68 ラストパーティー 後 ~そしておしまい~
「イボンヌ様。本日は遠路はるばるお越しいただきまして、誠にありがとうございます」
「ごきげんよう、ソフィさん。とてもおきれいですわ」
「ありがとうございます」
イボンヌが扇を口元に当てている。
ああ、とソフィは思った。
イボンヌ様、相手が悪いわ、と。
じーっと彼女はクルトを見つめ
「ハイッ!」
ソフィのときにはなかった効果音付きの演出を行った。
当然クルトの顔は、ピクリとも動かない。
「……」
「……」
「……ソフィさん。この方、彫刻のご親戚か何か?」
「人間ですわ。人より少々顔の筋肉が固いのです」
ふうとイボンヌがつまらなそうに扇を置いた。
その横でおおきな体のくまさんが、にこにこと笑っている。
思わずソフィもにこにこ笑ってしまう。
優しい穏やかさがあるくまさんだ。
「お初にお目にかかります。ソフィ=オルゾンと申します」
「ポントス=ベアードと申します。おきれいですね」
「ありがとうございます」
差し出されたもっちりとしたまるい手と握手をした。
思ったよりいつまでももっちりしていた。
「いつまで若い娘さんのお手を握っていらっしゃるの、あなた」
「ああこれは申し訳ない。思わず見とれてしまいました」
かちん
気にしない。
「ソフィさん、祝いの席で無粋でございますが、あちらのノースマン辺境伯と、大人の話をさせていただきたいの。よろしいかしら」
ソフィはにっこり微笑んだ。
きっと寒い地でも育つイモの話だわ、と。
北の地が豊かになる話なら、ソフィはうれしい。
「もちろんです。めったに領地をお出になる方ではありませんもの。どうぞ心行くまでお話しになってください」
アラシルという連れがいない辺境伯は、料理を口に運びながら、なんとなく肩身が狭そうだった。
大人は大人同士
互いのためになる有意義な話で盛り上がれるなら、それに越したことはない。
「どうも」
「軽いな!」
だんと院長が立ち上がる。
ぺこりともせずクルトは院長を見下ろしている。
「なんだその態度は! 俺は院長だぞ! 上司だぞ! 俺のおかげでその美女とうまくいったんじゃあないのかもっと感謝しろ部下のクルト=オズホーン」
「感謝しています」
「感謝してる顔じゃあないんだよ!」
荒れ狂う院長の前で、ソフィはクルトの耳に唇を寄せてこしょこしょと囁いた。
「わかった。耳が気持ちいい」
「わかってないわ内緒話をしているのよ。ちゃんと聞いて」
またこしょこしょされて、彼の表情が緩んだ。
うわあ……と癒院の皆様が赤面している。
「……俺の知ってるクルト=オズホーンと違う」
「やばいね」
「うん、これはやばい」
普段ピクリともしない鉄仮面が
妻にだけ幸せそうにとろけている様子を、彼らは驚きとともに見つめている。
「まあ仕方ないよな、あれじゃあ」
「あれじゃあねえ」
「あの人も人間だったってことだ」
一生懸命背伸びして夫に耳打ちをしている美しい人を
一同目の保養にして、眺めている。
ちなみにソフィが囁いた上司への正しいご挨拶は
耳をくすぐる甘い感触に精神を集中していた夫には何度言っても届かず、ソフィが代わってすることとなった。
「ご無沙汰しております。フローレンス先生」
そのおっとりとした、だが威厳ある穏やかな姿を目にした瞬間
ソフィはまた泣きそうになった。
ソフィが苦しかったとき、辛かったとき
この方はいつも何も変わらず、穏やかに、厳しく
優しく導いてくださった。
「……フローレンス師……」
横でクルトが呆然と目を見開いたのち、背筋を伸ばして尊敬のこもった最敬礼をした。
できるじゃないのとソフィは目を剥いた
先ほどの院長に対する態度とはどえらい違いである。
「国王陛下直属第5癒師団所属、3級癒師、クルト=オズホーンと申します」
「存じ上げておりますわ。クルト=オズホーン師。あなたとは一度だけ、同じ任につきましたね」
「……覚えていただいておりましたか」
ほほほと先生が柔らかく笑う。
