5話 脱出するしかないじゃんな
出雲とリムはこそこそと黒い虫のようにリビングアーマーが空けた穴を登っていた。
「なぁ、不可視スキルは使わないのか? それか浮遊スキル。腰にしがみついてやるぜ?」
砕けたコンクリートの出っ張りを掴んで、ホイさと登っていく。身体が軽い。天使薬の効果が無くなっても楽勝で登ることができるのだ。たぶん格闘スキルが能力を発揮している。
「1分で1のマナを消費するのじゃ。なので、妾は出雲の背中に乗るしかないの。胸を押し付けてやるから我慢するのじゃな」
ぎゅうぎゅうと柔らかい感触を押し付けてくるので、仕方ないよなぁと、リムを担いでも余裕のおっさんはひょいひょいと登る。その鼻の下が伸びているのは間違いない。さすがは悪魔王だぜ。こちらの心の隙間をついてくるな。
言い訳を内心でしつつ登る出雲である。今度、尻尾も触ってみたいもんだなと考えてもいた。ちなみにエレベーターが使えないのは部長が死んだからだ。生体情報での認証がないとエレベーターの扉が開かないことが判明したのである。
即ち、あの部長は俺を殺すつもりだったのだ。戻るまで息があるとは思えなかった。金庫の扉を閉めたら、俺は餓死。世界平和のためだとか考えていたに違いない。
「だから人間ってのは嫌いなんだ」
「出雲は人間嫌いかの?」
「普通に付き合いはするよ? 社会で生き抜くにはそうするしかないからな。だが深い付き合いはしたくないかもなぁ」
「歪んでいるのぅ」
「誰でも大なり小なり、そんな感じだろ。普通に生活している分、俺は普通だと思うぜ」
「たしかにそうかもの。現代社会の闇というやつじゃな」
リムはそう答えつつも、出雲は刹那的な思考だと考えていた。魔力だと賭けて行動するのもそうだし、よく考えないで、ポイントは使う。……刹那的ではなくてアホかもと首を傾げる。お互いに相手がアホかもと思うコンビである。
それに、人死にがあっても、ほとんど気に留めないところも少しおかしい。部長とやらが死んでも、まったく動揺する様子はなかった。話を聞くにこやつは普通の一般人だ。今まで、死ぬ人間を何回も見ているようには見えない。慣れているのではなくて、関心がないのではと推測していた。
それに自分をも犠牲にして敵の力を測るところもおかしい。普通は治癒することができるとはいえ、痛みを許容はできないはずだ。しかも死ぬかもしれないのに。
即ち天神出雲は歪んでいた。まぁ、まだどのような性格かは断定できない。人は環境に合わせてうつろうものだし、悪人が善人に、善人が悪人に、普通の者が狂気に囚われるのもまったく不思議なことではないのだから。しかもこれからの世界はそのような人間が増えるだろう。
とりあえずは、妾の色気攻撃は通じそうじゃしのと、出雲の背中にぎゅうぎゅうと胸を押しつけると、ふへへと喜んでいる様子なので、ニヤリと悪魔王は笑うのであった。
地下から苦労して登り、ようやく出雲は1階に辿り着いた。
「よっと」
片手に力を入れて、壊れた天井を掴むと、ふわりと飛び上がり、1階ロビーに降り立つ。
「凄えな、あの鎧。ここから破壊して地下に来たのか」
爆弾でも落ちたかのように大きな穴が空いている床を見て、口元を引きつらせる。まさしく化け物だったんだねと、よく勝てたなぁと、出雲はドン引きしてしまう。
「少し休みたいところだから、俺の部署に行こうか。コーヒー飲みたい。……いや、この場から急いで離れよう」
「む? 何故じゃ?」
一休みしたいと俺は思ったが、その行動はアウトだと気づいたのだ。
「漫画や小説を参考にするなと言われそうだけどな。こういう現場にだらだらと残っていると、わけわからん集団に襲われたり、救われたりして、こき使われる運命に結局はなるんだよ」
