◆おまけ◆ 港街のお買い物日和
ソフィ一巻原稿完成の勢いが余り、ソフィがお外を友達と、当たり前ににこにこ笑って歩いている姿を見たいなと思って書きました。結婚パーティーの後、オズホーンとソフィが中央に行く前の時期の小話。
女子たちがショッピングと食べ歩きを楽しんでいるだけの、何気ない日常のお話です。
幕のような仕切り布を上げ外に出ると、二人分の視線がソフィに突き刺さった。
「まあ!」
「いいじゃん!」
「ぴらぴら……ぴらぴらスースーしますわ……!」
服屋。世界各国の品が集まるこの港街でも有名な、さまざまな国のさまざまな意匠の服屋が軒を連ねる、通称長靴通り。その中の一つの店で、ソフィは今、リリーとイザドラの視線に晒されている。
クルトとの結婚に伴い中央に行くにあたり、あれやこれやと必要になりそうなものを書き出して、ソフィは母に、街の買い物への同行を頼んだ。
『せっかくの楽しいお買い物なのだから、お友達と行ったらいかが?』と母は微笑んだ。喜んでついてきてくれると思っていたのに、予想外につれないご対応。
ソフィがこの街にいられるのもあと少し。母は娘に友達との楽しい思い出を与えたいと願い、身を引いたのだと、廊下を歩きながらソフィは気づいた。
お友達、お友達。そんなに悩むほど、ソフィのお友達は多くない。誘ってみたらこちらも意外なほど快諾され、今に至っている。
イザドラに連れてこられて『これ着てみなよ!』と手渡された異国的な服。踊り子っぽいデザインの、艶やかでなめらかな服は薄く、おなかと肩にまったく布がなかった。おへそが寒い。出てしまった自分のおなかを、ソフィは両手で押さえ、首をひねる。服についた雫型の飾りが揺れ、しゃらんと音がする。
「こちらはいったい、どこに着ていく服なのかしら?」
「家で着れば? 旦那が絶対喜ぶよ」
「ええ。きっと喜ぶどころか真顔のまま爆発しますわ。それも面白いけれどなんだか癪ですわね。やめましょうソフィさん。イザドラさん、今度はわたくしの行きつけに行きませんこと?」
わいわい言いながら店を移動し、自分一人だったら絶対に選ばないだろう色々な服を着てみたり、着させてみたり。イザドラは背が高くてスタイルがいいのでどんな服でも似合うし、リリーには意外にも普段身に着けない強めの色味の服が映えることがわかった。
着てみてばかりでは悪いので、スカーフなどの小物をいくつか購入。これだけで歩きすぎて、すでに足が痛い。
「お時間としては微妙ですけれど、少し休憩いたしましょうか?」
ソフィの疲労を察してくれたリリーの声に時計台を見上げれば、ちょうど朝ごはんと昼ごはんの間くらいの時間だ。
「ええ、喉も乾きましたし、お二人がよろしければ」
「近くに最近話題のお店があるわ。一度行ってみたかったので是非行きましょう」
観光客を相手にする仕事だ。常に街の情報へのアンテナを高く張っているのだろう。頼もしい思いで、ソフィはリリーを見る。
顎の下で切り揃えていた栗色の髪が伸び、低い位置で纏めてある。結婚式に向けて伸ばしているのだと、ソフィは察した。
色白の肌。ほっそりとした体つき。大人しそうな顔に、若干の落ち着きと貫禄が付き始めている。
自分の道を決め、腹をくくった人の顔だ。頼もしくて、たくましい。
横を行くイザドラもくまとくすみが消え、明るい顔をしている。あの後また一件昼の仕事が入ったと、とても喜んでいた。まだ昼と夜の兼業、アル君のお世話もあって大変に違いないのに、彼女にはやはりいきいきとした、ほとばしるような熱い情熱が満ちている。
好きなことを一生懸命している人たちの持つ、この輝くような美しさ。それにソフィはうっとりと見惚れ、そしてわずかに焦る。これから行く違う土地、一人以外知らない人の中で、ソフィもこんな美しい顔をできるだろうかと。
「ここよ」
「おー」
「素敵」
