77話 これでも魔王なのじゃ
轟々と燃え盛るトニーさんに、華子たちはほんわかしていた空気が消え去り、危険な死の匂いが広がる世界へと変わった。
「きゃぁぁー。トニーさん!」
華子は突如として行われた惨劇に口を抑えて、身体をくの字に曲げて絶叫する。確実に死ぬだろう。もはや消すこともできない。手遅れだと華子は真っ青になった。キッと目力を込めて後ろを向くと、見慣れた幼馴染たちが投擲を終えたポーズで玄関前に立っていた。
「英雄っ! なんでこんなことをしたのっ!」
信じたくはないが、幼馴染が殺したのだ。泣きそうな声で責めると、英雄はニヤリと醜悪な笑みを作る。まるで、まるで……悪魔のような表情だった。
「助けてやったんだろ! 危ないところだった! 残りの盗賊にも攻撃だ!」
「おぅっ!」
「そりゃ!」
英雄の指示に従い、まだらが火炎瓶を音恩に投げつけて、コツオが釘打ち機を構えて撃ち始める。動揺を露わにしている音恩だったが、すぐに冷静さを取り戻し、躱そうとするが効果範囲の大きい火炎瓶から逃れる術はない。それに食料を持った幼女たちはポカンと口を開けて呆然としている。
虐殺が始まると、目の前が真っ暗になる華子であったが
「仕方のない奴らだな」
燃え盛るトニーが苦しむこともなく、飛んでくる火炎瓶を受け止めて、撃ち込まれた釘の前に出て身体で防いだ。キンキンとなぜか金属音が聞こえてくることに不思議に思う。
「硬度20合金パワー。へっ、物理攻撃は効かねぇんだよ」
腕をひと振りするとトニーを覆う炎は消え失せて、焦げ一つない姿を現す。不思議なことに服は焼けておらず、釘による穴も空いていない。
先程の頼りにならなそうな青年はどこにもおらず、恐怖を覚える姿。オーラというものなのだろうか。肌で凄みを感じさせるトニーは目を細めて、哀れみの視線を向けてくる。
「そう言うことなのか」
「な? 化け物めっ!」
釘打ち機を動揺と恐怖で顔を引きつらせて動きを止めていたコツオから英雄は荒々しく奪いとり、トニーへと撃ち続ける。プシュプシュと空気の抜ける音が響き、銀色の釘が飛んでいく。だが、人間ならば大怪我を負う攻撃を前に、トニーはビクともしていない。微動だにせず、釘が刺さることもなく、平然としていた。
「っ! その力は!」
音恩が何かに気づいたように目を見開き、華子たちは信じられない思いで、その様子を見ていた。
「おりゃあ!」
大柄な体躯のコツオが身体を沈めて体当たりを仕掛ける。トニーは片手を突き出して、そのタックルをあっさりと受け止める。体格はトニーとは比べ物にならないのに、猛牛のような突撃に、後ろに下がることもなく岩のごとき不動さを見せつけていた。
「無駄だぜ。君たちは僕の相手にならない」
静かな物言いで、トニーは受け止めていた手を軽く押す。グンと強い衝撃を受けて、コツオは数メートルの距離を吹き飛ばされた。
「ひ、ひいっ!」
地面を転がったコツオはたいした怪我は負っていなかったが、その表情は衝撃を受けて恐怖の色に染まっていた。まだらが火炎瓶を投げつけるが、今度は割ることもなく、ふわりと優しく受け止めてしまう。
「なんだよ、お前! 何なんだよ!」
狂乱する英雄にトニーはズカズカと近づき、周りの人々は恐れを抱き、海が割れるように後ろに下がる。
「そうか。魔力ってのはこういうふうに出来上がるのか。なるほどねぇ、ボスには後で報告しておこうっと」
釘打ち機は弾丸たる釘を無くして、カチカチと虚しくトリガーを引く音だけが空中に溶けていく。トニーは英雄の持つ釘打ち機を片手で掴むと奪い取る。
「あんたからは魔力を感じる。まぁ、意味わからないよな。魔力を持った人間なんてさ」
そのまま釘打ち機を両手で包むと力を込める。グシャリと釘打ち機は小さく丸まっていき、ただの金属塊となり、トニーはポイと口に放り込みゴクリと呑み込んでしまった。
人ではない。その力は人ではありえず、金属塊を呑み込んでしまったのも手品には見えなかった。
「このままだとお前は破滅だ。だから無理やり連れて行くことにする」
嘆息混じりに青年は口にして、硬い口調で宣言する。
