22話 挙兵をすれば、とりあえずは王なんだ
背丈は3メートル。赤き肌に風船のように膨らんだ腹、手足は皮と骨だけのようにやせ細っているが、力強くコンクリートの床を踏みしめて歩く。身につけているのは腰蓑のみで、口は裂けんばかりに開いている。その瞳に眼球は無く、昏き靄が漂っていた。
ナイフのような鋭さを持つ鉤爪に、長細い漆黒の水晶を持っている。
『餓鬼』
人々が見たら、そう答える者がいるだろう。周りの1メートル程の背丈のモノたちも同じ姿をしており、親分であろう餓鬼の周りで楽しげにギャッギャッと嗤いながら、自衛隊員だったものを齧っていた。
「オデサママオウ。マオウガキオウ」
餓鬼王の前にある扉からは神聖力が発せられている。普通の人間には見えないが、餓鬼たちには純白の粒子が空間を埋め尽くしているのが見えていた。その粒子は餓鬼たちの力を弱体化させてしまうので、これまでは魔物も悪魔も近寄らなかった。
だが、今は餓鬼王の手に持つ漆黒の水晶から発せされる魔力により、神聖力は打ち消されていた。その効果範囲は狭いが、餓鬼たちが地下を食いながら掘り進めるには充分な力を発しており、神聖力の影響は受けていなかった。
餓鬼王にとっては、多少チクチクする程度であるが、この神聖力は部下には問題だ。なので、まずはこの神聖力を発している神具を破壊する必要があり、こっそりと侵入したのである。まさか人間たちも地下を掘り進めてくるとは思わなかったろうと嗤いながら、分厚い金属の塊に手をかける。
「厶? ナカナカガンジョウダ。サスガハニンゲンノツクリシモノトイウワケカ」
いかに力を籠めても、金属の扉はびくともせず、歪むことすらない。その硬さに餓鬼王は感心しつつも、嘲笑う。
「タショウノセイベツモサレテイルヨウタガ、ムダダ」
グワッと口を大きく広げると、餓鬼王は扉にかぶりついた。手で破ろうとしてもビクともしない金属に、かぶりついても同じだろうと思いきや、その結果は人間が見れば目を疑うものであった。
シャクリと小気味よい音をたてて、1メートルの厚さはある分厚い金属の扉は齧りとられた。まるで、スイカでも齧ったように歯型がつき、シャクリシャクリと餓鬼王はどんどん食べていく。
「ゲップ。ゴチソーサマ」
殆どの金属の扉を食べ終えて、餓鬼王は満足そうに腹を擦る。
『餓鬼の尽きることなき食欲』
西洋では7罪の一つ『暴食』。東洋では贅沢三昧をして地獄に落ちた亡者が変わるものが餓鬼である。飢えと乾きに常に襲われて尽きることのない食欲に苦しむ悪鬼だ。
あらゆる物を喰らい尽くす能力にて、餓鬼王は金属の塊を食べてしまったのである。暴食の能力の前には神聖力と魔力以外は抵抗できずに、ただ喰われていくのみ。現世のいかなる硬度の物質でも餓鬼王には無意味だった。
邪魔な扉が無くなり、ずんずんと部屋へと入ると、部屋の中心には宙に浮く勾玉があった。緑の光沢を見せる勾玉は純白の粒子を撒き散らし、配下の餓鬼たちがギャッギャッとその力を見て騒ぐ。
日本の三種の神器と言われる神具の一つであるが、レプリカでもある。とはいえ、レプリカと言っても千年以上前に作られたもののため、膨大な神聖力を内包している。勾玉は遥か昔より数多くレプリカが作られており、その中でも強力な神聖力を持つ超一級品が目の前のものである。
「ゲッゲ。コレデコノシロハオレノモノ」
牙を剥き出しにし、高笑いをしながら、餓鬼王は勾玉を掴む。神聖力が発する力と反発しあい、バチバチと紫電が発生し多少の傷ができて、床に血が滴り落ちる。ジュウと音を立てて床から煙が湧き上がり、ドロリと溶けていく。
「ムン!」
しかし、餓鬼王はその程度の力など、気にも留めずに強く勾玉を握りしめた。その怪力を前に勾玉はあっさりと破壊され、破片がパラパラと床に落ちてゆく。
レプリカなれど、希少なる勾玉の存在をすぐに忘れて、漆黒の水晶を砕けた勾玉のあった場所に置く。黒水晶は宙に浮くと、くるくると回転し始めて、床へと膨大な魔力を流し始める。本来は視認できない魔力が、はっきりと見えて、漆黒の禍々しさを現していた。
「グハハ、チミャクヘノセッチハカンリョウシタ。イマコソマ王ヲ名乗るトき」
