79話 魔王城なのかの
都心の中心。それは皇居である。しかして今は悪魔に占拠されてその様相を変えていた。魔王城として改修された皇居はその面影は欠片もなくなり、まるで豊臣秀吉の建築した大阪城のような広大で威容を示す巨大な姿となっていた。ただし、その壁は真っ黒でおどろおどろしく、怨念が宿っているのか、城の上空は常に曇天となっている。
水堀は100メートルはあり、本来は存在したビルなどは全て水の中に沈んでおり、入り込もうとすれば、門まで水堀の上に掛けられている頑丈に作られた木製の橋を通るしかない。水の中を進もうとすれば、沈みしビルの影に棲まう悪魔が襲いかかる。蛇のようなものが紐のような白いものが泳いでおり、獲物を虎視眈々と狙っているのだから。
城壁も同様だ。漆喰で塗られた黒き城壁は高さが30メートルはあり、銃眼が蜂の巣のように作られており、人骨がボロボロの足軽鎧を身に着けて、火縄銃を肩に担いで守りについている。不死たる武者の怨霊は眠りもせず疲労なく身じろぎしお喋りをすることもなく、ただじっと侵入者がこないか見張っていた。
城外の砂利が敷き詰められている通路には緑の肌を持つ強化グールがペタペタと足音をたてて徘徊している。時折武者鎧を着込んだスケルトンが人が聞いたら気が狂うだろう怨みの籠もった呟きをしながら歩いていた。
城の高さは天をつくようで天守閣は雲に覆われて隠されており、この城が何階あるのだろうかわからない。空には羽の生やした蛇がイツマデと人の悲鳴のような甲高い鳴き声をあげている。
元皇居は鉄壁にして難攻不落たる魔王の住む城へと変貌していた。
この城こそが『唐傘連合』の拠点。都内に走る地脈を支配する中心点であった。名は売れており、人々がその存在を認識しているからこそ、悪魔として顕現したが、さりとて攻撃力の無い妖怪たちが連合を組んでいる、その本部である。
古ぼけた古城。外から見ると悪魔の棲まういかにもな城である。だが城内はその様子を変えていた。たしかに通路は木の板、襖にて部屋は区切られており、いかにも戦国時代にありそうな内装だが、中心に進むと様相が変わる。どのような材質で作られているかはわからないが、滑らかなつるりとした銀色の壁や通路、天井には180度監視カメラが備え付けられており、扉は金属製で自動ドアだ。
近未来的な光景がそこにはあった。そして部屋内に入ると……。
白衣を着込む人間たちが、乱立したカプセル型の柱の前でコンソールを操作しながら研究をしている。他にも血で汚れきった手術台や、切り刻まれた肉塊が瓶の中に保管されて浮いていた。
多くの人間たちがそこにはいた。カプセルの中には緑色の液体が充填されており、人間らしきものが浮いている。いや、人間だけではない。悪魔も同様に何体も浮いている。人間は頭が2つあったり、胸から腕が生えていたり、顔が鼠に変わっていたりと、異形の姿となっている。
研究者たちはその光景を罪悪感なく見ていた。その目はギラギラと血走っており、狂気に満ちている。マッドサイエンティストたちの集まりだと、一目見て理解できるだろう。
「やめてくれ、やめてくれぇ〜」
拘束された状態で手術台に乗せられた青年が激しく暴れて逃げようとするが、拘束具はビクともせず、逃れることは叶わない。泣きながら悲鳴をあげる青年の前に、手術服を着込んだ男が手に持つメスを光らせる。
「だぁいじょーぶ。私の施術によりこれから人間を超えた進化した姿へと貴方は変わるのですぅ」
やけに甲高い声で白衣の男はニヤニヤと笑い青年を見つめる。
「頼む! 助けてくれ! 何でもするから助けてくれ!」
恐怖で覆われた顔を白衣を着た男へと向けて必死に懇願する青年。白衣の男はその青年の顔へと近づけて覗き込む。
「なんでも? なんでもするんですか?」
「あぁ! なんでもする! なんでもするよ!」
この機会を逃せば自分は死ぬに違いない。いや、もっと酷いことになるだろうと確信して激しく首を縦に振り頷く。
その様子を楽しそうに見て、白衣の男はニタリと怖気を誘うような笑顔を作る。
「良いでしょう。では、先払い。なんでもしてくれるか試しますねぇぇぇ」
「ひ、え? そんな、やめてくれぇ!」
ケラケラと笑いながら白衣の男はメスを無頓着に青年の胸に突き刺した。浅く切り裂き血が吹き出す。開いた肉の中に白衣の男はヘドロのような色の液体が入っている注射を刺して、液を流し込む。
「が、カァッ」
苦しみのたうち回る青年。拘束具がギシギシと軋み音をたてて、手術台が激しく揺れる。少しすると驚くべき変化が起きた。青年の顔は枯れ木のように変貌し、その肉体は水分が失われて骨と皮だけのようになった。目は白目となり、歯が尖っていき牙となる。皮膚は緑の鱗のように変わった。
「ウグォ」
遂に拘束具は弾き飛び、青年はよろめきながら立ち上がる。その様子を見て、顔に手を当てて、白衣の男は悔しそうにする。
「おー。残念だぁぁぁ。本当に残念だぁ。今度こそ、今度こそいけると思ったのですが食人鬼に変わってしまいましたかぁぁ」
「キヤァァ」
グールは残念そうにかぶりを振る白衣の男へと牙を剥き威圧をするべく咆哮する。ピリピリとその音量に身体を僅かに震わせられるが、白衣の男は気にせずにカルテを持ち上げて考え始める。
「なぜ失敗したのでしょうかぁ」