歩んだ先には光の差し込むきらきらとした広いお店。中途半端な時間にも関わらず、大半の席が女性たちで埋まっている。
一つ一つの席の間が広いので圧迫感はない。あっちでもこっちでも上がる楽しげな声が空間を和ませ、飾られた花と店員さんが運ぶお皿の上のさまざまな色が目に楽しい。
「お茶専門の商社直営店で、珍しいお茶が多いのですって。お菓子はこの中から3種類、好きなものを選べます」
「種類多い」
「本当に。つい目移りしてしまいますわ」
ずらりと並ぶお菓子の可愛い絵が、まるで絵本のようだ。それぞれの横にそれぞれの説明が入っていて、メニューを眺めているだけでも充分に楽しい。
お洒落な揃いの制服を着た若い男性の店員さんが注文を取りに来てくれる。まだ新人さんのようで、案内がたどたどしくぎこちなく、でもとても一生懸命なのを、ソフィは微笑ましく思いながら見つめた。
がんばれ、がんばれ。大丈夫。誰だって初めは新人だ。
「?」
彼とじっと目が合ったのでソフィは首を傾げた。さっと彼の顔が赤らみ、目が手元のメモに伏せられる。
あたふたと全員分の注文を取り終え、店員さんは離れていった。
「旦那に言いつけちゃおっかな」
頬杖を付いたイザドラが、にんまり笑って言った。リリーが背筋を正し、ソフィを見る。
「ソフィさん。もう少し、ご自身の微笑みの破壊力をご自覚なさったほうがよろしくてよ」
「わたくし、今笑っておりまして?」
「ええ。優しくて、思わず吸い込まれそうな魅力的な微笑みでしたわ」
「……自重いたします」
男はみんな狼ですよと忠告してくれたレイモンドの言葉を思い出しながら、ソフィは自分の頬を押さえた。
やがて到着した3種類の茶と、9種類の菓子をきゃっきゃと言いながらひとかけらも残さず腹に納め、水分と糖分を補給した女子たちは元気にまた街に繰り出す。
帽子屋さん。イザドラが被ったド派手な羽根の帽子に笑い合い、昔の貴婦人のようなクラシカルなデザインのものを皆で被って鏡の前で揃ってツンとした顔をしてみる。
靴屋さん。ここではイザドラが底の固い音の出る靴、リリーがかかとの低い動きやすそうな靴を買った。ソフィはずっと一そろいの靴の前で、買うべきか買わざるべきか迷っている。
「迷ったときは買いだよ、ソフィ」
「いいえ。迷ったときは引き返し、一度頭を冷やしてじっくり検討するべきです」
「……悩むわ」
ソフィが迷っているのは、かかとの高い赤い靴だった。赤いけれど落ち着いた赤なので派手さはない。既婚者でも問題ないだろう。
「何でお悩みですの?」
「形も色もとても素敵なのだけれど、少し、かかとが高すぎるかと思って……」
「いいじゃん。旦那背ェ高いんだから、ちょうどいいや」
「……」
「ええ。歩きにくくてもきっと気遣ってくれるでしょうし。なんせあの方、ソフィさんしか見ておられませんもの」
「……」
「あれ、なんかソフィ顔赤くない? ヒュー、ヒュー、お熱いね。よっ新婚さん!」
「赤くありません。……そうね。買ってしまおうかしら」
にっ、とイザドラとリリーが笑った。咳ばらいをしてもにやにやと見てくるので、両肘でつつく。両側からつんつんつつき返される。
「今、これ履いて旦那と歩くとこ考えただろう、ソフィ」
「ああ。なんていじらしくて可愛らしい奥様。でもあの方、きっと靴なんて見ておられませんわ」
「……」
何を言ってももっとからかわれるだけなのは火を見るよりも明らかなためぐっと飲み込み、もう一回咳払いをしてからソフィは会計に向かった。
おのおの手に荷物を持って、店を出る。自分の荷物を見て、ソフィは首をひねる。
「なんだか、予定と違うものばかり買っているわ?」
「そんなもんだよ」
「ええ。そんなものです」
少し歩き、港。海の表面がきらきらと輝き、横切る船の白い帆が目に眩しい。
