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8 男たち

 オルゾン家の屋敷の一室に、男たちがみっちりと詰まっている。

 横に長いテーブルが数本、前から役職の高いものが座っている。

 人数は30人ほどだが、一人一人がでかいので、なんとなく息苦しい。


「今月の売上報告は以上だ。いつもならこのまま宴会に入るが今日はもうひとつだけ皆に聞いてほしいことがある。ソフィ」


 前に立つ男……この商社の社長ユーハンが、部屋の外に声をかけた。


「はい」


 響いたたおやかな声に、ざわ、と男たちがざわめいた。


 社長ユーハン=オルゾンに娘がいることは、ここにいる誰もが知っている。

 確か今年で17歳。花も恥じらう年頃の娘だが、何やら奇怪な病気にかかっているとのこと。

 ついた呼び名は『化物嬢』

 ほとんどその姿を見たことがある者はいないが、何かの拍子に屋敷の中で顔を合わせたことのある男はこう語る。


『俺は1人で20人を相手取って戦ったときでもひるまなかったのが自慢だが、今回はちょっぴりちびったぜ』

 

20人は誇張だろうが、何年も海賊をやっていた男なのも間違いがないのであながちの嘘とも言い切れない。

 そんな伝説級の人見知りな娘が、なぜこんなところに

 

 息を飲む男たちの前に、裾の長いえんじ色のワンピースを身にまとう少女が現れた。

 輝くようなプラチナブロンドがふわりとなびく。

 窓から差し込んだ光が彼女に当たり、その顔を覆うベールを照らす。

 おう……といううめき声が上がった。


「きれいだあ……」


 誰かが言った。

 ぽかん、と男たちは口を開けた。

 ほっそりとした少女が、光の中に立っている。

 顔にはレースのベールがかけられ、そのつくりは知れないのに

 華やかな花ではなく、静謐な月の光のような美を、男たちは彼女の立ち姿に感じた。


「本日はお忙しい中お時間を頂戴し、誠にありがとうございます」

「声まできれいだあ……」


 またどっかの馬鹿がつぶやく。

 ゴンと殴られた音がした。


「私事で恐縮ですが、わたくしソフィは幸運なことに、光の才が見いだされ師に恵まれこのたび癒しの力を得ました。残念ながら国に認められるほどの大きな力ではございません。大きな怪我は治せず、日々体を張って海に出てくださる皆様のお役に立てないこと、誠に申し訳なく思います」

「きれいだあ」

 

 ゴン


「わたくしに癒せるのは人の体の皮一枚。古い傷の跡や火傷跡、入れ墨をもとの肌に治すことができると思われます。しかしまだ経験が浅く、どんなものをどこまで治せるかわかっておりません。より多くの方に、様々な経験をさせていただかねば、わたくしはわたくしの力の及ぶところすらわからないのです」


 うおー古傷がいてえ

 入れ墨がうずく~と野太い声が上がった。

 ダアンと音が響いた。

 ユーハンの足元で踏みつぶされた木の台がパラパラと木くずを散らす。

 しーんと静まり返った部屋に、また娘の声が響いた。


「本日わたくしは皆様に『宣伝』をしていただきたくお願いにまかり越しました。言葉だけでは真実味がございませんので、実演させていただきたく存じます。このなかにどなたか消したい傷跡や入れ墨のある方はいらっしゃいませんか? 差し支えなければそれを負ったときの状況も教えていただきたいのです。わたくしの魔術が未熟ゆえ、それをお伺いしないと力が出せないのです」


「はい!」


 被せるように一番後ろに座っていた新人が真っ先に手を挙げた。頭に二つたんこぶがあることから、おそらくさっきゴンゴン殴られていたどっかの馬鹿である。

 男と向き合いソフィは尋ねた


「お名前は?」

「ヨタっす」


 新人ヨタはとても嬉しそうに答える。

 決して不細工ではないはずなのに、締まりがないせいでまったく男前には見えない男である。


「ヨタさん頭はどうなさったの?」

「はい! もともと悪いです!」


 ソフィが申し訳なさそうに眉を寄せた。


「それは治せないわごめんなさい」

「大丈夫です! あ、傷はこれです」


 自ら袖をまくり上げた。動物に噛まれたような歯の跡がある。


「ワニかサメか……そういう海の恐ろしい動物でしょうか」

「ガキのころに犬に嚙まれました! 近所の犬小屋の近くにいたからひもで結んであると思って小便かけようと思ったらそれつながれてない通りがかりの野良犬で、丸出しのまま逃げたんですが肥溜めに落っこちたところつかまってた腕をがぶっと」

