75話 避難民のために
何やら空に白い光が聳え立ったことを今日の見張り番の柏田ルンは口をぽかんと開けて瞠目していた。してしまった。
明らかに異常な事態だと、黒髪をばっさりと切ってショートヘアにしている少女は隣の姉へと顔を向ける。
「ランお姉ちゃん……なにあれ……」
「えと……なんだろうね」
ポニーテールの少女、柏田ランも同様に驚き呆然と口を開いていた。無理もない。かなり遠くであり、ビルなどで視界は阻まれており、よく見えないが、光の柱は天まで聳え立っている。神々しさを感じるその光の下にはいったいなにがあるのだろうか。
「と、とりあえず、皆に伝えないと!」
空手を得意とするランは鼻息荒く立ち上がる。真夏の陽射しを防ぐために簡易的にベニヤ板で作られていた小屋の天井に頭が当たり、ミシミシと音を立てて崩れ始める。
「しまった! きゃあ」
「あわわ、大丈夫? うわわ」
2人は絶妙なバランスで組み立てられた小屋が崩れ始めて、その下敷きになり、悲鳴をあげるのであった。
ベニヤ板で作られた突貫工事の小屋であり、小屋が壊れた以外は大した怪我を負うこともなく、2人はビルを降りていく。元は役所やレストランの入っていたビルは12階程度であり、エレベーターを使わずとも降りることはできる。しかし夏の暑さの中で降りることにより、暑さで汗が滝のように流れ落ちていく。目的地である5階に到着する頃には汗でびっしょりとなっていた。
ランは16歳、妹のルンは14歳。しかも空手を学んでおり体力には自信があるが、それでも息は荒くなり、疲労が身体を重くする。汗を拭くにもタオルは汚れており、いまいち使う気になれない2人は手で額を拭いながら5階に入る。
「おや、柏田姉妹じゃないか。見張り番の時間はまだまだだろ?」
入り口で門番をしていた中年の男が非難がましい視線を送ってくる。どうやら暑さに耐えることができずに戻ってきたと思われたらしい。
ランはその視線にムッと口を尖らせて反論する。
「違うわよ。外の光が見えなかったの? ……あぁ、見えるわけ無いか。窓全部塞いじゃっているしね」
皮肉そうに答えて、手をひらひらと振る。5階の窓はランの言うとおり、その全てが塞がれていた。近くの工事現場やモールから持ってきたベニヤ板や厚紙などで塞がれており、ほとんど光は入ってこない。灯り取りのために少しだけ隙間が作られているだけだ。
この暑さの中で、そんなことをすればどうなるか。もちろんのこと、サウナの如し暑さとなり部屋は蒸して中にいることは無理となるが、水を金盥に入れて置くことにより、なんとか耐えられるだけの暑さとなっていた。
人々はこの暑さもあり体力を奪われて座り込んでいる。他の階にも住んでいる人はいるが、ここと大差ない。
だが、ここにはリーダーが住んでいる。そのためにランたちはやってきたのだ。元自分たちの通っていた中高一貫校である学校の生徒会長であった多治米英雄が。
「光? この昼間に光が見えたのか? ビルの反射光じゃないのか?」
「異常であることは間違いないでしょ。間違えていたら見張り番に戻るわ」
首を傾げる男性に、ランはかぶりを振って否定する。あれは決して反射光では無かった。だが、ここで問答しても無駄だろうと、適当に答えて先に進む。門番も面倒くさいのか肩をすくめるだけで、止めることはしなかった。だいぶやる気をなくしているのだ。無理もない。この暑さだ。動くことすら、口を開くことすら疲れを覚えてしまう。
てくてくと歩いていくと、ドアは開きっぱなしで、人々の顔は虚ろだ。この暑さで汗をかき、体臭も酸っぱい匂いを越えて、腐ったような硫黄のような臭いだ。鼻が馬鹿になってもおかしくない。いや、気にする様子もないから、もう鼻は効かないのだろう。自分たちも見張り番で外に出ていなければ臭いを気にしなかったと思う。
元レストランのホールへと入ると、椅子やテーブルは片隅に纏めて片付けられており、そこかしこで布を敷き寝ている人々が目に入る。だが、その奥に進むと1卓だけテーブルが置かれており、そこに数人の男たちが集まっていた。
地図を広げて熱心に話し合っている。この暑さと絶望的な環境に人々の意思が折られている中で、頼りになりそうに見えるか、それとも異常だと見るかは人によるだろう。
自分はどちらなのかと思いながらランはルンを連れて、近寄っていく。
「ここのスーパーはどうだい?」
「まだいけるかもな。でも水がなぁ……」
大柄な少年が難しそうな表情で腕を組み、そばかすが残る少年が嫌そうな顔で口元を歪める。
「それに他の生存者たちの姿も見るぜ。ほら、この間来た奴とかさ」
眼鏡をかけた少年が額から流れる汗を真っ黒に汚れたタオルで拭き、汚れが広がる。チッと舌打ちしながら、眼鏡を外すと今度はポケットから真っ白なハンカチを取り出して汗を拭う。そのまま眼鏡をハンカチでキュキュと拭き掛け直す。
「あの頭のおかしい青年か……」
ランが近づくことに気づかずに、英雄は顔を顰めさせる。
「食べ物も持っていないのに、絵画や壺を抱えていた変な奴だったな。たしかになんであんなことをしていたのかさっぱりわからなかった」
少し前に現れた青年。もやしのようにひょろりとした体躯の青年は、なぜかリュックに壊れた壺や汚れた絵画などガラクタを詰めていた。食料などまったく持っていない男だった。
ひと目見て、心が壊れているとわかる青年だった。普通に話し合いができるのがまた怖かった。なので荒々しくここには来るなと追い払った。そうしたら、まぁ、仕方ないかと頭をかいて、あっさりと去っていったのだが……。
