62 クルト=オズホーン
クルト=オズホーンは語り出した。
クルトは小さいころからラブラブな両親を見て育っていた。
いつも楽しそうで、いつも体のどこかが触れ合っていて
それぞれの語尾にいつもハートマークがついている。
父の口にアーンと飯を運んでいる母を、離乳食を食べつつ見ながらすでに
自分で食べたほうが早いだろうにと思っていたような気がする。
「子供ながらにうざったい両親でした」
「いいご夫婦ではないですか」
普通は子供が家族を和ますはずが
オズホーン家は常に和んでいるため、クルトにその仕事は回ってこなかった。
いつも楽し気な父と母を見ながら
何故か人一倍冷静に、彼は育った。
特にこれといったこともなく15歳になり
光の才が見いだされ、そこからさらに選抜されて癒師団に入った。
国の精鋭が集まる場所だ。きっとこれまでのような退屈はなかろうと期待して入ったが
これまでとたいして変わらなかった。
クルトはいつもそうだ。
周囲の人間が、何故わからないのかわからない
何故できないのかわからない
お前はおかしいと言われるのでそうかおれがおかしいのかとは思うのだが
考えても、やはりクルトが正しい気がする。
思ったことを口に出せば傷ついた顔をされ、時間がたつほど遠巻きにされる。
クルトは人に交じれない。
人というものが
心というものが、わからない。
主張してもろくなことが起きないのは経験で学んでいたので、極力人交わりを避け、自分に与えられた仕事を完璧にこなすことにした。
規則を守った。きっちりとするのは好きだし、規則として書いてある決まりはわかりやすいからだ。
黙って仕事をしていれば自然に階級は上がる。
上になってしまえば絡まれなくなるのが楽だった。
クルト18歳の冬のある日
両親が死んだという知らせが飛び込んだ。
結婚20周年の記念に、氷の国にオーロラを見に行くというテンションの高い文が来た矢先のことだった。
「目撃者の話によると」
「目撃者?」
「おれの両親は楽しそうにてくてくと氷の上を手をつないで歩き」
「はい」
「オーロラを見上げ抱き合って」
「はい」
「そのまま氷の下から現れた、百年に一度しか現れないというピンク色の大型魚型魔物『ラブマンタ』に一飲みで飲まれたそうです」
「……えっ」
「本来なら人を食べない、見ると恋が叶うありがたい魔物だからきっと口を開けて飛び上がった拍子にたまたま飲まれたのだろうとのことですが、さすがのおれも驚いた。そんな阿呆のような奇跡があるだろうかと。ただ多分二人は笑っていただろうとは思います。オーロラがきれいだね、クルトにも見せたいねと。かの魔物はそのまま海に消えましたので遺体は上がりませんでしたが、おそらく今も、魔物の腹の中であの人たちは笑っているだろうなとおれは思います」
「……」
クルトの顔はいつも通り、何も変わらない。
「あの両親はいつも楽しそうだった。息子を好きだった。おれが人を、嫌われても嫌いになり切れないのは、おそらくあの両親のせいです。人を理解できない、わからない、厭わしいと思いながらも、本当は理解できれば、もっと上手に交われれば、きっと両親たちのように楽しかったりおもしろかったりするんだろうと、憧れていたのだろうと思います。だからおれは、癒師の仕事が嫌いじゃない。人を治せるから。人という生き物を理解できないけど、人というもの自体は、嫌いではないのです」
3級以上は昇級に試験がある。
実技と筆記を終え、これなら大丈夫だろうと思っていたところに上に呼ばれた。
『クルト=オズホーン』
『はい』
『君の実力、知識、実に素晴らしい。その若さで大したもんだ。ただし』
『はい』
『癒術は仁術なり』
『はあ』
『君には欠けているものがある。少し中央を離れ、人を学ぶことを君に勧めることにした。これは我々癒師団、ひいては国の未来のためである』
『はあ』
『辞令は追って届くだろう。励むのだぞ若者』
『はい』
『以上である』
『はい』
そうしてこの街にやってきて
「君に会った」
「……」
たまたま転がって足に当たった広告を見て、きっと癒術まがいのものを餌にした悪徳サロンだろうと
自分の判断で飛び込んだ。
だが
「君がいた。体格差をものともせず身を挺して客の尊厳を守り、敵役だろうおれに茶を入れて本を貸し、冗談を言って笑った。家に帰っても、君の顔と声が忘れられなかった」
じっと黒曜石の瞳がソフィを映す。
「また会いに行ったら君は床に倒れていた。マナ切れというのがあることは知識として知っていたが、実際にやる人間を初めて見た。おれだってマナが残り少なくなれば、その場から逃げ出したいほど怖くなる。なのに君はすべてを使い切っていた」
彼は自分のてのひらを見た。そこにあった何かを思い出すように。
「抱き上げたら細くて軽かった。肩も、腕も、おれの半分しかない女の子が、どうしてこんなことができるのかわからなかった。目覚めた君は、自分の未熟を恥じて泣いた。癒師というだけで威張り散らかす奴らに囲まれていたおれは、あんな高尚な涙を初めて見た。おれの声を聞いたと、力を絶大だと、尊敬すると言った。とんでもない、尊敬したのはおれのほうだ。こんなに必死に人を治そうとしたことがあっただろうかと思った」
