44話 ディストピアの始まり
高官たちは偉そうな態度で顎をしゃくり、作戦室で会議をすると伝えてきた。高官自らが伝えに来るなど珍しいことだ。老齢の高官は部下にペコペコされることがあっても、自分たちが伝言を運ぶようなつまらない仕事をするなんてプライドが傷つけられたと考えているのは明らかだ。
だが、なぜ高官自らが伝言役になったのかは、作戦室に入ったところ理解できた。
「泥沼議員。集めてまいりました」
泥沼議員と呼ばれた老人が作戦室の最前列に座っており、その周りに取り巻きの高官たちがいる。そこへ紫煙たちに声をかけてきた高官が近寄り、頭を下げる。
「あぁ、お疲れ様です。君のような立場の人間が伝言役をすることで、今回の会議の重要さと、我々の誠実さを示すことができたと思いますよ」
「はい。ありがとうございます。皆も議員の言葉通り理解しております」
議員に命じられて伝言役を勤めたらしい。
「あの態度が誠実さだったのですか? 信じられません」
天華が苛立ちを露わに呟くが、紫煙もそのとおりだよねぇと苦々しい顔になるしかない。
「だねぇ、あの態度は反感しか得られないと思うけどねぇ」
なにしろ顎をしゃくって、会議を始めると言ってきたのだ。あの尊大な態度のどこらへんに誠実さを感じろと言うのだろうか。
「こっちだよ、スエルタちゃん、こっち〜」
戦闘が終わっていたのか、先に座っていた音恩がシュウたちと共に手を振って声をかけてくる。祓い師たちが集まっている場所だ。紫煙たちも同じようにそこに座る。
自衛隊員たちは離れた場所に、役人たちも同様に座っている。その座り方は派閥が既にできていることを見事に表していた。たった3週間。スエルタの言うとおり、たった3週間で不協和音は大きくなっていると、紫煙は嘆息する。危険な兆候だよねぇと考えるが、打開策はない。貧すれば窮するとは言葉通りなのだ。
「今回の会議は何なんですか、シュウさん」
「私も知りません。ゾンビたちを片付けたと思ったら、強引に集められたのです」
シュウさんも知らないで急遽集められたことに不思議がっている。
「私たちもわからないの。都内への再侵攻かしら?」
おっとりと頬に手を当てて戸惑う音羽さんに、音恩もコクコクと頷く。なんだろうと、紫煙も天華たちと共にパイプ椅子に座り、様子を見ることに決めた。
全員が集まったことを確認したのか、泥沼議員が満足げに立ち上がると壇上に立つ。小太りの60歳を超えた爺さんだ。先週逃げてきた避難民の中に混ざっていた国会議員で、大臣も何回もやっている有名な政治家だ。あっという間に、この避難所の高官たちを統率し、この避難所のトップについた爺さんである。
正直、紫煙たちは気に入らない。なぜならば、この古狸は祓い師たちの存在を厄災後に知ったこともあり、胡散臭い詐欺師扱いしてきているからだ。自衛隊員の活躍だけで、悪魔たちは倒せると考えているのだろう。祓い師への食事やシフトなどの待遇が少しずつ悪くなっている。
ニコニコと古狸のような顔をしわくちゃにして、周りへと声をかける。この避難所の重要人物が全員集まっていることに満足しつつ、口を開く。
「皆さん、お集まり頂きありがとうございます。今回の会議に集まって頂き感謝の言葉もありません」
一見するとへりくだっている態度なのが質が悪い。政治家というものがどういうものかわかるというものだ。
「今回の提案は皆のためになると信じております。どのような提案かと言うとですね。祓い師、自衛隊員及び家族たちは、この避難所の6階以上に住み、食糧などを確保し、避難民を守るために生活をしたいと考えます。幸いこのショッピングモールの階上はオフィスビルになっておりますが、多少改装すれば、住むのに困りません」
一瞬、静寂が作戦室に生まれ、すぐに騒然となる。お互いに顔を見合わせて、今の提案がどういう意味か話し合う。
「俺たちだけ住むのか」
「そんなことをして良いのか?」
「避難民がなんというか、非難されるぞ!」
