32話 世界は崩壊したようだぜ
埼玉県東部。住宅街の中に、ちらほらと森林や平原がある住宅街。穏やかな川が流れ、ゆっくりとした空気を醸し出していた地域だが、今はその様相は変わっていた。
昔からの家屋の中に、新しい分譲住宅があり、以前から暮らしていた住人と、新たに引っ越してきた住人との諍いがあったが、それでもたいしたことはなく、最近の個人情報保護法により、近所への関心が薄れていた地域は、今はゾンビが徘徊し、人と争いをしていた。
いや、ほとんどの場合はゾンビが勝つので、争いとは言えないかもしれないが。
トラックが突っ込み崩壊している家屋。横倒しになり放置された車両。コンビニなどの店舗はガラス張りのドアは割れており、荒れ果てている。
「あ〜」
「うぁ〜」
「ウボァ〜」
のそのそと歩くのは、もはや買い物に来たおばさんではなくゾンビだ。白目を剥いて、その口から覗く歯は尖っており、乱杭歯を剥き出しにのろのろと歩いている。ほとんどのゾンビはどこかしか肉体が抉られており、顔の半分がない者、脇腹が喰われている者、酷い者だと、下半身はなく、うめき声をあげて道路を這っていた。
セカイが死んだと思わせる光景だ。人気はなく、もはやアンデッドのみが徘徊する世界。だが、人々は未だに生き残っていた。
ガラス扉が割れているコンビニに人影があった。何人かの人影は棚に置いてある菓子をリュックサックに詰めていた。6人の少年少女だ。音を立てないように周りを警戒しつつ、刺叉を棚に置いて、急いで詰め込んでいる。
「急げよ。腹に溜まるもんを選ぶんだ」
体格の良い少年がその手に金属バットを持ち、荒々しい声で指示を出す。
「わかってるわよ。あんたもサッサとリュックサックにお菓子を詰めてよ!」
小声で気の強そうな少女は答えて、リュックサックにまた一つお菓子を放り込む。目つきはキツめで、茶髪を後ろで適当に纏めている。
「皆、言い争いは止めるんだ。早く回収してここから立ち去ろう」
メガネをかけた少年が、2人を嗜める。2人は渋々と頷き言い争いを止めて黙々とお菓子を入れ始め、満足そうにメガネの男は自分もお菓子を集め始めた。
「お菓子だと嵩張って、あまりリュックサックに入れられないよ」
「うんうん」
「だけど腐らない物ですぐに食べられる物はお菓子だ。缶詰はもう無いし、カップラーメンも先に来た人が持っていったようだしね」
別の少女2人が困った顔になるのを、メガネの少年はメガネをクイクイ動かして、冷静な表情で教える。その言葉通りに、既にコンビニの棚はガランとしていた。目ぼしい物は既に奪われたあとだった。
「おい、そろそろゾンビに気づかれないように逃げようぜ。小走りゾンビがいたらマズイだろ」
入口を見張っていたそばかすの残る顔の少年が怯えた表情で言うと、皆もコクリと頷く。小走りゾンビが現れたら逃げるのは大変だ。
お喋りを止めて、皆はリュックサックにぎゅうぎゅうとお菓子を詰め終える。
「よし、それじゃあ見つからないように」
脱出だとメガネの少年が告げようとした時だった。
「やべえ、見つかった!」
「ばか、叫ぶな!」
そばかすの少年が店外を指差して叫ぶ。慌てていたために叫んでしまい、周りへとその声は響く。しかし、少年が叫んだのも無理はなかった。服はボロボロで半裸となっているが、他は一見人間と変わらない男が走ってきていた。しかし人間だとしたら、オリンピック選手になれるだろう速さで、その目は血で濡れたように真っ赤で、その口からはゾロリと生えた牙が見える。
小走りゾンビだ。多少の再生能力を持ち、燃やさなければ砕いても数時間でその身体は再生する。身体能力は人間を遥かに上回り掴まれたら、振り解くことは困難だ。