「ここは僕が制圧する。暴食の魔王たるグラトニー様が支配者だ。文句のある奴は……」
片手を振り上げて、コンクリートにトニーは勢いよく振り下ろす。ガスンと強い音が響き、拳がコンクリートの中に潜り込み破片が散っていく。
パラパラとコンクリート片が舞い散り、青年の顔が一瞬人ではないように華子は見えて息を呑む。
「ひ、ひいっ……」
ヘタリと腰を抜かし座り込む英雄たち。他の者たちもその姿に恐怖で慄く。それらの視線を気にせずに、トニーは周りを見渡す。
「お前ら、さっさとイーストワンに向かうぞ。反論する奴は言ってください。僕と殴り合いできる人が良いと思いますよ」
もはや反論することなどできずに、華子たちはコクコクと頷き返すしか選択肢はなかったのだった。
なぜかその瞳は悲しみを宿していると、トニーの目を見て華子はフト思った。
その後は簡単だった。あれほど狂気に満ちていた英雄たちは意気消沈し、他の面々はというと……。
「本当にお肉を貰っても良いのかしら?」
おばちゃんが音恩たちが配る食料を恐る恐る受け取り確かめるが、ハイと笑顔で巫女は返す。そのままバーベキューをするために用意された鉄網へと向かい、他の面々に混じり焼いて食べる。一口食べて幸せそうに涙ぐむ。数カ月ぶりの肉だと喜んでいた。
「ジュースも貰っても良いの?」
「どうぞどうぞでしゅ」
「久しぶりのジュースだよ!」
幼女が手渡した缶ジュースを貰い子供が笑顔でプルタブを開けて、コクコクと飲む。一気に飲んだことにより咳き込んでしまい母親が優しく背中をさすっていた。
ワイワイと人々は配られた食べ物を久しぶりの温かい食べ物だと夢中になって食べる。200人の人々だ。トニーが持ってきた食料はすぐに無くなろうだろう。
「本当にイーストワンに行けば、普通の生活ができるのかね?」
「だろうよ。だって、これだけ普通の食べ物があるんだよ?」
「チェッ、なんで俺たちはこんな所に引き篭もっていたんだよ。馬鹿みたいだったよな」
先程のトニーの魔王宣言を気にすることもなく人々は和気あいあいと食べ物を口にする。魔王だろうが悪魔だろうが、困窮していた自分たちを助けてくれるのであれば問題はないということだろう。
心の片隅には、この食料は餌で、イーストワンとやらに向かえば、奴隷のような扱いが待っているかもしれないとは考えているが、それならば力づくで問題はない。外でバーベキューをしていても、ゾンビに襲われることが無いのは、トニーが警戒しているからだ。怖そうだが、優しそうだと、人々はその様子を見て考えていた。
食べ物とは兎角強い。百の言葉よりもひと切れの肉の方が説得力があった。
「ねぇ、華子。聞いてよ、さっき白い柱が立ったのはここらへんを彷徨いていた悪魔をトニーさんたちが倒したからだって!」
「うん。機動兵器もあるって!」
ランとルンが興奮気味に語ってくる。ぽてぽてとそこらを歩き回る幼女たちから聞いたようだ。どうやらかなりの戦力を持っているらしい。
「魔王軍って、そんなに強いの? というか、そんなに人に優しいわけ?」
魔王は人を苦しめる存在ではなかろうかと首を傾げてしまう。なんか変だ。
「それは魔王軍ではないからです。あの魔王は神に仕える者。だからこそ、人々に優しいのですよ」
「え、と、貴女は?」
袴姿の凛とした少女が話に加わる。さっきまでは車の中で休んでいたように見えたが、体調が回復したようだ。
「あぁ、私は蓮華天華と申します。ウルゴス神に仕える者というところでしょう」
「貴女も……その魔王なんですか?」
トニーと同じく魔王という人外だろうかと尋ねると苦笑を浮かべてかぶりを振ってくる。どうやら違うみたいだ。そして、腕を組んで警戒しているトニーへと視線を向けてクスリと微笑む。
「いえ、私は魔王ではありません。あの気弱な魔王とは友人ですが。まぁ、なぜ他の悪魔たちを倒せる力を持つのか不思議でしたが、なるほどと思いました」
フッと息を小さく吐くと優しい表情となる。
「本来は魔王であるとバラすつもりはなかったのでしょうが……」
「はぁ……」
なにか含みがある言葉なのはわかるが、それ以上のことは分からない。聞いても答えてくれない予感もしている。