良いことなど何もないと、ほとんどの者たちは騒ぐが、政府の高官たちは腕を組み、ウンウンと頷き賛成の意を示していた。
泥沼議員は皆の態度が予想通りだと笑いながら落ち着くように手を振る。
「これは安全のためでもあります。悪魔たちと戦うためには、我々は健康で健全でなくてはいけません。そのためには他の避難民と違い、多くの食べ物も必要ですし、祓い師の方々は禊に水も大量に必要です。しかし、一般の避難民の隣で、多くの食べ物を食べて、綺麗な水を使う。絶対に反感を買うでしょう。そうではないですか?」
痛いところをついてきたと、泥沼議員の嫌な視線を受けて、反対の言葉を口にしようとした祓い師たちは黙り込む。禊の水は必要だ。汚れた格好をするわけにもいかない。神官も陰陽師も魔法使いも神聖力を使うには、常に身を清めて綺麗な格好をしておかなければならない。清き力を扱うには、それ相応の姿をしなければいけない。
自衛隊員たちも同じだ。索敵から敵の迎撃、夜も警戒するためにシフトを組んでいるので、多くのカロリーが必要である。避難民よりも遥かに食べ物を食べる必要があり、現在もそのような体制をとっている。
今は避難民にも配給ができているが、すぐに足りなくなるだろう。そこで、水や食糧を祓い師や自衛隊員が多く貰っていれば反感を買う。だが、配給を避難民と同様にすることはできない。その場合は、悪魔に負けることになってしまう。
だが、避難民たちは感情で動くだろう。腹を空かせて、汚い格好の人々が理性的に動くことはない。大混乱となるに違いない。間違ってはいないのが忌々しいと紫煙は目を鋭くする。
反論が難しいと祓い師たちが顔を厳しくさせて、自衛隊員たちの中には、言い訳ができたと僅かに口元を緩める者もでていた。
泥沼議員は反論が無いと確信して重々しく頷く。
「では、皆さんの了解が取れたと考えて、私たちは6階上に住むことにしましょう。地下シェルターも私たちで厳格に管理をして、これからの苦難の時代を生き残っていこうと思います。苦難の時代とは大袈裟な言い方ですがね。すぐに他の地域の自衛隊も集まり、都内への再侵攻、悪魔の駆逐もできるでしょうから」
「そのとおりです、議員」
「いやはや心苦しいですが仕方ありませんな」
「このような事態です。厳格な体制が求められるでしょう」
パチパチと拍手がまばらに起こる。醜悪な音だと紫煙は苦虫を噛んだ表情となる。
「………泥沼議員。スエルタが質問する。その場合、祓い師、自衛隊員と家族だけが住居を変えることは理解。では泥沼議員や他のお偉いさんたちは避難民と共に暮らす?」
シンと再び静寂が作戦室を襲う。シュウさんたちがクックとスエルタの言葉に含み笑いをする。泥沼議員の言う論理ならばたしかにそのとおりだ。議員たちは階上に暮らす必要はない。
「私たちは管理者です。皆さんと共に住まなければ、非難が私たちに集中し、命の危機もあると思います。なので、申し訳ありませんが、階上に住まわせて頂きます」
その問いかけは予想していたのか、ニコニコと笑みを崩さずに泥沼議員は答える。だが、その瞳が忌々しいと語っており、笑みが偽りであることを示していた。
「………ならば、スエルタも提案する。この状況は神具が破壊されて、悪魔たちが攻めてきていることも原因。守りを固めるためにも、ウルゴスと交渉するべき。あの城を訪れるべき」
スエルタが片手を挙げて、放置されていた案件を口にする。
再び作戦室はざわつき始める。この避難所から数キロ離れている場所に突如として現れた白亜の城。ウルゴスの居城に向かおうと提案する。
今まで見ないふりをしてきた事柄だ。魔王ホウショクを打倒せしウルゴスの居城、この間、禍々しい魔力の柱が聳え立った場所に向かおうとスエルタは提案した。
「あ〜、あの胡散臭い悪魔ですね。今のところ敵対する様子もありませんが、接触する必要もありません」
「なぜ? 善なる心で神となり、悪意の心にて大魔王となるとウルゴスは言っていた。ならば善なる心で交渉すれば良い」
スエルタは当然の方法を口にするが、泥沼議員は忌々しそうな顔と変わった。
