103話 ジャングルを行こう
ジュラシック仙台の繁茂したジャングルの上を高速で疾走する者たちがいた。シダ類の木々は先端は雨粒を受けても揺れるほどに細く柔らかい。しかし、疾走する者たちは木々の先端を足場に飛び跳ねるように移動しているにも関わらず、まるで木々は揺れることもない。
人外の行動を取るのは、出雲と獅子に乗ったハクだ。出雲は人を超えた体術を駆使して、軽やかにして吹き荒れる風の如き速さで走っており、ハクの乗る獅子、パレスはあらゆる物理エネルギーをゼロにして、反動を木々に与えることなく進んでいる。
「す、凄いですっ! こんなことができるなんて」
俺におんぶされている光が感動の声をあげて、目まぐるしく変わる風景に目を回す勢いでいた。
「この程度はウルゴス神の加護を得ている私なら簡単なことです」
「揺れたら、わざとだと考えた方が良いぞ、光よ。きっと年若い女性にしがみついて欲しいアピールだからの」
余計なことを口にするリムである。俺の横を高速で飛びながら、その目はジトッとした非難する目つきであった。
「パレスたんに乗せることができれば良かったのですが」
「この席は満席。スエルタと妹だけ」
パレスにはスエルタとハクが乗っている。もう一人ぐらいは乗れそうだけど、頑としてスエルタが乗せなかったのだ。なので、おっさんがおんぶしている。この娘ぐらいに大きいと、おんぶするにも足とか掴むところに気をつけないといけないので、実は面倒くさい。リムなら遠慮はしないが、現役女子高生だと、おっさんは捕まりそうだ。
なので、これまでの中で最大の注意をしながら本気で走っていた。実にどうでも良いことで本気になるおっさんである。
「えーと、大丈夫ですよっ? だってまるで揺れていないんですもん。し、信じられませんが風圧しか感じないです」
光は冬衣の体術に内心で驚愕していた。おんぶされているのに、まったく揺れを感じない。立ち止まっていると思えるほどだ。それなのに高速で走っているために、風圧に晒されている。風圧と目の前を流れる風景がこれは現実だと教えてきていた。決して幻術の類ではない。
この人は本当に人間なのだろうかと、改めて思いながら、冬衣の頭をさり気なく触る。多少ゴワゴワしているが普通の髪の毛だ。首元も人差し指でつんつんとつつくが、普通に柔らかい人間の肌の感触だった。本当に人間らしい。
「あの……くすぐったいのですが……」
「あっ! す、すいません」
冬衣の声に、大人の男の人に触ってしまったと頬を赤くしてしまう。光16歳、彼氏のいた経歴なし、女友達といつも遊んできた女の子なのであるからして。
「そこは首元を舐めたり、耳をねっとりとしゃぶってやるのじゃ。きっと面白い反応を返してくるぞ」
隣を高速で飛行する櫛灘さんが、こっそりと伝えてくる。いわゆる悪魔の囁きに聞こえてしまう。クフフとちろりと唇を舌で舐める姿が艶めかしい美少女さんだ。妖しい雰囲気がある妖艶な人だ。
もちろん光はそんなことはできない。顔を真っ赤にしてワタワタと手を振って焦ってしまう。
「そ、そんなことできませんよ! な、なんですか、痴女じゃないですか!」
「純情じゃのぅ、今どきそんなことは誰でもやっているぞ? 冬衣も今のセリフを聞いてソワソワしているから、やってやればどうかの?」
「俺の社会的地位を落下させる発言はやめてもらえませんか、櫛灘さんや?」
「それはすまなかったの」
ウヒヒと嘲笑う櫛灘さんに冬衣さんが呆れた声で言う。この夫婦は仲が良さそうだなぁ。そして、この人たちは祓い師として人間を超えたレベルにいそうだとも思う。
「それよりも、一番近場の集落はそろそろでしょうか」
