8話 とりあえず検証だ
出雲とリムは夜中の水道橋を歩いていた。ビジネス街は静かで、いや、静かすぎて不気味だ。タクシーないかなと、おっさんは道を確認するが、来る様子はない。
目が覚めないかなと、諦め悪く頬を抓るが、まったく目が覚める様子はない。胡蝶の夢とはいかなそうである。おっさんなので、蛾の夢かもしれないが、どちらにしても目が覚める様子はなかった。
「ここは夢なんだと、頭を抱えながら叫び続けるのがテンプレかね?」
「そして化け物に殺されるんじゃろ。たしかに出雲に相応しいかもの」
軽口を叩くと、それにリムはのってきて、プププと笑う。ショートのシャツにパンツルック、赤いコートを羽織る小悪魔的なリムを睨むフリをして出雲は肝心なことに気づいた。
「その角と羽根と尻尾隠せるか? いや、肉体は多少変えられるんだろ? 隠せ。ムリなら切っておくけど」
部長から形見として貰ったやけに白い刃の小刀を見せながら尋ねる。電子の監視は逃れても、人の目視は防げないのだ。
「怖いことを平然という契約者殿じゃの! 大丈夫、たしかに消せる。安心するが良い」
ここで、消せたかのぅとからかおうと考えたが、リムは酷く平然としている出雲を見て、その考えを一瞬で捨てた。本気の表情だ、あれは罪悪感なくやる顔だ。何なら殺る顔だと第六感が警告してきたのだ。
なんとなく、この男は必要なことであれば、躊躇わずにやる性格だと思うのだ。必要であれば傷つくことも厭わない性格破綻者であるとリムは出雲のことをそう予測していた。
なので、ポンと角や羽根、尻尾を消す。物理的に消したのだ。『受肉』スキルは細かい所を自由に変更できるのである。まぁ、髪の毛や爪や背丈を少しだけ変更できるだけであるが。角や羽根、尻尾は髪の毛や爪に該当している模様。
実際は半分以上夢だと、未だにおっさんは儚い希望にしがみついていた。ナマケモノが木にぶら下がるようにしがみついていた。
即ち、現実感がないので、いつもは理性が行動を止めているが、夢なのでと刹那的思考に身を任せていた。マイスターにはなれそうもないが。とりあえず、俺がおっさんだと宣言しないだけ、少しだけ正気は残っていた。
人間、理性を取っ払い、社会的地位を鑑みなければ、猿みたいに野蛮人に成り下がる可能性が高いのだ。おっさんはナマケモノに成り下がる可能性が高い。
「さてさて、夢だと信じている間に、色々検証をしておこうかね」
だが、このナマケモノは頭の良いナマケモノである。必要なことは行っておく。コツコツと道路を歩いていたが、前方を見てスッと目を細めて冷たい声音で呟く。
「ヴァ〜」
小走りに目を血走らせた男たちが出雲たちに向かってきていた。よだれを垂らし正気を感じない。というか、その体内から魔力を感じるぜ。
「魔力って、憧れの力だと思ったんだがなぁ」
「優れた魔法使い、魔女なら使えるぞ。悪魔的な思考の持ち主じゃがな。何しろ魔法を使うには悪魔と契約が必要だからの。少し前までは魔法ってそういう概念だったのじゃぞ」
「積み重なった概念と魔力は現代の概念では消せないか。なるほどねぇ」
まぁ、法力でも同じ力を発揮するから、別に良いかと身構える。もはや、推定ゾンビたちは目の前だ。両手を翳して近づいてくる。ゲームや映画でよく見る光景だ。難易度はナイトメア。だって、ゾンビたちの足が早送りしたように速いから。
「さっきは検証するのも限界だったが、こいつらなら大丈夫だろ。まずは格闘スキル」
スキルを取得した途端に、頭に使い方がインストールされた。なんか、忘れていた記憶を思い出した感じだ。久しぶりにテニスをするが、身体が覚えていたような自然な感じ。少しだけ、恐ろしい結果だ。洗脳に近いもんな。
ゾンビは5人。俺の肩へと掴みかかろうとするが、身体がどう躱せば良いか教えてくれる。記憶が勝手にこの場合の対応を教えてくれる。