「善なる心で? どうやってその心を測るというのですか? 君は善人を見極めることができると? いえ、善人だって悪人に変わるんです。そんな保証もできない人間の心を基準に危険を犯せと? 許可できないですね」
あぁ、と紫煙は思う。泥沼議員は善人がいるなどとはちっとも信じていない。自分を基準に考えているのだ。心が汚い者しかいないと確信している。だからウルゴスと交渉はしたくないのだ。
「ウルゴスとやら、かなり強い悪魔らしいではないですか。しかし、この間の魔王退治以降は姿を現していない」
「姿を見た者はいる。先日避難してきた人から聞いた。魔王を配下にして、ヌリカベを退治したと聞いている。そして人々を救った」
意外なことにスエルタは多くの情報を集めていたらしい。その情報は紫煙も知らなかった。シュウさんたちも驚いている。しかし、その情報は悪い印象を泥沼議員に与える。
「はっ、魔王を配下にして? 語るに落ちましたね! 悪魔ではないですか。そもそも名前がウルゴス? 偽の神デミウルゴスのことでしょう? 名は体を表す。そんな者と交渉はできません、絶対にね!」
鼻で笑って、段々本性を見せてくる泥沼議員。だが、その言い分もわかる。魔王を部下にしたとの情報は良いことには聞こえない。
スエルタは紫煙たちに顔を向けるが、さすがに紫煙も賛成はできなかった。人々を助けていても、それはついでのことなのかもしれないからだ。
「スエルタちゃん。さすがにそれは無理だぜ、ウルゴスは放置しておいた方が良い。わいもウルゴスの城に何回か見に行ったけど、あそこは死の居城だよ。白亜の城と水晶の庭。美しく神々しいけど、生気がない。人気もない。不吉な城だよねぇ」
触れてはいけない城だと、紫煙は考える。危険かどうかもわからないのに、草むらをつついて、蛇を出すようなことは敢えてしなくて良いのではなかろうか?
他の祓い師も同様だ。賛成する者は
「良いのではないでしょうか? こんなふざけた提案に乗るよりもマシだと思います。スエルタは頭が良い。勝算があるのでしょう?」
「………もちろん、スエルタは天才。天才の行動は常に正しい」
天華がノッた。どうやら泥沼議員の提案は心底気に入らなかったようで、怒気を露わにしている。正義感の篤い天華らしい。そして、スエルタは自信がありそうだ。なにか考えていることがあるのだろう。
しかし、天華が話に乗ったことは、泥沼議員の怒りを買うこととなった。
「それでは好きにしてください。ですが、その場合はこの避難所から去ってください。ウルゴスに同じ集団だと思われたくないのでね」
フフンと鼻で嗤い、見下すように泥沼議員はスエルタへと言葉をぶつける。まさか避難所を去れと言うとは思わなかったと、紫煙たちは驚く。
泥沼議員自身は、選ばれた者たちとして階上に住めるのに、その特権を捨てることはないと考えていた。小娘がふざけたことを言いやがってと、内心では煮えくり返るほど怒りに支配されていたので、やり返すことができて、薄汚い満足を得ていた。
きっと申し訳ありませんと謝ってくるだろうと思っていたが
「………わかった。それではスエルタはこの避難所を去る」
予想外の言葉を返してきた。なんでもないように、自然な様子で。
「こ、ここから去れば、配給はありませんよ? 良いんですか? 野垂れ死にしますよ」
「スエルタは天才な上に強いから大丈夫。それでは避難所から去ることにする。天華はどうする?」
「む………わかった。ついていこう。シュウさん、この避難所の守りをよろしくお願いします」
「仕方ありませんね。気をつけてください」
ペコリと頭を下げて、スエルタと一緒に行動することに天華は決めた。シュウさんへと避難所を守るように頼み込んで立ち上がる。
「絶対にこの避難所には入れませんよ? 良いんですか、それでも?」
金切り声をあげる泥沼議員を気にせずに、スエルタは作戦室から出て行く。
「もちろん構わない。どうせこの避難所は長くは保たない」
呟くように告げて、ドアを開けてスエルタは去っていくのであった。