カラフルな色の外壁の小さなお店が並ぶ一角に入り、これもまたリリーの案内で一つの店に入る。二階に案内され、急な螺旋階段を上がる。一段一段が高いので昇るのに少々難儀したが、席に着けば窓から海が見渡せて、とてもいい景色だ。
「素敵……!」
「夜は天窓が開いて星も見られるの。まるで海の上にいるようで、本当にロマンチックなのよ」
「ははん」
リリーが、イザドラを見る。
「何か?」
「男と来たな」
「……」
図星だったのだろう。リリーが黙った。
よし。どんどん行っていいのよイザドラさんと、今日からかわれてばかりのソフィはうんうんと頷く。
「メニューは?」
「ここ、お昼はメニューが一種類だけなのよ。もう運ばれてくると思うわ」
「ふーん。葡萄酒飲んでいい?」
「ええもちろん、どうぞ」
金の髪の日に焼けた男の子が手にお皿を持って現れた。年齢的にはおそらくまだ小学生、しっかり者の、引き締まったいい顔だ。店長さんは少しぽよよんとした体つきだったから、きっといちいちここに昇るのは大変だろう。人気店にすばしっこそうないい戦力がいてよかった。
たっぷり入ったサラダボウル。水で洗われしゃっきりした緑の中で踊る、赤、白、オレンジ、黄色のカラフルな野菜が目に楽しい。
ドレッシングが数種類。これは全部食べてみなくちゃいけないだろう。添えられたパンはシンプルながら、焼き加減も丁度よさそう。隣のカリッとした薄焼きの生地はそのまま食べるのだろうか。
辛そうな色の豆煮、数種類の野菜のペースト。前菜の種類がもう多い。
イザドラが男の子に葡萄酒を頼んだ。気持ちのいい返事をしてさっと去り、またさっとグラスを持って現れる。反対の手にはエビ、カニ、貝ののった大皿。
「これをこうして……」
先程ソフィが『なんだろう』と思った生地の上に、リリーが魚介と豆をのせ、二つ折りにして片手で持つ。
「こうしていただきます」
「へー」
「辛いのが苦手な方はこちらのペーストで。生野菜を挟んでもさくさくして美味しいですよ。カニの身と味噌を合わせて、この香草を少し多めに入れるととっても濃厚」
「あ、それおいしそ。やろっと。てか、リリーってなんかお店の人みたいだね」
「職業病です」
リリーの真似をして、ソフィも生地にいろいろのせてみる。見た目ほどは固くないしっとりとした生地に、じわりとソースが絡む。
口に運び、ソフィは頬を押さえた。
「……美味しい……」
少し辛いけど辛すぎない。全てのベースが魚介なのだろう。口の中で争わずに混じり合い、鼻の奥を抜けていく。新しい味を噛み締めるソフィを、リリーが見る。
「念のため言っておきますが、まだ前菜です。このあとバケツにたっぷりと入った貝と具だくさんのスープ、メインの魚料理がドーンと来ますからご覚悟なさって」
「すごい! 全部食べたら破裂してしまいそうだわ」
「破裂してでも食べたいいいお味ですから、安心して破裂なさって」
「うまっ。カニめっちゃ合う。あ、おかわりちょうだい」
ああでもないこうでもない、今通った船きれい、これおいしいおいしいと、さっきおやつを食べたはずの女三人、可愛い店員さんがびっくりした顔で空いた皿を下げるまで、完璧に食べきった。
「ああああ食べた。今すぐ寝たい」
「本当にどれも美味しかったですね」
「ええ。わたくしがお客様に聞かれたらお答えするお勧めベスト5のうちの一つです」
「是非あと4つも知りたいわ」
おなかが痛くなりそうだからもう少し休憩しようと、広場の木陰の椅子に座る。
大道芸人が布を魚のように空中に泳がせている。食べ物の出店もあり、甘い、香ばしいいいにおいがする。人々が布を広げそれぞれの売り物を売り、少しだけ小高くなったステージのような場所で楽器を持った人たちが演奏し、歌っている。
笑いさざめく人々の声。今の時期にしては暖かく、噴水の水がきらきらと木漏れ日を反射させている。