そっと伸びたクルトの手がソフィの手を握った。
「君と話すのは楽しかった。おれが何かを言えば、だいたいの会話が止まる。だからなるべく職務以外では人の会話に混ざらないように心がけていた。でも君はおれの言葉にすぐ別の言葉を返し、おれが何かを言うたびに怒ったり、笑ったりした。話すたびにもっと、君のいろいろな顔が見たくなった」
いったいどの会話を思い出したのか、クルトの目が穏やかに笑う。
「君の皮膚を治そうとして治せなかったとき、衝撃を受けた。皮一枚程度の炎症を治せないわけがないと思っていた。微笑みながら泣く君を見て、胸が痛かった。慰めたかった。それまで、自分が治せると思ったものはなんでも治せた。『治したいのに治せない辛さ』を、初めて感じた。そしてこれは周りの癒師が、皆感じていることなのだと理解した」
ぎゅっと手に力がこもった。
「君が、もうこの世にいないかもしれないと思ったとき、そしてそうではないとわかったとき、自分の心が、こんなにも乱れるのだと知った」
黒い瞳が、わずかに潤んだような気がした。
ふう、と彼は息を吐く。
「戦場から戻り、君の魔術を受けた。本当に驚いた。相手を思いやる気持ちが、治したいと願う優しい気持ちが、魔術を通して流れ込んできた。『優しさ』など意味がないと思っていた。優しさで人の傷は治らないから。優しさで人は生き返らないから。死にかけた人の周りで泣いている家族など、治療の邪魔でしかない、優しさなど無力で無駄と思っていた。だけど君は教えてくれた」
頬にクルトの大きな手が伸びる。
「『優しさ』は内側から人を癒す。心は心を癒す。おれにもちゃんと、人の心で癒される、何かを愛したり悲しんだりする心がある。おれは君から、ここでたくさんのものを教わっている」
優しく引かれた。
クルトの腕に、すっぽりと包まれた。
「愛し、尊敬していますソフィ嬢。あなたはおれの『人』の師だ」
あたたかい男の体を
ソフィはぎゅっと抱き返した。
涙が落ちた。
「……どうして泣く?」
「……あなたが、愛おしくて」
「変人の、情けない話だ」
「いいえ。知ることは、知ろうとしていなくてはできないのよ」
じっとクルトがソフィを見た。
その頬をソフィは指でなぞった。
じっと男の形を見た。
この不器用なひとが
ソフィは本当に愛しいと思う。
人を見る黒い瞳が傷ついて濁っていないことが、心からうれしいと思う。
涙が溢れた。
「あなたはずっと知りたがってた。心とは何か、人とは何か。皆が自然にわかっていることが、自分だけわからないのは辛いことだわ。ずっと怖かったでしょう? 自分の言葉で固まる、傷つく人を見るのは嫌だったでしょう? それでもずっと、あなたは人のなかにあり続けて、人を癒し続けた。理解できないのをまわりの人のせいにせず、わからなくても人を嫌わずに、わからない自分をどうしてだろうと思い続けた」
やわらかな手が優しくクルトの頬を包んで撫でた。
「わかったのは私のおかげなんかじゃない。あなたがずっと、それを知りたいと思っていたから。交ざりたいと願い、交ざれなくても人を恨まなかったから。見た目がそれぞれ違うように、心の形もきっとそれぞれ違う。姿の異なる人が人に避けられるように、心の形が異なる人も、人にそうされてきたのだと思う」
ソフィの右手が頬をなぞって下がり、クルトの胸をやわらかく撫でる。
「あなたのここは、きっととても硬く丈夫に作られたのだわ。人々の心が乱れても、あなただけは乱れないように。どんなに凄惨な場面でも、あなただけは冷静でいられるように。何があっても必ず最後までそこに立ち続け、人を癒し助け続けられるように。人と違うことを成さなければならない人のここには、やわらかさとは真反対の、強さと硬さが必要だったから」
そっとソフィはその胸に頬を摺り寄せ、手のひらで柔らかく撫でた。
「決して悪いものじゃない。嫌われなくてはいけないようなものじゃない。ただ人と違うだけ。でも、硬いものは、剥き出しのままだとまわりの柔らかいものを傷つけてしまう。だから、これから一緒にお勉強しましょう。人を傷つけない方法を。わたしはあなたの言葉に傷つかない。あなたがわたしの姿を恐れなかったように、わたしもあなたの心を恐れない。わたしはあなたのここが、とても好きだから」
透明な涙が、男の胸に染み込んでいく。
「これから、たくさんお話ししましょう。勉強して、練習すれば、きっと素敵なことが増えるわ。これが忌まれるような形のものでないことをわかってくれる人が増えて、きっと楽しかったり、おもしろくなったりするわ。だからどうか、わたしを恐れないで。わたしは何かいやなことがあったらちゃんと言葉にして伝えるから。何も言わずにあなたを嫌ったり、離れて行ったりなんて、絶対にしないから」
ね、と顔を上げクルトに向けてやわらかく微笑んだ。
男の瞳から溢れた熱いものを見ないように
ソフィはそっと彼の胸に顔を埋め目を閉じた。
「……君が好きだ」
「わたしも好き」
「結婚してくれ」
「ええ、その予定だわ」
男の指がソフィの涙をすくい、髪を撫でる。
ソフィは顔を上げた。
温かみを増した黒曜石の目と間近に目が合い
そっと閉じた。
ソフィのサロンの床に、二人の影が重なった。