「5級の先輩癒師たちが束になっても癒せなかった傷を、眉一つ動かさずに癒した銅級の16歳の少年を、どうして忘れることができましょう」
「……」
じっとフローレンス先生が、その穏やかな瞳でクルトを見た。
「ひとよりも先を歩む者は、概して孤独になりがちです。宵闇色の若い癒師に天が与えたその大きな力が、いつか孤独の暗闇にかわって彼を包みはしないか、そしてその暗闇がいつの日か、彼を誤った道へ導きはしないかと、わたくしはあの日からずっと心配しておりました」
じっとクルトを見つめ、穏やかに首を振り、そっと先生はソフィを見上げた。
「ソフィ=オルゾンさん。あなたに教えるのは楽しかった。勉強熱心で、礼儀正しく、報われなくとも決して諦めない根性があった。言葉の奥に、人を思いやる光のようなあたたかさがあった。この優しい子が光を秘めたまま小さな部屋のなかで生きていくのかと、これもまた、案じておりました」
そっと先生は手を伸ばし、クルトと、ソフィの手を取り、重ねた。
まぶしいものを見るように、フローレンス先生は目を細め瞼をしばたいている。
「年寄りの心配など、やはり大抵が無用の長物。縁とは必要なものに、必要なときに正しく訪れるのですね。互いを見出した奇跡と、伴侶に選んだ己の心を誇り、ずっと手を放さずにお進みなさい。自分の目が曇ったとき、思い迷ったときには、目を閉じてその繋いだ手に頼りなさい。そうすればきっと正しい道を、光の中を、あなた方は間違わずに進むことでしょう。たくさんの人々に、命と幸せを与えながら。ご結婚おめでとうございます。どうぞ、お幸せに」
ぎゅっと夫の手に力が入ったのをソフィは感じた。
夫を見上げ、ソフィは微笑み
いたずらしようと力いっぱい握り返したのに彼はちっとも痛そうにせず
穏やかに、少年のような顔で微笑んでいた。
「先日はありがとうございました。探していたお方を見つけられたのは、皆さまのおかげです」
「とんでもない!」
かちんこちんになっているヤオラのご家族が、慌てて両手を振った。
あら、とソフィは気づき微笑んだ。
40代の奥様が身にまとうのは
「ヤオラ様の」
あの、水色のワンピースだ。
「ここまでの華やかな席とは思わず……平服なんかで来て申し訳ありません」
「いいえうれしいです。本当に、とても。ヤオラ様にお祝いをいただいているようです」
ソフィはじっとその花を見た。
ふっと夏の香りと
笑いあう少女たちの声が、重ねて歌う声が、聞こえた気がした。
「このイモうまいなあ」
料理を口に運んでいたひ孫さんが、感心するように言った。
ソフィは微笑む
「『イボンヌ』というイモを使用しております。あちらのご夫婦が開発したイモですの。きっと今イモの話をなさっていると思いますので、お混ざりになったらいかがでしょう」
「そんな、平民が、とんでもない!」
目を白黒させる家族を置いて、目を輝かせたひ孫が席を立つ。
「おれちょっと行ってくる!」
若さ溢れる青年の背中が光を跳ね返して輝く。
傷者の女が傷物の野菜を売っているというので、わかりやすかったんですよ
そんな風に始まった野菜屋さんは
あの背中が引継ぎ、これからも大きくなって
たくさんの人に親しまれることになるだろうとソフィは思った。
「ビアンカさま」
「本日はお招きありがとうソフィさん。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
嫣然と微笑む彼女は相変わらず色っぽく美しい。
隣には痩せた、誠実そうな男性が汗を拭き拭き座っている。
スープとパンの『あの人』だわと
ふふ、とビアンカと目を合わせて笑った。
ビアンカが色っぽい目で二人を見上げる。
「お美しいわソフィさん。この方がいたずら女神を倒したのかしら?」
「いいえ」
ソフィはクルトを見上げた。
黒曜石の瞳が、優しくまっすぐそれを見返す。
「このひとはいたずらに気が付かなかったの」
「そんな感じがするわ」
ほっほっほとビアンカが笑った。
優しく柔らかに、ソフィの横に立つ固い男を見上げる。