「キィヤァ」
「あ〜、うるさい。城内の警備でもしなさい」
目の前で叫ぶグールに手をひらひらと振って追い出す。金切り声をあげていたグールだが、白衣の男に襲いかかることはせずに、スタスタと外へと向かう。また一人、この城を守る悪魔が増えたのだが、そこは気にしない。
「やはり魔力の濃度を下げるべきですかねぇぇ」
独り言を呟く白衣の男だが
「あまり時間をかけてもらっても困るんだけどね?」
後ろから耳心地の良いバリトンの声が掛けられてきたので振り向く。背筋を伸ばして、姿勢の良い姿で現れたのは、タキシードの男だった。歳は30代前半だろうか。片眼鏡を目に嵌めて、シルクハットをかぶっている男だった。その顔は平凡で特徴がない。特徴がないからこそ美男子であるが、目を離せば記憶から消してしまいそうな存在感の薄い男だ。
「メフィストフェレスですかぁ。ここに顔を出すとは珍しい。いつもは図書館に閉じ籠もっていますのにぃ」
「そろそろ魔力持ちの人間を生み出すことができるかと思ってね。確認に来たんだけど………うまくいっていないようだね、宇田君?」
宇田と呼ばれた白衣の男は肩をすくめて答える。
「そぉんな簡単にはいきませんよぉぉ。実験はしておりますが、このようなものは数年単位で成果を見てもらわなければぁぁ」
「そこで慌てることなく答えることができるのは君の美徳ですね」
「数カ月で成果を見せることができるなら、とっくに世界は悪魔のものになっていた。そうではありませんかぁ?」
痛いところをついてくるとメフィストフェレスは苦笑して頷く。よくある小説や漫画のように、ひいっと恐れる様子を見せない宇田は非道なことにも手を染めて、そこに罪悪感を持たない希少な存在だ。マッドサイエンティストであるが理性的でもある稀有な男だった。
「魔力持ちの人間を人為的に作り出すことができれば、もはや魔力に困らなくなりますからねぇ? 魔力ジェネレーターとして人間を改造する。大変な研究ですよ? 見てください、あれを」
宇田が隣の手術台へと指差す。そこには一抱えほどの肉塊が存在しドクンドクンと鼓動をしていた。肉塊には人間の顔が張り付いており、毛細血管がびっしりと這い回っている。腐臭を放っており、普通の人間なら、その悍しい姿に恐怖するだろうことは間違いない。
「ふむふむ。これは魔力を放っていたのかね?」
「3日間吐き出していましたぁぁ。人間の魔力。色のない魔力で貴方たちが求めているものですねぇぇ」
「ほう? でもたった3日かね?」
色のない魔力。自身の存在を揺がさない悪魔たちの求める魔力が生み出されたと聞いて、眉根をピクリと動かしてメフィストフェレスは興味を示す。
だが、宇田は首を横に振り、残念そうにする。
「成功したと最初は思いましたぁ。魔力ジェネレーターとして早くも完成したのかと。私の才能が怖いとぉぉ〜」
片手で顔を覆って、演技でもするようにわざとらしく宇田は悔しがって見せる。
「駄目でしたぁぁ。精神が壊れてしまいましたぁあ。ちょっと肉塊になっただけなのに、あっさりと精神が壊れて魔力を放つことがなくなりましたねぇぇ。人間の精神というのは脆いものですぅぅ」
肉塊はおどろおどろしく怨みのこもったうめき声をあげている。しかしながら、そこには意志はなく単なる条件反射のようであり、本当の意味での怨みは感じられない。
「祓い師はどうだったんだね?」
一般人は心が弱すぎると思い、メフィストフェレスはならば祓い師ならと確認するが、宇田は否定してきた。
「そもそも魔力を受け入れることがありませんし、その実験は意味がないと思いますよ? 一般人を魔力ジェネレーターに変える実験ですよねぇぇ? 千人に一人の存在を魔力ジェネレーターにするのではなく?」
「あぁ、君の言うとおりだ。そうでなくては意味がない」
魔力ジェネレーターとして手軽に人間を魔力を吐き出す存在へと変える。その実験をメフィストフェレスは人間に任せていた。悪魔よりも悪魔の思考をするのが人間たちだ。メフィストフェレスは永き生の中でそれを知っている。
核ミサイルなどを作り上げて喜ぶ人間たちを見て呆れたものだ。大規模を焼き尽くし、さらに放射能を撒き散らし死の星へと変える武器を作り出して、よくもまぁ歓喜できることだと。
今もそうだ。人間たちを魔力ジェネレーターに変える実験を嬉々として宇田たちは行っている。倫理観なく実験を続けているが、完成すれば人間たちは滅亡間違いないというのに。
「魔力で汚染すると悪魔へと変わってしまいます。………最初から魔力に汚染されている人間で実験をするとどうなるのでしょうか。しかし、この地にはそんな人間はいませんしねぇ」
「ゆっくりと実験をしてくれたまえ。私は再び図書館に引きこもるつもりだ」
悩み始める宇田へと手を振ると帰ろうと踵を返して
ズズンと轟音がして、天井から埃が落ちてきた。
「んん? 何かあったのかな?」
その後も轟音は鳴り響く。どうやら攻撃を受けているようだとメフィストフェレスは目を細める。
「大変だぁ。メフィストフェレス、人間たちが攻めてきたぞ〜」
慌てて叫びながら奥から唐傘がふわふわと飛んでくる。
「予想よりも遥かに早い。どうやらウルゴスと名乗る神が動いたようですか」
楽しそうに呟いて、メフィストフェレスは外の様子を見に向かうのであった。