この潮のにおいをのせた風にここの人たちは慣れっこだが、きっと中央は風のにおいも、風景の色も違うだろう。カラフルな、あたたかでにぎやかなものに囲まれながら、ソフィはふっと一瞬、迷子のような気持ちになった。
「……さっきから売れてないね」
「どうも言葉が違うようですわ。移民の子でしょうか」
二人が言うのでその視線の先に目をやれば、鮮やかな布を体に巻き付けた、波打つ黒髪の小さな女の子が一人、花を売っている。南国風の大振りで鮮やかな赤に、一瞬ソフィはアニーを想う。
恥ずかしがり屋なのか緊張しているのか、声を出せていない。ようやく止まってくれた客に何か聞かれて、うまく答えられないでいる。結局その人は買わず、そのまま歩いていってしまった。少女は俯き、花とともにしょんぼりと萎れている。
「……よし。腹ごなしでもしようっと。これ、借りるねソフィ」
先程買った靴を試し履きしていたイザドラがソフィが今日買ったスカーフを手にして立ち上がり、女の子に向かって歩んだ。何かを話しかけ、女の子から一本花を受け取り、少し離れた。
たん、たんと、音を確認するように足を動かし、靴を鳴らす。
たん、たん、たん。たたたたた。タッタッタン。
タッタタタッタッタタタタッタッタ
先程までなかったリズミカルな音に、おや、と顔を上げる人がいる。
イザドラが腕を広げて回る。軽やかに足を打ち鳴らし、スカーフを風になびかせ微笑みながら。
「脱ぐのか姉ちゃん!」
ヒューヒューと上がる男たちの声に、イザドラがウインクした。オオッと盛り上がった場の空気が、イザドラがスカーフをきゅっと首に巻き付け、軽やかな音を立てて地を蹴るたびに変わる。そこには色っぽさも、いやらしさもない。光と、楽しそうなリズムと、さわやかな風を感じる。
イザドラはほとんど同じ場所から動いていない。だが彼女は今、駆けている。楽しそうに、太陽の下を。何かをわくわくと探しながら。
期待に満ちた少女のような顔で軽やかに駆ける。風が彼女の髪を揺らし、動くたびに舞う布が、微笑む彼女の心の高揚を見る者に伝える。
リズムに合わせ人の背中が自然に揺れている。イザドラの足さばきを真似しようとした男が転んだ。イザドラが笑い、笑われた男も笑っている。彼に腕を伸ばし、立ち上がらせ、やっぱり軽やかに、楽しそうに彼女は駆ける。
楽器を演奏していた一団が曲を変えた。今の時期には似合わない初夏の歌だ。軽やかなテンポがイザドラの奏でるリズムにぴったり。芸術を楽しむ人って素敵だわ、とソフィは微笑む。
きっと長い道を風のように駆け、宙に浮かんでしまいそうなほど楽しそうに地を蹴りながら、今度は回る回る。見ているほうの目が回ってしまいそう。少女はどこまでも楽しそうに、嬉しそうに光の中を駆けていく。
リズムがどんどんと早くなり、どこまで早くなるのかとはらはらし出したころ、ターンと最後に大きな音を立て、それは止まった。
満面の笑みの少女は探し求めていた大ぶりの花を手に持ち見つめ、その柔らかそうな花弁にそっとキスをした。
自らの髪にそれを挿し、腕を広げ、礼。滴る汗がきらりと光る。
拍手が自然に起こった。イザドラが笑いながらそれを受け、後ろにいた花売りの女の子の肩を押して前に出す。女の子は真っ赤だ。
若い娘さんが女の子にお金を渡して花を買い、自分の髪に挿した。それを見たカップルの女性が、男性に何かを言って、でき始めた列に加わっている。
イザドラが自分の髪の花を女の子の黒髪に挿し、片手を挙げて振った。汗を拭き拭き、こちらに戻ってくる。
「練習中の新作。やっぱりもうちょっと改良がいるな。服は裾が広がるやつにしよう」
「素敵でした」
「ええ。とっても素敵」
拍手で迎える。それほどでもと笑いながら、どかりとイザドラが腰を下ろす。
白い肌。赤い髪。滴る汗。生命力の塊のような、情熱的なダンサー。
ソフィはじっと彼女を見る。本当に、素敵な人だと思う。
