69話 希望か鬼謀かわからない
今や更地となってしまったイーストワンの広間にて、パイプ椅子に座り、辺りの様子を観察しながら、神凪シュウは疲れ果てていた。悪魔を奉ずる怪しげな大神官の相手は大変だったと述懐する。
「まったく目的がわかりません。いや、私たちのマナを吸収しているのですから、ウルゴスのパワーアップを狙っているのでしょうが……それにしては吸収されるのは魔力ではないですし」
呟きながら、疑問を持って首を捻る。魔力は人の負の感情から生まれる。悪魔はそれを食料として、以前は存在していたのだが、大量に魔力を吸収される場合、元の人間は悪人となる。暴力に喜びを感じるか、人を妬み、世界を憎み、かなり酷い様相となってしまう。悪魔たちは魔力が欲しいからこそ、人々を苦しめるのだ。
しかし、今はどうだろうか? 広間の真ん中に設置されている金ピカのウルゴス像の前に立つ大神官冬衣、その妻の櫛灘、そして大勢の人々を見る。
広間には数日前に設置された祈りをエネルギーとする水晶柱が建っており、人々が切に願っていた綺麗な水が滝のように流れている。不思議なことに窪みに溜まっても溢れかえることがない。
気の回る者が水を無駄にはしまいと、水道管を取り付けて、他でも取水できるようにしていた。不敬だと冬衣は怒るかと思われたが、意外なことに胡散臭い笑みで、人々のためになるならと許可してくれたので、網の目のように水道管は広がり始めてもいた。
ようやく水が手に入ったことにより、人々は身体を拭き、服を洗い、ようやく真っ黒に汚れていた状態から抜け出せて、晴れ晴れとした顔をしていた。
そして今は新たなる奇跡を求めて、期待に目を輝かせて集まっている。たった数日の間に信者らしき者が出始めていて、神官になろうと冬衣に擦り寄っている始末だ。そこにはウルゴスを神様として信じる者以外に、この先において神官になった方が、良い暮らしをできるのではないかとの思惑も透けて見える要領の良い者の姿もあった。
ここまでは想定していた。目の前で無限の水を生み出したのだ。ウルゴスを信じる者たちも出始めるのは当たり前であった。
問題はそこではない。今まさに問題は目の前で繰り広げられようとしていた。
「それでは、ウルゴス様の奇跡を見せましょう」
「本日は皆の願いを聞いて、脱穀機を作り出して貰う予定じゃー」
大神官冬衣は、バサリと神官服をたなびかせて、ふははと高笑いしそうな怪しげな態度で宣言し、アラビアンナイトの踊り子風の扇情的な服を着た半眼の櫛灘がやる気のなさそうな態度で告げてくる。
「妾が奉納の舞を踊る。そなたらは祈り願うが良い」
「あたちたちも踊るのです」
「きゃー! おどる〜」
「むぅ、頑張って妹よ」
「私も踊っても良いのかな?」
櫛灘の後ろで、巫女であるハクという名の幼女がぶかぶかの巫女服を着て、満面の笑顔で手を伸ばしてポーズをとっている。隣にいる幼女はたしか御国玉藻という名の幼女だ。ちっこい手で口元を押さえて、キャッキャッと楽しそうに笑っている。
お揃いの巫女服を着ているので、やはり巫女なのだろう。スエルタがカメラを片手に鼻息荒く撮影をしようとして、頭の痛いことに我が娘の音恩が踊りに混ざりたさそうにスエルタへと話しかけていた。
神域は電気が使えるらしいので、充電したい物があるのだが、シュウたちは入れないので困っている。清らかなる心を持った者が入れるらしく、それならばと護衛をして、小さい男の子を連れて行ったが入れなかった。
たぶん玉藻は特殊なのだ。今更ながらに気づいたが、彼女は異様に神聖力が高い。たぶん神聖力が高く清らかなる心を持っていないと入れないのだろう。
「では、ウルゴス神に祈りなさい!」
