21話 避難所は怪しいのじゃ
避難してから1週間が経過した。おっさんこと天神出雲は未だにのんびりと避難所にいた。チートなスキルを手にしたのに、まったく働かない怠惰なおっさんである。
配給の乾パンを口に放り込み喉が乾くなぁとミネラルウォーターをグビリと飲む。
「少し配給にも飽きてきたよな」
最初は物珍しくて美味しかったが、パサパサしているし、もう飽きてきたのだ。肉が食いたい。
「せっかく面白い力を得たのに、なにも行動をとらないのはなんなの? 出雲はもう少しアクティブに行動しても良いのではないか?」
ガヤガヤとショッピングモールは騒々しい中で、不満そうにリムは頬を膨らませて、同じく乾パンを口へと放り込む。
「もう少し行動を起こしても良いではないか。出雲はこの1週間トドのマネしかしていないのじゃ」
「トドじゃねーよ、体重はメタボじゃありませーん。先月の健康診断でも、メタボに引っかからなかったことが自慢なんだよ?」
毒舌のリムへと出雲は口を尖らせて反論する。地味に体重が適正値なのが自慢な少しウザいおっさんだった。
「他の数値を言うてみよ。血圧やコレステロール値は大丈夫だったのかの?」
「チートな身体になってから、完全な健康体になったから過去は振り返らなくて良いと思うんだよね」
そこは聞かないでと、明後日の方向へと顔をそらす。独身貴族のおっさんの数値が良いわけ無いでしょ。ポーション飲んだ時に全て治癒されたのだ。ステータスボードには高血圧に注意とか表示されていないから、完全な健康体になったのだ。少し気になっていた腹の脂肪も綺麗に減って、鍛えてもいないのに少しだけ腹筋割れているし。
健康が一番だよねとステータスボードを見て、この間喜んだのだ。状態異常高血圧とか書いてあったら、おっさんはへこんでいたのは間違いない。
世界が崩壊したようなのに、アホなことで言い合いをする2人である。緊張感がないこと甚だしい。
「それに避難所生活なら何かしら問題があるかと思うたのに、声のでかい奴らが愚痴を言うのみ。日本人って、この辺はお人好しじゃよな。暴動とか起こさんし」
もう少し暴動とか起きても良いと思うのじゃと、悪魔王はつまらなそうに唇を尖らせる。その会話内容がわからなければ、愛らしい姿の美少女である。褐色美少女は周りに少しだけ注目されているので、おっさんへの目が厳しい。
「俺はその国民性が好きだけどな」
「妾を襲おうとするイベントもないしの。あのヘタレな男たちめ。わざと暗がりとかに移動したのに、誰も襲ってこんかった」
あの不良っぽい集団には期待していたのじゃがと、避難所に来た時に見た男たちへとリムは舌打ちする。普通に彼らはどこかの女子大生と仲良くやっていた。住みやすいようにと、ベンチを運んだりと忙しく働いていたりもした。人が好い不良たちである。
「現実でそんなことしたらすぐにバレるしな。そうしたらゾンビが徘徊する外へと放逐されてもおかしくない」
「妾に言い寄る者もいないのじゃ」
「それは知らん」
つまらないのじゃと暇を持て余すリム。身を乗り出して豊満な胸を出雲にグイグイと押し付けてしなだれかかっているという、いつもの様子を見せている。こんなバカップルに言い寄る勇者は当然ながらいなかったのだが、リムは気づかなかった。出雲は気づいていたが、美少女にしなだれかかられるのは嬉しいので、リムには告げなかった。おっさんの夢と希望がここにはあったのだ。
そうして騒がしい避難所の中で、アホなことを話し合うこと暫し。また少しざわめきが大きくなったので、ちらりと横目で確認し、目を僅かに細める。
出雲の雰囲気が久しぶりに変わったのじゃと、リムは出雲の腕にしがみついて目を輝かせて、ざわめきが大きくなった方向へと視線を向ける。