「はい、私が知っているのはここらへんです」
位置的に考えて、高橋さんが捕まった集落はここらへんだろうと冬衣さんの問いかけに頷く。密集したジャングルは、同じような風景が延々と続いてわかりにくいが、その中で木々の下で竪穴式住居を作り、柵で囲んだ集落が仙台には大量にある。
悪魔がそのように作った。いずれは文明を忘れて知識を捨てて、原始時代に戻そうとする酷い試みだ。その中の一つがこの先にある。
「ふむ、あそこではないかの?」
「あぁ、わかりやすいね。たぶんあそこだろう」
櫛灘さんの言葉に、冬衣さんがゾッとする酷薄な笑みを浮かべる。この状況を愉しんでいるとその様子からわかる。本当に神職者なのか目を疑ってしまう。
私もジャングルの前方をマナによる身体強化を使用して視力を大幅に上げて、じっと見つめると数キロ先にジャングルの木々から頭を覗かせている恐竜の姿が見えた。豆粒みたいな大きさなのに、よくこの人たちは見つけることができたものだ。
「ブラキオサウルスデビルじゃな。かなりの魔力を内包しておる。昔は水中に棲息していると言われており、眼鏡君の恐竜大冒険でも水中にいた。じゃが、横隔膜が存在しないことがわかり、陸棲だと昨今は言われておる」
「結論を口にしてくれ」
「でかい、耐久力が高い。それにブレスを吐きそうじゃな」
「もう狙われているしね」
この人たちは脚本でもあるかのように、軽口を叩きあう。仲が良い夫婦なんだなぁと感心して……ブレス?
先を見ても豆粒のような恐竜の頭しか見えない。だが彼らはしっかりと見えているようだった。ブレス?
「ぶ、ブレスって危ないじゃないですか」
私は慌てて、冬衣さんの頭をペチペチと叩く。あの大きさの恐竜悪魔が吐くブレス。かなり強力だと簡単に想像できちゃうので慌ててしまう。
「ん〜? まぁ、強力なのかもね」
全然大変そうには思っていなさそうに、平然としながら冬衣さんは片手をついっとあげて、指先をピッと揃えた。
「ウォォォォ!」
その時であった。恐竜が咆哮した。辺りにその大声を響かせる。木々は揺れ、その威力に木の葉は落ち、空気は震える。そして、ブラキオサウルスは口から灼熱の炎を吹き出す。
『灼熱息吹』
空気が熱で蜃気楼のように歪み、輝くような炎が数キロ先からこちらへと向かってくる。信じられないことにこれだけ距離があっても、その威力は落ちないようで、木々は一瞬のうちに灰へと変えて、高熱の風を纏いながら襲ってくる。しかも広大な範囲を焼き払いながら。逃げることは不可能な範囲だ。
「きゃあー!」
光は悲鳴を上げて冬衣さんにしがみつく。あの炎に掠っても焼けるだろうし、高熱の風を受けても肺から入って、私をその熱で焼き尽くすに違いない。
だが冬衣さんは、すっと手刀の形にした手を振り下ろす。目に見える普通の速さだった。なんでもないかのような、極自然な振り下ろしだった。
『一閃』
ポツリと冬衣さんは呟き、
そして、空間が割れた。
輝線が振り下ろした軌跡から飛んでいき、まっすぐに全てを絶ち割った。何も音はせずに、そよ風すらも起こさずに、ただ空間が割れた。
そして、生木を一瞬で灰に変える焔すらもあっさりと絶ち割り、私たちの横を炎は通り過ぎていく。炎も熱もまったく感じなかった。
その輝線は一直線に空間を割っていく。木々は断ち切られて、灰は綺麗な断面を残し、豆粒程度であった遠くのブラキオサウルスの頭をも通り過ぎていった。
ブラキオサウルスの頭は真ん中から輝線が走り、ズルリと縦に割れて崩れ落ちる。そうして灰に変わるのがなんとか見えた。
「え? へ?」
唖然として、私は何が起こったのかと頭で理解できなかった。え? 今何が起こったの?
