【番外編】料理人レイモンド
料理人レイモンドは考える。
果たしてあれは恋だったのだろうか、と
『シェフ! 今日使う予定だった肉、腐ってます!』
『肉係は夕飯出来上がったら死ね! 今日のメニューはBレシピに変更しろ!』
気の荒い男どものむさくるしい船で
レイモンドはいつからか、料理人をしていた。
海は好きだが戦うのは嫌いで
小さいころから住み込みで働いていた料理屋をやめ、船に飛び乗ったのだ。
海は青く、どこまでも広く
夢そのもののように、船の先に広がっていた。
レイモンド21歳の冬
海に落ちてサメに食われかけ、命からがら助かったレイモンドは
足がすくんで船に乗れなくなり、海賊船を去った。
もういい年だし、陸で暮らすのも悪くないと
かつての海賊仲間と飲んでいるときに、レイモンドはその話を聞いた。
「オルゾン家が、若い男の料理人を探しているらしい」
「へえ、あの金持ちの。あそこは確か……」
『『化物嬢』のとこだろう?』
その一言が妙に頭に引っかかった。
面接を受けとんとん拍子に決まった再就職先で、レイモンドは張り切った。
何しろ食材が上等、むさくるしい男どもはたまにしか来ないし、給金は今までのほぼ倍なのである。
そしてもちろんサメはいない。
一生ここで働ければいいなあと思っていたところに
彼女は現れた。
屋敷にこどもがいるようだ、とレイモンドが気づいたのは
マーサに甘い菓子のリクエストをされたからだ。
聞けばなんでも13歳のご令嬢で
病を持っていて、ほとんど部屋から出ない、とのことだった。
屋敷から出ることに至っては、まったくないらしい。
甘いものなど作ったこともなかったので、知り合いの料理人にレシピを教えてもらって
作ったものをマーサに渡せば、空になった皿が帰ってきた。
何度かそれが続き
やがてお皿に
『いつもおいしい。ありがとう』
とメモが乗るようになった。
それは続き、一年ほど経ってからだったか
調理場の扉が開き、包帯でぐるぐる巻きにされた女の子がビクビクしながら入ってきた。
包帯の間から覗く肌がぼこぼこに、茶色く荒れていることにレイモンドは気づいた。
『あなたが、レイモンドさん?』
きれいな声だと思った。
『はい。料理人のレイモンドっす』
『……いつもお菓子をありがとう。前の料理人の方は、少しお砂糖を入れすぎる方だったのだけど、レイモンドのはいつも美味しいわ』
微笑んでいる、とわかった。
だからレイモンドも笑った。
料理を褒められてうれしくない料理人なんていない。
『何か食べたいものがあったら言ってくださいお嬢さん。練習しますから』
『ありがとう』
そうやって、少しずつ
少しずつ話すようになって
何年かすればもう家族のように
お嬢さんの一番身近な他人の男として、傍にいた。
自分はオルゾン家のBレシピだったのだと、レイモンドは思っている。
誰に言われたわけではないが、きっと。
材料が足りずに急遽メニューを変えることがある。
もともとのプランがうまくいかなくなったときの代替の策
年頃になったお嬢さんが年頃を過ぎ
部屋の中に一人ぼっちで20歳、25歳、30歳になったときの
うまく外から婿を取れなかったときの、代替の策。
お嬢さんの手の届くところに、あのユーハンが
わざわざ『若い男』を募集して、置いた。
お嬢さんが嫌がらない、お嬢さんを嫌がらない男を。
高い給金も、そのためだ。
娘を思って行われただろうそのやりかたを、レイモンドは汚いとは思わない。
これでレイモンドに『恋人を作るな』『結婚するな』とでも言ってくるならまだしも、そのようなことを遠回しにも言われたことはない。
気休めの、念のための、保険として扱われていることを知りながら
まあいいかとレイモンドは楽しく料理をしていた。
何しろ食材が上等、むさくるしい男どもはたまにしか来ないし、給金は今までのほぼ倍。
それにレイモンドはあのお嬢さんが、割と好きである。
かわいそうだな、とも思う
困っていて、レイモンドで役に立つなら役に立ちたいと思う。
ただ
それは恋なのか、と言われると
やっぱり違うような気もする。
お嬢さんをさらっていったあの男のような情熱は、レイモンドにはない。
お嬢さんがおいしいといい
お嬢さんが笑っているといい
そう願うだけの
ただ、ただ凪いだ海のような
穏やかに揺れる気持ちがあるだけだ。
『レイモンド』
澄んだ柔らかな声が聞こえた気がして振り向くが
そこには風になびく、レースのカーテンがあっただけだった。