そこには新たなる避難民がいた。疲れた顔でヨロヨロと疲労困憊な様子だ。護衛についていたのだろう、自衛隊員の姿も多く見えた。
「毎日避難民が来ると思わないか? 自衛隊も日に日に増えている」
「おかしくはないじゃろうて。都内の者たちが避難してきているんじゃろ?」
何がおかしいのじゃと、ぞろぞろと入ってくる避難民を見て、リムは首を傾げて不思議そうにするがおかしいんだよ。
「あの小走りゾンビ。一般人では対抗できないレベルだったろ? 不死な上に耐久力も筋力も高く、動きも速い。一般人は喰われる一択じゃないか?」
「………そういえばそうじゃの。あれだけ多くの人々が避難してこれるわけはないのか。全滅していてもおかしくない。そういえばインフラもまだ止まっておらんし、今回の厄災はおかしなことばかりじゃて」
「だろ? 生き残りが多すぎる。自衛隊員だって、なんでこんなに多いんだ? 都内にこんなに素早く展開できたのか? 裏がありそうだよ」
「ふむ……。やはり人類は狡猾じゃな。あれ程の儀式魔法を使っても、生き残ることができる。しかも、事前に準備していたのじゃろうな」
「そう簡単には滅びないという意見には同意する。それとな……準備が上手くいっても、ゾンビの掃討は上手くいっていないようだ。あの姿を見ろよ。泥だらけで疲れ切っている。銃を持っていない奴らもいる。あいつらは敗残兵だ」
コソコソとリムの耳元に囁くように小声で話し合う。また、あのバカップルは体をくっつけていちゃいちゃしているよと、嫉妬の視線を受けたりもしたがスルー。今は真面目な話なのだ。だから、リムさん、もっと体を押し付けてくれて良いんだよ?
「皆さん、今日からは団地も解放することとなりました。団地の部屋は元々の住人がいる場合を除き、避難民に解放致します」
そこへ歩いてきたスーツ姿の中間管理職の役人っぽい中年の男が声を張り上げる。周りの避難民は、その言葉にようやくかと顔を綻ばせる。
「やっとか」
「風呂に入りたいね」
「疲れたよ」
「急ごうぜ。良い部屋が取られちまう」
皆は気楽そうにお喋りをして、気の早い者は荷物を掴んで走り出す。初期から避難している人々で、知り合いも家族も失うことはなく、あまりゾンビの恐怖を知らない者たちだ。今さっき到着した者たちは、床に座り込み呆然としていた。同じ避難民でも対象的な光景である。
「この拠点。やばいかもしれんな」
「たしかに避難民が多すぎじゃ。もう1万人は超えたよな? 配給には期待できなくなるぞ」
面白そうな表情で、リムは現実的な回答をしてくる。なんで面白そうな顔をしてくるかがわからんけど、そうじゃない。
「それもそうだが……恐らくはこいつらは他の拠点の生存者たちだ。数が多いからな。自衛隊員もいて、恐らくは祓い師も揃っていた拠点を捨てて、こちらへとやってきた。ゾンビに負けたとは思えないんだが。敗残兵としたら、敵はどうする?」
「追撃があるということかの?」
「悪魔に負けたとしたら……あのリッチみたいな奴らだとまずくないか?」
「逃げるかの? ここに来るとしたら地獄となるぞ」
「だな。とりあえずはこの拠点を……あぁ、駄目か」
嘆息混じりに肩を落とす。考え始めるのが遅かった。
「だめ?」
「この拠点は弱々しいけど神聖力に満ちている。この周りもな。だからゾンビが近づかないんだが……」
「魔力の塊がやってくるのじゃな?」
「そのとおりだ。今までの魔力とは違い巨大だが……なにかおかしいな。でも急速に接近中だ。他にもチラホラと魔物も接近中。急いでこの場から離れるぞ」
皆が団地に向かおうとしている中で、俺も立ち上がりリムを引き剥がす。1キロ圏内で魔力を感知したのだ。……地下からやってきているようだ。下水道だろうか?
