59 愛の道化師
涙、涙の感動の場面に、その男は現れた。
「ソフィ嬢、失礼する!」
男は四角く高らかにそう言うと、サロンをずんずん進み
まっすぐにソフィに歩み寄り、膝をついた。
ひしめきざわめく人々も、彼には見えないのだろう。黒い瞳でじっとソフィだけを見上げている。
赤いきれいな薔薇の花束が、ソフィの目の前に差し出された。
「クルト=オズホーンが、ソフィ=オルゾン様に希う。我貴方に心奪われ、貴女との婚姻を望む男なり。私の認識票を一生貴方に委ねたい。君の汁など気にしない。むしろたくさんつけてくれ。ソフィ様、どうか私の妻になってください」
「……」
「……」
「……」
沈黙がその場を支配した。
こんなにも人がいるのに、誰も言葉を発しない。
「……クルト=オズホーン様」
沈黙を柔らかい声が破った。
「はい」
「お答えする前にふたつほどお伺いしてもよろしいでしょうか」
「はい、なんなりと」
揺れのない黒曜石の目でオズホーンがソフィを見た。
「ひとつめ」
「はい」
「その格好でお家からここまでいらっしゃったの?」
「はい」
大真面目に答える男は
大変古典的な、白いスーツを身に纏っていた。
清潔感溢れる容姿に恐ろしく似合っているのが、実に痛々しい。
「ふたつめ」
「はい」
「わたくしを見て、何かお気づきにならない?」
「?」
じっとオズホーンがソフィを見た。
よく見た。
「……髪を切った?」
「いいえ」
跪く男に合わせ、ソフィがしゃがんだ。
男の手を取り、自らの頬に当てる。
それをうれしそうな顔で見ていた男は
やがて眉を寄せ、はっとした顔になった。
「……皮膚の炎症が治ったのか!」
「ええ。つい先ほど」
男の手に触れるソフィの頬は
赤ちゃんのように澄みきり、ツルツルのスベスベであった。
漆黒の瞳を見つめるソフィの目から溢れた涙がオズホーンの指を濡らす。
思わずぬぐった男の指に、もう変な汁はつかない。
きらきらと透明のまま宝石のように男の指を伝い、落ちていく。
「ソフィ嬢……」
真面目な顔でじっと、オズホーンがソフィを見ている。
「うわなにあいつ、ダッセェ!」
ソフィとオズホーン以外が静まり返っているその場に、明るい声が響いた。
屈強な男どもに遮られ今までオズホーンの姿が見えなかったのだろう新人ヨタが
背伸びしてようやく見えたオズホーンに向けて脊髄反射的に放った、無邪気な子供のような声であった。
馬鹿というのはよく考えないので
反応が、とてもいい。
「やめろ!」
「それ以上言うんじゃねぇ!」
「死ね!」
ぼこ、ぼこ、ぼこと音が響いた。
そしてまた、沈黙。
オズホーンは考える顔をしていた。
「状況を整理してもいいだろうか」
「どうぞ」
「私はどうやら大変『ダッセェ』格好で」
「はい」
「何かの空気を読まずにここに現れ、あなたに跪き、皮膚の炎症が治まったあなたに向かって『おれに汁をいっぱいつけてくれ』とプロポーズした」
「ええ」
「うっわ」
「整理すると地獄だな」
「誰か殺してやれ!」
いかつい大の男たちが頭と胸を抑えて悶絶している。
呆然としたオズホーンが、ふうと息をつき、ソフィを見上げて薔薇の花束を抱えなおした。
「それでもおれは希う。おれと結婚してください、ソフィ嬢」
「メンタル強ェなあ!」
いっそ感心したような動揺が走った。
一切動じずオズホーンは続ける。
「あなたに帰りを待たれたい。あなたに笑っておかえりと言ってほしい。あなたの笑顔も、涙も、どの男よりも一番近くで、一番長く見ていたい。どうかおれの妻になってください」
少しのぶれもなく、メンタル強く言い切った。
皆が固唾を飲んでソフィの回答を待っている。
「謹んでお――」
「ちょっと待ったぁ!」
雷のような男の声がソフィの言葉を遮った。
ずいと娘と男の間を割くように体を割り込ませたのは、この屋敷の主人にして男たちの代表、ユーハン=オルゾン
「ソフィの父、ユーハン=オルゾンだ」
「お初にお目にかかります。クルト=オズホーンと申しますお父さん」
「おとうさんと呼ぶんじゃない!」
父がガンガンにメンチを切っている。
「娘の病気が治った感動のシーンに水を差してくれてありがとうクルト=オズホーン君とやら。ソフィのお父さんからいくつか君に聞きたいことがあるのだがよろしいかな」
「はい」
「一応聞くが、おふざけでも冗談でもないんだな」
「おふざけや冗談でこんな格好ができますか」
「説得力が違う!」
くっと崩した体勢をユーハンが戻す。
「クルト君お仕事は?」
「国王陛下直属第5癒師団所属、3級癒師です」
「将来性の塊だね! 年齢は」
「22歳です」
「意外と若いねソフィといい年回りだなあ! ご両親とご兄弟は」
「兄弟はなく両親を亡くしており、天涯孤独です」
「若いのに苦労してるなあご愁傷様です! 嫁姑問題も親類トラブルも介護の心配も全然ないなあ! 家はあるのかね」
「王都の中心地に国から支給された庭付きの一軒家が」
「一等地に一軒家でローンの心配もないときたか! くっそう!」
ユーハンはダンダンと悔し気に子供のように足踏みをしている。