「安全な拠点があるからと言いながらあっさりと去った。もしかしてあれは罠だったのかも」
あからさまにおかしかった。もしかしたら偵察に来た斥候だったのかもと、改めて青年の様子を思い出して、英雄は嫌な予感に顔を歪める。
「もしかしたらそろそろ時は来たのかもしれない。人間同士の争いが始まるのかも」
「マジかよ……海外ドラマは嘘つかないんだな」
「僕たちの拠点はたっぷりと食料あるもんね」
追随するように取り巻き2人が頷き、剣呑な空気になりそうになったのを見て、ランはため息混じりに話しかける。
「ちょっとお話し合いのところ、すいませーん」
白けた表情でランが話しかけると、英雄たちはようやくランたちの存在に気づいたのだろう。顔を向ける。
「なんだ、ランか。なんだよ?」
「外でさ、白い光の柱がドーンと立ったのよ。ちょっと様子を見に行って良い?」
「うん、天まで昇る光の柱だったよ」
多少ジト目になりながらランは尋ねる。ルンも手を広げて光の柱があったことを説明するが、英雄たちは鼻で笑ってきた。予想通りだよと、ランは失望を素直に顔に出して肩をすくめる。英雄はランの態度に仕方のない娘だなと見下すように話を続けてきた。
「この陽射しだよラン。ガラス張りのビルなら、強い陽射しで光る時もあるさ。それよりも他の拠点との争いさ。そろそろ起きる頃だと思うんだ。周りの店舗の食料品などはあらかた運んだからね。欠乏し始めた連中が襲いかかってきてもおかしくない」
深刻そうな表情で言う英雄にランはため息しかつけない。
「ねぇ、本当にそう思っているの? 周りを見てよ。もうそんなことを言っているのは英雄たちだけじゃん。大人たちは誰も彼も寝ているか、思考を止めて見張りをしているだけだよ。この状況をどうにかしないといけないと思うんだけど?」
手を振って周りを指し示す。暑さで倒れて熱中症一歩手前の人々たちはランたちが言い争ってもちらりと見るだけで、すぐに興味を無くして寝っ転がる。
ゾンビたちが現れて、化け物が溢れかえった世界となって皆がゾンビに食い殺されて死ぬ中で、英雄を中心に集まった。この役所に。地下には発電機に災害時の食料があり、防火シャッターで通路を塞げるビル。しかし一見すると広々としており、防衛に向かないビル。英雄はなぜかここの建物の詳細に詳しく、200人ばかりの人々とここに避難した。
元は学校にいたのだが、皆で隠れながら移動して来たのだ。その後は大人が30人程度であり、しかもやる気がないのか責任をとるのが怖いのか、皆が英雄をリーダーにして今に至る。
最初は良かった。まだまだ店舗にも食料はあり、すぐにこの状況は解決するだろうと思っていたから。しかし、一週間経過して、二週間が過ぎるとこれは簡単に解決しないと人々は危機感を持ち、英雄は責任感からか疑心暗鬼となった。
それまでは時折やって来る人間は保護していたのに、このままでは人々で溢れかえった食料品が足りなくなると言いだして排他的になった。周りの人間も同意して、それ以来ピリピリとしている。
しかも疑心暗鬼は段々と酷くなり、最近は他の拠点が襲撃に来ると考えて、取り巻きのコツオとまだらと無意味な話し合いばかりしている。そのことに呆れて、少しはやる気のあった大人たちは話し合いから逃れるようになってしまったのだ。
英雄はもはや独裁者として君臨し、食料を回収すること以外は襲撃の対抗手段を話し、残りの時間は盗む奴がいないかと食料品の数を数える毎日だ。
「まずは襲撃を防ぐことが肝心だよ、ラン。訓練内容を考えないといけないと思うんだ。新たに考えたのがこの訓練スケジュールなんだけどどう思う?」
どう思うも、動くことさえままならないこの状況で、訓練などできるはずもない。しかも何回も少しだけ変えた訓練内容を見せてくるのでウンザリだ。
「華子はどこ?」
ここにいて、いつもは穏やかに英雄たちを止めてくれるストッパーがいないことに怪訝に思う。優しい華子だから残ってくれたのだが……。
「発電機の燃料のガソリンを探して地下にいるよ。もうとっくにないのにさ」
発電機に備わっていた軽油は僅か一日で尽きた。だが、なんとか動かせないかと地下に向かったらしい。
………逃げたなと、ため息を吐く。幼馴染が見捨てるぐらいだ。もう限界なのだろう。
「仕方ないわね。それじゃ私たちだけで調べてくるわ」
「………だね。お姉ちゃん行こう」
隠れながらなら、半日ぐらいで戻って来れるだろうとひらひらと手を振ってランはこの場を離れようとする。だがその腕をガッと強く掴まれる。あまりの力に痛さを覚えて顔をしかめて英雄を睨む。
「なによ?」
「駄目だっ! 外は危険なんだ。ゾンビに気をつければ良いと思っているんだろう? 単純なランならそう思うだろうけど、そこかしこに隠れながら人間が隠れているんだ。こちらの隙を狙っているんだよ!」
「どこにそんな暇人がいるのよ! 生き残るだけでも限界でしょ!」
「馬鹿ラン! だからお前は考えなしなんだ!」
2人が強く口調で言い争い、ルンたちはその様子をあわわと慌てて止めようとするが、2人とも激昂して止まることはしなかった。
そうして数十分もの間、延々と怒鳴り合い、周りが冷たい視線になる中で
「大変だっ! ジープがやってきたぞ、ジープだ!」
転がるようにホールに入ってくる人の言葉に騒然となるのであった。