「逃げるのかの?」
「もちろん逃げる。テンプレ展開にはしたくない。準備が必要だ」
「準備?」
「変装スキルの出番ということだな」
この避難民全員が死ぬと、そこらじゅうゾンビだらけとなり、食い物にも困ることになるだろう。俺一人生き残っても生活はできないのだから。
「おかーさん。おうち帰るの?」
「まだよ。これから新しいお部屋に行きましょうね」
「ゆっくりと休めるんだぞ」
ちらりと見ると荷物をまとめているこの間の家族たちもいた。狐の縫いぐるみを大事そうに持っている幼女の頭を撫でている母親や、ようやくここから離れられると喜び荷物を纏めている父親。助けることができないと少しだけ罪悪感も湧くしな。
時折、隣同士ということで話をしていたのだ。おっさんは情が湧いたのである。
出雲とリムはこっそりと避難所を離れて、人気のない場所へと向かうのであった。
出雲たちは知らないが、イーストワンと、この拠点は呼ばれている。地下にシェルターが建造されており、神具が備え付けられているので、今回の厄災においては、極めて安全な場所である。1000人が2年は暮らせる食糧と、燃料に医薬品が揃っている。地下には野菜を栽培できる設備まで搭載されている。
惜しむらくは、打ちっぱなしのコンクリートが剥き出しであり、酷く心がめげる光景だということだ。天井も低く通路も狭い。刑務所の方がマシな施設なので、ここに本来は避難する予定の重要人物は、裕福であり権力を持つ者が多いため、避難はしていなかった。
なので、自衛隊員が2人。ここらへん一帯に結界を張っている神具の納められている部屋の前で歩哨をしているだけであった。天井に嵌められている蛍光灯がチカチカと点滅し、あまり管理の行き届いていないシェルターで、自衛隊員たちは暇そうにあくびをしていた。
「誰も来ないんだから、門番なんかいらないだろうに」
「ここに来る前に、いくつもの認証をクリアしないといけないしな。それでもここに来れる奴なら俺たちを殺すぐらい訳無いだろうしな」
「罰ゲームだよなぁ。早くこの騒ぎが終わらないかね?」
「それなんだが………どうも戦況が悪いらしいぞ。上野辺りで停滞しているとか」
「なんだよ、祓い師たちは楽勝だと……ん? なんだ? なにか変な音がしないか?」
お喋りをしていた自衛隊員の一人が変な音がするのに気づき、辺りを見渡す。
「ん? 確かに変な音がするな。なんだ?」
同僚も首を傾げて、音源を探そうと見渡す。カリカリと何かを削るような音がしてきていた。明らかにおかしい音に怪訝な顔になる2人だが、壁に亀裂が入っていくのに気づく。
「手抜き工事だったのかよ!」
「いや、違うぞ。あれを見ろ!」
亀裂が入っていく隙間から紅い血のような鉤爪が出てきていた。中から壁を掴んで剥がしていく。コンクリートの粉塵が散る中で、次々と鉤爪が壁の中から抜き出てきて、どんどん壁を剥がしていく。
「なんだこりゃ?」
見たことのない光景に顔を引きつらせる。
「わからないがまずいだろ。早く連絡を」
通信をしようとインカムを使おうとする自衛隊員だが、遅かった。
コンクリートを突き破って飛び出すと、なにかが2人の顔へと張り付く。
「があっ、なにが」
「離れろ、こらっ!」
ナイフのように鋭い鉤爪が顔を引き裂き、自衛隊員は悲鳴を上げて剥がそうと焦る。だが、次々となにかが飛び出してきて、手に足に張り付いてくる。小さな1メートル程の背丈のモノたちだ。あっという間に自衛隊員に群がって押し倒す。
そうして、バカリと牙の並んだ口を開くと、自衛隊員の皮膚にかぶりつく。次々と次々と。
「やめ……」
「ぐぅっ!」
懸命に手脚を振って自衛隊員は暴れるが、数の多さに押し負けて、段々と力を失い、やがて動かなくなった。あとには血溜まりだけが残り、骨すらもそのモノたちに齧られて跡形もなくなった。
「ゲゲ。ココヲオレサマノシロニスル」
コンクリートの壁に大穴が開くと、ゆっくりと3メートル程の巨体が現れる。腹が風船のように膨らみ、手足はやせ細った真っ赤な体のモノだ。口は裂けたように広がっており、小さな牙が何十本もぞろりと張り付くように生えている。
「オレサマココデキョヘイ。マオウニナル」
洞穴のような昏き目を扉へと向けて、ギャハハと嗤うその額には赤色の角が生えていた。