「ふっ」
右膝を突き出して腹に一撃。よろめきゾンビは後退るかと思いきや、身体が灰へと変わり、地面にザザッと崩れ落ちていった。
「やばい。耐久力なさすぎだろ、こいつらは」
さすがは雑魚的存在のゾンビだ。脳が今の光景から敵の耐久力を算出させて、ゾンビへの対応をすぐに変更する。
「ヒュッ」
鋭い呼気を吐き、右足を支点につま先立ちで身体を捻る。回転した勢いをそのままに綺麗なソバットを次のゾンビの頭に食らわした。ゴキリと音がして、ゾンビの首が折れると同時に灰へと変わり、服だけがパサリと残る。
出雲は足を引き戻すと、3人目の鳩尾に蹴りを繰り出す。鳩尾に深く食い込む一撃により、やはりゾンビは灰へと一瞬で変わる。
「弱っ! 経験値1だけはあるな」
敵の弱さには少し驚いたが、格闘スキルの力は理解した。スキルレベルに合わせて、まるで昔から記憶していたように行動できる。ただし相手の力はわからない。動きで達人とかはわかるかもしれないが、ゾンビの耐久力や力は看破できない。
しかし戦闘にて敵の力を解析して、その結果を行動に反映できる学習型だ。さすがは奇跡。神様ありがとうございます。神様いるかわからないけど。
「次はステータスだな」
両手を向けてくるゾンビへと、手を突き出して組み合う。プロレスのように力の押し比べをする。たしかゾンビは人間の力を100%出せるとか、リムは言っていた。となると、どうなるのか検証だ。
普通の人間ならば、組みつかれたら手をグシャグシャに握りつぶされる。格闘スキルはそう告げてきた。普通の人間なら。
「はぁ、こいつは凄いな」
万力のような力だ。たしかに手がぐしゃぐしゃになりそうだ。ゾンビに組みつかれたら、逃げられない理由がわかったよ。出雲はウンウンと頷きつつも、最後のゾンビへとぶつけるように、手を組んだゾンビを振り回す。
人間の力を100%出しているゾンビは、出雲の力に振り回されて、あっさりと最後のゾンビとぶつかる。その手の指は、曲がってはいけない方向に曲がっており、グシャグシャであった。
「圧倒的だな、こりゃ。いや、ゾンビ相手だからか」
フフンとドヤ顔になろうとして、考え直し恥ずかしくなる。序盤のスライムを楽勝で倒して、俺は最強とか言うのと同じであるからして。
リムがニヤニヤ笑いで、わかっとるわかっとるというムカつく顔をしていたりもする。ちくしょう、やっちまった。リビングアーマーには苦戦したからな……彷徨う鎧に負けるステータスの最強とか有り得ないよな。
「てい」
立ち上がるゾンビへとやる気のないパンチを食らわす。試しに肩へとパンチをしたが、やはり変わらず灰へと変わった。このゾンビのヒットポイントは2とかに違いない。
「アァ〜」
仲間がやられても、知性のない最後のゾンビは怯まずに俺へと襲いかかる。トンと俺は後ろへと下がり人差し指を突きつける。
『氷矢』
法力の実験である。集中して法力を放とうとするが、シンとして指先からは氷の矢は放たれなかった。
またもやっちまったらしい。ステータスボードを開くと
マナ:1
ほとんど空だった。やばい法力の使い方はわかるが、マナの消費量は教えてくれないのか。さっきまで武技を合わせて4回使ったから、一回につきマナ5消費か? いや、マナの消費量を上げると威力も変わると記憶は教えてくれる。なるほど、だから消費量を教えてくれないのか。固定でスキルレベル2の法力は5としておくかな。それはできそうだ。
法力が発動しなかったために、ゾンビは俺に肉薄する。だが、軽くステップして、ゾンビの組み付きを躱していく。トントンとステップをして、闘牛士のようにひらりひらりと躱せるので、俺って少しかっこいいかなと鼻の穴を膨らませて得意げでもあった。
「氷矢。プププ、氷矢って、決め顔で使おうとしてマナ切れとか。プププ。スマフォに撮って動画投稿したかったの」