リリーが先程さっと出店の一つで買ってきたレモンの入った冷たい水をイザドラに手渡した。イザドラのダンスに見入ってピクリとも出来なかったソフィに対し、この対応。リリーは先読みと気配りの塊だ。その場の空気の空白になりそうなところを察し、細やかに柔らかく、静かにそっと埋めておいてくれる人。
笑い合っている二人を見ているうちに胸がじんとあたたかくなり、何故か、ポロリと涙が溢れた。じっと二人が、そんなソフィを見る。
「……あら?」
「……」
「……」
「……ごめんなさい。……何故か」
「……寂しんだろ、ソフィ」
にっとイザドラが笑う。鬼の首を取ったような顔で。
リリーも笑う。全て了解しておりますよというような、優しいお姉さんの顔で。
「ええ。この街を、わたくしたちと離れるのが寂しいのよね、ソフィさん」
「……そうみたいだわ」
ハンカチで涙をぬぐいながら、ソフィも笑った。なんてことはない。口に出してしまえばとても単純で簡単なことだった。
そっと胸を押さえる。迷子のような、何かを焦るような気持ち。『寂しい』。ソフィは頷く。
「ええ、わたくし、とても寂しいの。この街を、せっかく仲良くなれたお友達と離れるのが、寂しくてたまらないの。これから行く知らない場所で自分のできることを見つけられるか、不安で仕方ないの」
二人は目を交わし、ふっと笑った。あたたかく。そして少し、あきれたように。
「じゃ、しょうがないな。やめるか結婚」
「残念ですけど仕方ありませんね、なかったことにいたしましょう」
「あんなに派手にパーティーをしておいて?」
「よくあることではないですか」
「うん。あるある」
「そうかしら」
くすくすと笑う。みんな大人。そんなわけがないことなどわかっている。
じっと、二人がソフィを見る。やるべきことを見つけ迷いなく澄み、柔らかく微笑んだ、ソフィを信じる目。
「……見つからないわけがないよ、ソフィ」
「ええ。どこにいても、ソフィさんはソフィさんですもの」
ん~っとイザドラが伸びをして、ついでのようにあくびをした。
「もうちょい買い物して、帰りに癒院の前でも通ってく? 旦那の顔見れるかもよ」
「いいえその前におやつですわ。是非とも確認しておきたい話題のお店がこの近くに」
イザドラがまじまじとリリーを見る。
「……まだ食うつもり?」
「おやつは別腹です」
「あら」
「何?」
「知人の屋台があそこに。わたくし、是非食べてみたかったのです。買ってまいりますね!」
「ねえまだ食うつもり!?」
「別腹です」
ソフィが人に戸惑いながらも、見つけた屋台を目指して走る。
その視線の先では黒髪の色男が、屋台を訪れる若い女性の客にさわやかな笑顔を見せている。
「ぺくち」
「……」
「……上司がくしゃみをしたんだぞ。『お大事に』くらい言ったらどうだ、クルト=オズホーン」
「ああ、くしゃみでしたか。何故今急に妙な音を出したのだろうと思っていました。感染が広がると迷惑ですのでそれ以上近づかないでください。可能であれば顔もこちらに向けないでいただきたい」
「不可能だし失礼だぞ! だいたい今のくしゃみはなんとなく君のせいな気がするぞいいや確信している君のせいだ。今私は代わりにしてやっただけだ!」
「……」
「『あれこの人ついに頭まで来ちゃったのかな』という顔をするなクルト=オズホーン! あああ早く後任が来ないかな前任と違って素直で可愛い若手が早く来ないかな仲良くしよう楽しみだな。どうだ寂しいだろうクルト=オズホーン」
「はい。全く寂しくありません」
「心から言うな少しは寂しがれよ!」
港街の癒院、院長室。
今日もこの二人は仲良しだなと、書類を持って扉の前でノックするタイミングをはかっていた職員は思った。
淡々とした声と、勢いのある院長の声が交互に、なんとも楽しそうに途切れずに続いている。