「「「「もっとましな野郎はいねえのか!!!」」」


 お嬢様に、オルゾン家の社員が皆こんなものだと思われたらと男どもは頭を抱える。


「それは……さぞ痛くてお辛かったでしょう」

「すっげえ臭かったっす」

「あいつを殺せ!」


 殺気立った声が上がる。


「ではお治ししてもよろしいでしょうか?」

「はい。なんならさすってもらえるだけでもいいっす」


 娘がヨタの腕に手のひらをかざす。


『いたいのいたいのとんでいけ』


 優しい声だった。


『とおくのおやまにとんでいけ』


 男たちはぼうっとした

 娘の呪文の意味はわからない。しかし

 幼き日

 母に擦りむいた膝をふうふうしてもらっているような

 ぶつけた頭を優しくなでてもらっているような気分になった。


「かあちゃん……」


 ガタイの良い屈強な男たちの目が、郷愁に潤む。

 娘の体が淡く光り、やがて手のひらに落ち着き、風を起こすようにして消えた。


「あっ消えた! すっげえ!」


 ヨタが叫んだ。馬鹿というのはよく考えないので反応がとてもいい。


「お嬢様ありがとうござ……」


 ヨタの声が止まる。


「えっ」


 飛びのく


「ええええええええ!?」

「あら、ベールが飛んでしまいましたわ」


 顔を上げた娘

 そこにはさっきまでの月の光のような少女はいなかった。

 むき出しになった顔は痛ましいほどの奇妙な凹凸に覆われ

 奇妙な粘り気のある黄色い汁が、つう、と伝っている。


「……」


 男たちはそれを凝視した。

 人間、何故かこういうとき目が離せなくなるものである。

 ソフィは男たちに向き直る。

 少女ならば隠したいだろうそれを、見せつけるように男たちに晒す。


「わたくしは御覧の通りの容姿です。噂通りに『化物嬢』とお呼びいただいて一向に構いませんわ」


 男たちに向き合うソフィの声が朗々と部屋に響く。


「うつる病ではございませんのでどうぞご安心ください。わたくしはこの度この屋敷に、お客様に今と同じような力を使う『サロン』を開設いたします。本日から一年間、お客様の身分に問わずどなたでも受け入れ、代金は頂戴せずにわたくしの力及ぶ限りのもてなしをいたします。こちらに文にてご予約をいただくよう書いた紙を作りましたので興味のありそうな方がいらしたらお渡しください」


 静まり返った部屋のなか、彼女が渡した紙の束が一枚ずつ男たちの手に渡る。

 そこには『化物嬢ソフィのサロン』と銘打った紙に、

 来客をもてなす期間予約の取り方、もてなすものがオルゾン家の皮膚の奇病を持った娘であること、これはうつる病ではないので安心してほしいこと、癒せるものは皮一枚のみで、現在治せると思われる種類の症状(ただし修行中で治せない可能性があることを承知してほしい旨)、費用は無料だが一名につき期間中一回のみ承ること、治療のためにはそれを負ったいきさつを全て正直に話してもらわねばならないこと、が学のないものでもわかるようにだろう気遣いを持って丁寧に、ふり仮名をふって書かれていた。

 紙に見入る男たちを見るソフィの、マーサ仕込みの背筋は、ピンとまっすぐに伸びている。


「ここにおいでの皆様には、行く先々の港で、このサロンの話を広げていただきたいのです。古い傷跡や火傷に悩む人、消せない入れ墨に後悔している人、皮一枚のことで悩んでいる人の耳に届くよう、盛大に噂をお流しください。ここにはあなたの悩みを癒せるかもしれない化物がいると、脚色したり面白がったりでよいのです。てめえの顔も治せないくせにと笑い話にしてくださっていいのです、どうか広めてください。わたくしは一人でも多くの方に、ここのことを知っていただきたいのです。一人でも多くの方を治したいのです」


 社長の娘なのだ。こんなに丁寧にしなくとも、顔など晒さずとも、父の口から命令してもらうことも簡単なはずなのに。

 このお嬢様はそれを良しとせず、自ら皆の前に現れた。

 誠実に説明をした。真摯にこいねがった。


 荒くれどもたちはこんなに丁寧に頼み込まれるのはほとんど初めての経験だった。

 紙から顔を上げて見つめる男たちの前で華奢な少女は優雅に、深々と礼をした。


「見苦しいものをお見せして驚かせてしまったことを深くお詫び申し上げます。お時間をいただきありがとうございました」


 しんと静まり返った部屋に

 ぱん、と手を打つ音がしてソフィは顔を上げた。

 分厚い手のひらを打ち合わせて起こる盛大な拍手の音と、ウオオオオオ、と、野太い叫び声が満ちる。


「嬢ちゃん、あんた漢だぜ!」

「見損なうな! 誰が面白がったりするもんか!」

「ヨタ死ね! とりあえずヨタ死ね!」

「俺の母ちゃんは顔の火傷を気にしたまま死んだんだ! 死ぬ前にあんたに会ってほしかった!」

「ヨタ死ね! とりあえず死ね!」

「うちのかかあの顔も治してくれえ!」

「おまえんちのは皮の問題じゃねえ!」

「ヨタ死ね!」


 罵声を浴び続けるヨタが、立ち上がり申し訳なさそうにソフィに近づく。


「ごめんよ……少しびっくりしただけなんだ」


 ソフィは微笑んだ。

 目の前の若い男が、叱られた犬みたいだったからだ。


「いいのよ」


 微笑んだソフィを、ヨタはじいっと見つめた。


「やっぱりきれいだよ」


 ふふっとソフィは笑う。


「ありがとう」


 もう一度皆に一礼してソフィは部屋を後にした。

 部屋の中にはヨタに対する新しいブーイングが満ちていた。


「マーサ」


 部屋の前で待っていたメイド長に、ソフィは駆け寄る。


「私、ちゃんとできたかしら」

「ご立派でございました」


 マーサの目は潤んでいた。


「大変ご立派でございました。お嬢様」

「……マーサは泣き虫になったわ」


 ソフィは微笑む。


「歳のせいですよ、お嬢様。お茶にいたしましょう」

 レイモンドが焼いた新作の菓子があると聞きソフィはぴょんと飛び跳ねた。ギラリとマーサの作法を咎める視線が光る。



「長生きしてねマーサ」

「お嬢様の望まれる限り」

「あら、ではあと50年は生きなくては」

「お望みのままに」



 二人は明るい廊下を歩む。

 レイモンドの菓子の、香ばしい香りがした。

 

 

 

 


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[一言] こんなん泣くわ!
[良い点] いいですね。
[一言] 読者を笑わせたいのか泣かせたいのか どっちかにしてー\(^o^)/
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