人を喰い殺し、ゾンビへと変える恐ろしきゾンビ。それが小走りゾンビであった。人々が恐れる魔物である。
「逃げるぞ!」
「バックヤードから裏口に向かうんだ!」
「ええ!」
慌てて皆はリュックサックを背負い逃げ始める。バックヤードへのドアを開けて、本来は段ボール箱で狭かったが、前に来た者たちに奪われたためにガランとしていたバックヤードを駆け抜ける。そして、裏口へと続くドアを蹴るように開けると、走り抜ける。
バタバタと足音荒く進み、最後にドアを潜ったそばかすの少年がドアを閉めると、メガネの少年が用意しておいたロッカーを蹴倒して開かないようにした。
「逃走ルートを用意しておいて良かったな!」
「あぁ、ゾンビ映画のようにドアを開け放しに逃げなければ大丈夫だ」
得意げにメガネをクイクイと動かして少年が胸を張ると、逃げた皆を追いかける。先行した皆に追いつくために全力で駆け出し、すぐに後ろからドアをバンバンと激しく叩く音が響く。
「急げ!」
置いて行かれないようにと急ぐが、すぐに立ち止まることになる。
「前にもゾンビが!」
「野郎!」
裏口から少し進んだ所で、仲間がゾンビと戦っていた。5体程のゾンビが襲いかかってきて、大柄な少年がバットを振り回し、活発そうな少女が空手でもやっているのだろう、素早く蹴りを叩き込み吹き飛ばす。
「掴まれないようにして!」
「ノーマルゾンビも力は強いから!」
他の少女たちも、刺叉を手にゾンビを抑える。通常のゾンビたちは動きは鈍いが、それでも力はあるので、掴まれたらこの状況だと命はない。
「そんな、さっきまではいなかったのに!」
青褪めて残りの少年たちも戦闘に加わる。押しのけて通り過ぎるだけなので苦労はないはずであった。これまでと同じく逃げ切ると顔を険しくさせて、壁へとゾンビを叩きつけ、地面へと蹴り倒す。
「よし、いくよ!」
気の強そうな少女が蹴りを放った姿勢で、周りへと告げて走りだそうとして
「ゔぁ〜」
「キャッ!」
壁をよじ登っていたゾンビが飛びかかる。勢いよく地面に叩きつけられて、悲鳴をあげてしまう。
「小走りゾンビだ!」
慌てて大柄な少年がゾンビの頭を掴んで引き離そうとする。だが、その力は異様に強く、離そうとしてもビクともしない。少女の腕は爪の生えた手に掴まれて、服が破れて肌に食い込み血が流れ始める。
「このっ!」
「お姉ちゃんを離せ!」
少女たちも慌てて小走りゾンビにしがみつき、引き剥がそうとするが、3人がかりでも引き離せない。小走りゾンビのよだれが顔にかかり、カチカチと口を開け閉めして噛みつこうと少女に迫る。
「くっ、他のゾンビたちも来るぞ!」
そばかすの少年が新たにやって来たゾンビたちへと刺叉を叩きつけながら悲鳴をあげる。少年少女たちが慌てる中で、メガネの少年は苦渋の表情へと変わると口を開く。
「……逃げよう! ランはもう駄目だ、助ける間に僕たちまで死んじまう!」
「な! 英雄、お前、ランを見捨てろってのか!」
「そうだよ、お姉ちゃんを離せ〜!」
その言葉を聞いて大柄な少年が怒りの表情で叫ぶ。少女たちも懸命にゾンビを引き剥がそうと頑張る。
「僕だって嫌だよ。でも周りを見ろよ! 逃げないと小走りゾンビが他にも来るし、ノーマルゾンビだって集まってきているんだ!」
ゾンビへと刺叉を叩きつけて、吹き飛ばしながら悲痛の声で叫ぶ。たしかにゾンビたちは続々と集まってきている。このままでは囲まれて自分たちも食べられるのは明白だ。
「逃げて、ルン!」
小走りゾンビにのしかかれている少女が叫ぶが
「やだ! お父さんもお母さんも死んじゃったんだ! もう私にはお姉ちゃんだけだもん」
「そうだよ、私たち仲間じゃない!」