魔力が流れて、餓鬼王と名乗る巨大な餓鬼がその魔力に覆われてゆく。すると、真っ赤であった体表が光をも呑み込みそうな漆黒へと変わっていき、昏き靄であった瞳に黒水晶のような神秘的でありながら、邪悪さを感じる眼球が生み出された。
言葉は流暢となり、その内包する力は先程とは比べ物にならない。凶悪な進化を餓鬼王はした。
「はははは。この満ちる力! 吾輩を眷属にしていようとしたあやつと同等! 魔王の水晶を盗んだ甲斐があったわ!」
フンと鼻息荒く餓鬼王は自らに流れる力を感じて、得意気に哄笑する。追撃をせよなどと偉そうな態度で命令してきたボス気取りの悪魔から盗んできた魔王水晶。地脈に置けば、その力の加護を受けられると知っていたので、バレたらボス気取りのやつに殺されることを承知で試してみた。
ボス気取りのやつは餓鬼王にそこまでの知恵はないと考えていたようだが、浅はかであると言えよう。見た目は餓鬼でも餓鬼王は元は魔道具であり、強力なユニーク個体であり、知性は充分に高かったのだ。
目論見は成功した。未だに地脈を探すことができずに持て余していた魔王水晶を奴から盗み、先んじて設置できたのだ。この水晶は置いたものにしかその魔力を与えることはない。
そして、その魔力を自由に扱えるのが魔王なのだ。
「さあ、この地を地獄へと変えよ。開け地獄の門。変われ地獄の光景、餓鬼道へと」
手を挙げて、餓鬼王は魔王水晶から力を汲みだす。内包している魔力が吹き出して、世界を餓鬼王の求める世界へと塗り替えていく。コンクリートの壁を肉塊に。通路の角に、柱の影に餓鬼王の魔力が淀む渦を創り出す。渦から眷属たる餓鬼が魔力により生み出され続々と姿を現す。
「この地の魔王として吾輩は名乗る。餓鬼王『飽食』と! ガハハハ………ハ?」
哄笑するホウショクであるが、魔王水晶の魔力が急速に失われていくことに、驚愕する。水晶にヒビが入り始めて、パラパラと水晶が崩れていく。
「ストーップ。止まれ、魔力供給停止! 停止ったら停止だこらぁ!」
ホウショクの感知したところ、ある場所に魔力が飛んでいくと、瞬時に消えていくことに気づいた。消えていくというか、吸収されているようだ。
慌てて、魔力供給を停止させて、魔王水晶から魔力が吸収されるのを防ぐ。つんつんと爪でつつくが、砕けることはなさそうで安堵して胸をなでおろす。
「なんだ? なにがあった? この地に他の悪魔がいたのか? いや、いたとしても所有権は俺の物だ。魔力を吸収できる訳はない……何なんだ、いったい?」
魔王になって数分で魔王から滑り落ちるところだったと、危ない危ないと額を拭う。餓鬼王は人の魂を吸収した存在。元の人間の魂の色、即ち性格を鏡のように映し出しているが、なんとなく小物っぽさを見せていた。
魔王水晶は自身を進化させてくれるが、破壊されたらその力は失われる。その場合は魔王の力を失い、どこぞの悪魔の部下になるしかない。
「あ〜……コホン」
ちらりと眷属の餓鬼たちへと横目で見ると冷たい目で見てきていた。ホウショクの動揺した姿を見て呆れている様子である。
「コノマオウダイジョブ?」
「フアン」
「ヤラレヤクッポイ」
「お前ら! ここから吾輩のサクセスストーリーが始まるんだ。魔王で餓鬼王だった! ここから魔王としての覇道を始めるよ。だな!」
「キットブクマツカナイ」
「テンプレ」
「センスナイ」
胸を張り、得意気に宣言するホウショクへと眷属は厳しい評価をつけた。容赦のない眷属の餓鬼たちである。
「うるさいうるさい! まずはここの人間共を捕まえる! 邪魔な奴らは食い尽くせ! 人間牧場を作るんだ。いけっ!」
怒気を纏い、眷属にホウショクは怒鳴りつける。餓鬼たちは先程のひょうきんな様子を消して、冷たく残忍な表情へと変えると、地下を走り出す。あらゆる聖別された扉や結界は魔力汚染を受けて、その力を失った。電子錠すらその力を失って、ただのドアへと変わり、自由に開閉可能となった。いや、魔王ホウショクの手により、鍵の開閉が自由となった。
ホウショクは各ブロックの扉を閉めて、武器庫に鍵をかける。そのために、地下に駐屯していた兵士たちは抵抗することができずに悲鳴をあげて餓鬼たちに喰われていくことになる。
