1話 バッドエンドスタート
チクタクと壁に掲げられている時計が秒針を鳴らしている。静寂が広がる部屋内。壁際には観葉植物が置いてあり、部屋内にはビジネスデスクが島ごとに置いてある。壁には社則が貼られており、ホワイトボードにはプロジェクト内容が黒マジックで書かれている。
窓に映る外の光景は闇の帳が降りており真っ暗闇である。時計は11時を越えており、もう真夜中に近い時間だ。終電はもう終わってしまったかもしれない。
どこにでもある会社の光景である。そして、どこにでもある光景に、スーツ姿のおっさんが一人だけ残っていた。眠そうな顔でパソコンを叩いていた。最近は少しお腹の脂肪を気にしている。影のうすそうな顔のブサイクではないが、二枚目でもない男である。彼女もいない独身の中年男性だ。
「あ〜。年度末ってなんでこんなに忙しいんだよ。小さい会社でも辛いねぇ」
不満そうに独りごちながら、来年度からの人事更新を行っている。今日は3月末、どうしても明日から年度が変わるので、人事更新を夜に行わなければならなかったのだ。本来は他にも面子がいるはずなのに、なにか急な用事と言って、皆は休暇をとっていた。
「年度末に皆で休暇なんて、嫌がらせだろ。よく部長が許したよな。普通は有り得ないだろ」
俺への嫌がらせなのかと思うが、いつもは普通に話しているし、嫌っていてもその態度を表に出すことはない。皆、社会人で大人なのだ。そして年度末に休暇を一斉に取るのは嫌がらせにしても質が悪く、評価にも大きく響くはず。そんなことをする理由がない。
「でも、この会社ってたまにこんなところがあるよな。部長も怒りもせずに、真面目な顔で了承していたし。休暇を取る連中もやけに真剣な顔だったし」
ふぅ、とため息を吐き、コーヒーを一口飲む。思い当たることはある。まさかとは思うが、当たっていたらまずいので考えるのを止めた。会社を辞めるには歳をとっているし、この会社は待遇が良いので勤続10年を超えている。何より就活は嫌だ。若い頃の思い出にあるが、お祈りばかりなので落ち込んだ記憶がある。あのお祈りはきっと呪いのお祈りだと今でも信じている。
「それに部長も休んでいたしな。というか、うちの部署だけでなく、殆どの連中が休暇を取っていたからな……」
男は人事兼総務担当だ。この会社は10階建ての一棟のビルを本社に持つが、そこまで社員は多くない。50人程度の中小企業だ。なので、人事兼総務という適当極まる兼務にもなっている。
海外との貿易会社であり、アンティークな物や美術品を取り扱っているので、少ない社員の割には、その利益は大きいようで、福利厚生も給料もなかなか良い。
だが、時折へんてこなことが起こるのだ。急に用事ができたとか、大怪我をしたとか包帯姿で出勤してきたりとか。
「深くツッコまないのも社会人の処世術だよな」
終わりと、キーボードを叩く。人事更新が反映されて、来年度の準備はこれで整った。新人への貸与品や机の用意はできているし、諸々問題はない。う〜んと、伸びをすると凝りをとろうと肩を回す。
「タクシー代出るかなぁ。出るだろ。というか、俺だけ働いたんだから、特別手当も欲しいところだよ、まったく、まったくもぉ〜」
男は立ち上がり、かばんを肩に引っ掛けると、部屋の電気を消して帰宅することにした。あまり残業のない仕事なので、たまにこういった残業となると少し疲れてしまう。
タクシーで家まで直接帰ると、飯が食えない。さりとて、この時間だとレストランは軒並み閉まっている。ファミレスかなとのんびりとリノリウムの廊下を足音をカツンカツンと響かせて歩く。自分のいる所は3階。エレベーターを呼ぶのも面倒くさいと階段を降りて、1階に辿り着く。ロビーも殆どの電灯が消灯しており、少し不気味な暗さだ。
ホラー映画は好きだが、現実にこういった光景を見ると、少し怖いかもしれないと苦笑しながら、玄関のガラス扉に手をかけた時であった。
ガタン
玄関扉が外から勢いよく開かれて、男は扉に押されたたらを踏んで後退る。