「おめでとう、クルト=オズホーンさん。あなたのその澄んだ目は正しいわ」
「光栄です」
「隠された無二の宝物を見つけ見事に手に入れたわね。どうか、末永く大切になさって」
「はい。命ある限り」
「素敵よ」
二人の男が入ってきた。
片や明るく朗らかに、片や真面目にしっかりと
新しい料理を給仕していく。
「ウマイさん!」
「本日はおめでとうございます。ソフィさん」
ソフィが男に歩み寄った。
清潔感溢れる男前は
来賓で呼んだにも関わらず、料理人の服を着てそこに立っている。
『俺は料理しかできませんから、もしお邪魔でなければ』
そう言って
レイモンドの手伝いを望んだのだ。彼は。
前よりも日に焼けた彼の顔は
やわらかく、活き活きと、明るく微笑んでいる。
「……もしや、お父様の屋台を?」
「はい、手伝ってます。最近なぜか若い女の子に人気があるんですよ」
「……何故かしらねえ」
ふふふとソフィは微笑んだ。
味がいいのは間違いないだろう。そこに
若い男前の店員さんが増えたからだと、ソフィは確信している。
ウマイがクルトにも頭を下げた。
クルトが礼を返し、すっと右手を出す。
「クルト=オズホーンです。ソフィの夫です」
「料理人のウマイです。このたびはおめでとうございます」
二人は握手をした。
「いて」
ウマイが声を上げた。
「料理人の大切な手に何するの! あなた」
「握手しただけです」
「痛がってらっしゃるじゃないの」
慌ててソフィはクルトをウマイから引き離した。
「ごめんなさいウマイさん。手は大丈夫?」
「あ、いえ大丈夫です。……なんかピリッと怨念みたいのが出て」
「そんなもの出せるのあなた」
「握手しただけです」
「いいえきっと何か出したでしょう! ピリッと!」
ソフィがクルトを怒る
ウマイはそんなソフィを眩しそうに見ている。
「じゃあ俺も」
そう言って笑顔で右手を出したのはレイモンドだ。
「……」
無表情のまま、クルトがその日に焼けたたくましい手を握る。
今度こそぐぐぐぐぐ、と
笑った顔と無表情で、さながら腕相撲大会のようになった。
「本日はおめでとうございます。オルゾン家料理人のレイモンドっす。4年前から屋敷の専属でやらせていただいてます。屋敷の中で、お嬢さんの近くで」
「ソフィの夫になる、クルト=オズホーンです。ついこの間から婚約しています。短期間でお嬢様と互いに愛し合ってしまったものですから」
ぐぐぐぐぐぐ
なんの勝負かわからない熱い戦いが続いている。
「幸せにしてくださいよ」
「もちろん全力で努力します」
「オルゾン家の大事なお嬢さんなんで」
「おれにとっても世界一大事な妻です」
「そ」
レイモンドが力を抜いた。
二人の手が離れた。
にっこりとレイモンドが微笑み
皿を持ち礼をして下がっていった。
「さっきからどうして喧嘩するの!」
「喧嘩ではなく握手です」
じっと手を見ている。
「……痛いの?」
「いや、加減された」
珍しく悔しそうに彼は言った。
クルトがソフィを見る。
大きな手がそっとソフィの手を包むように握る。
「改めて気づいた。どうやらこの世には君を好きなやつが多すぎる」
「考えすぎよ。今日はあなたのわからない話ばかりしてごめんなさい」
「君のことを知るのは楽しい。君が人から好かれるのはとても嬉しいし、改めて惚れ直している」
「ありがとう」
「でも不安だ。好きな女性に、自分をずっと好きでいてもらうためにはどうしたらいいんだ」
切なそうに言う男をソフィは見上げた。
「信じて、愛し続けて」
クルトがソフィを見た。
ソフィも黒曜石の目を見返した。
じっと見つめ合った。
「それだけ?」
「それだけ」
ソフィが頷くと
クルトはうれしそうに笑った。
「それならできる」
つないだ手にある互いの熱を感じながら
ぎゅっと二人は、伴侶の手を握った。
挨拶は続いた。
微笑み、涙し、笑い合って
最後にはリリーとイザドラに両脇から抱きしめられて泣いて
ソフィは笑った。
やっぱり泣いた。
賑やかな宴は続いていった。