「社長くそダセェ……」
「しっ」
痛々しいものを見るように社員たちがそんな社長を見ている。
「いいだろうクルト君。ではこうしようやり方を変えようか」
「なんでしょう」
「ソフィの好きなところを100個言いなさい! さあ! チッチッチッチッ!」
「お父様!?」
勝ち誇った顔でチッチチッチと揺れながらユーハンはオズホーンを見下ろしている。
ふむ、とオズホーンは顎に指をあてた。
「チッチッチッチッ……ん? 言えないのか? んん? そうだよねまだ会ったばっかりだもんね無理だよね! 負けを認めるのかなー」
いったい何の勝負なのか、もう誰にもわからない。
オズホーンが口を開いた。
「では申し上げます。
とっさの勇気、機転
美しい言葉遣い、まろやかな声。
常に揃い、なめらかに動く指先。伸びた背筋、礼の美しさ。
頭の回転の速さ、真摯な心。
知識への貪欲さ
少し気が強いところ、人を優しくからかうところ、笑った顔の愛らしさ。
人をまっすぐに見つめるところ」
ああ、とソフィは思った。
オズホーンは今、初めて出会ったあの日のことを思い出している。
「やわらかで人を傷つけない言葉の選び方
うつむいたときのまつ毛の美しさ
細い肩、まっすぐな首筋、手足の形
師からの教えを大切に守らんとする心
己の失敗を認められる素直さ、それを悔しいと思える自尊心。
気高さ、恐怖に負けない強さ……」
「もういい! ストーップ! ストーーーーップ!」
ユーハンが腕をブンブン振りオズホーンを遮った。
「まだ24個ですが」
「すでにおなかがいっぱいだ! もっと簡潔に言いなさい!」
あんたが言えっつったんだろ、と一同は思った。
「簡潔に……」
ふむ、とまた顎に手をやった。
「すべてを」
「うん?」
「私の目に映ったソフィさんのすべてを、愛しています」
「……」
「生まれ持ったもの、努力により身に着けたもの。強いところ、弱いところ、彼女の持つすべてのものが、私には眩しく、たとえようもなく愛しい」
マーサが目頭を押さえた。
リリーとイザドラは抱き合って泣いている。
真剣に
真面目に
恥じもせずオズホーンは言い切った。
完敗
父完敗である。
「よかろう!」
完敗を悟ったユーハンは、高らかに言った。
「父からは以上だ。その愉快な格好の男性にお返事しなさいソフィ」
「……はい」
一歩ソフィはオズホーンに歩み寄った。
おそらくきっちり100本なのだろう重たい薔薇の花を受け取る。
よく見れば薔薇はみな赤だが種類が少しずつ違う。
きっと100本になるまで、彼は街の花屋を巡ったのだ。
この格好で
お店の赤い薔薇を、あるだけくださいと繰り返した。腕の中で100本になるまで。
まっすぐで、真面目で、頭がいいのに変なひと
もう少し時間をおいてから
もう少し普通の服装でいらしていただくことはできなかったのかしら?
ソフィがそう言えば、きっと彼は今日集めた薔薇を持ち帰って
言われた通りに時間を置いて、今度は普通の格好で、別の日に
またソフィに、プロポーズをするのだろう。
何度笑われても、馬鹿にされても
何度でも
『ほっとけなかったのよ』
そうね、と
胸を走った声にソフィは笑う。
自分に向けて差し出された長い腕
いつか、このまま抱かれていたいと願ったあの腕のなかに
ソフィは薔薇を抱えたまま、そっと身を寄せた。
「謹んでお受けいたします。お慕いしております、クルト=オズホーン様」
静まり返り、やがて
ピュウウウウッと指笛が響き渡った。
ウオオオオオオと野太い叫びが上がる。
ソフィの体がふわりと浮いた。
オズホーンに抱かれている。いわゆる『お姫様だっこ』である。
オズホーンがソフィの髪に唇をうずめてささやいた。
「君を得た」
「差し上げました」
オズホーンがソフィの顔を覗き込む。
「婚約者はいますか、ソフィ嬢」
近くで見つめ合ったまま、クスクスとソフィは笑う。
「ええ、ここに」
婚約者のいつもより下がった目じりをソフィは指でそっとなぞった。
「そう言われるのが夢だった」
そこにきゅっとうれしげなしわが寄った。
「さておれの婚約者のソフィ嬢。寝室はどちらですか」
「どうか初夜までお待ちになって、愛しいあなた」
そっと彼の頬に額を摺り寄せた。
ぎゅっと体を優しく抱かれた。
見上げれば幸せそうに、初めて見るような顔で
頬を染め白い歯を出して、オズホーンが笑っている。
「上司にプロポーズのやり方を聞いてよかった」
「やっぱりあなた嫌われてるわ」
「いいんだ。ちゃんと願いは叶った」
優しい声だった。
宝物を抱く手つきだった。
ぽろりと涙が溢れた。
「愚かなことをしたのに。嫌いにならないでくれて、ありがとう」
「君にされて嫌なことなど何もない。君が好きだ」
ぽろり
ぽろり
透明な涙は柔らかな頬を伝って流れていった。
作者だったら恥ずかしくないだろうと思わないでください。
こいつをヒーローにしたことが、そもそもの間違いだったのだ。
フラグ全回収のルンバ男に罵倒や喝采がありましたら(あればで結構です)よろしくお願いします。