口元を押さえて、ニヤニヤと心底楽しそうに笑う悪魔王。なんてムカつく奴なんだろう。おっさんの好感度は100下がったぞ。おっさんの好感度はどうでも良いかもしれないが。
「悪かったな。そういえば詠唱とかないのか?」
羞恥を誤魔化すようにゾンビを躱しつつ尋ねる。記憶には詠唱ないんだよなぁ。
「法力や魔法を発動するための概念にアクセスするための『力ある言葉』はあるぞ。俗に言う季語じゃな」
「俳句かよ。まぁ、わかりやすいんだけどさ。季語が入ってりゃ法力などは使えると」
『力ある言葉』を季語にする適当な2人である。その場合、松尾芭蕉は凄腕の法術使いになるのだが、それもかっこいいよねとか出雲は思っていたりした。
「伝説の魔法使いなどなら、一瞬考えただけで使用出来るらしいが、そのとおりじゃ。恥ずかしい詠唱をして力を発動させる。契約者殿は半神みたいなもんだから、概念にアクセスすることなく、自分の力だけで法力を使えるのじゃろうな。溜め時間とかは必要だとは思うがの。妾もそなたの眷属みたいなもんじゃから無詠唱となるのか。それは便利で良い。むふふ」
「概念、概念ねぇ」
「人が生み出し魔力や神聖力が長い間積み重なり概念として力を持ったのじゃ。まぁ、アカシックレコードと覚えおけば良い」
リムは例えが上手いよなぁと、俺は思いつつゾンビへと向き直る。
「最後の検証だ」
ほいっとゾンビへと腕を突き出す。ゾンビは俺の腕に牙のような歯を剥き出しにして噛み付く。ミシミシと音がして、スーツが破れ、皮膚から血が流れる。
「な、何をしているのじゃ!」
あわわと慌てるリム。楽勝なはずなのに、わざとゾンビに腕を食いつかせた出雲に驚き、ワタワタと慌てていた。
「俺の身体はどうなのかなぁと。お味はいかがかな?」
その様子を、出雲は感情のない能面のような表情で見ながら教える。
ブチブチと肉を噛みちぎり、ゾンビは美味そうに口を動かし咀嚼する。激痛が頭に走り、食いちぎられた箇所から白い骨が血に塗れて見える。かなり痛い。
だが、これも必要なことなのだ。敵が弱い間に検証しておきたい。
ジッとゾンビの様子を観察する。腕からボタボタと血が流れていく。
「ゴ」
ビクンとゾンビは身体を一度震わすと、灰へと変わって消えていった。灰へと変わる時間がかなり遅いな。
ゾンビからのダメージはどれぐらいかなと、ステータスボードを見る。
体力:18
「神聖力の塊なら、俺に触れることもできないと思ったのに、魔物にとっては毒の身体になっただけか」
奇跡ポイントを使用し、ポーションを作り出すとすぐに飲み干す。パアッと仄かな白い光が抉られた肉を包むと一瞬のうちに健康な肌へと変わり元通りになった。
「そんなことのために、自分の腕を犠牲にしたのかの?」
「そんなことのためだ。敵が俺に触れるだけでダメージを負うと分かれば戦法もそれに合わせて変わるだろ? これは弱い敵で検証しないといけなかったんだ」
血でベッタリと濡れて、ずしりと重く感じる上着を脱ぎ捨てて、道路にポイ捨てする。縫い付けられた名前のところは破っとこっと。
「理屈はわかるが、やはり狂気的な合理精神じゃの。ドン引きじゃ。しかし、結果はわかったの。吸血鬼を倒せるエネルギーの使い手でも、その呼吸法だけでは、触られると凍らせられたり、血を飲まれちゃう感じじゃな」
「わかりやすい例え、ありがとさん。身体が毒なだけ良いのかね。まぁ、戦闘の検証はここまでだ。奇跡の検証は落ち着いてからだな。行くぞ」
「恐ろしい契約者殿。了解じゃ」
出雲の目的を達成するための狂気的な思考と性格に、リムはニヤニヤと笑い、後に続く。
「悪魔よりも悪魔のような主じゃな。神聖力の塊なのに」
出雲のこの破綻した性格はこの崩壊した世界で面白い結果を齎すとリムは想像する。この暮らしは愉しくなりそうだと思いながら。