67 ラストパーティー 前
食べ放題、飲み放題で賑やかに盛り上がっている広い会場から天幕で仕切られた来賓席は、和やかに盛り上がっている。
本当はオルゾン家の社員のみんなにもここに座ってもらおうとしたのだが
『俺たちは賑やかなほうが落ち着く』と断られてしまった。
今頃はきっとあの広い会場で
歌ったり踊ったり、飲み比べをしたり腕相撲をしたりしているに違いないとソフィは思った。
会場はオルゾン家の料理人たちと、そろいのかわいらしい服を着た孤児院の子供たちが、せっせと給仕をしてくれている。
お皿を運ぶ彼らの横で昔ながらのピエロが、見事な芸を披露して笑いを誘っている。
領地の門は、今日も黒い毛皮の門番が、いつも通り念入りに目を光らせ、耳を動かして守ってくれている。
「ああ、緊張した」
「そうは見えなかった」
「あなたはいつも通りだったわ」
「おれは緊張しない。人間なんて何人いても骨と皮と肉だ」
「そう」
天幕に入ろうとして、ソフィはうしろから腕を取られた。
優しく引かれ、大事そうに、ぎゅっと抱かれる。
「どうしたの?」
夫の体温を全身に感じ振り向きながら見上げてソフィは笑った。
「いつもの君は可愛いが、今日はきれいだ」
「どちらもあなたのものよ」
「それはよかった。念のため確認させてくださいソフィ嬢」
そっと夫の顔が近づいてくるのを感じ、ソフィは目を閉じた。
「では、新郎新婦の登場です!」
すでに出来上がった感のあるユーハンが叫ぶ。
幕が取り払われて現れた二人に
来賓席はシーンと静まり返った。
吹き出したり、くすくすと笑う声も上がる。
「……クルト君」
「はい」
真面目な顔で新郎が答える。
「どうして君はソフィに一生懸命唇を拭いてもらっているのかね」
「うっかり今日の彼女が紅を差していることを失念しておりました」
「このうっかりもの! ソフィが絡むといつも君は急にポンコツだな!」
今日はユーハンは足踏みをしない。
渋い顔で、整えた髭を撫でる。
「まあいいだろう。男などそんなものだ」
ユーハンはそっとシェルロッタの手を取った。
『お熱いねえ!』とイザドラがヒューヒューからかった。
リリーが目をハンカチで押さえながら笑っている。
大人たちは柔らかく、若い夫婦の様子を優しい目で見つめている。
おや、と
各席に挨拶に回ろうとしたソフィは、会場の様子を見てわずかに首をひねった。
「ごきげんよう。本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。エドヴァルド=ノースマン様でいらっしゃいますね」
「はい」
40代の、渋いダンディなおじさまがセクシーな低い声で答えた。
アラシルの旦那様だ。想像を超えて渋かっこいい。
それなのに
あの子の姿は会場のどこにも見当たらない。
「申し訳ございませんソフィ様。アラシルは、本日来られなくなりました」
思わず声を失った。
必ず出席すると
とても楽しみにしていると
確かに文は来たのに。
「何か……アラシル様に何かあったのでしょうか」
「出発の二日前になって、その……」
ノースマン氏は言葉を切った。
その様子に、青ざめたソフィが唇を震わせる。
クルトがソフィの肩を抱く。
やがてポッとダンディーなノースマン氏は頬を染めた。
あっとソフィは察した。
そして、じわり、と目頭が熱くなった。
「ご懐妊でございますね。おめでとうございます」
クルトがソフィにハンカチを渡した。
そっと目元をそれで抑えた。
「おめでとうございます」
「ありがとう。どうしても行きたいと彼女は言っていたのだが、わたしが止めました。彼女に、何かあったらと思うと、それだけは許せず」
「止めてくださってありがとうございました。大変でございましたでしょう」
アラシルのことだ
きっと嫌だ絶対行く、と頑張ったに違いない。
「地面に頭を擦り付けて懇願いたしましたよ。どうかそれだけは、と」
「まあ……」
この方は奥様を、出産で亡くされているのだ。
嬉しかったと同時に、怖かっただろう。
この子にまで、何かがあったらと。
「放っておくと頑張ってしまう子ですから、どうぞ、どうぞお大事になさってください。彼女はお元気でしょうか。何かやりすぎてはおりませんでしょうか」
ノースマン氏が苦笑した。
「18歳の娘さんが都会から嫁いでくると聞いて、若い者たちは喜びましたが、古参の者たちは震えあがりました。前妻と子、両親の墓がないがしろにされるのではないか、冬ごもりの支度を嫌がって水を差すのではないか、わがまま放題で皆を困らせるのではないかと。わたしは見合いであの子に会っていましたからなんの心配もしておりませんでしたが、実際にあの子に会うまで、屋敷の中の半分は葬式のごとき暗さでございました」
「ええ」
「墓はピカピカ、冬ごもりの準備は例年の倍賑やか。今では皆があの子を止めるのにいっぱいいっぱいでございますよ。ほっとけば人の倍仕事をしようとする子ですから」
「そうでございましょう」
ソフィはにっこりと笑った。
ノースマン氏も渋く、柔らかくふっと微笑んだ。
「アラシルから聞いていた通りのお方ですね。優しくて、おおらかで、誰をも許す優しい夜の月の光のようだと、あなたのことをそう申しております。わたしから見ればお美しすぎて眩しすぎますが」
まあお上手、とソフィは微笑んだ。
右側から何やらかちんとした空気を感じたが、気にしないことにした。
ノースマン氏はじっとソフィを見た。
「……つまらないお話で恐縮ですが、先日わたしの誕生日がございまして」
「おめでとうございます」
「ありがとう。あの子のことだ、きっと何か準備をしているだろうと思い、その日は会合がありましたので帰りはあえて裏門から入り、屋敷の中からこっそりと玄関に回りました。そうしたら彼女は、ざるにたくさんの花びらと紙吹雪を入れて、正面入り口の扉の内側で待っていたのです。帰ってきたわたしに吹きかけて、びっくりさせてやろうとしたのでしょう」
「アラシル様らしいわ」
くすくすとソフィは笑う。
子供っぽい無邪気なサプライズ。
仕事や勉強の合間にせっせせっせと準備して
その日はまだかな、まだ帰ってこないかな、と
アラシルはそこでずっと旦那様の帰りを待っていたのだろう。
「後ろから見たその背中が、肩が、本当にわくわくしておりまして」
「……はい」
そっとクルトの胸ポケットのチーフを、ソフィは抜いた。
「楽しそうに、わくわくとしておりました」
そのままノースマン氏に手渡す。
「お恥ずかしいことです。泣きながら、彼女を抱きしめました。本当に、お恥ずかしい」
ノースマン氏が受け取り目元をぬぐった。
目に涙をためて、ソフィは微笑んだ。
アラシルさん
ここにいない友のことを想う。
おめでとう。
おめでとう。
振り乱した髪を頬に貼り付け
傷つき、怒りの目で世の中すべてを憎んでいたあの子は、もうこの世界のどこにもいない。
愛し、愛され
北の地で新たな命を、愛する人とはぐくむのだ。
「いつかご夫婦で遊びにいらしてください。屋敷を上げて歓迎いたします」
「はい、是非」
ソフィはしとやかに礼をした。
「クルト=オズホーン君」
「はい」
「宝のごとき月光を独り占めする幸運な男よ。仕事熱心なのはよいことだが、奥様の体調にはくれぐれも気を配るように」
「心得ました」
クルトが固い礼をした。




