58 ポキッ
「ただいま!」
社員を引き連れて長旅から戻り、懐かしの我が家に入って元気に大きな声を出したこの屋敷の主人は
誰の出迎えもないことに首をひねった。
「ただいまー! パパですよー!」
「ユーハン!」
何故か赤子を抱いて現れた愛しい人に、ユーハンは顔を崩した。
「ああシェルロッタ、ただいま。お土産に素敵な布を買ってきたよ」
広げた布に見向きもせず、彼女はユーハンの腕を取った。
ぐいぐいと引かれる。
「どうしたんだシェルロッタ、私に会えなくてそんなに寂しかったのか? 社員たちの前だぞ困るなぁ積極的だなぁうれしいなぁ」
「そんなものおしまいなさい。――ソフィが」
そんなもの扱いされた布を手に引きずられる。
なんだなんだとざわめく男たちも続く。
「ソフィが治るかもしれないのです! 早くいらっしゃって!」
シェルロッタの美しい瞳には涙があった。
色鮮やかな布が空を舞う。
うおおおおと謎の雄たけびを上げ、男たちは社長に続きソフィのサロンへとなだれ込んだ。
ソフィのサロン
息をつめ見守る男たちの前で、しなびたきゅうりのようなお爺さんが椅子に腰かけるソフィの前に手をかざす。
「フム」
「どうなんでいじじい」
「しっ」
手を動かす。
「フム」
「じれってえなあ!」
「うっせえ!」
手を動かす
「フム」
「息してんのかじじい!」
「黙れ!」
息を詰める皆の前で
お爺さん……薬売りのガンポー氏が口を開く。
「お嬢さん」
「はい」
緊張した面持ちでソフィはガンポー氏の言葉を待っている。
「魔力を持つ人間には、生まれつき体から何本か、ぽうぽうとマナを出すちいさな煙突のような管が生えているのをご存じですか」
自分の額から、体から外へ、ガンポーは手を動かした。
「初耳です。不勉強で申し訳ございません」
よいよい、とガンポーは頷く。
「『見える』のは今となっては私くらい。魔術師は魔術に対する防御力が常人よりも優れていることはご存じですな?これは自身の体が自身の発した魔術により傷つかないよう、この管から出たマナが張った、護りの膜で守られておるためです。しかしごくまれに、この管がどういうわけかくねり、くねりと毛のように曲がって、魔術師自身に突き刺さっていることがある。守るために生えたはずのものが主人を害す不思議。私はこれを『マナの逆さまつげ』と呼んでおります」
「わかりやすいわ! それがあるとどうなるのでしょう」
「受ける体の性質によっても違いますが」
「はい」
ガンポー氏はソフィの顔に触れた。
「あなたの場合はこうなる。運のよいことだ」
「……」
呆然とソフィはガンポー氏を見ている。
「自然に外に流れ出るはずのマナが逆流し、原液のまま再度流し込まれれば、本来取り込める量を超えたマナが体の中を巡ることとなる。そうなれば体のあちこちに無理が起こり、破れ噴き出して魔術師の体そのものを内から蝕んでいきます。あなたの皮はあなたを守りたかったのだろう。必死で固くなりこの逆流から身を守った。岩のようになって跳ね返し、ときに耐えきれず崩れ落ちながら、それでもまた固くなってあなたの体を守り続けたのです」
ガンポーの骨のような指が、空気を探る。
「なんとまあぶっとい『逆さまつげ』だ。こんなものに長年さらされ続けながら、あなたの内側は全く蝕まれていない。何年も、何年も、守るために噴き出したマナとあなたの体は、皮一枚の上で、入ろう、入れまいと戦い続けた。なんと切なくて、不毛で、悲しくて、けなげな戦いであることか。どちらも主人を守るために、必死だっただけなのだ」
いい子、いい子するようにガンポーは空気を撫でた。
「なあお前、『逆さまつげ』よ。お前とて曲がって生まれたくはなかったろう?大切な主人を害したくなどなかっただろう。ちゃんとほかの者たちのようにまっすぐに、ちゃんとこの方の役に立ちたかったろうに。悲しいなあ、どうしてお前だけが、こうなのだろう。どうか恨まないでやっておくれお嬢さん。こいつだってほかと違う形に生まれたことが、ずっと辛く、ずっと切なく悲しかったに違いないのです。自分で望んで、この形に生まれたわけではないのです」
ぽろりと涙が落ちた。
「……それは治せるのでしょうか」
「『逆さまつげ』をポキッと曲げてまっすぐにいたしますので、ちょっとチクッとします」
「……それだけ?」
「それだけです。『それだけ』をするほとんど唯一のものを、あなたは偶然か必然か、見出しここに引き寄せたのだ。ひと月もあれば古い皮膚がはがれ、きれいになることでしょう」
「……わたくし」
ソフィの唇がわなないた。
「皮一枚なら治せますわ」
「それはよかった。では」
ガンポーが手をソフィの顎のあたりに伸ばし、高らかに叫んだ。
「ポキッ!」
お昼にもう一話投稿いたします。
笑ってもいい場所でお読みください。




