54 戦場の癒師クルト=オズホーン1
グスタフ=ヘッグはついていない男である。
農家の5男に生まれ、14で家を追い出されて(家が狭いから)冒険者になった。
何度も何度もパーティ解散の憂き目に逢いながらも冒険者を続け、もう46歳。
30歳を過ぎたあたりからなぜか国に目をつけられ、何度も何度も国依頼の指名クエストに参加させられてきた。
そろそろ引退してどこかに安住し、道場でも開ければいいなあと思っていたところに
また国から、今度は『クラック渓谷のドラゴン狩り』クエストのリーダーを依頼された。
確かにグスタフはA級冒険者だ。
だがそれは過去の栄光を食いつぶしているだけで、自分の大斧の腕が既に最盛期の良くて7割、B級レベルまで落ちていることは自覚している。
また見た目がいかついので頼りがいがありそうなどと勘違いされることが多いが、こう見えて肝っ玉が小さくて、大事なイベントの前には考えすぎて眠れなくなるタイプである。おなかも弱い。ただし、声は大きい。
丸丸丸、と手のひらに書いて飲み込んで、精いっぱいの渋い表情を作って現場に到着してグスタフは確信した。
やっぱり俺は、ついてない。
10パーティ50名の参加者がいると聞いていた。
なんであのパーティ、全員ピエロの恰好をしている。いったい誰が攻撃するのだ。
なんであのパーティ、全員忍者だ。どうしてそんなに忍びたい。
なんだあれは。男なのに頭の上で結い上げた変な髪形に紐のようなパンツを穿いて、ケツを丸出しにしたデブがいる。
馬車の移動に慣れていないのか飲みすぎたのか、全員がゲロ吐きながら転がっているやつらがいる。
ドラゴン
ドラゴンだ
魔物のトップみたいなやつ相手に
なんでこんなにバランスの悪い布陣で臨もうとしているのだ。
普通に、剣と弓、魔術をバランスよくローテーションしていく普通の戦法を考えていたグスタフは、強く吹き付けた風の成すままに、手元のメモを投げ捨てた。
「癒師班は到着してんのか」
『癒師』
後方支援専業の回復魔法係
使い捨ての冒険者とは違い全員が国の持ち物なので、普通の冒険じゃめったにお目にかかれないピッカピカの高級品。
依頼人が国の場合の時だけ表れる白い制服の彼らは
その希少性ゆえ守られ、奥に引っ込んでいる。
大事に守られ気位の高い、神経質な変人集団。
戦場の命綱。
「2名到着しています」
「階級と名前」
「4級のバッカス=エーマン、6級のパトリック=ハリン」
ついてねえ、とグスタフは頭を押さえた。
「あのカス野郎と銅級かよ!くそが!」
いらいらと足元にあった切り株を蹴っ飛ばした。
朽ちていたらしく、ばすんと粉々になる。
戦闘部隊が50名なら、派遣される癒師はせいぜい2名か3名だろう。
前にどこかの任務で一緒になった『バッカス=エーマン』はひどいものだった。
年齢は50代くらいか、貴族の出らしく、白くなり始めた金髪をオールバックになでつけて、髭を整えた一見ダンディな男は
壊滅的に『ソコジャナイ』腕前の持ち主だった。
魔物の牙で引き裂かれ、あとちょっとで腕が根元から落ちそうになっているやつを、なぜか足から治療する。
腹からはらわたがまろび出ている人間を、なぜか額の傷から癒し始める。
服が汚れるのを嫌う。
髪が乱れるのを嫌う。
冒険者をなにか、人間の形をした汚い動物だと思っている。
どういう基準で癒師の級が決まるのかは知らないが、あれでよくも4級まで上がったものだ。
もっとも戦場での癒術が苦手なだけで、設備の整ったハコモノ内ではまた違う働きをするのかもしれない。だが
ここは戦場なのだ。
とっさの動き、一瞬の判断を間違えられては困るのだ。
6級のパトリック=ハリンは聞いたことが無い。ランク上がりたての新人だろう。
