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9 王女アニー1

 そわそわとソフィは手袋をした手でテーブルクロスを撫でている。

 一度は椅子に座り、腰を上げ飾った絵をまっすぐに直す。

 もともとまっすぐであったが。


「落ち着いてくださいませお嬢様」

「落ち着いているわ」


 そわそわ


 そしてまたテーブルクロスを撫でる。

 はあ、とマーサはため息をついた。あれから各地に飛んだ荒くれものの社員たちは、鼻息荒くソフィのサロンを宣伝した。

 笑い話か与太話と思われたか最初はなんの反応もなく落ち込んでいた一同だったが、ある日立派な文が届き仰天した。


 さる南国の高貴な娘が、近く商談のために街を訪れるので、ソフィのサロンに立ち寄りたいとの申し出

 すでに訪れる予定の日時が指定されており、悩みの内容や本名の記載はなかった。

 すぐにその日にちでよいとの返信を出し、本日を迎えたのである。



 ソフィのために用意された一室をソフィは一心に掃除し、整えた。


 殺風景では寂しいと、父や社員が持ってきてくれた世界各国の様々なお土産を並べた。

 綺麗な石、なんの生き物のものなのかわからない骨、異国語の本、繊細なレース

 色とりどりの貝殻、大きな木の実の殻、色褪せた、かつては彩に満ちていたのだろう仮面

 

 異国の雑貨屋のようになってしまったそこは、差し込むあたたかな光と相まって、不思議と落ち着く明るい場所になった。

 


 りりりりん、とベルの音がした。


 お客様にノックをさせるのも気が引けるので、外に立たせたクレアに、来客をベルを鳴らして知らせてくれるように言っていた。

 妙に小刻みな、おかしな鳴り方であった。


「お入りください」


 頬を染めてソフィが答える。『化物嬢のサロン』と銘打っているので問題はなかろうとそのまま行こうとしたが、せめてもとマーサに包帯で顔をグルグル巻きにされてしまった。


「失礼するわ」


 ペタ、と音がした。

 

 ペタ? 

 

 わっしとドアノブをつかむ何かよくわからないうろこのついた黒っぽい腕が見えた。

 

 ペタ、ペタ、ペタ

 

 二足歩行で入ってきたのは

 

「ワニですわね」

「ワニですわよ」


 ワニがしゃべった。


「おしゃべりがお上手なのね」

「語学の成績は良いのよ」

 

 ドレスを着て首に赤いリボンをつけた、――ワニであった。

 

「お初にお目にかかります。クロコダイル国国王が娘、アニー=クロコダイルでございます」


 優雅に礼をした。ワニが。


「お見知りおきを」


 セクシーな流し目をした。ワニが。


「……ソフィ=オルゾンと申します。どうぞお見知りおきを」


 マーサに叩きこまれた姿勢で礼をし、顔を上げる。

 ハッとしてソフィがお茶請けの菓子の乗った皿を持ち上げた。


「……こんなクッキーじゃだめだわマーサ、お茶請けに生肉を持ってくるようレイモンドに伝えて!」

「お気遣いなく。わたくし焼き菓子も好きですのよ」


 優雅に爪のついた手を立てワニのアニーがおっとりと返す。

 皿を置いたソフィはまたはっとしてティーポットを手に取った。


「お茶はお茶でよろしくて? 生き血かなにかではなくてよろしくて?」

「よろしくてよ。オルゾン社にはいつも新しいお茶を卸していただいて感謝しているわ。座ってもよろしくて?」

「はい。あっこちらのソファーに寝そべっていただいても構いませんわ。ふかふかですのよ」

「ではそうさせていただこうかしら。あなたも横にお座りになったら?」

「しっぽのお邪魔になりませんこと?」

「では前にお座りなさい」

「ありがとう。ちなみに人間は好物でいらっしゃいますか」

「いいえ。まだいただいたことがないの」

「ちょっぴりの甘噛みも?」

「ええ」


 そうして二人? は横並びにソファに腰を落ち着けた。

 

「……」

「驚きまして?」

「はい。初回から思ったよりワニー……いえヘビーだったものですから」

「それはそうよねえ」


 ほほほほほと笑った。ワニが。


 そのまましばし二人はお茶とクッキーを堪能した。鋭い爪のついたその指でいったいどうやってと思うほどアニーは優雅に食していた。


「アニー=クロコダイル様、よろしければそのご様子になった経緯をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「アニーでいいわ。先ほども申し上げましたが、わたくしクロコダイル国の当主の一人娘ですの」