「な、なんだよ、まったく」
誰が飛び込んで来たのかと、身を引いて驚きながら相手を見て、さらに驚いて口を大きく開けてしまう。
「ぶ、部長? どうしたんですか、こんな時間に?」
飛び込んで来たのは今日休暇を取っている部長であった。大柄な体格で、昔格闘技をやっていたんだといつも話す強面の男である。総務兼人事部の部長には似合わない体育系だが、カラッとした性格の上司なので、良い上司だ。
「天神君か………」
口の端から血を流し、肩からバッサリと斬られて、服が血で真っ赤だ。それ以外にも切り傷がたくさんあり、息も絶え絶えの模様。
天神。男の名前である。天神出雲。なんというかおめでたい名前である。キラキラネームに近いものがあるので、出雲は子供の頃は嫌いであった。中学時代に病にかかってからは好きになったが。
「はい。部長、いったいどうしたんですか? すいませんけど、警察と救急車と警察に連絡しますね」
さり気なく警察を強調するように連呼し、スマフォを取り出して、素早く警察へと電話をしようと出雲は端末をタップしようとするが、部長はその太い腕で俺の腕を掴んで止める。
「警察はいらない。それよりも地下に連れて行って欲しい……」
「駄目です。その手に持つ刀を隠す気なんですよね? 銃刀法違反でパクられないために。俺は第三者なので善意の通報を行わないといけないんです」
きっぱりと断る。遂に来ちまったかと、以前から思っていたことが現実になってしまったと、内心では絶望していた。職探しできるかなぁ。部長は血に塗れた小刀を手にしているのだ。なにが起こったのか簡単にわかる。
「いや、警察はいらない。君は私をなんだと考えているんだね?」
「あれでしょ? この会社はダミー会社なんでしょ? 部長は組長とか若頭とかそんな感じの人」
実は以前に地下に仕舞われる美術品を見たことがある。木箱が壊れて中身が覗いたのだが、あれだった。黒いあれ。虫ではなく、トカレフとかマグナムとかそんな感じの物。それがチラリと見えたのだ。
密輸である。玩具ならば隠して運んでくる理由がない。急に休んだり、大怪我をしたりする社員。海外との美術品売買で利益を上げる会社。やけに強面で体格も良い上司や社員も多い。
薄々わかっていたのだ。ここはヤの付く者が経営している密輸会社。俺たち一般人を雇いダミーの貿易会社を経営してたのだと。
気づいた時に辞めれば良かった。だが、有給休暇も夏休みも取れるし、福利厚生も良く給料、賞与も平均年収よりも良い。辞める気にはなれなかったのだ。このまま定年までは何事もなく勤めて行きたかった。
来るべき時が来てしまったのだ。恐らくは大抗争があったのだ。皆が休んだのもそれが理由。他の組と戦争をしたのだろう。やはり辞めておけば良かったと泣きそうな気分だ。
「いや、そのダミー会社じゃない。君の想像は間違っている」
部長が見え透いた嘘をつくが
ガタン
玄関扉が音を立てて、ガンガンとガラス扉を叩く音が響く。
「うぉ〜」
「あ〜〜」
「あゔ〜」
血走った目つきの男たちがガラス扉にへばりつき、ガンガンと割れる勢いで叩いていた。口の端からよだれをたらし、完全に正気を失っている。
「ヤク中の組員が追いかけてきましたよ部長。逮捕された方がマシですから。ね? 通報しますね。あ、外の皆さん。善意の第三者が今から警察に電話しまーす」
警察に通報するぞと、スマフォを掲げて外のチンピラにも告げる。これならば逃げてくれるかもと淡い期待を持つが、残念ながら逃げてくれなかった。普通に扉を開けりゃ良いのに、ヤク中は思考も虫並みに衰えているのか、扉を叩くだけだった。
チッと舌打ちしながら、絶対に善意の第三者だと警官には強く伝えようと決意しつつスマフォを押下する。
『ただいま非常に混雑しております。もう一度かけ直すか、時間をおいて再度試してください』
大地震の時しか聞いたことのない自動音声が聞こえてきて、額に冷や汗がタラリと流れる。なんで? 地震とか起きてないよね?