癒師の胸元にある認識票はランクで色が違う。1~2級は金、3~5級は銀、6~10級は銅
せめて銅級のこの男はまともであってほしい。
ランクは低くても、実力のあるやつは稀にいる。
稀に
ごくごく、稀に。
ごくごくごくごく、稀に。
「あ~あ……フローレンス様に会いてぇなあ」
威張り腐る気位の高い癒師のなかにありながら
聖女のような微笑みを浮かべた、あの女性の癒しはいつも優しかった。
常に冷静で、正確で、あたたかかった。
「こりゃあ、今回半分は死ぬな。運が悪かった」
頭をかきながら歩いたその先に
その男はいた。
「……音無のオズホーン」
「初めまして。国王陛下直属第5癒師団所属、3級癒師のクルト=オズホーンです。派遣先が遠方のため到着が遅れました。このたびは癒師班の現地責任者を務めます。戦闘班のリーダーはあなたですか」
「はい。斧使いのグスタフ=ヘッグです。ええ初めまして。前に何度かご一緒してますがね」
無機質なそのくそ真面目な顔に
キスしたいほどグスタフ=ヘッグはうれしかった。
予想を変更。多分死ぬのは1人か2人
作戦も変更。長期戦になっても戦える。
今日のグスタフ=ヘッグはついている。
6級癒師パトリック=ハリンはこの人を見るといつも考える。
癒師という仕事は、人の心があってはできないのではないかと。
「オズホーン先輩。ご無沙汰しております!」
現れた背の高い黒髪の男に、パトリックは90度の角度で礼をした。
パトリックが務める中央の癒院の先輩だ。
腕のいいこの人が何月か前にお上の鶴の一声で港町に派遣されてしまい、現場は大混乱であった。
癒術というのは、単純に傷に光のマナをぶっかければいいというものではない
どことどこをくっつけ、ふさぎ、修復するのか
頭の中に明確なイメージが無ければ、上手くいかないのだ。
人体の構造を知り尽くしたうえで
今そのどこが壊れているのか
どこをどうつなげばいいのかを判断する。
この目の前の先輩はその見極めが恐ろしいほど素早く正確だった。
恐ろしいほど、だ。
人には感情があり、それは揺れる。
疲れがある
恐れがある。ふつうは。
この先輩は相手が死にかけた赤ちゃんでも、国の主要な人物でもお構いなしに
どんなひどい状態のものでもひとつの揺れも、動揺も緊張もなく、常に癒した。
深い夜のような黒い瞳は
人を人として見ていないように、冷たく見えた。
ただの肉と皮を見ているように淡々と、彼は人を見ていた。
パトリックはこの人が笑ったり、軽口を叩くところを見たことが無い。
人の輪から常に距離を置いて
いつも冷静な瞳で、ただ、人を癒した。
一瞬オズホーンが『?』という顔をしたのに気付いた。
やっぱりなあ、とパトリックは思った。この人は自分になど興味がないのだ。だから顔も覚えてもらえてない。
「中央癒院で3年ご一緒させていただいておりました、6級癒師パトリック=ハリンです」
「ああ、君か。優秀な人間がいて助かる」
ぎょっと目を見張ったパトリックを置いて
オズホーンはチャキ、チャキと音を立てて、魔力水の入った細長いビンを服の内側に通した皮ベルトに仕込む。
「君はいつ着いた」
「二日前です」
「様子は」
「まだ様子見ですね、お互いに」
「士気は」
「今日先輩が来たので、うなぎのぼりです」
「何故」
「『音無のオズホーン』ですから、そりゃあそうですよ」
誰が言い出したのか
詠唱をせず、音も立てずに人を癒すこの人は、そう呼ばれている。
1~3級の癒師は実績が必要なため、高齢な人が多い
まだ20代前半でそのなかにありながら、皆が認めざるを得ない実力者である彼は
『しんどいことは若者に』と
老獪な年寄りたちにうまい具合に使われてしまっている。
3級以上の癒師が必要な現場に、よく行かされてしまうのだ。