「あ〜……妾もそういうパターンの漫画たくさん読んどる。納得じゃ」
「だろ? なんか上目線の奴がしたり顔で君は自分の力の使い道を知らないようだねとか言って、給与も出さない癖に、命を賭けないといけない戦場に引っ張り出すんだ。冗談じゃないよな」
よくあるテンプレパターンだ。強いけど力の使い方を知らない主人公。ヒロイン登場であっという間に主人公が苦戦していた化け物を倒すのだ。その後のルートは、優しい、ツンデレ、師匠キャラなどルートごとに分かれるのである。
「だが、男主人公ならば、相手はヒロインかもしれぬぞ? それも美女じゃな」
「却下。フィクションだから、良いんだよ。実際、俺はいい歳をしたおっさんだし、ヒロインがいても、なんだおっさんかと、奴隷のようにこき使われるエンドだよ。もしかしたら男主人公がいて当て馬役にされるかもしれないしな」
肩をすくめて、ニヤニヤと悪戯そうな笑みのリムへと半眼で答える。燃える展開はフィクションだから良い。現実だと、まったく疑わしいし、イラッとする展開になるに違いない。特に自分の命がかかっているのだから。
リムは出雲がそういった瞬間の表情を見て、一瞬驚くがかぶりを振って気を取り直すと、後ろ手に胸を反らしてウフンとウインクする。
「妾は良いのかの?」
「お前……いや、リムの肉体は俺が掴んでいるからな。人間よりかは信用できる」
「それは信用とは言わぬわ。だが良いじゃろう。この場から去るとするのじゃ」
「スーツもボロボロになったし、なによりも……たぶん俺は弱いと思うんだよな。無双ルートを間違った予感」
あの大量のポイントを地力を整えるのに使ったからな。少し後悔してるぜ。
「……いや、あれで良かったのかも知れぬ。あの大量のポイントをいきなりステータスにぶっこむと、そなたは天使とかになって、自我が消え失せてどこぞの次元に消えていたかもしれないのじゃ」
「なにそれ怖い。その場合は俺を使役する主人公とか現れそうだな。まぁ、気休めでも嬉しく思うぜ。それじゃ脱出するとしますかね。外は静かなもんだけど」
リビングアーマーが入ってきた玄関扉はもはや跡形もなく、ガラス片が床に散らばっているだけであった。そして、闇夜が広がる外は静寂が支配しており、何もいなさそうだ。
「水道橋じゃからな。この時間はもう誰もいないじゃろ」
このビルは水道橋駅の付近にあるビル。即ちビジネス街にあるのだ。たしかに人は少ないかもしれない。
「住宅街がやばいと? これ電車動いているかなぁ。近くのファミレスに様子を見に行くか。そんで、こんなことになった理由を説明してくれ」
「了解じゃ。ではおぶってくれ」
「もう胸は堪能したから良いや」
「な! この贅沢者め! もう妾の肉体に飽きたのか! ヨヨヨ」
両手を俺へと突き出すリムへと、あっさりと拒否しておく。泣き真似を始める悪魔王だが、そこまで、胸の感触を楽しみたくない。なんとなれば、この先は普通の世界かもしれないからだ。ワンチャンあると思うんだよね。今の戦いとかは世界の位相がずれた空間内だけの話で、現実は変わらないとかさ。
その場合は、うちの会社やばいなと、壊れた玄関扉をチラリと見て、小走りで出雲はその場を立ち去り、連れないのぉと、不満そうに頬を膨らませてリムも後に続くのであった。
うん、悪魔のコスプレをした美少女をおんぶするおっさんの図。通報されるかもしれないんだ。おっさんは社会的地位も守らなくてはならないのだよ。
近場のファミレスに到着し、駐車してある車の影に隠れつつ中を覗くこと暫し。
「駄目かぁ」
俺は店内の様子を見て、肩を落として落胆した。普通に灯りは点いているし、やはり別の位相の戦いだったのかもと期待していたのである。だが、こっそりと近づき中を覗くと、普通の店内ではなかった。
「ヴァ〜」