「外のゾンビはこの建物の結界により入ってこれない。しかし、この結界を作った者も死んだ。直に結界も切れるだろう……」
「………結界? 部長もクスリやってます?」
ヤバイと思う。部長が変なことを口にしたからである。結界、俺が過去に罹患した病気に部長も罹患したのだろうか。そう思いたい。そうだと良いなぁ。
だって、よくよく見ると扉が青白い神秘的な光を仄かに放っているのだもの。うちの会社のセキュリティシステムは最先端だと思いたいんだけど。チンピラ君は特に目が赤く血走っているだけで変なところはなさそうだけど。
「もはやこの世は呪われし魔力に覆われる混沌の世界になるだろう。その前に少しでも災厄を封印しておかなければ。地下に行くので肩を貸してくれないか?」
血だらけの部長はゲホゲホと血を吐き、もうヤバそうである。命がヤバそうである。救急車呼んだほうが良くない? 厄災とかは後で仕舞いに来ない? もちろん俺以外の人と一緒に仕舞いに行ってくれない?
居心地の良い会社であるが、愛社精神はない。それに総務の仕事に厄災を仕舞うといった業務はないと思います。
救急車も呼ぼうとしたが、なぜか通じない。嫌な予感にドラを追加である。跳満とかにならないで欲しい。
扉はギシギシと軋み音をたてて、ガタガタと揺れる。これはもう現実に向き合うしかない。ここで意固地になって、ウギャーとか推定ゾンビに喰われる役はやりたくない。
一信九疑だが、部長に肩を貸してエレベーターへと向かうことにする。体格の良い部長はかなり重いので、ズシリと重さがかかる。エレベーターへと、のそのそと歩いて行く。ボタンを押下して待機する。
「嫌な予感がします。エレベーターを待つ時間。テンプレじゃないですか?」
「テンプレとは?」
イライラとしながら待つと、青ざめた顔の部長が不思議そうに尋ねてくる。知らないのかよ、こういうパターン。
「なんだかわかりたくない世界にいる癖に知らないんですか? こういうパターンだとですね、エレベーターが来る前にですね」
ガション、ガラガラ
後ろからガラス扉が砕ける音が響く。後ろをそっと盗み見ると、やはり予想通りに結界とやらがかかった扉は力を失い壊れて床に転がっていた。
「ゔぁ〜」
ゾンビの癖に小走り程度の速さで中に入ってくる。よろよろと身体を傾けながら早送りのように足は速い。ぞろぞろと10人程がやってくるので、立ち向かうことは難しそうだ。これ、ドッキリじゃないだろうな? 素人を巻き込むドッキリは最近は許されないんだぞ。
どうしようかと考える出雲だが
「神にしろ、清き流れ、黄泉疾く帰れ」
『浄化閃』
部長が何やらありがたそうな祝詞を口にすると小刀を横薙ぎに振る。振りぬかれた先から清らかそうな青く光る剣閃が放たれると、ソンビたちをまるで紙のようにやすやすと切り裂き、青白い炎で焼いて倒す。倒したゾンビたちから黒い靄が発生するが、それも青い炎により燃え尽きるのであった。
「マジかよ」
「驚いている暇はない。さぁ、早く地下へ」
倒したゾンビを気にすることもなく、ポーンと音を立ててちょうど到着したエレベーターに部長は入っていく。必然俺も肩を貸しているので、同じく入ると地下へのボタンを押す。
「こ、この世は光と」
「あ、そういうのいいんで。俺、巻き込まれ型主人公をやるにはおっさんすぎると思うんです」
そういうのはせめて20代を選んでくれと、部長が何やら言おうとするが、堰き止めて早く地下に着かないかなぁと、今の光景を出雲は忘れようとするのだった。
だって、ゲームならわかりやすいテンプレパターンのイベントで、それだけにワクワクするが、現実だと勘弁してくれ。俺はもうおっさんなんだよ?
特に主人公はお断りであるからして。
マジかよと呟いたのは、俺以外を選んでくれと言う意味なんだけど。