〇。豆話 パトリック=ハリンの中央癒院日記
今日の中央癒院は騒がしい。
いつも何かしらの慌ただしいことが起こる場所ではあるが、今日は何か違う意味でざわざわしている。
いわく
『クルト=オズホーンが帰ってくる』
いいことだとパトリックは顔を明るくした。
彼がいなくなってからというもの、中央癒院の、パトリックが所属する損傷の激しい緊急の傷を受け持つ第5癒師団は毎日ヒイヒイ言っていた。
こないだまで簡単に、一瞬で治っていたあれやこれが
みんなして魔法水をがぶがぶ飲んで分担してどうにかこうにかやっと治せるかなくらいになったのだ
それでもちょっと回らないので苦渋の決断で、すでに引退した上級の元癒師を引っ張り出し
彼らにネチネチとさんざん助言という名の嫌味をいただきながら日々の業務を回したのである。
彼らは本当にしつこかった。ねちっこかった。
おかげで所属する若手の実力がメキメキと上がったのだから、そう悪いことでもなかったのかもしれない。
とにかく、
『クルト=オズホーンが帰ってくる』
しかも
『港町からべっぴんさんの嫁を連れて』
そうである。
うおお、とパトリックは思った。
やったぜ!とガッツポーズをする。
間違いない、あの亀のハンカチの子だ。
認識票のあの子だ。
先輩、頑張ったんだろうなあと
先輩が派手に頑張りの方向性を誤ったことを知らない素直な後輩は、素直に感心していた。
ざわめく人々の間に、見慣れた黒髪が見えた。
パトリックも背が高い方なので、難なくその姿を見ることができた。
相変わらずの真面目そうな顔
が
今日はなんだろう、何か
何かちょっと
緩んでいる。
そしてパトリックは気づく。長身の彼に寄り添うように歩く華奢な
『べっぴんさんの嫁』に
『先輩!』と声をかけようと挙げた手そのままに、パトリックは固まった。
固まっているパトリックを、オズホーンは無表情で見、足を止めた。
じっと黙り、パトリックを上から下まで見た。
「……ああ、君か。パトリック=ハリン」
なんという奇跡。この人が人を覚えている。
3年同じ部署で働いて、20日間も同じ任務に当たったにしては思い出すまでの間が長かったような気はするが、名前が出た。
奇跡である。
パトリックは腕を下ろして90度の礼をした。
「ご無沙汰しております。中央癒院職員一同、先輩のお帰りをお待ちしておりました。……それで、その」
「なんだ」
「そちらの美しいお方は、その」
「妻だ」
「オズホーンの婚約者の、ソフィ=オルゾンと申します。お初にお目にかかります。パトリック=ハリン様」
優しい柔らかな声、美しい姿勢の礼に、パトリックは一瞬固まってから頭を下げた。
顔を上げれば優し気なエメラルド色の大きな濡れた瞳が、パトリックを見上げている。
彼女の腰にはオズホーンの手が回っている。
えらいもんを見てしまった感がある。
こんな美女がハンカチにあの先輩のことを思って亀を刺し
こんな美女があの先輩のだまし討ちプロポーズを受け認識票を預かり
さらに結婚に応じ、港町から身一つで、先輩についてきたのか
こんな美女が
なんかもうちょっとこう、こういう感じかなと思っていたのに。
ここまでか
ここまでやるか音無のクルト=オズホーン
「ちきしょう!俺は先輩を見損ないました!」
「そう羨ましがるなパトリック=ハリン。君はすごい好きな幼馴染と結婚しろ」
「式の準備で喧嘩したばっかっすよ!」
今日のパトリックの頬っぺたには、手のひらの跡がある。
「気の毒なことだ」
わずかにオズホーンがドヤ顔をしたことを、パトリックは見逃さなかった。
上司にあいさつに行くのだろう。そのままオズホーンは歩みを進めようとした。
「ちょ……せっかくだから今夜食事行きませんか。ソフィさんも一緒に!お二人の馴れ初めとかめっちゃ聞きたいっす俺」
「お断りする。夜のおれたちは忙しい」
「荷物の整理をするだけよ。おうちが片付いたらお招きいたしますので、是非いらしてください、ハリン様」
「ありがとうございます!」
へえもう一緒に住んでんだ
ってことは
先輩は毎晩あの美女と
……ってことで
「ちきしょう!」
まさか先輩が伸びて伸びて伸びきって
初夜を待っていることを知らないパトリック=ハリンは叫んだ。
ざわざわざわ
今日も中央癒院は騒がしい。