「もう少し、もう少しで引き剥がせるぜ!」
理性ではメガネの少年、英雄の言葉が正しいとわかっている。だが感情は別であった。このままではだめだとわかっていても、少女を見捨てる選択肢は選べなかった。懸命に小走りゾンビを引き剥がそうとする。
「くそっ、これだと全滅だ! 一人を助けるために皆が犠牲になる、いや、皆全滅してしまうんだぞ!」
ゾンビを押し止めながら英雄は叫ぶが、周りの仲間は聞いてはくれなかった。このままでは全滅だと、英雄は刺叉を掴む手を強く握りしめる。非情な決断をしなければならないと、ゾンビを抑えている仲間を見て
「いやいや、青春だね」
のんびりとした声音が表通りに出ることができる角から聞こえてきた。誰だと皆が声のする方向に顔を向ける。
「そうじゃの。まぁ、この場合、メガネの少年の方が正しいのじゃが、無理じゃよなぁ」
スタスタと男女が現れると、男が手を翳す。
『水弾』
小指ほどの水玉が生まれると、高速で空中を飛んでいき、小走りゾンビに命中した。ピシャリと水がかかり、小走りゾンビが僅かに身体を揺らがす。だが、あの程度の水では、ビクともしないだろうと少年少女の誰もが思った。が、次の瞬間には小走りゾンビは灰へと変わり、小走りゾンビを抑えていた少年たちはつんのめてしまった。
「ふ。残りは僕に任せてください! ぬおぉぉぉ! マッハショルダーアタック!」
そして、2人の後ろからひょろりとしたジャージ姿の男が飛び出してくる。見かけとは違い素早く、ゾンビたちに肩から体当たりをして纏めて吹き飛ばす。
「ふ、僕の力を見たか。って、えええ?」
決め顔で腕組みをしようとした男は、吹き飛ばしたゾンビたちが立ち上がってくるので驚き、そして倒れているゾンビに脚を噛まれてしまう。
「ボースっ! こいつ倒れない、いや倒せないですよ?」
「あ〜、あれだ。きっとファイター技能が無いから、素のダイス目でしかダメージの判定でないんだよ」
脚を噛まれても平気そうな顔で蹴飛ばす男。それだけで常人を超えた筋力を持っているとわかるが、その男へと頬をポリポリとかいて気まずそうに水を放った男が答える。
「納得すぎる! こいつめ、こいつめ! 倒れろ、こいつめ!」
3発程パンチやキックを繰り出すと、不思議なことにゾンビは灰へと変わった。だが他のゾンビたちに群がれてしまう。
「あんぎゃー! 硬度20合金パワー!」
ゾンビたちに、がぶがぶと齧られて、悲鳴をあげる男。
「仕方のない男じゃの」
『水雨』
女の方が符を放つと、水の霧が生まれて、ゾンビたちへと向かう。その細かな水の粒子に触れるとゾンビたちは灰へと一瞬の内に変化して、バサンバサンと灰が舞い、瞬く間に倒されるのであった。
あれだけ苦戦していたゾンビたちをあっさりと倒した男女に、少年たちは呆気にとられる。その様子を見て、男が親指を立てて自身を指差す。
「俺の名前は煙。よろしくな」
「私の名は仙華じゃ、よろしくなのじゃ」
アロハシャツの青年と、袴姿の女性はニヤリと笑って挨拶をしてくる。
「ぼ、僕の名前は倉田トニー。お嬢さん大丈夫ですか? お手をど、どうぞ」
ありがとうございますと、襲われていた少女は、フヘヘヘと鼻をぷっくりと膨らませて下心丸出しのトニーから差し出された手をスルーして立ち上がる。ガーンとショックを受けるトニーは無視をして、少年少女たちは怪し気な男女へとお礼を言うのであった。
「助けてくれてありがとうございます」
どうやら自分たちは助かったらしいと。
「いやいや、検証できて良かった良かった。それで、君たちはどうして子供たちだけでこんなところにいるのかな?」
なぜか煙の笑いに不安は覚えてしまったのだが、きっと気のせいだろうと思いながら。