シュウの困惑した視線をスルーして、冬衣が手を振り下ろすと、どこからか音楽が聞こえてくる。何度聞いても不思議な音楽だ。なにしろ天から聞こえてくるのだから。手品ではない。神の奇跡なのだろう。
流れてくる音楽はなぜかアラビアンナイト風だ。櫛灘が惜しげもなく魅惑的な肢体を見せつけるように踊る。汗が褐色肌を伝い、舞い踊る豊満な肢体と、艶めかしい蠱惑的な笑みにみとれてしまう。
熱心に祈るものもいれば、その踊りに欲情し鼻の下を伸ばす者もいる。後ろでぴょんこぴょんこと懸命に飛んだり跳ねたり転んだりする可愛らしく踊る幼女たちに頑張ってと声をかける者たちもいた。
カオスである。間違いなく混沌がそこにはあった。祈りの儀式よりも、サバトよりも酷い光景だ。ある意味魔界の様相を示していた。厭な魔界であった。これならば、おどろおどろしい魔界の方が良いかもと思ってしまうレベルだ。
だが、大神官の力は本物であった。混沌の世界の中で、薄ら笑いをやめることなく両手を翳す。手のひらに純白の粒子が集まっていき、辺りをその神秘的な光で照らしていく。
願いはしょぼいが、その神々しさは大神官を名乗るだけはある。人々の中では跪き頭を地面につけて祈り始める者もいて、他の者たちもゴクリと息を呑み、静まり返る。
天上の音楽が鳴り響く中で、冬衣は厳かに周りへと、人々の心を満たすような声音で叫ぶ。
「脱穀機よ、在れ!」
腹を満たすような声音と言い直した方が良いかもしれない。光は一条の線となって広間に魔法陣を描いていく。光が人々の顔を照らし、バタバタと大神官服が粒子を風のように受け止めてたなびかせる。
魔法陣が描かれると、10メートル程度の長方形の機械が床からゆっくりと滲み出るように現れてきた。農業機械でよくある色合い、赤と黒の塗装が成された機械だ。シュウは見たことはないが、これが脱穀機と言うものなのだろうか。かなり巨大であるが。
通常の機械と違う所がひと目でわかる。機械の表面に幾何学模様の白く光るラインが走っており、チカチカと明滅していた。まるでSFアニメに出てくるような機械だった。しかも10台も現れた。
予想していたのと違うのだろう。人々は顔を見合わせて、戸惑っている。人々が想像していたのは、テレビなどで見る脱穀機だ。刈り取ると合わせて脱穀してくれるタイプであり、触ったら空中に浮きそうな機械では断じてない。
「この機械も人々の祈りで稼働します。ウルゴス神の下賜なさる機械は全て人々の真摯なる祈りにより稼働します。祈りが無くなれば動かなくなります。その点をお忘れなきよう」
冬衣が皆へと告げると、倉田トニーという男が脱穀機に手を当てると、側面部分を触る。バコンと音をたてて蓋が開くと、稲穂を投入する。そして大きな赤いボタンを押下すると、稲穂はシュレッダーに吸い込まれるように中へと入っていき、反対側の蓋が開くと小さな米俵となってポンと吐き出された。
「おぉ〜、米俵になって出てきたぞ!」
「本当だわ!」
「精米は?」
まさか米俵になって出てくるとは誰も思わなかったので、感心して騒ぎ立てる。本当に米俵に米が入っているのかしらんと、踊っているのか転んでいるのかわからなかったハクがぽてぽてと近づき、コテのような物を米俵に突き入れる。時代劇などで米があるか確認する器具だ。名前はわからない。
ドスッと音がして、めり込むとザラザラと米粒をよそってみせた。ふんすふんすとぷにぷにほっぺを紅膨させて得意顔だ。
「おこめになりまちた! げんまいですが、おこめです?」
エヘヘと自慢げに皆へと見て見てとよそった米粒を幼女は嬉しそうに見せて周り、人々は本当だと驚くのであった。
