか」
予想以上のダメージに顔を顰めてしまう。リムは片手で器用にポーションを飲み干すと、赤い顔で俺を見てくる。
「人の身を検証に使うな! 妾が死んだら受肉を1からやり直しじゃからな? ゼロスタートじゃから、大量のポイント必要だからの?」
「なるほど、ポイントを無視すればリムは不死なんだな。どこが不平等契約だ」
「へへーん。妾は悪魔王だもん」
プイッと顔を背ける悪魔王さん。まぁ、死なないとわかっただけ良いか。後で盾にできるかもしれないしな。不死なら問題ないよな?
「ねぇ、今お主、悪魔的な思考をしなかったかの? 妾も痛いものは痛いのじゃぞ?」
俺の思考を読んだのか、冷や汗交じりにリムが俺のシャツをクイクイと引っ張るが気のせいだ。
「不死のサポートキャラを盾にして倒せないはずのボスを倒す裏技とかあるよな」
「まったく安心できないぞ? ねぇ、盾にすると好感度下がるからの? 妾とのイチャイチャロマンチックルートがなくなるからの」
「そうだな、覚えておくよ」
疲労することなくシミターを振るうスケルトンウォーリアを見て、クックと笑い、シミターを振り上げた瞬間に、俺は懐に飛び込んで蹴りを食らわす。スケルトンウォーリアはバックラーを構えて、蹴りを防ぐが、その体重の軽さで吹き飛ばされて、小石のようにアスファルトを転がると砕け散り灰へと変わるのであった。
うん、攻撃力は高いが、ゾンビよりかは耐久力がなさそうだ。多分ヒットポイント1とかだろ。
「さて、行きがけの駄賃だ。ここの魔物のボスも倒していこうぜ」
「それは良いが、そろそろ降ろしてくれて良いのじゃぞ? 出雲の掴んでいる箇所が怪し気な動きをしているんじゃが?」
「そりゃ、失礼。本能的なもんなんでね」
横抱きにしているリムが多少非難がましい視線を送ってくるので、そっぽを向く。助けたんだから良いじゃんね。