◆おまけ◆ 港街のクルト=オズホーン
クルト=オズホーンは街を歩いている。
まだ越してきたばかりの、人の多い港街だ。坂から見える海の上に、大きな船があちらにもこちらにも浮かんでいる。
国が借り上げた部屋は中央の家と同様、クルトには広すぎた。私物など着替えと本しかないから、クルトの家はどこも非常に殺風景だ。
新しい癒院では初日に酒の席に誘われたが断った。どこであろうが自分がいると場の空気が固まり、会話が止まることをクルトはよく知っている。断ったとたん誘ってきた院長の顔が赤くなったり青くなったりして忙しそうだったが、あれはなんだったのだろう。
海がきらめき、午後の光を反射させる。クルトはそれをじっと見る。
人を学ぶ。そのためにクルトはここに来たはずだった。
だが、やってることは中央もここも変わりない。ただ毎日、運ばれてきた血まみれの骨と肉と皮をつなぎ、元通りに治すだけ。
癒師になってから毎日、癒し、癒し、癒し続けている。言われるがまま、任されるがまま。
きっとこれからも自分は何も変わらないまま、年老い、死ぬのだろう。人というものがわからないまま、ただ人を癒して。
クルトは人と、楽しい会話も、上手い交流もできない。できるのは癒術だけだから、ずっと癒している。
じっと揺れる広い海の水面を見ていると珍しく胸に焦りのような、父母が死んだときのような、わずかなざわめきがあった。それが何なのか、そのさざ波のようなものが何のために生じるものなのか、クルトにはわからない。
そんなふうにして珍しく立ち尽くしていたクルトの靴先に、何かがこつんとぶつかった。目をやれば、丸められた紙くずのようだ。風で転がって来たのだろう。クルトはそれを拾い上げた。本当にゴミか、確認のため広げる。
『化物嬢ソフィのサロン』
突飛な言葉で人の耳目を引こうとするやり方。広告によくある手だ。
ただそれだけであればクルトはこの紙を正しい場所に捨て直し、すぐに忘れただろう。だがそこに書かれた内容が、クルトには見過ごせないものだった。
これを作った『化物嬢』とやらは、無料での皮膚の癒しを謳い、人を密室に呼び寄せようとしている。そうして誘いこんだ客に、いったい何を吹き込み、何を売り込むつもりであろうか。
『このツボを買えば足が治るって言われたんだよう』。先日摘発されたサロンとやらの客はそう言って、全財産をはたいて買った杜撰な造りのツボを抱き、治らぬ足をさすって泣いていたという。
癒しを、人は求める。体のどこかを欠けば、傷つけば、元通りになりたい、治りたいと願う。それを願う患者たちやその家族の顔をクルトは毎日見ている。その願いが叶わぬときに流れる涙を見ている。
クルトは癒す。それしかできないから。治りたいと切実に願うものに付け込もうとする悪徳な商売を、クルトはどうやら見過ごせないようだ。紙を見る己の胸にわずかに沸くものが怒りであることを、クルトはまだ自分では理解していない。
地図を確認。そう遠くない。クルトは足の向かう先を変えた。
歩む癒師クルト=オズホーンの背中のマントを、海が反射した光がきらきらと照らしている。