「あ〜、リ、櫛灘さんや。あいつ悪魔副長とか言う奴だったと思う?」
「ん〜、魔力は180程度だったからのぅ。副長とか名乗ってもおかしくないかと思ったぞ?」
「まぁ、名乗る前に攻撃してきたから仕方ないよね」
今の攻撃を回避するどころか、悪魔を倒してしまった冬衣さんは平然とした顔で櫛灘さんと会話をしている。いやいやいや、おかしいと思うよっ? なんでこの人たちは平然として、なんでもないかのようにしているわけかな?
「あの、あれは高位の悪魔だと思うんですけど?」
「光、こういう時は、キャア素敵! と言ってこうやって頬に口づけしてやるのじゃ」
櫛灘さんはニヤニヤと妖艶に笑い、冬衣さんの頬に口づける。私は混乱していた。櫛灘さんの行動を見て、なんとなく従ってしまった。
「キャア、素敵?」
多少疑問型になりながら冬衣さんの頬にチュッとキスをした。ハッと気を取り戻して、頬を真っ赤にしちゃう。は、恥ずかしー!
「おぉ、ありがとうございます、光さん」
冬衣さんは、微かに驚いたようだったが、特に騒ぐことなく、照れることもなく、大人の対応で返してくれた。そのことにほっとすると同時になんとなく悔しくなり、グリグリと冬衣さんの頭を撫でてしまう私であった。
「あぁぁぁ! あたちもあんなのできるです! ていてい」
「妹よ、代わりにスエルタがしてあげる」
なぜか並走していたハクちゃんが絶叫して、ていていとちっこいおててをぶんぶんと振るが何も起きない。まぁ、幼女のやる微笑ましい行動だった。本来なら簡単なのですと悔しがるハクにチュッとスエルタさんがキスをして、ご機嫌に戻ったけど。
「さて、あの下に拠点があるんだね?」
再び木の上を走り始めて、冬衣さんは口端を釣り上げる。そうして、僅かに脚を屈めると、勢いよくジャンプをした。
「わぁぁ!」
数十メートルも高空へと飛び上がり、一気に距離を詰めていく。びゅうびゅうと耳に風の音が響き、ジャングル全体が視界に入る。
ブラキオサウルスのいた場所が一気に近づいてくる。絶叫マシンよりも恐ろしい落下速度で落ちていく。そして、その惨状も目に入ってきた。
「拠点が襲われていますよっ!」
ジャングルの中で、多くのゾンビ、グール、アリゲーターデビルたちが拠点を襲っていた。柵を壊そうとゾンビがうめき声をあげてしがみつき、グールが柵を越えようとジャンプをしようとする。アリゲーターデビルは咆哮をあげて、アンデッドたちを追い立てている。
まるで津波のように拠点へとアンデッドたちは攻撃をしており、拠点の人々は悲鳴をあげて家に籠もっているのが見えた。
「予想通りとでも言おうかね。やはり奴ら殺されたラプトルデビルたちから定期連絡を受けていたな」
「軍隊として行動していたというわけじゃの。知性があるというのは厄介じゃの」
定期連絡がない悪魔から、近くの拠点が怪しいと思ったのだろう。見た目は恐竜に見えるが、悪魔ということだ。
「どうするんですか?」
「ん? 悪魔は逃せないよね。ブラキオサウルスデビルが倒されて逃げ始めている目端の効くやつがいるな。仕方ない、俺は逃げる悪魔を追う。任せたよ、奥さん」
「了解じゃ、翔も活躍しているようだしの」
「任せるのです」
「スエルタが殲滅する」
冬衣さんの仲間がコクリと頷く。あの大量のアンデッドたちをと私が疑問に思う中で、冬衣さんは櫛灘さんへと私を放り投げた。
櫛灘さんが私を受け取ると同時に、冬衣さんは消えた。いや、消えたような速さで移動したのだろう。
「さて、それでは行くかの」
私を抱きしめて、むふふと妖艶に艷やかな妖しい微笑みを浮べて櫛灘さんは地上へと降りていくのであった。