「それじゃ、皆さん。並んでください! 僕と友達からで良いのでなっていいよと言う力の無い女性はお手伝いしますよ」
常に余計な一言を口にする倉田トニーが周りへと伝えると、人々は広間の脇に山と積んである稲穂を抱えて並ぶ。一抱えの稲穂は脱穀すれば1キロほどになるようで、今日のご飯は食べられそうだ。
ずらりと並び、脱穀機へと頭を下げて人々は呟く。
「ウルゴス神よ、我らにお恵みを与えて下さりありがとうございます」
そうして、抱えた稲穂を脱穀機に入れると、米俵へと変えて、ホクホク顔で隣へと移動する。
「はいはい、今日も無料配布するっすよ〜。さつま芋、じゃが芋、大根、玉ねぎ、人参、牛蒡が今日はあるっす」
裾をぶかぶかにした冬衣の部下らしい悪戯そうな笑みを浮かべている娘、たしか人方茜という名の少女が山と積まれた野菜の前で手を振る。これも冬衣たちが持ってきたものだ。全て掘り出されたばかりで泥だらけだが問題はない。洗えば食べられるのだから。
食べ物に困窮していた者たちは、人方茜の下へと集まり、笑顔で野菜を受け取っていく。調味料は山ほど残っているので問題はない。調味料だけは残っていたのだ。というか、使いきれなかった。スーパーなどや、配送センターに山ほどあったのだから。
神域で収穫した野菜は食べると少し健康になるようで、しかも新鮮で美味しい。米を持って野菜を抱えて自宅へと帰っていく。
「うーん、どう思います、シュウさん?」
一見すると和気藹々とした光景だ。米が手に入り、野菜もあり、水はふんだんにある。この拠点は食料面では安泰となった。
一見すると、だ。
「紫煙はどう思いますか? これでこの地は楽園になると思いますか?」
皮肉げにわざと楽園という言葉を口にして、隣に来た紫煙へと問いかける。相変わらずのTシャツジーパンの服装で、サングラスをかけた目の奥はわからない。が、この光景が見せかけだと気づいているようで、口元を曲げて呟くその口調には懸念が混じっている。
「まぁ、宗教国家にはなるやろうなぁ。なにしろ機械を使うたびに祈りを捧げて、毎日1回神様への礼拝をしないといけないんやし。これがもうちっと重々しい儀式なら、嫌う人もいたんやろうけど………」
「そうですね。脱穀機などに奇跡を使用してくれる神様とは驚きを通り越して、呆れてしまいます。庶民的すぎます」
「有り難みもあるけど、こないな簡単な願いも叶えてくれる神様や。人気が出ないはずがないんや」
ポンと願いを叶えてくれる神様。庶民に近い神様ならば人気が出るに決まっている。人々の夢と希望を叶えてくれる神様なのだから。
「宗教というものは一度生まれると厄介です。どんなに弾圧しても完全に消えることはありませんしね。そして神様が本当に生まれるとどのような危険な未来が作られるかわかりません」
「聖歌を唄い、品行方正な聖人ばかりが存在する世界……。正直ゾッとするわ」
聖人ばかりがいる世界は地獄という名に違いないと、昔何かで見たことがある。欲を持たずに、ただ粛々と神様のために生きる世界。あってはならない世界だ。
「もう少し高みにいてくれれば良かったのですが……困りましたね。今のところ打つ手がない」
自衛隊員はこの危険性に気づいていない。神様を便利な道具扱いするつもりだろう。なにしろ機械製の神様なのだから。
祓い師たちも手を出すことはできない。妨害することは、再び困窮することになるということなのだから。
「う〜ん………脱穀機を作り出したのは妙案かもしれませんね。これが私たちにとって希望となるか、冬衣の鬼謀なのか……。暫く様子を見ないと行けませんね」
嘆息混じりに、シュウは脱穀機を使うために並ぶ人々を見るのであった。