「ふむふむ。吾輩頭良い。魔王水晶を使えば眷属は作り放題。とはいえ、回復可能な分だけ使っていきたい。……大丈夫。吾輩はダンジョンマスターにもしもなったらと空想していた。ううむ……ここは敵のスキルを封じるトラップ、力を100分の1にするトラップを……これ、制限あるな。なになに、自分より遥かに格下の相手しか、デバフトラップは通用しない? このゲームクソゲー決定」
ブツブツと呟きながら、魔王水晶に触れて、できることを調べていく。最初は得意満面であった顔は段々と暗くなる。
「他の魔王水晶も集めないと駄目か……。ちっ。初期はこんなもんか。へへっ。だが元ゲーマーでニートを舐めんなよ。俺を虐めた奴らにやり返してやる。虐めた奴ら……なんとなく学校を休んだらそのまま不登校児になっただけのような記憶があるが……そうだ! カップルの女を男の目の前で食べてやる。生きながら喰ってやる。内臓から喰ってやる! これぞ寝取りならぬ、食取りだな。ゲハハ」
ホクショクは悪魔の本能により飢餓のように強烈な食欲を増幅させて、再び哄笑するがピタリと嗤いを止めて再び魔王水晶に手を触れる。
「それにはチュートリアルをクリアしないとな。この魔力が消失する場所を消せば、吾輩の城は完璧となる。そして、ゲームと違い、トラップに制限はない」
クククと嗤いながら、ホウショクは魔王水晶を操作する。
「二酸化炭素充満の部屋。粉塵爆発、天井落下。無数のしょぼいダメージを与える攻撃魔法。塵も積もれば山となる作戦。完璧だな、フハハ。トラップ設置!」
魔力が消失する点の周りにトラップを仕掛けていく。オートや一斉に仕掛けることができる仕様があれば良いのにと文句をつけながら、消失地点の周りを魔道具化させていく。
半分ほど仕掛けて、いい仕事をしたぜとニヤニヤと嗤い……気づく。
「ノォォォ! 最初に仕掛けたトラップが消えてやがる! なにこれ? バグか? だから発売当初のゲームは、嫌なんだよ。発売時に買ったプレイヤーをデバッガーとでも思ってんだろ! バージョンアップで修正すりゃ良いと思ってんだろ! だから発売して半年とか経過してから買うプレイヤーが増えてんだよ!」
慌ててチェックすると、トラップは設置してすぐに消えていった。どうやら設置不可能なのか、同じように吸収されているっぽい。罠程ではないが、変化を終えたホウショクの城も少しずつ魔力を吸収されている。この消失地点が残ったままでは城も元のショッピングモールへと姿を戻すだろう。
「うぬぬ。危険だ。なんだこれは? 物か? 動いていないところを見ると物か……まずいな、展開が読めちまう。祓い師の誰かがこの物を手にしたらヤベえ。勇者とかになりそうだ……」
ホウショクにとっては、この城は自分の身体も同然。消失地点になにがあるかはわからないが、祓い師たちのいる場所はわかる。
「危険だが……。王道だな。まずは祓い師を殺す。そしてなんだかよく分からんものを排除、もしくは封印する。へへへ。悪魔に転生したんだ。俺の勝ち確は間違いない。こういう場合、悪魔とかに転生したら勝ち確なんだ」
ホウショクには見える。結界を張ってトラップなどを感知してあっさりと解除する祓い師の姿が。粉塵爆発などはどうやら読まれているらしい。
「というか、トラップ使えねーじゃねーか! ちょっと神聖力を感知したら発動するか消えちまう。なんてこった。トラップは使えねーのか」
仕掛けようとしても、法力を感知したらすぐに発動してしまう。少しの神聖力でも感知してしまうのは魔力製だからだろうと舌打ちする。トラップは使えないということだ。何しろ祓い師の部屋に設置しようとしたが、祓い師はただ立っているだけなのに、身体から漏れる僅かな神聖力により、トラップが形成される前に魔力は霧散した。目の前でトラップを設置するのは無理らしい。
さりとて、離れた場所に仕掛けても、やはり感知系統の神聖力を受けると勝手に発動した。祓い師相手にはトラップはまったく使えないということだ。
「ゲームみたいにはいかねーのか……。まぁ、良いか」
だが、所詮は人間だと、その瞳は悪魔の本能により昏き邪悪な光を宿す。
「喰う。全てを食い尽くす! 吾輩こそが餓鬼王『ホウショク』なり」
荒々しい本能を剥き出しに、ドスドスと足音荒くホウショクは地上へと向かうのであった。魔王としての初仕事だと張り切りながら。