「アァ〜」
「ヴ〜」
店内を歩き回るのは、ドリンクバーを使おうとする客ではなかった。始発までドリンクを飲んで時間潰しをする連中ではなく、血走った目の人間たちが、ヨロヨロとまるでゾンビのように店内を徘徊している。
血走った目と、口から垂らすよだれ、それとやけに鋭くなった牙のような歯をしている以外は普通に見える。倒れている人間に覆いかぶさり、くっちゃくっちゃと音を立てているのは、きっと介抱しているのだろう。そう信じたいところです。
現実を見ないといけないかと、嘆息してリムへと顔を向ける。
「なぁ、なんでこんなことになっているわけ? 実際、状況を知りたいんだけど」
「ふむ。話せば長くなる。この世の裏には長き戦いがあった」
「スキップ。俺の知りたいことだけ教えてくれ。ありがちな話はいらんから。あ、結社名とかもいらんから」
酷いことを平然と宣うおっさんである。小説でも導入部分を最近は読み飛ばす不精な出雲は、平然とした表情で手をふらふらと振った。
「っと。まずはファミレスに入ってからにしよう」
抜き足差し足忍び足と、犯罪者にしか見えない動きでカサカサと入口に辿り着く。そっとドアを開けるとピンポーンと音がしたので、ありゃまと顔を顰めた。そういや、ファミレスって、こんなんだったな。
「まぁ、良いや。水の法術を使ってみる」
魔力感知だと、リビングアーマーと比べて、こいつらは数はいるが、小バエのように小さな反応しかない。雑魚なので普通に術が通じるだろう。
音がした入り口へとゾンビたちは顔を向ける。介抱していた人ももう大丈夫だろうと口を真っ赤にして、立ち上がる。正直、人間にしか見えないので反対に不気味だ。これが肉体が崩れていたりしたら、ゲーム感覚で……いや、現実だとそれも嫌だな。
『浄化霧』
手のひらを店内に向けると、水の術を使用する。なんか知らんが氷と水は術系統が別れていた。一緒なら面倒くさくないのだが、その場合は使える術の数が少なくなったので、これで良いのかもしれない。
霧が店内を埋め尽くすように手のひらから生み出される。吹き出された霧は神聖力を持ち、ゾンビたちに触れると、その身体を一瞬で溶かした。バシャンと音を立てて、服だけを残し、小さな水溜りとなって店内の数人のゾンビは消え去るのであった。
「うぇぇ! 気持ち悪っ! 硫酸じゃないよな、これ?」
「ふむ。ゾンビたちの耐久力は人間とそう変わらんのじゃ。ただ肉体の力を100%出し切ることができるので、一般人には脅威じゃが、出雲も100%出せる変態になっとるからの。ステータスとスキルの差で一撃で倒せるのじゃろう」
「変態呼ばわりは止めろよ。半神とか呼んでくれ。天神でもいいぜ」
顎に手を当てて、溶けたゾンビたちを冷静な表情で見て説明をしてくれるリム。なるほどねぇと、霧の残る店内へと入る。どうやら生存者はいない模様。
「電灯は問題なし。水も大丈夫か? で、なんでこんなことに?」
ドリンクバーからジュースを注ぎ、空いている椅子に座る。リムは死体があっても気にしない出雲に、やはりどこか壊れているなと思いつつ、同じようにジュースを入れて椅子に座ると口を開く。
「簡単に言うとじゃ。ある物を魔道具にして世界を滅ぼす術式を闇の結社が作った。それを防ごうと光の結社が戦いを挑み、全戦力で大戦争になり相打ち。世界を滅ぼす術式は中途半端に発動して、世界は呪われし魔の世界へと変わった。終わり」
「……悪い。もう少し詳しく話してくれ。世界を滅ぼす術式? テンプレだけどある物って、なんだよ?」
「ウランじゃ。即ち核兵器や原子炉、世界に眠るウランを魔力爆発させたのじゃ」
ニヤリと楽しそうに嗤うリムを見て、出雲はやれやれと椅子に凭れかかる。マジかよ。核戦争が知らないうちに始まって終わってたわけ?