文句も言わずに淡々と行き治し淡々と帰るから、ますます声がかかってしまう。
『怖くありませんか』と聞いたことがある。
『特に。やることは同じだ』と彼は答えた。
「戦闘班には挨拶をしてきた。大きな斧の男性に」
「ああ、大斧遣いのグスタフ=ヘッグ。あの人も苦労人ですよね。冒険者のわりに考え方が役人的で、真面目で国に逆らわないから、いっつもクエストを指名で受ける羽目になって」
「強いのか」
「と、言うより上手いかな。見かけのわりに慎重でよく人を見るから、彼がまとめると大きな被害が出ないんですよ」
「それはありがたい」
「やあやあこれはこれは、若き天才クルト=オズホーン師」
歌うようなバリトンの声がかかって、パトリックは『振り向きたくないなあ』と思った。
到着して二日。初対面だったこのバッカス=エーマン4級癒師が、パトリックはすでに嫌いだった。
なんというか存在が、場違いな人なのである。
癒師の待機場所として、土魔法が使える魔術師が、この家のような囲いを作ってくれた。
普段癒術以外の魔術を見ることが少ないので、目の前でバッタンバッタンと組みあがっていくそれを、パトリックは『おお~』と思って見ていたが
バッカス師は鼻をハンカチで覆い、わざとらしいくしゃみを繰り返した。
夕飯のときも、冒険者たちよりよほど豪華なものを出されながら
くっちゃくっちゃと嫌そうに、ときどきおえっとえずきながらそれらを食べた。
体を流すときも、眠るときも同様
いつも、なんとなく、嫌な奴。
表立って文句を言わないだけまだましなのかもしれないが
ふつうに嫌いだなあ、とパトリックは思っている。
この二日間嫌いな人と二人っきりだったため、来たのがあのオズホーン先輩でも、パトリックは大分ほっとしている。
「とっとと終わってほしいものだね。こんなところ上品な私は耐えられない。ちょっと戦闘班に、早めに片づけるよう策を練れと命令してこよう」
「癒師班の責任者は私であり、戦闘班にはすでに先ほど今後の方針について確認しています。命令系統と作戦の混乱を招きますので控えてください」
「私は君の先輩だったような気がするが?」
「癒師班の責任者は国が決めており今回は私です。この任務に当たる限りは私の指示に従ってもらいます。バッカス=エーマン4級癒師」
オズホーンにきっぱりと言われ、バッカスは黙った。
癒師としての力は、順位は、既にその胸のプレートで明らかなのだ。
「承知いたしました。クルト=オズホーン3級癒師」
バッカスは土煙を上げて進み、椅子に大きな音を立てて座った。
オズホーンの表情に変化はなかった。
上手くいけば3日で終わるはずの任務が、すでに15日経っていた。
冒険者たちは皆ヘロヘロに疲れ果てている。
何度か怪我人は出たが、今のところ誰も死んでいない。
オズホーンが全て、きれいに治してしまうからだ。
『いっそ死にてぇ……』
誰かのつぶやきが、哀れだった。
それでも冒険者というのは元気なもので、大声を上げて仲間同士で鼓舞し合い、誰かが傷つけばパーティの垣根を越えて助け合い、上手くいけば喜び、行かなければ反省し
次へ次へと進もうとする。
癒師の、なんというかストイックというか、緊迫した関係に慣らされていたパトリックに、それは新鮮だった。
「今日は天気が悪そうですね」
空を見上げているオズホーンに、パトリックは声をかけた。
「みんなに頑張ってもらっててなんだけど、早く帰りたいなあ」
言ってから
そういえば彼は怖くないのだったと思いだした。
「そうだな」
なのでそう続いたオズホーンの声にびっくりした。
「おれも帰りたい」
感情のないはずの夜のような瞳が
どこか遠くにある光を見るように、揺れた。