「たいへん高貴なお方であらせられますわ」

「そうね。でもそれはわたくしの成したことではなくてよ」


 さらりとアニーは言った。


「今はこのような姿ですが、わたくし普段は17歳の普通の女ですの。12歳のある日突然、だいたい1月に3日間だけこのような姿を取るようになりました。……満月の夜にぼうっと頭が熱くなって、ふと眠りに落ちて目を覚ますと、この姿になっておりますのよ。最初のときはそれはもうわたくしも周囲も慌ててしまって、あやうく姫を丸飲みしたワニとして殺されるところでした。わたくしの声がそのまま残っていたこと、頭の中までワニになっていないことが救いでございましたわ。昨夜は満月でしたでしょ」

「ああ、そういえば」


 まんまるで美味しそうな満月だったとソフィは思い出す。


「満月の次の朝から3日間私はこの姿になります。3日目は一日中眠くって、ほとんど動かず飲み物も食べ物も必要ありませんの。じいっと横たわって、目が覚めるといつものわたくしに戻っているのですわ」

「そうなのですね……」


 目を覚ますと別の体になっている。

 どんな気分だろう、それは。


「父上ははじめの1年、ワニの呪いに違いないと国内海外からありとあらゆる呪術師を呼び寄せ御簾ごしに祈らせましたわ。でも満月が来れば、わたくしはまたこの姿になるの。3日で終わるのだし、姿を見られたら事ですし。今のところ困ったことはないのだからと父上に止めるよう言って落ち着いていたのだけど、たまたまうちにいらっしゃったシルバーさんからあなたのお話を聞いて」


 アニーがソフィを見る。


「わたくしももう17歳。そろそろ伴侶を決めなくてはならない歳だわ。我が国は伴侶を国外に求める習わしで、ありがたいことに各国の第二第三王子からのお申込みが来ているのだけど、これをお受けしてももともと肩身の狭い女王の夫……悪く言えば血を継ぐための種馬の立場に立たされる孤独な婿の男性が、月に3日間姿を見せなくなるような妻をどう思うか……不貞を疑うお気持ちが、やがて生まれる子供にどんな影響を与えるか、わたくしはとても心配なのです」


 毎月3日間姿を消す妻

 嘘の事情はいくらでも作れようが、どうしたって不自然になる

 事情を知る城の者たちは、腫れ物に触るように夫となった王子に接することだろう。


「前もって夫となる方に事情をお話しするわけには?」

「お伝えしてから結婚すべきなのでしょうけど、お見せした後に破談になるのは困るの。一応国家の機密なのよ。だからと言って結婚したあとにお見せして発狂されても困りものだし。そのままお国に逃げ帰られたらもっと困りますし。殿方って見かけのお強そうな方がお強いとは限りませんでしょう」

「そうですねえ」


 あれ、とソフィは思った。


「わたくしは今お姿を拝見しておりますわ」


 にやり、とアニーが笑った。

 笑ったように見えた。


「わたくしはこの部屋の前まで籠に乗ってまいりましたわ。あなたとあなたのメイド2人が、『クロコダイル国の姫はワニだ』と言いふらしたら、世間はどう思うとお考え?」


 想像してソフィはため息をついた。


「化物嬢とそのお付きが、奇病で頭までおかしくなったと思われますわね」

「ええ。申し訳ないけれど」


 ソフィは一国の王子でもなんでもない。

 その発言にはなんの力もないとアニーははっきりそう言っているのだ。


「いいのです」


 事実なのだから。特に傷つくこともない。

 二人はお茶をすすった。


「ソフィさん、治療をお願いしてもよろしくて?」

「……やってみます」


 ソフィはアニーの体に手をかざした。

 どこにしたらいいのかわからなかったので、そのおでこのあたりに手をかざした。


『いたいのいたいのとんでいけ』


 ああでもワニは


 ワニはどうしたら飛ぶのかしら


『とおくのおやまにとんでいけ』


 言い終えて閉じていた目を開いても

 目の前の見事なワニ革は、つやつや光ったままだった。


「……ごめんなさい。せっかく遠くから来ていただいたというのに」


 肩を落とすソフィを、アニーはじっと見つめた。


「よろしくてよ。そもそもいただいた広告にははじめから『治せるのは皮一枚だけ』と書いてありましたわ。一番うまくいってわたくしはツルツルの人肌を被ったワニになるだけでしたのよ」

「そういえばそうだわ」


 二人はじっと見つめあった。


「アニーさん、失礼でしたら申し訳ありません」

「どうぞ、おっしゃって」

「あまりお気落ちしているようには見えないのですが」

「ええ、そうでしょうとも」


 アニーは微笑んだ……ように見えた。

 誇り高い笑い方……に見えた。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] これはアレだな・・ 最初、悲惨な前世の娘の記憶、それから現世の悲惨な記憶を見て騙された。 シリアスになるだろうと構えて読んでたら あれ? あれれ? ブッハ! ブッハッハ! これギャグだ…
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