「イーストワンに行けば、ここよりもマシな生活になるでしょう」
その言葉には真摯さが感じられて本当だと信じられるものがあり、ランとルンと共に頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!」
「助かります」
「水は使えるのかな?」
「あぁ、大丈夫です。その、……洗濯とかもできますよ。水はふんだんにありますので」
遠回しに言ってくるが、私たちは衣服は勿論のこと、お風呂にも入っていないということだ。恥ずかしいと赤面しつつ、華子たちは久しぶりに楽しげに笑い合うのであった。
ひとしきり話し合い、その後に華子は隅に体育座りで座りこんで意気消沈している幼馴染たちへと近寄る。
「はい。食べないとお肉無くなっちゃうよ」
紙皿に乗せた焼き肉を差し出すと、ノロノロと顔を持ち上げて虚ろな視線を英雄は向けてくる。
「なんだよ、あの力は。化け物じゃないのか? なんで皆平気そうな顔をしているんだよ。僕のやってきたことは無意味なことだったのか?」
かすれる声には力はなく、さっきまでの狂気の光も瞳からは喪われていた。どうやら先程のトニーとの戦闘にすらならなかった戦いでショックを受けたらしい。
ん〜、と華子は首を傾げて、どう答えようか迷う。最近の英雄たちは控え目に言っても酷かった。あと少しこの暮らしが続いていれば、致命的な崩壊があったかもしれない。
トニーさんでなければ人が死んでいただろう。危うい所で英雄は助かった。もしも人を殺していたら………どうなったかと恐怖でブルリと身体を震わす。
しかしそうはならなかった。ギリギリセーフであった。個人的にはアウトだと思うけど。トニーさんは気にしていない様子だから、慰めることにする。多分正気に戻っているようなので、罪悪感に襲われているようだし。
「まぁ、この世界は変わったじゃないの? あぁいう人? 魔王? がいる世界になったんだろうね」
「僕のがんばりは無意味だったと? 無駄だったと?」
「そんなことはないと思うよ。助かった人がたくさんいるじゃん」
本当は最近は英雄は駄目だと心では思ったけど嘘をつく。英雄が頑張っていたのは確かなのだから。責任感からのプレッシャーと、いつ死ぬかという不安から心の均衡を崩していたのだから。
「ぼ、僕、僕は……うわァァァっ」
堰が切ったように号泣する英雄。華子は優しくその背中をポンポンと叩くのであった。
英雄たちの身体から薄っすらと魔力が空中に溶けて消えていく。魔力に汚染されていた少年たちはその心を取り戻したのである。
ちなみにコツオとまだらは幼女が頭をナデナデして治った。
「なぜ、魔王だと正体を告白したんですか?」
天華は何やら感動的な光景を繰り広げている少年少女たちを尻目に、ジープに寄りかかりバーベキューを楽しむ人々をぼんやりとした顔で見ているトニーへと話しかける。
「ん〜……なんつーか。僕は悲劇があまり好きじゃないんです。このままだときっと彼は悲しい終わり方になっていたと思ったんですよ」
「魔王と明かさなくても良かったのでは? 貴方は元は暴食の魔王ホウショクですね?」
天華の顔は真剣で、その口調は確認のための色合いを持っていた。まぁ、バレるよなと肩をすくめて頷き肯定する。もはや隠せないことだ。
だが、嫌だったのだ。これが悪人ならば良かったが、どうも魔力に汚染されているように見えた。助けたいと思ったのだから仕方ない。
「なるほど、ウルゴス神は魔王を創り直せるのですか。ですがその人間の姿は?」
「あぁ、これは死んだ奴の記憶、魂を吸収したから残滓のようなもんだ。本当はこの間あんたが戦ったあの醜い姿だよ」
ハーレム計画は頓挫したので、整形をお願いしようかなとトニーは考えていたが
「魂を吸収したということは、貴方は人間でもあるのですね」
と、予想外に優しい微笑みを見せてくる天華に驚いてしまう。それ以上に次の言葉が意外だった。
「しかし魔王を放置するわけにもいきません。どうでしょう、私の提案に乗りませんか?」
その内容は驚くべきものであった。




